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コンクールで良い賞をもらうために大切なこと 2








みなさんこんにちは!

さて、前回より「コンクールで良い賞をもらうために大切なこと」と題しまして記事を書いています。

チューナー的ピッチやメトロノーム的テンポが正確なだけでは良い賞、高い評価を得ることはできません。それ以上に大切なことは「芸術=メッセージを伝えるために演奏をする」という意識です。

こんなことが前回の内容でした。前回の記事はこちらからご覧いただけます。


それでは、前回の続きです。


《良いお店探し》



僕は地元の美味しい食べ物屋さん探しが好きで、気になるお店を見つけては、覚えておき機会を見つけて入っています。

ただ、たくさん行きましたが、その後リピートをするお店はかなり限定されてしまいます。イタリアンはここ、ラーメンはここ、とか1ジャンルごとに1店舗といった感じ。

味だけで言えばどのお店もとても美味しいのです。しかし、行くお店はどうしても決まってくる。

これはなぜか。


[食べ物屋なのに味以外での評価が多い]
例えばお店の清潔感、雰囲気、店員の対応、センスを感じるメニュー。あと、これは単なるタイミングの悪さなのかもしれませんが、初めて入ったときにものすごくうるさい集団がいたり、妙にタバコ臭かったり、子どもが走り回っていたりといった印象の悪さも含まれます。

だからといって別に食べログに投稿などしませんが、心の中で無意識に様々な角度から評価をしていて、高得点のところにリピートしている自分がいます。

しかも味ではないところでの(無意識的な)評価がとても多いのです。


[心に触れる部分]
高評価なところ、リピーターやファンが多いところは直接的な技術力以外の「心」に触れる部分が素晴らしいです。

おしぼりがあったかかったり、清潔感があるとか、お店の人の声色や挨拶、笑顔。BGMとか照明とか空間の印象。メニューと食器のチョイスや他のお客さんとのやりとりなど。

自分が求めていたものを満たしているか、ということではなく、様々な面でお客さんをおもてなししよう、という気配り(=心)を感じるのです。


人間にとって食事とは、もはや生命維持のためだけに行うものではなく、リラックスして心を満たすことも大切な要素になっています。ですから、同じお金を払うなら、味が良く、胃が満たされるだけでなく、心も満たされたいと思うのは当然でしょう。

「ああ美味しかった」「満腹」
「幸せ」「楽しい時間だった」「落ち着いた」
 ↓
だから「また来よう」。


《聴く人が楽しいと感じるための最も大切なこと》
「おもてなし」なんて言葉が少し前に流行りましたが、本当の意味でゲストに対しておもてなしをするためには、まず自分自身の心がどうであるかが重要です。

ここで音楽に話しを戻しましょう。

ただ正確なピッチやリズムをキープできる技術をひけらかしたり主張するだけではお客さんの心には何も届きません。
「どうだ上手いだろ」と上から目線の演奏をしたら、それがたとえ本当に上手な演奏でも聴く人はストレスにしかなりません(飲食店で店員に「どうだ美味いだろ」と言われてみてください。心底面倒臭いですよね)。

聴いてくれる方へ感謝の気持ちを持って、心から音楽をする。

よって、ゲストに心から楽しんでもらい、さらにリピーターになってもらうために一番大切なことは、音楽をすることが好きで、その好きであることも含めて聴く人に伝えようという気持ちを強く持つこと。したがって、


「自分自身が心から楽しむこと」


です。自分が楽くないのに、どうやって相手を楽しませることができるでしょうか。


[吹奏楽コンクールでも同じ]
これはコンクールという場面でもまったく同じです。音楽はどんな場面でも音楽であることに変わりはありません。

例えば2つの団体が同じ曲を演奏して、両団体ともにミスがひとつもなく、テンポが乱れず、ピッチが正しく、ハーモニーが良い演奏をしたにもかかわらずどちらか1団体しか代表を選べないとしたら、どうしますか?

演奏技術や表現力とは違う「心を感じる演奏」を選ぶはずです。

(もちろん、審査というのは上記のように技術が高いかどうかを真っ先に判断基準にしているわけではありませんから、表現力なども含め、すべての面において総合的に点数をつけているはずです。)

ですから、今まさにコンクールに向かって毎日一生懸命練習をしているみなさん、また、コンクールだけでなく、オーケストラや他の様々な本番に向けて練習をされているみなさんも、楽譜に書いてあるデータ(テンポ、リズム、ピッチ、音程etc.)を正確に再現するための必要な行為だけを「練習」と呼ばないでください。


もっと広い視野で、自分自身が心から楽しんで演奏する姿勢を忘れないでください(ここで言う「楽しい」は愉快な楽しさというよりも「やる気に満ちている状態」と考えてください)。

その「心」が、コンクールの評価にもつながります。

自分がお客さんとして聴きにいったとき、心から楽しみ、満足できる空間を作り出すために演奏技術以外に何が必要か、それを考え、実践してください。


ということで、また来週!


当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 07:10, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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コンクールで良い賞をもらうために大切なこと 1








みなさんこんにちは!トランペットを吹く人、教える人、荻原明(おぎわらあきら)です。


《コンクールで優秀な評価、賞をもらうためには何か必要か》



「めざせ金賞!」「めざせ全国大会!」を掲げて吹奏楽コンクールに向けて練習を開始しているところも多いかと思います。

せっかく参加するわけですから、思い残すことなく良い結果をもらいたいものですね。高みを望むことはとても素晴らしいことですし、様々な面で成長させてくれます。

ではもう一歩、深く考えてみましょう。

コンクールで良い賞を獲得するには、どんな演奏をする必要があるでしょうか。


 ミスをしないこと?
 ピッチがチューナーの指し示す±0を指し続けること?
 テンポがメトロノームのクリック音に噛み合い続けていること?
 和音が純正律の響きであること?


どうでしょう。


《芸術ーーメッセージを伝えることーー》
コンクールの審査員は人間が行なっています。カラオケの採点機能のようにコンピュータが予め持っているデータと比較して、減点対象を見つけていく方法とは違います。

そしてもうひとつ大切なことは、審査員は誰一人として手元にチューナーとメトロノームを持ち、それらの示す情報により点数の増減をしてはいません。チューナーがなくてもピッチがわかる力を持っているとか、そういうことでもありません。


では、審査員は演奏の何を聴き、何を審査基準にしているのでしょうか。


[そもそも音楽とはなんだろう?]
音楽は「芸術」というジャンルのひとつです。

課題曲解説の記事(課題曲3「インテツメッツォ」前編)でも書きましたが、芸術とは、「メッセージを相手(の心)に届けるための手段」です。

とても素敵なものを手に入れたから(生み出したから)みんなに知ってほしい、
自分が正しいと思うことを、多くの人にも共感してもらいたい、
それは間違っている!と思うことを、多くの人にも共感してもらいたい

様々なメッセージを、音に託して伝える行為が音楽です。

芸術は時として言葉のように直接的ではありませんから、そのメッセージが何なのか少わかりにくいときもしばしばあります。
ですので、それがたとえ憶測(それが作者のメッセージとは違った)としても一向に構わず、自分自身の考え、イメージすることが芸術そのものだと思います。


[読解]
そういえば国語の授業でも出てきましたよね、「読解問題」。
表面的にはこんなストーリーでしたが、作者は結局何を伝えたかったのでしょうか?というヤツ。

あなたは文章の読解、得意ですか?苦手ですか?

小説(物語)も芸術のひとつですから、音楽と同じように何らかのメッセージが込められているはずなのです。

若干乱暴な言い方になってしまいますが、作者にとっては結局、伝えたかったテーマが重要なのであって、その手段として設定した舞台や時代背景、出演者というのは、すべて道具にすぎないと考えてもいいかもしれません。


読解なんて難しい言い方しなくても、もっと身近にメッセージってたくさん転がっています。

あなたがもし(年齢的なものではなく)大人であれば、こんなふうに思ったこと、きっとあると思います。


「幼い頃見た絵本やアニメ、今見直してみると印象が違う」


例えばアンパンマンとかガンダムとかドラえもんとか何でもいいのですが、幼い頃というのは、バイキンマンが悪さしててアンパンマンにアンパンチ受けて飛んでいくと「ヤッター!」ってなったり、ザクがガンダムに攻撃されて爆発して「ガンダムつえー!」ってなったり。そんな感じだったと思うんです。
でも大人になると、もっと深く考えられるようになる。バイキンマンってもしかして、本当は悪い子じゃないのかもしれない、とか。ジオンも地球連邦もお互いが正しいを考えて戦っているんだな。戦争って正義とか悪じゃないんだな。とか。

そこからもっと深く考えてみる。それが作者のメッセージと違ってもいいからいろいろ考えてみる。

それが読解力だと思うのです。


[表面的なものばかりを受け取るから、炎上が起こる]
ここからは僕の主観として受けて止めてもらいたいのですが、最近はますます表面的なものを表面的にだけ受け止める人が増えてきたように感じます。

SNSなどのインターネット上でよく話題になる「炎上」がそのひとつ。


個人アカウントのTwitterで以前、こんなことをつぶやきました。







ユニ・チャームのCMでお母さんが子育てに奔走するストーリーです。これが炎上をしました。
なんでも、この映像にお父さん(男性)がほとんど出てこず、お母さんばかりが子育てをして、大変な思いをしている。女性だけが育児をしているいわゆる「ワンオペ育児」を肯定しているのでは、ということで話題になり、炎上したそうで。



「ワンオペ育児」っていうネーミングからもう人間味がなく。嫌悪感を抱きます。

ちょっと待ってほしいんですよ。

もちろん、物語をどう捉えるのかは個人の自由であり、それについて何を言おうが結構なのですが、最初から批判的な姿勢でしか見ておらず、指摘できるものを粗探しした捉え方すぎないか、と思うのです。

見方を、このCMを作った企業に変えて考えてみてください。企業はいわゆる「ワンオペ育児」を日本中に浸透させよう、育児は女性がするものだ!と訴えたくて、たくさんのお金と時間と人間を使って企業の顔であるCMを作ったとは考られません。

そもそも、そんな理念を持った会社がここまで成長しません。

否定的な捉え方を持ち、炎上させた人たちに言いたいのです。

「この物語の中に込められた本当のメッセージ」を読み取り、それを受け取ってください。その努力を惜しまないでください。

このCMに限らず最近では「SNS映え」する食べ物や「おもしろ動画」などの表面的なものばかりが瞬間的に流行する時代だなと感じています(それは楽しいから否定はしません)。ただ、なんでもかんでも表面的な浅い、心に到達する前に反応できてしまうような直感的面白さばかりを追い求めるのではなく、もっと深いところまで考えてみたり、相手の本当のメッセージが何なのかを受け取る自身の能力をもっと育てる努力をしてほしいのです。

クレーマーとか、モンスターペアレントとか、そういった人たちも、結局は相手の真意やメッセージ、なぜそうしたのかをまったく理解しようとせずに(受け取ろうとせずに)自分を優位に立たせ、自分の都合を最優先するために、自分の子どもまでもそのための道具として利用し(ウチの子に何かあったらどう責任とってくれるの?!というセリフはまさにそれ)、粗探しをしているだけにしか見えません。
みっともないし、人間が持つ貴重な能力である豊かな心やイマジネーションを全然発揮していない。とても残念です。


[音楽における「伝える技術」]
あなたが例えば昨日とっても面白いテレビ番組を観たとします。
翌日、その面白さを友人に伝えるとき、自分の持つイメージを可能な限り理解してもらえるように工夫や努力をする必要があります。

そうしないと全然伝わらなかったり、下手をすると違う解釈をされ、誤解を招く恐れもあるからです。

会話の流れ、チョイスした言葉、緩急や間(ま)、簡潔なまとまり、表情、トーンなどが上手であればあるほど相手は理解してもらえるでしょう。こういった技術を仮に持っていなくても努力すれば伝わりますが、苦労は伴いますから「伝えるための技術」は持っていたほうが何かと便利です。

音楽もまったく同じです。音楽で言うところの「伝える技術」とは、ピッチやテンポの正確性、音色やテクニック、表現力などの演奏技術全般を指します。

しかし、これらの技術はあくまでも「伝えるための技術」なのですから、「伝えるもの」「伝えたいもの」がなければ何の役にも立ちません。

伝えたいこと、伝えるべきことを持たずに、ただ表面的なことばかり(ピッチやテンポ)に意識が向いてしまうのは、例えて言うならプレゼントの外装にめちゃくちゃ気合いを入れて、箱の中身がカラッポだった、といったようなものです。

ということで、聴く人に届ける演奏をするならば、もちろん日々の演奏技術の向上(=テクニックの練習)は大切ですが、それは「伝えたいことを的確に届けるために行なっている」のである、ということを見失わないでください。

次回もこの続きを書いていきます。

それではまた来週!



当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 06:41, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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課題曲3 インテルメッツォ/保科洋 後編(吹奏楽コンクール課題曲トランペット解説)











みなさんこんにちは!

只今、「吹奏楽コンクール課題曲トランペットパート解説2017」と題しまして記事を書いております。
今回の課題曲3後編で全曲の解説を書いたことになります。
ただ、このシリーズを始めたときにお伝えしましたが、課題曲解説と言っても、作品の具体的なアドバイスなどを掲載したわけではなく、もっと広い視野で書かせてもらいました。
ですので、課題曲に限らずどのような作品を演奏するときにも参考になる記事ですのでぜひ読んでみてください。

==============================

課題曲1「スケルツァンド」/江原大介 前編
 演奏者はツアーガイド/楽譜を読む、ということ(テンポ、リズム、音の高低)

課題曲1「スケルツァンド」/江原大介 後編
 合奏は演奏者全員の個性を持ち寄る場/音をブレンドする?

課題曲2「マーチ・シャイニング・ロード」/木内涼 前編
 パート譜について/行進曲という音楽について

課題曲2「マーチ・シャイニング・ロード」/木内涼 後編
 拍のウラから入るときの吹き方/テンポが走ってしまう原因/ユニゾンを合わせるために大切な3つのこと

課題曲3「インテルメッツォ」/保科洋 前編
 「うた」ってなんだろう/うたいかた

課題曲4 マーチ「春風の通り道」/西山友宏 前編
 音の推進力/音量バランスを整える

課題曲4 マーチ「春風の通り道」/西山友宏 後編
 アーティキュレーションの表現方法/強弱のつけかた

課題曲5 メタモルフォーゼ 〜吹奏楽のために〜/川合清裕 前編
 現代曲ってなんだろう/楽譜とのジレンマ(異質なところを見つけよう)

課題曲5 メタモルフォーゼ 〜吹奏楽のために〜/川合清裕 後編
 楽譜の「見た目」から得られる印象

==============================

それでは課題曲3 インテルメッツォ/保科洋 後編を始めます。


《イメージだけで演奏は大きく変わる》
レッスンでは基礎的な課題を出すことが多いです。生徒さんはそれぞれその楽譜を演奏できるように練習をされ、それを聴かせてもらいますが、たびたび気になるのが「これはただの基礎練習」というスタンスで淡々と演奏してしまっている場合が多いのです。

フィンガリングは正しく、テンポも安定していて、ミスもない。そう言った点では完成度は高く素晴らしいのですが、どこかで「これはただのフィンガリング練習/リップスラーの練習 etc.」と思っているのでは、と感じ、「音楽」に至っていない印象を受けます。

そこで、僕は生徒さんにこ伝えることがあります。

「もしこの(教本のシンプルな)メロディが、吹奏楽のパート譜だったとして、しかも”solo”と書かれていたらどうですか?」

そう伝えると、演奏前から表情や覚悟が変わり、大切に演奏するようになり、途端に「音楽」にレベルアップします。


これは決して「突然上手になった」のではありません。生徒さんのもともと持っている「音楽性」が演奏に反映されたのです。
イメージの持つ力というのは想像以上に強い、ということなんですね。

他にも僕は「ここがレッスン室ではなく、大ホールの舞台でリサイタルを開いているイメージをしてみましょう。満員の客席からみんながあなたの演奏を注目していますよ」とか「もしあなたの演奏をあなた自身が客席で聴いていたとして、どんな評価をしますか?どこを褒め、どんなことにアドバイスをしたいと思いますか?」と質問することもあります。

基礎練習や教本は、どうしても主観的になりすぎる傾向があります。そこで、「本番」とか「お客さん」「ステージ」というワードを投げかけることで、客観的なイメージを持つようになるのです。音楽は演奏を聴いてもらって始めて成立するものですから、それがたとえたった1小節のフィンガリング練習曲であっても「音楽」を感じていて欲しい、と僕は思っています。


《すべてのパートがひとつの作品を構成している》
吹奏楽やオーケストラで演奏する自分のパート譜に”solo”と書かれた箇所があると「ああ、この曲ソロがあるんだよなあ。ドキドキ」と期待と不安が生まれることでしょう。
では、スーザのマーチのトランペット譜のように最初から最後までほとんど裏打ちしかない楽譜の合奏のときはどうでしょうか。「これつまんないんだよねー」「裏打ちしかないから余裕〜」とか思ってしまいませんか?

ソロが重要で、ソロじゃないところは重要でない。そんなわけありませんよね。

ピアノを演奏していて、右手はメロディだから一生懸命で、左手は伴奏だからテキトーな状態で良い演奏などできるはずがありません。

すべてのパートはひとつの作品を構築している音であり、不要なパートなどない、というスタンスで演奏に臨むことが基本です。ソロであろうがメロディであろうが裏打ちであろうが全員が重要なポストに就いていると思ってください。


《テンポ変化》
この課題曲3はテンポの変化が激しいです。変化、というよりも自然に起こりうる音楽的緩急が具体的に指示されている、といったほうが良いかもしれません。

フレーズが変わるところでは若干のテンポ変化(=rit.などは「大切に場面を切り替えて欲しい」という作曲者の気持ちを感じます)があったり、音楽が盛り上がるところではテンポが積極的に前進するようになっています。

[自発的なテンポ]
ピッチについてはしばしば話題になりますが、テンポに関しても誰かに合わせようとするのは合奏として手遅れになります。
テンポというのは、誰かが示したものに従っていくものではありませんし、楽譜に書かれているテンポ指示(メトロノームのクリック音)に従うだけなのもよくありません。

テンポは、まずそれぞれの奏者が自発的に決めておき、演奏するものです。

楽譜の指示やメトロノームは、あくまでも作曲者が想定していたテンポであり、寸分狂わず演奏しなければならない絶対的な存在ではありません。ですので、否定しない範囲で自分の感じるテンポを生み出すことが大切です。

同様に、テンポが変化するところも「rit.って書いてあるから遅くする」のではなく、その場面にrit.があることで作品がどのような印象を持つかをイメージし、演奏することが大切なのです。

なんでもそうですが「書いてあるから」「指示されたから」のような受け身で演奏をするのはよくありません。

音楽の解釈には「間違い」というものはありませんから、まずは自分のイメージで思い切り演奏して、そこから周りの奏者や指揮者の提案に擦り合わせていくように心がけてください。


《指揮者との関係》
指揮者って、なんだか絶対権力者みたいなイメージを持ちやすいですね。多分ですが、部活動などでは音楽の先生や音楽家の講師が指揮をすることが多いので、立場的に逆らえないように感じるからかもしれません。

しかし、指揮者というのは独裁者ではありません。
演奏者は指揮者の奴隷ではありません。

言うならば指揮者とは「現場監督」「プロデューサー」といった感じでしょうか。

指揮者は何もない「ゼロ」の状態から作品を作り上げていくのではありません。

指揮者はそれぞれの奏者が持ち寄ったイメージや表現を尊重しつつ、指揮者自身の中にある「完成形」に近づけていく仕事をする人です。ですから指揮者も、奏者がどんな演奏をしてくれるのか楽しみにしているのです。

しかし、奏者それぞれが好き勝手な解釈で演奏しているだけでは作品は完成しません。そこで指揮者が「方向性」を示し、「(今回は)こういった感じに作り上げます!」と、その名の通り「指揮」するのです。

ですから、例えばあなたのパートにfでメロディがあり、カッコよく激しい演奏がこの場面にはふさわしいと合奏で演奏したところ、指揮者としてはその場面は堂々と落ち着いたイメージを持っていたら、きっとあなたに「もっと堂々とした豊かなサウンドで」と提案すると思います。

しかしこれは、指揮者があなたの演奏を否定したわけではありません。
指揮者のイメージする作品の完成図と今回はたまたま違っただけです。

指揮者の言葉を補足するならこのようになると思います。

「(そういう発想もあるし、それはそれで悪くないけれど、指揮者の持つイメージとしては)もっと堂々と豊かなサウンドで(演奏したものを求めているので、今回はその解釈とは違う表現をお願いします)」

こんな意味合いが含まれている、と考えてください。

指摘されるということは、それだけ表現力が豊かで強い発信力を持っている(指揮者に届いている)ということなので否定されたと落ち込む必要はありません。

同じ場面でもいくつもの表現方法やイメージがあるのは、言って見ればカードをいくつも持っているようなものです。
その差し出したカードが偶然指揮者の求めていたものと違っただけで、そのカードがダメなわけではありません。


[過保護な指揮者は独裁者になってしまう]
指揮者と奏者の関係を解説しましたが、、現実的には指揮者が全部やろうとしている姿を多々目撃することがあります。

奏者たちが自発的に音楽を作り上げる力や方法を持ち合わせていなかったり、その力が弱かったりすると、どうしても指揮者は過保護になりがちて、いつのまにか指揮者が全部面倒を見るスタイルで合奏を進める習慣が身についてしまったのでは、と考えます。

こうなってしまうと指揮者は、まず奏者ひとりひとりの面倒を隅々まで見てあげなければなりません。それだけなら指揮者がひとりで苦労するだけなのでまだ良いのですが、奏者どうしの関係性が弱くなってしまうので、アンサンブルする力が育たないのです。これは合奏としては致命傷です。

結果、「奏者ひとりひとり」対「1人の指揮者」の構図が生まれてしまい、(不本意ながら)指揮者が独裁的存在になってしまうのです。

指導する側もあまり過保護になりすぎず、奏者の意識を育てられるレッスンができると、奏者同士の関係性も深まり、そのメンバーだからできる音楽が生まれます。


ということで、今回は合奏に参加するまでにしておきたいこと、そして合奏での指揮者との関係について書きました。
だれかと一緒に演奏する機会がある方はぜひ参考にしてください!

それでは、今回で吹奏楽コンクール課題曲トランペット解説2017を終了致します。
作品に対しての直接的な解説はほぼ皆無でしたが、掲載したすべての内容は演奏する上で必要不可欠で意味のあるものと思っています。ぜひみなさんそれぞれの立場で参考にしていただければ幸いです。

次回からも、もう少しだけ合奏やコンクール、本番などに役立つ内容を書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。
また来週!


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at 05:39, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2017

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