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吹奏楽コンクール課題曲2016トランペット解説【5.焔 / 島田尚美】前編








みなさんこんにちは!

只今、「吹奏楽コンクール課題曲トランペット解説2016」開催中です。
前回まで2週に渡って、課題曲4.マーチ「クローバー・グラウンド」について書きました。本文をご覧になりたい方は以下をクリック。

課題曲4.マーチ「クローバー・グラウンド」前編
課題曲4.マーチ「クローバー・グラウンド」後編

なお、課題曲1,2,3については2016年4月26日現在、まだ掲載しておりません。順次アップしていきますので少々お待ち下さい。


そして今週からは課題曲5.「焔」について書いていきます。「焔」→「ほむら」。炎のこと。

課題曲5は、コンクールでは中学生の部で演奏できない作品なので、演奏される団体がそれだけでも少なくなると思いますが、このブログでは作品についてのみ触れるのではなく、できるだけ広範囲でトランペットを吹く方に参考になる内容を書いていきますので、ぜひご一読下さい。


《どの団体でも一度演奏してほしい作品》
「課題曲5」と聞くだけで、知っている方の多くは「うえ〜、現代曲〜!」と苦手意識全開になることも多いのですが、今年の課題曲5は非常にわかりやすく書かれています。それぞれの楽器のことも大変勉強されているように感じましたし、それぞれの楽器の特性も理解されており、「こんな無茶振りすんなよー!」とはなりません。
とは言え、やはりいわゆる現代曲的な作風ではありますので、単純な音階になっているわけでもないので、フィンガリングが難しいところがあったり、(慣れていないので)吹きにくいところも多々あり、効率的な譜読みと練習が必要になるでしょう。

トランペットも無理なく、そして効果的な音域で書いているので、譜読みができてから曲作りをする段階になると、結構楽しいのでは、と思います。

こういった作品は、自分のパート譜だけを見て完成させるのは難しく、他のパートが何をしているのか知ったり、スコアをたくさん読んだりする必要が出てくるので、アンサンブル力を強化するにもとても役立ちます。

課題曲って、他の楽譜に比べると安く手に入るので、完成させるところまでいかないにしても、中学の吹奏楽部も含めてレベルアップ目的でみなさん取り組んでみてはいかがでしょうか。


《音価を正しく》
いわゆる「現代曲」を演奏する上で特に意識してほしいのが「音価」です。音価というのは「四分音符」とか「八分休符」とかのことを指す「音の長さ」を指します。四分音符の音を二分音符ぶん演奏してはいけませんよね。楽譜の基本的なお約束です。

しかし、音価を正しく演奏できていないバンド、結構多いんです。
コンクール直前になって「なんでうまくいかないんだろう?」と煮詰まってしまうバンドによくあるのが、音の処理の曖昧さだったりします。
音の処理が曖昧だと、次の和音にかぶってしまったり、逆に息が足りないとかで早々に音を出すのをやめてしまったら、そこだけ穴が開いてしまうことになります。瞬間的なことなので、ひとりくらいならまだ大したことにはならないのですが(本当はダメですけどね)、それがあちこちで多発すると、色彩が濁りはじめ、ガタガタした演奏になってしまうのです。

こうした音価の曖昧さからくる作品の不安定さは、「吹き始め」「音の出るタイミング」には非常に厳しく指導し、それを「タテの線」と言って合奏しているバンドに多いです。音価を正しく表現するために、出だしを意識することはもちろん大切なのですが、それと同様に「音をいつ吹き終えるか」そして「音をどう吹き終えるか」についてしっかりと意識しているかについても正確であるべきです。

音の処理が曖昧なバンドは、メトロノームを濫用している場合も多く感じます。メトロノームのクリック音は、確かに正確な「拍の始まり」を刻んでくれます。しかし、音価を表現しているわけではなく、ましてやどこで終えるのかというアクションはしてくれません。
ですので、どうしても出だしを揃えることばかりに意識が向いてしまい、処理に疎くなってしまうのです。

テンポを正確に演奏したいのでしたら、処理についてもしっかり考えないと、下降系のメロディやスタッカート、速いテンポの曲でやたらと走ってしまう、なんてことが多発するのです。

そしてこの作品について言えば、ひとつのメロディが複数の楽器で繋がっていたり、一緒に同じメロディを演奏することがとても多いのです。仮にトランペットパートだけがメロディを担当しているのだったら、音価がバラけてしまっても多少の違和感で済んでしまう可能性があります(本当はダメですけどね)、しかし、例えばピッコロ、フルート、クラリネット、アルトサックス、トランペット、ユーフォニアムがまったく同じメロディを一斉に演奏するシーンがあったら、音価について厳しく意識していないとまるでバラバラな演奏に露骨に聴こえてしまうのです。

音価通りに吹くために大切なのは「音を抜かない」ことです。近年、「響き(音響)」効果のようなものを狙っているのか何なのかわかりませんが、やたらと音を抜く管楽器奏者が多いように感じます。
確かに音を抜くという奏法はひとつの表現ですからそれ自体を否定するつもりはありません。
そうではなく、楽譜通りに演奏するのであれば、楽譜に何も指示がない状態であれば「一拍は一拍分、同じ状態を維持する」ことが基本になるのです。
ですから、音を抜いて処理をする場合は、楽譜にデクレッシェンドか何かが書いてある時にのみ行う「表現」と位置付けておきたいところです。

音価を正しく演奏できるだけで、バンド全体の色彩感が変わります。

これは大したことではありません。奏者全員が正しく理解し、意識できるだけのことですからね。


《解説文を読む》
課題曲のスコアには、作曲者本人からのコメントが掲載されています。
そしてこの作品のコメントの冒頭にこんなことが書かれていました。

「フレージングや強弱変化など、微妙な表現の違いを読み取って下さい。」

この作品は強弱記号にはじまる様々な演奏指示が具体的に書いてあるので、まずそれに従った表現を心がけることが大切です。譜読みが適当だったり、譜面をしっかり読みながら(見ながら)演奏をしていないと、だんだん「我流(都合のいい癖を持った吹き方)」になってしまうことが多々あります。
そのほとんどが「そのほうが吹きやすいから」という理由でしかなく、例えばタンギングが上手にできないという自覚があると、書いていないのにスラーにしてしまったり、スラーとスラーの間のタンギングを無視してしまったりするものです。


《強弱記号について考える》
強弱記号、ダイナミクス記号というのは、どんな作品にも必ず掲載されているものですが、単に「フォルテ=強く」「ピアノ=弱く」といった楽典的理解では演奏はできません。
もちろん、デシベル(音量)的意味合いも含まれた記号ではありますが、単にそれだけで片付けられるものではありません。

よく僕はレッスンで「○○なフォルテ(ピアノ)」という言葉を使います。○○の中に自由に言葉を入れてもらうのです。

フォルテを例にして言えば、「怒ったフォルテ」「大爆笑なフォルテ」「悲しみに打ちひしがれたフォルテ」「喜びに満ちたフォルテ」のような感情を入れることもできますし、「目の前を快速電車が通過したときのフォルテ」「ダイナマイトが爆発したフォルテ」といった状況も入れられます。他にも「東京スカイツリー」とか「阿蘇の草千里」とか建物や景色でもいいですね。

このように楽譜には同じ「f」の記号ひとつで片付けられているダイナミスクも、その中の込められた意味や感情はすべて違うものであることを常に感じてほしいのです。

では、この作品ではどうなのか、というと、僕の勝手な解釈では「立体感」を一番感じました。
どう捉えるかは自由ですが、立体感=ダイナミクス記号と考えるならば、アンサンブルをする上でも自分がどの立ち位置にいるのか、他の楽器とどんな位置関係にあるのかを意識して、それが結果的に表現できるような作品作りをしてみるのも面白いのではないかと思います。

そのために必要なことは「他の楽器の音を聴く」ということ。もちろん自分も演奏していますから、自分の音を出しながらもフルートやクラリネットの音を耳で捉えることができるか、という点が課題になります。
これはどんなアンサンブルでも非常に大切な基本です。特に金管打楽器に関しては意識をしている必要があり、我々が本気を出してしまったら、木管楽器は音量的にはかなわないのです。ですから「一緒に演奏しているすべての楽器の音が聴こえるバランス」というものをひとつの基準にして常にアンサンブルをするということを奏者全員が意識していられることがとても大切です(時にはトランペットや金管が突出してガンガン吹くこともありますが)。

場面ごとに自分が(他の楽器が)どのような立ち位置にいるのかをしっかり把握した上で合奏をする、これができるとアンサンブルはもっと面白くなります。ぜひスコアを読んで、まずは作曲者がどう考えているのかを理解し、それを演奏に反映できるように心がけてみましょう。

ということで今回は課題曲5の前編でした。あまり作品について触れませんでしたが、次回は少し具体的に書いていきますので、引き続きご覧下さい。

それではまた来週!


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at 06:59, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2016

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吹奏楽コンクール課題曲2016トランペット解説【4.マーチ「クローバー グラウンド」 / 鹿島康奨】後編








みなさんこんにちは!

只今「吹奏楽コンクール課題曲トランペットパート解説2016」開催中です。今週は課題曲4.マーチ「クローバー グラウンド」 の後編。先週の前編では、この作品の全体像からいろいろと話を発展させて書きましたので、今回はできるだけ直接的に使えるアドバイスを書こうと思います(前編はこちらからご覧ください)。

何度も言っていますが、課題曲と無関係のトランペット吹きの方が退屈してしまうのはイヤなので、いろいろ広範囲に話をしていきますね。


【冒頭】
冒頭のメロディは、五線の中に収まった狭い音域の中で動いており、非常に吹きやすいメロディです。
しかし、言い換えるならこのメロディ、音程の起伏がないので、ただ吹くだけでは聴かせどころがありません。往々にして吹きやすすぎるメロディは、気持ちが緩んでしまいがちで、緊張感のない演奏、締まりのない演奏になってしまいがちです。

このようなメロディを印象的に演奏するのはとても難しいと思います。「え?それメロディだったの?」「どこがメロディなの?」と言われないように、「トランペットとトロンボーンでメロディ吹いていますよー!」と、主張して良いと思います。強弱記号は単なるf(フォルテ)ではありますが、音形も音量も音圧も、かなり出したほうが良いでしょう。長い音で抜いてしまうと、バランスの悪い演奏になってしまいます。バンド全体の音が聴こえる範囲で、しっかりと主役である自覚をして主張した演奏を心がけてください。
特に、3小節目でメロディがガクンと下がるので、木管の細かな動きに消されてしまわないように注意しましょう。

また、この作品全体に言えることは、3パートあるトランペットの中でのユニゾン(同じ音で吹いているところ)になる瞬間がとても多いのです。しかし、フレーズ間すべてがユニゾンではなく、メロディの途中で突然違う音になるので、スコアを見るなりして、どこがどうなっているのかよく把握しておくことをおすすめします。
また、冒頭もそうなのですが1,2ndがユニゾンで3rdが違う音という3パートで2音の場所が結果的に多くなりますから、例えばここでは3rdは相当しっかり音を出さないとバランスが悪くなります。


【練習番号B 5小節目アウフタクト】
さて、前回の話題の中心であった部分のひとつがここです。木管楽器にはメロディの中にスラーが細かく付いているのに、トランペットには何も書かれていません。これが作曲者の言う「研究」箇所です。なぜトランペットにはフレージング(作者は「アーティキュレーション」と呼んでいる)がまったく書いていないのでしょうか。研究してみましょう。

ここで僕なりの2通りの考え方と、演奏方法を挙げてみます。

[方法1:輪郭担当→スタッカートで演奏]

(以下、妄想)
木管楽器の暖かく穏やかなサウンドで軽やかにメロディを演奏してほしいのだが(作品全体の印象がそうありたい)、それだけだと音量的にちょっと弱いと考えた作曲者さんは、トランペットにもメロディを演奏させようと音符を書きました。
しかし、トランペットのことだ。きっと「わーいメロディだメロディだー!」と、ここぞとばかりに吹きまくるに違いない。ここは木管に花を持たせたいのだ!うーん、どうしよう。そうだ。トランペットはメロディではあるけれど全く違う立場にしよう。

「トランペットは音の輪郭だけ作ってくれればそれで良い(でしゃばらないでほしい)」
(以上、妄想)

…いかがでしょう、僕の妄想。

もし、トランペットにこういった立場で演奏して欲しいのだったらば(そういう解釈で行こうと考えるならば)、音の輪郭だけが聴こえるように、歯切れの良いスタッカートを中心に演奏してみてはいかがでしょうか。

シロフォンみたいな存在・効果と考えればわかりやすいでしょうか。
これが考え方のひとつです。


[方法2:スラーが書いていないのは気のせいだと思い込む→木管のフレージングに極力似せる、曖昧にする]

スラーが書いていないので木管と同じフレージングにするわけにはいきませんから、タンギング(発音)や音の長さを駆使して、できるだけ木管楽器と似たフレージングで吹いてみてはいかがでしょうか。
今回の参考演奏CDは、そんな風に吹いているように聴こえます。軽く軽く、木管の邪魔をしないように。
あ、コルネットみたいな吹き方をしているように聴こえますね。

どのみち、トランペットが前面に来てほしくはなさそうなので、何らかの方法を取らねばならないと思われます。
前回の記事でも書いたように、トランペットにどのような存在で、どのように吹いたらいいのかを、楽譜を渡すと同時に伝えることが一番効率良いと思います。指揮者さん、頑張って研究してください。

ただし、時間的にもテクニック的にも余裕があるパート、団体ならば、合奏の場でいろいろと研究してみるのは楽しいし、良い経験かもしれません。
ただし、これをするならば、トランペットパートが指示された通りの表現をパッパッと変えられることが前提になります。


【練習番号C】
CからはいわゆるBメロです。課題曲マーチのBメロはトロンボーンなど中低音域が担当すると決まっていますが(え、特に決まってない?)、しかしだからと言って、それ以外の人たちのほとんどが、練習番号Cからトランペットと同じ、いわゆる「裏打ちのリズム」なのです。いくらなんでも多すぎでしょう。
ということで、ここも「形だけ」出ればそれで良いのだと思います。裏打ちやかましすぎです。

ただし、、練習番号Cの2小節目、4小節目の最後の音にトランペットだけアクセントが書いてあります(スネアドラムにもあります)。このアクセントをどう考えるのか、これも研究が必要ですね。

アクセントというのは「音を強く吹く」とか「タンギングを強くする」といった方法を優先して考えてしまうと、表現としてうまくいきません。アクセントに限らず、テヌートやスタッカートといった「アーティキュレーション」は、「なぜそこにその記号が付いているのか」「その記号が付くことで、どんな演奏になるのか(どんな印象を与えることができるのか)」を作曲家の立場になってイメージし、それを実現させるための奏法を考える、という順序が望ましいです。

ですから「アクセント記号が付いているからアクセントしましたが何か?」みたいにならないようにしたいですね。

とは言ったものの、この場面、フレーズの最後の音にアクセントを付けた理由や、その結果生まれてくる音楽が、僕のつたない音楽的感性ではどうしても「ダサい」ものにしかならず、正直言うとどうして良いものかよくわかりません。

「弾ける元気!」

みたいな感じ?
そんなダサいイメージしか持てないんですけど、どうしましょう。


先程のトランペットにフレージングが書かれていないのと逆で、今度は木管楽器には、アクセントがないんですよ。なんで?もしこの作品のこの部分が「節目」のような場所にしたいと考えるのならば、すべてのパートにアクセントを書くはずですよね。でもトランペットとスネアにしか書いていない。それはいったい何を求めているのでしょうか。研究のしがいがありますね。


【練習番号E】
さて、ここも練習番号Bの5小節目からと同じく、メロディを担当しているのですが木管のようにスラーがまったく付いていません。あげく、吹き始めは木管楽器はfなのに対してトランペットはmfです。明らかに、

「トランペットだけでメロディ吹いてるんじゃないから、でしゃばりすぎないで!」

ですよね。トランペット、あまり好きじゃないんですかね。

で、練習番号Eの4小節目にクレッシェンドがあり、5小節目でついに木管楽器と同等のfが書いてあるのです(やった!)。そしてこのクレッシェンド、他のどのパートにも書いてありません(打楽器にはありますが、打楽器はそもそもmpからmfへのクレッシェンド)。ということは、バンド全体のボリュームとかではなく、トランペットに特定の何かを求めているのですね。

「トランペット、ここから出てきていーよ」

そんな感じでしょうか。お言葉に甘えてたくさん吹いても良いかもしれませんね。


【練習番号F】
ここは、バンド全体が3つの動きに分担されて、順番に出てます。トランペットは1拍目から登場し、その後ホルンとサックスが3拍目から登場。そして中低音楽器が次の小節の1拍目に登場します。




最初に出てきたトランペットには3拍目で少し音量が落ちるように指示があります(木管のトリルにはデクレッシェンドなし!)。これはきっと、他のメロディを邪魔しないようにする配慮的な記号と考えられます。



「ラッパ、ずっと音を張っていると他のパートが聴こえないから、ちょっと譲ってね(音量で)」

今までの流れからすると、こんな感じだと思うのですが、もしかすると立体感を構築するためなのでしょうか。

なんにせよ、ここも楽器によって書いてあったり書いてなかったり(サックス、トランペット、ホルンのみ書いてある)と「なぜ?」が生まれてきてしまいます。

これは「練習番号 I」も同じです。うーん、どうしたものでしょかね。
やはり指揮者がどのように作品を作っていくかを具体的に決めておくことが大切です。


【練習番号J 1小節前】
Jからテンポが落ちます。そのJのテンポを決める力を持っているのが、トランペットとトロンボーンとスネアドラムです。

指揮者がいくら頑張ってブンブン振っても、トランペットなどがJの1小節前の2拍目にある3連符をどう吹くかで、その先のテンポが決定します。

この小節は「rit.」と書いてはいるものの、だんだん遅くするよりも、この小節2拍目から練習番号Jのテンポで吹いてしまったほうが全体が安定するでしょう。練習番号Jからは、音楽がそもそも持っている「重さ」があるので、J1小節前の3連符をあまりに重く吹いてしまうと、その先延々と伴奏形を吹かなければならないトランペット全員が痛い思いをしてしまいますから、テンポが落ちても「軽快さ」「推進力」を失わないように歌い続けることが大切です。

合奏というのはこの場面のように、指揮者がどんなに頑張っても奏者が決定権を持っていることがとても多いです。だからこそ、奏者は指揮者のシモベになってはならないのです。しかし、指揮者は敵ではありません。音楽を作るプロデューサーのような立場なのですから、逆らうのではなく、できる限り指揮者がどんな音楽を作ろうとしているのかを感じ、汲み取るように心がけることが奏者の仕事のひとつです。

それにしても練習番号Jからはトランペット、無駄にキツいですね。ほかのパートで同じことをしているのはスネアドラムだけです。できるだけ形だけ出して、ここで疲れてしまわないように対策をとる必要がありそうです。

ちょっと休ませてくれればいいのに。この後自由曲吹くんだし。ねえ。


【練習番号L 1小節前】
この程度の短めの作品の場合だととてもわかりやすいのですが、自分のパート譜を見て、一番強い強弱記号がどこに書いてあるかを事前に確認し、作品の最も盛り上がるところを理解しておくことが大切です。
それがわからないと、いちいちfが出てくるたびに一生懸命吹きすぎて、結局作品のピークが聴いている人に理解してもらえない、という結果を招いてしまいます。

で、この作品のピークはどこかというと、1つ目がここなんですね。初めてトランペットにffが現れます(一瞬)。その拍の中でppまでデクレッシェンドするのですが。

え?なんだったんでしょうこれ。

これはピークではないのでしょうかね。ピークではないですよね。。。おかしいな。
そこまで極端にするのはなぜなのでしょうか。指揮者さん、どう考えますか?


【練習番号L5小節目】
ここからの動き(メロディではない)、休符とタイのつき方をよく見てください。104小節目から105小節目の2拍目までがひとつのフレーズですね。そして105小節目から107小節目の2拍目までが次のフレーズです。
しかし、メロディや他のパートはそういうことにはなっていないので、どれだけそのフレーズ感がこの部分に意味を持たせられるかはわかりませんが、楽譜はそう書いてあるのでそうなのでしょう。


【練習番号M 3小節目アウフタクト】
ここでffがまた出てきました。この作品は、クライマックスがピークということなのでしょう。トランペットが全パートユニゾンであることから、きっと相当存在感を求めているのだと思います(フルート、オーボエなどが同じことをしていますが、ここもやはり木管だけスラーが付いていることにも再度注目しましょう)。
本来ならば3パートをユニゾンにするくらいならばオクターブで重ねたほうが聴こえる威力は増すと思うのですが、それはさておきユニゾンなので吹き方の統一はこころがけたいものです。
ピッチのことばかり考えていても統一感は得られませんから、「音質(音色)」「音のスピード」にも充分意識を向けるようにしてください。

また、最後の小節もやはりユニゾンですが、Des音(運指2,3番)は若干鳴りにくい音です。気合いを入れすぎてピッチが悪くなったり、音がひっくり返らないように注意しましょう。そもそもバンド全員が同じことをしているので、音量はそれほど必要なく、音のツボに当てて美しく端正に吹くコントロールが一番大切です。


さて、終始グチみたいな書き方をしてしまいましたが、スコアを読めば読むほど不可解な点が多くて、作曲者がどんな考えて書いたのかを読み取ることが正直できません(可能性や妄想はたくさん出てきますが)。これは課題曲ですから、あまりに逸脱した解釈や、勝手な改変、編曲をするわけにもいかず、どうすれば、という悩みばかりが大きくなります。


最近はパソコンで作曲、楽譜作成をすることが当たり前になり、誰でも気軽に大編成の作品を作ることが可能になりました。
僕も楽譜浄書や編曲をするのでよくわかるのですが、コンピューターで音楽を作る…中でも「人間が演奏するための楽譜」をパソコンで作っていると、パソコンで再生して音を確認するその機能にはあまりこだわりがない場合が多いんですね。「聴ければいい」くらいしか求めていないので。

しかし、パソコンで再生すると、非常にチープなのですが、クレッシェンドとか強弱記号とか、ちょっとしたテンポチェンジには一応反応してくれるんですね。

しかし、もちろん融通がききませんから、やってほしい表現とは大きくはずれた再生を大概はしてくださるので、本当に割り切って「これはパソコンだから実際の演奏とは違うんだ違うんだ違うんだ…」と、惑わされず楽譜を書き続けていられれば良いのですが、パソコンのチープな再生を自分の(人間が演奏する)イメージに無理矢理近づけようとすると、独特な楽譜の書き方になってしまうことがあるのです。

実は僕、この作品のスコアを見たとき、一番最初に感じたのはそれでした。

このスコア、パソコンで再生すると、それなりに整った演奏をするんじゃないかなあ、と。
それがこのトランペットにフレージングがまったく書いていなかったり、練習番号Fの細かな強弱指示だったり(ここ、fpクレッシェンドじゃダメ?と思ったのですが、fpってパソコンであまり上手に再生されないんです)、打楽器が全般的に音量を抑え気味に書いていたり(木管楽器と比較するとちょうど1レベルずつ下がっているところが多い)、ユニゾンパートが多ければ多いほど音量が大きくなったり。
あと、パソコンで再生する打楽器って、うるさいのが多いんですよね。

この作曲家さんのプロフィールにコンピューター・ミュージックと書いてありますから、もしかしたら作っていくうちに生楽器(人間)による演奏がどんな結果になるのかと、パソコンが再生する音の聞こえ方の境界線が曖昧になってしまったのかな?とも思いました。

それと、前回の記事で書いた、作曲家さんの所属しているバンドのそれぞれのパートの特徴や、曲作りの順序、これまでに経験してきた部活などの経験などから作られているのでは、という憶測も。


この作品は「楽譜通りに吹く」ことで効果的な表現でできるとは思えないので、常に作曲者が本当はどんな完成形をイメージしているのかを奏者がそれぞれ感じ、何よりも指揮者がそれを強く持ち、その完成形が、なぜこのような楽譜の書き方になったのかを考える、という特殊な順番で音楽作りをするのが良いと思います。

ということで、この作品を演奏される場合は、結構苦労する点が多いのではないか、という正直な意見を書かせてもらいました。
悪意があるわけでは決してございませんので、ご了承ください。

最初の課題曲解説は4.マーチ「クローバー グラウンド」でした。
次週からは違う作品について書いていきます。どの作品を取り上げるかは、来週までのお楽しみということで。

それではまた来週!


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at 07:01, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2016

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吹奏楽コンクール課題曲2016トランペット解説【4.マーチ「クローバー グラウンド」 / 鹿島康奨】前編








みなさんこんにちは!

さて、今回の記事より今年度の吹奏楽コンクール課題曲のトランペットパートについて、自分なりの見解を書いていきます。
最初は、課題曲4「クローバー グラウンド」です。

来週と今週の2回で1曲完結させますが、前編は、まず作品全体のこと。そしてそこから話を広げていきます。


《作曲者本人のコメントから読み取る》
フルスコアには最初にそれぞれの作曲者の短いコメントが掲載されています。この欄への書き方は自由のようで、演奏のアドバイスを詳細に書いている方もいれば、作品の世界観について述べている方もいらっしゃいます。

ともかく、作曲者本人のコメントには何かしら得るものがありますので、ぜひ読んでみてください。
今回の記事では特に、このコメントから作品を読み解いていこうと思います。


《「鳴らし過ぎず」》
コメント前半はいくつかの場面の、特定の楽器への指摘なので割愛し、最後の2行を全文掲載します。


『曲全体を通して無理に鳴らし過ぎず、各々の楽器の音色が正しく出るように、また、アーティキュレーションが役割によって変えてありますので、フレーズの歌い方などをよく研究していただければと思います。』


このように記してあります。

最初に感じたのは「ああ、、、フルート奏者だなあ」、ということ。「鳴らしすぎず」というのがそれを象徴しています。ようするにこれは、金管打楽器に対して特に言っているのでしょう。そして、金管打楽器が鳴らしすぎになった時のフルートをはじめとした木管楽器に対しても警告しているように感じます。

確かに吹奏楽は往々にしてドンチャン騒ぎになりがちです。特にマーチなどの元気良い印象を持つ作品の場合、金管打楽器はどうしても「活躍」「主役」の自覚を持ってしまうので「木管金管打楽器すべてのバランスが整ってこその吹奏楽」と、しっかりと自覚しておきたいものです。

金管打楽器がドンチャンしすぎると、出力の弱い木管楽器にとっては大変迷惑です。だって、どんなに頑張って吹いているのに音が聴こえないのですからね。結果、吹奏楽での木管楽器奏者はその楽器の本来持つ美しい音色よりも「聴こえる音量」を求め(られ)てしまうことが多いのです。


トランペットの話に戻すと、合奏をしていてよく指揮者に「トランペット、もっと(音量を)抑えて」と言われることがあるかもしれません。

みなさんはそんな音量バランスの指摘をされたとき、どんなことに気をつけていますか?

「うるさい」と言われれば音量を小さくする。きっとこれは誰でもやっていることでしょう。
しかし、どんなに頑張って音量を抑えても「うるさい」と言われ続けたり、逆に頑張って吹いているのに「聴こえない!もっと吹け!」と言われたことありませんか?

自分では頑張って音量をコントロールしているつもりなのに指揮者にOKをもらえない、これは指揮者がイジワルをしているのではありません(多分)。本当にバランスが整っていないのです。

こんなシーンを想像してみてください。
クラシックのコンサート会場や映画館、授業中の静まり返った空間でのヒソヒソ声。あれ、(話の内容はわからなくても)よく聴こえるし、耳障りですよね。

なぜか。音というのは「音量」以外に「音質」というものがあるからです。

ですから、音量を抑えても、音質が悪くなってしまうととても目立ってしまい、「(異質な存在として)うるさい」という指摘を受けるのです。
極端なことを言うと、とても素敵な音質であれば、少しくらい存在感が大きくても(デシベル的数値が大きくても)、その作品のその場面にそぐうのであれば邪魔だと感じにくいのです。「それはそれでアリ。そういうもの」という印象になります。

ということで、バランスについての指摘を受けたときには、音量だけではなく、音質について強くこだわってみてください。


《「各々の楽器の音色が正しく出るように」》
これはとても大切な指摘です。吹奏楽の世界で未だによく耳にするのが「音をブレンド」するという言葉からくる発想の勘違いです。

僕はそもそもアンサンブルにおいての「ブレンド」という言葉が誤解を招きやすいので好きではありません。あたかもそれぞれの楽器の個性をなくして、各楽器から出てくる音色そのものを似させるようなイメージに捉えてしまうからです。アンサンブルは飲み物ではありません。乳化してもらっては困るのです。

アンサンブルでイメージしてほしいのは、それぞれの楽器がそれぞれの楽器の持つ素晴らしい音色を鳴らした結果生まれた響きでなければならないのです。

吹奏楽でトランペットを吹いている人の中には、なぜか「フリューゲルホルン」のような音を出そうと一生懸命な奏者がいます。しかしトランペットの音というのはそんなに柔らかくはありません。真のあるきらびやかで金属的な音なのです。それは、トランペットという楽器の形状や材質が持つものなので絶対そうなってしまうのです。そうでなければコルネットやフリューゲルホルンの存在価値がありませんよね。

楽器の持つ「ベーシックな音」をまず鳴らせるようにすることが大前提で、そのために必要なのがこのブログでもしつこく言っている「音のツボ」に当てるという技術です。

すべての楽器は個性のある音色を持っています。それをまず尊重しなければアンサンブルは成り立ちません。


《「アーティキュレーションが役割によって変えてある」》
さて、今回一番書きたかったのはここからです。僕はこの作品のスコアを見て真っ先に「浄書ミスか?!」と思いました。しかしどうやらそうではないようなのです。

スコアを見てもらえば一目瞭然です。



トランペットが主旋律を担当している箇所ですが、同時に木管楽器のいくつかも同じメロディを演奏しています。
しかし、トランペットにはスラーが付いていません。この作品、全体を通してこのような書き方になっているのです。

ごく一部分でこの作品のようにフレージング(この作曲者は「アーティキュレーション」という言い方をしている)を「意図的に」変えて、効果を狙っている楽譜は見たことがありますが、ここまで徹底的に「トランペットを差別化」している楽譜は初めてです。

スコアのコメントには「アーティキュレーションが役割によって変えてありますので、フレーズの歌い方などをよく研究していただければと思います」と書いています。

うーん…正直無責任すぎやしませんか?いや、もしかすると一周回ってそれが狙いなのでしょうか。


《だれが「研究」するのか。そもそもこれは「研究」なのか》
なぜ無責任なのか。それは、「決める人が必要だから」です。

そもそも、大勢の奏者で音楽をつくるとき、どうあるべきかをまず考えてみましょう。

まずは「奏者ありき」を忘れてはなりません。実際に音を出している奏者それぞれがいてこその「そのメンバーで奏でる音」になるわけですからね。だから、個人個人のキャラクターを殺してしまうのはもってのほか。先ほど書いた「音のブレンド」の勘違いもこれに含まれます。
ということは、まずは奏者が「どう吹くのか」を主張し、それらを指揮者が「寄せていく」という順序になるわけです。

軍隊のように指揮官がいて、その人が「駒を動かす」ように軍人たちに指示するのとはまったく違います。

奏者は指揮者のシモベではないのです。音楽は絶対的なひとりの権力者のよる統制で作られるものではありません(部活動ではどうしても「先生」が指揮者であることが多いので、奏者が「従う」という形が当たり前であると勘違いしてしまいがちですが、演奏上ではそれは間違いです)。

軍隊は先頭に指揮官がいて、それに続くように軍人が一列に並んでいるのに対し、大人数の音楽作りは指揮者が中心にいて、それらを取り囲むように奏者が指揮者を見ている、という感じです。指揮者というプロデューサーが持つイメージを、奏者は自分の演奏にその音楽性を取り込むために見ているのです。奏者は音を出すロボットではありません。個性を潰してまで指示に従うのではない、ということです。
だから軍隊みたいな厳しい規律の中で音楽をつくる昭和な吹奏楽部は、特異な音楽になってしまうのです。そもそもの方法が違うからなんですね。

しかしこの作品の楽譜の書き方では、その「正しい音楽作りの」順序では作れないのです。
楽譜のどこを見ても、会報「すいそうがく」を読んでも、トランペットに対して何も指示がありません。
あれだけ特殊な書き方をしているのですから、何かしら指示なりコメントなりがほしいところです。

普通だったら、パート譜を奏者が受け取り、それをまず個人で譜読みをして、どんな音楽作りをするか各自が個性を発揮して作り上げ、それを合奏で持ち寄って、最終的な方向性や完成図のイメージを指揮者が提示して、奏者の個性と指揮者のプロデュースによって、その時のそのメンバーだから出せるサウンド、作品の完成を楽しむことができるのです。これが音楽の本来あるべき姿です。

しかしこの作品は、指揮者が研究(?)をして、それを指示するまで奏者は身動きが取れないのです。指揮者ならぬ指揮官の統制のもと、最初から作品を細部まで指示された通り演奏する順序でないと、例えばひとりの奏者が「ここはスタッカートで演奏するのが良いだろう」と思い、他の奏者は「木管のフレージングを尊重して、書いてはいないけれどスラーの箇所はスラーっぽくしよう」と、それぞれに思うこの楽譜の吹き方を決めて合奏に臨んでも、まずパート内がバラバラになりますし、それぞれの吹き方そのものが指揮者のイメージと違ったら、結局直さなければならなくなります。二度手間になるので、非効率的で避けたい練習です。


これって、どうなのでしょうか。

楽譜というものは、あくまでもその作品をつくるための「メモ書き」です。誰が演奏しても全く同じものが再現できる絶対的な存在ではありません。いくつもの選択肢や可能性という「隙(すき)」があります。
しかしその「隙」が大切であり面白いのです。隙があるから、奏者が自由に想像し、演奏できる。だから奏者や団体の数だけ新しい音楽が生まれる。クラシック音楽の醍醐味です。
何度演奏しても普遍なコンピューター音楽とは違うのです。

しかし、楽譜が方向性すら決められない無責任さであってはいけません。
穴埋め問題のような楽譜であっては、みんなバラバラな方向にいってしまいます。


このスコアを見たとき、いろいろと想像してしまいました。
この作曲者さんは一般バンドに所属し、フルート奏者でもあるようで、この作品も当初はそのバンドで演奏するために書いていたとのこと。

…このバンドは、トランペットや打楽器がうるさいのかなぁ(人数が多いのかなぁ)とか、個人練習ってあまりする人がいないのかなぁとか、指揮者の持つ力が強いのかなぁとか。。。いつもの曲作りの順序やバンドのいつもの練習の仕方や順序などいろいろと。トランペットという楽器に対する知識や印象も、きっとこのバンドから受けていることがとても強いのだろうなぁとか。ご本人様を存じ上げませんので、全部憶測です。全然違っていたら申し訳ありません。


ともかく、この作品をつくるにあたっては、合奏が始まる前に指揮者からの綿密な指示がないと、方向性が定まらないので「つくる順序」をしっかり決めて、計画性のある練習メニューをたてる必要があります。
指揮者や指導に関わるひとたちの「司令部」全員が同じ音楽の方向性を共有し、楽譜を渡すと同時に、どのように演奏をするか具体的な指示や書き込みをし、それから奏者の譜読みを始めてもらってください。

したがって、これからもし外部講師などを多数呼ぶ場合は特に注意してほしいのが、パート練習とかセクション練習をいろんなひとがするたびに、新しい解釈が生まれ、それを奏者に指示し、そのつどフレージング(アーティキュレーション)が変化する、という一番望まない結果を招いてしまうのだけは避けたいところです。


ええと、、指揮者さん頑張ってくださいね!

という作品です。


では、次回は作品を冒頭から解説します。
この楽譜をどう演奏するかについても次回詳しく書きますので引き続きご覧ください。

また来週!

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at 06:53, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2016

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