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表現する、ということ 3








みなさんこんにちは!
ただ今、メールフォームから頂いたご質問「表現をするとはどういうことか」についての回答をブログ用に再度書き直しております。(現在はメールによるご質問は受け付けておりません)
質問内容は以下の通り。

=================================================
私の悩みは、ただ吹いているようにしか思えないことです。
もちろん、メロディか伴奏かわかった上で音量などを気にするようにはしています。ですが、何か違う気がするのです。まだ表現しきれてないというか吹いてて楽しくない。それがなぜかもわからない。指導の先生にも先輩にも褒められもしない注意されもしない、こんなんでなんの練習すればいいのかよくわからないのです。もっとみんなの音を聞くとか入りを合わせるとか言われますが、何をすればいいのかよくわからないです。
表現をどうやったら生み出せるのか、楽しく吹けるのか、それを教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
(一部修正、抜粋)

※ちなみに、このメールを頂いた時は、金管アンサンブルの「三匹の猫」より「ミスター・ジャムス」(C.ヘイゼル作曲)を練習していたとのことです。
=================================================


前回の記事では、「表現力がある/ない」とはどういうことか、そして、質問者さんは「プレゼントの箱をいつまでもずっとキレイにしようと努力し続けているだけ」といった内容を書きました。

ぜひ今回の記事をスムーズに読んでいただくためにも、最初の記事からお読みいただければ、と思います。

表現する、ということ 1 
表現する、ということ 2 

それでは、今回はこの続きです。質問者さんはなぜ表現することがわからないのか、それについて考えます。


《表現することがわからない、とはどういうことなのか》

今回の質問メールを送って頂いた時点での質問者さんに、「あなたは今、プレゼントの箱をキレイにしているだけ」といった趣旨を伝えたとしても、「じゃあそれをしないのだったら部活の練習時間に何をすればいいの?!」となると思われます。なぜなら、原因がわかっただけで「表現とは何なのか」がまだ解決していないからです。

そこで、今回は考えられる「表現することがわからない原因」について具体的に3つ、挙げてみます。


[1.作品の理解度不足]
質問メールを送って頂いた時、金管アンサンブルをやっていたようです。
「三匹の猫」という3つの楽章からなる作品の1曲目、「ミスター・ジャムス」を練習していたようです。もともとはフィリップジョーンズブラスアンサンブルの10重奏曲ですが、アンコンの時期なので8重奏でやっていたのでしょうか。

僕は質問者さんにこんな返信をしました。以下、ほぼ原文のままです。

『「ミスタージャムス」を演奏したり聴いたりして、どんな作品と感じましたか?4/4拍子でゆったりのテンポだなあ。最後のピッコロトランペットの音、高いなあ!くらいしか感じませんか?
ご存知だと思いますが、この曲は、作曲者の家で飼っている(飼っていた)猫たちを音楽にした組曲です。
ではこの曲のネコってどんなネコでしょうね。ちなみに、2曲目、3曲目、あと「もう一匹のネコ」もいますが、それぞれどんなネコでしょう。毛並みは?色は?年齢は?体格は?性格は?ネットで事実を調べなくていいんです!あなたが想像したものでいいんです。そのほうが楽しいから。
ネコはカワイイですか?ひっかくから嫌いですか?だっこするとあったかいですね。肉球プニプニしてて触りたくなっちゃいませんか?
どんなイメージでもいいです。思い描けるだけのすべてを持った状態で演奏してみてください。』



演奏していた曲が「ネコ」という身近で非常にわかりやすい題材だったので、きっと質問者さんもこの曲ならスムーズにたくさんのイメージができるはずです。

このように、表現するということは演奏する作品についてどれだけ知っていて、どれだけ自分のイメージを膨らますことができるのかに直接関わっていきます。

知識はたくさん持っていて損はしません。例えば作曲者のことをたくさん知る、作曲された国やその時代背景を知る、作品の題材になっているものを知る。もちろんすべての作品でできることではありませんし、完璧にする必要もありませんが、可能な限り知ることで、その作品を正確に、より深くイメージすることができると思います。(今回のメール返信では、事実よりも自分のイメージを大切にしてほしかったので、上記のように「調べないでいい!」と書いています)

そして、作曲家や作品に対して、「勝手に」感情移入してください。事実を事実のまま受け取るだけでは演奏者としてはいまいち面白くありませんから、さらに自分のイメージをその作品に「溶かし込む」のです。そうすることで、自分にしかできない作品の表現になります。


[2.表現することが崇高なものと感じてはいないか]
「表現」とか「芸術」とか、今更で申し訳ないですが、なんだか堅苦しいですよね。難しいというか、学術的というか。
しかし、「表現する、ということ 1」で書いたように、表現とは「自分の思っていることを相手に伝える」ことです。崇高でもなんでもない。

もちろん、作品によってはありますよ、宗教曲とか。同じ「伝えたいこと」でも、「ハラヘッタ」とはだいぶ違います。

そういう曲を演奏する時もありますから、一概に「気楽にいこうぜ」とは言えませんが、それでもやはり「演奏することが楽しい」とか「音楽って素敵でしょ?」とか「この場面!かっこいいから絶対聴いて!」みたいな気持ちはどんな作品にもあります。

どんなに作品のテーマがマジメであっても、もとをただせば「嬉しい!」「楽しい!」「苦しい!」「つらい!」みたいな誰もが持っている感情であることには変わりありませんから、自由な感情移入はできると思います。

ですからあまり肩肘張らずに、自分が今伝えたいと思っていること、イメージしていること何でもいいので、気持ちを込めて演奏してください。それで充分です。

例えば恋愛モノ、いわゆるラブソングを自分が大好きな人のことを想いながら聴いたり、カラオケで歌う。そんなことした経験、一度くらいあるんじゃないですか?

思いを伝える(表現する)って、そういうこと。決して崇高で難しいことではありません。


[3.表現する勇気を持てない]
音楽に関わらず、自分の思うことを誰かに伝えるということは、「この人はこんなこと思っているのか」と認識されることになります。その結果、多くの場合「反応」があります。反応は、自分にとって納得がいったり、共感してもらえたりと嬉しいことがある一方、自分の期待していなかった反応や結果を招く可能性もあります。自分の心を出すことは少なからず勇気が必要です。

音楽は直接的ではないにしても、気持ちを伝えるために演奏をするのですから、やはり何かしらの「反応」があるもの。「良い曲だね!」「良い音だね!」「感動した!」「また聴きたい!」「上手だね!」と嬉しい言葉を言われる可能性がある一方で、やはり厳しい言葉をもらってしまう可能性もあるのです。

表現する力が強ければ強いほど、返ってくる反応も大きくなっていき、また、反応も様々増えてきます。

もしそれが怖くて、人前で演奏できないのであれば、完全防音の部屋に閉じこもって誰にも自分の演奏を聴かれないようにするしかありません。でもそれでは音楽は成立しません。

自分の気持ちを表現する、というのは難しいものではありませんが、少し勇気がいるものです。「でしゃばり」と思われたらどうしようとか、否定されたり笑われたら…と悪いほうに考えるとキリがありません。

日本人はどうしても気質なのか、「個(孤)」を恐れる傾向があります。周りからとび出ないように、目立ちすぎないように、みんなと同じことをやって安心する、みんなが賛成していることが正しい、みんなが良いと言っているものが良い、流行に乗る。もちろん、そういった傾向が良い面を生み出すこともありますが、音楽で言うならば、遠慮して(勇気がなくて)自己主張をまったくしないだけの演奏は、聴いていてこれほど退屈なものはありません。

自分の気持ちを伝えるというのは、本来人間にとって自然な行為です。一度思い切り出すことができると多くの人はそれが快感になります。

ですから、まずは一度勇気を出して、これでもか!というくらい自分の気持ち、持っているイメージを演奏に出してみて欲しいと思います。そうすることで次のステージに行くことができ、「表現」って何なのかが見えてくるかもしれません。


ということで今回の記事はここまで。
次回は、なぜ質問者さんは先生や先輩から何も指摘を受けないのか、について書いてみたいと思います。

それではまた来週!




当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 07:08, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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表現する、ということ 2








みなさんこんにちは!

前回より「表現するとはどういうことか」という質問にお答えしています。(現在はメールによるご質問は受け付けておりません)
質問内容は以下の通り。

=================================================
私の悩みは、ただ吹いているようにしか思えないことです。
もちろん、メロディか伴奏かわかった上で音量などを気にするようにはしています。ですが、何か違う気がするのです。まだ表現しきれてないというか吹いてて楽しくない。それがなぜかもわからない。指導の先生にも先輩にも褒められもしない注意されもしない、こんなんでなんの練習すればいいのかよくわからないのです。もっとみんなの音を聞くとか入りを合わせるとか言われますが、何をすればいいのかよくわからないです。
表現をどうやったら生み出せるのか、楽しく吹けるのか、それを教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
(一部修正、抜粋)

※ちなみに、このメールを頂いた時は、金管アンサンブルの「三匹の猫」より「ミスター・ジャムス」(C.ヘイゼル作曲)を練習していたとのことです。
=================================================


前回の記事では、「表現する」とはどういうことかについて詳しく書きました。
今回はその続きです。


《表現力がある/ない とは》

音楽に関わっていると「表現力がある/ない」という話題がよく出てきます。
表現力には2つの種類があります。
では、具体的に「表現する力」とはどういったことなのか、確認してみましょう。


[1.伝える気持ちの強さ]
表現するというのは、相手に自分の思いを伝えることと前回の記事で書きました。ということは、表現力というのは、その発信する力が強い、ということになります。発信する力が強いということは、それだけ相手に伝えたくてしかたがない、ということですよね。

例えば、昨晩めちゃくちゃ面白いコントをテレビで見たら、翌日友達にそれがいかに面白かったか伝えたいと思うことでしょう。かっこいい音楽や素敵な絵画を見たら、共感してほしくてそれを見聴きするよう勧めると思います。

そういう気持ちになったこと、きっとありますよね。
伝えたい!知ってほしい!そういう気持ちが強ければ強いほど自分の表現しようとする力が強くなります。


[2.伝える技術の高さ]
しかし、伝えたことで、相手が必ず思った通りに共感してくれるかどうかはわかりません。自分がどれだけ熱意を持って伝えても「ふーんそうなんだ」で終わってしまう可能性もあります。それは、相手が興味を持っていないから、という可能性もありますし、他の理由が何かあるかもしれません。

中でも、相手に伝えきれなかった大きな理由のひとつに「伝え方に問題があった」ことが挙げられます。

これは「伝える技術」です。

上記の例で言うならばこれは「プレゼン能力」。いかに相手に興味を持ってもらうかは、話し出すタイミング、場所、環境、話題のきっかけ、展開、言葉の選び方、声のトーン、テンポ、リズムなどが関係してくると思います。

これらを「技術(テクニック)」と呼びますね。音楽で言えば「演奏技術」が関係してきます。
演奏技術が高ければ高いほど、相手には的確に伝えることができます。

しかしそれも「伝えようとする何か(メッセージ)」をしっかり持っていることが前提になります。


これら2つの表現力が、強ければ相手に伝わりやすくなる、ということです。


《プレゼントの「箱」を美しくしている》
では、今回の質問者さんのように、「表現することがわからない」というのはどういう状態なのでしょうか。

質問内容を読む限りでは、音楽的技術を高めるための練習は欠かしていなさそうで、とっても練習熱心なように感じます。
僕はこれを「プレゼントの箱」に例えて返信をしました。



質問者さんはプレゼントの「箱」をとても美しくしようと努力し続けています。歪みがなく、シワや折れ目がきれいで、一点の汚れもない「箱」。それをずーっと続けているような状態です。

この「箱」というのは要するに「テンポ」「リズム」「ピッチ」といった音楽を構築するために必要な、いわゆる「基礎」技術の習得と上達です。ずーっとそればかりやってる。吹奏楽部によくありますよね。ずーっとチューナーとにらめっこ。ずーーーっとメトロノーム『に』合わせようとするリズム練習。

音楽を構築するための基礎を身につけ、そのクオリティを高めることは非常に大切です。しかし、なぜそれらのクオリティを高めるのか。それは「伝えたいことをより明確に確実に伝えるため」にほかなりません。

仮に、みなさんが日本語以外に英語がペラペラだったとしましょう。英語を話せるスキルがあれば、日本人以外に英語圏の人たち、英語を話せる人たちともコミュニケーションがとれるのです。
しかし、ここで非常に大切なことがあります。それは、英語が喋れても伝えたいことがなければまるで活用できない、ということです。
日常でそんなことはまずありませんが、音楽では、よくあることです。表現するための技術を一生懸命身につけているのに、肝心な表現することがないのであれば、その練習は何も活用できないということなのです。表現すること(伝えたいこと)がないままに、演奏技術ばかりが上達していったその先には、「機械」としての完成度の高さ、というゴールが待っています。そんなの嬉しくないですし、音楽にはそんなものまったく求められていません。


今回の記事はここまでです。
次回は、質問者さんがなぜ「表現することがわからない」と思ってしまったのか、それについて考えてみましょう。

それでは、来週もおつきあいください!




当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 07:06, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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表現する、ということ 1








みなさんこんにちは!

先日、メールフォームに届いた質問の中にとても興味深い内容がありましたので、記事にさせていただきました。(現在はメールによるご質問は受け付けておりません)
このような内容です。

=================================================
私の悩みは、ただ吹いているようにしか思えないことです。
もちろん、メロディか伴奏かわかった上で音量などを気にするようにはしています。ですが、何か違う気がするのです。まだ表現しきれてないというか吹いてて楽しくない。それがなぜかもわからない。指導の先生にも先輩にも褒められもしない注意されもしない、こんなんでなんの練習すればいいのかよくわからないのです。もっとみんなの音を聞くとか入りを合わせるとか言われますが、何をすればいいのかよくわからないです。
表現をどうやったら生み出せるのか、楽しく吹けるのか、それを教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
(一部修正、抜粋)

※ちなみに、このメールを頂いた時は、金管アンサンブルの「三匹の猫」より「ミスター・ジャムス」(C.ヘイゼル作曲)を練習していたとのことです。
=================================================


「表現する」ことそのものがわからない、というご質問内容です。

僕はこのような壁に今まで当たったことがなかったので、この質問を頂いたときにハッとしました。
むしろ僕は逆で、過去の記事「自分のイメージを注ぐ、ということ」にも書いたのですが、音大生の時に「自分らしさ」「オリジナリティ」を出すためにはどんな表現をすればいいのか考えすぎて、やりすぎて作品を壊してしまったことがありました。

音楽は、数学のテストのような正解がひとつしかないものとは違います。自分が思うように、自由で良いものです(同時にリスクも伴いますが)。

そんなことも含めて、今回は音楽における「表現」について解説していきます。


《表現する、とはどういうことか》
そもそも「表現する」とはどういうことでしょうか。

端的に言うと、表現するとは「自分の想いを相手に伝えること」です。


その「伝える」手段、方法はたくさんあります。

一番多いのは「言葉」による方法。「おなかすいた」「楽しい」「眠い」など。自分の思いを言葉しにて、それを誰かが受け取ってくれれば、多くの場合理解してくれます。赤ちゃんはまだ自分の意思を言葉で伝えることができないので「泣く」という行為で気づいてもらおうとします。これも表現のひとつですね。
他にもいろいろあります。「顔の表情」とか「ジェスチャー」とか。

余談ですが、俳優の竹中直人さんの持ちネタで、「笑いながら怒る人」というのがあります。「笑顔」なのに「怒っている」という矛盾した表現を同時に行うから面白いんですよね。知らない方はぜひ一度ご覧ください。面白いから。

このような直接的な表現方法で何かを伝えようとすることが一番多いのですが、他にもあります。


例えば「文字」で表現する方法は非常に多いですね。小説や論文、キャッチコピー、詩など。

他にも「デザイン」「イラスト」「グラフィック」。文字や色、写真、絵などを使って作られた広告や看板はその代表的なもので、秀逸なものになると、まったく関心のない人の目にも止まり、商品などの購買意欲を強く掻き立てたり話題になったりします。

「絵画」もそうです。自分が何かを伝えたいと思って描かれた絵画は、見ているだけで何かを感じることが多々あります。楽しい気持ちになったり、悲しくなったり考えされられたり気づかされたりと、その絵画の持っているメッセージ性や世界観に引き込まれます。


《音楽は表現を表現する行為》

そして「音楽」です。

音楽には大きくわけて2通りの表現方法があります。「作曲」と「演奏」です。

作曲する行為そのものがひとつの表現方法であり、多くの作品の中に何かしら伝えたいことや意図する何かが込められています。例えば愛だの恋だの言う作品ってポップスでもクラシックでもとても多いですよね。他には、何か見たもの、実在するものを音楽にすることもクラシック音楽では多いです。レスピーギのローマ三部作なんてとてもわかりやすいですね。他にも文学作品や昔話、民話などを題材にした作品も沢山あります。

しかし、作曲をしただけでは、単なる音符の羅列で終わってしまい、その作品を多くの人に知ってもらうことは難しいです。そこで、作品を演奏することで表現をする「演奏者」が必要になります。

演奏者は、即興演奏をのぞき、あらかじめ用意された作品を演奏しますから、表現をするために書かれた作品を、さらに演奏者が表現することになります。

よって、音楽の多くは「表現を表現する」ことで成立していて、音楽の持つ独特な面白いところでもあります。作曲者と演奏者の優劣はありません(そう思っています)ので、例えば「演奏者は作曲家の言いなりになって楽譜に書いてある決まりを守り、指示されていないことをしてはいけない」ということは決してありません(楽譜そのものが完璧なデータではなく、記録することに限界があるので、よけいにそうなってしまいます)。しかし、作品を理解しようとせず、好き勝手に演奏して、壊してしまうような姿勢であってもいけません。

演奏者は、作曲家が伝えたかったものを汲み取り、尊重し、その上で演奏者自身が感じたこと、思うことを「演奏」という表現で聴いてくださる方に伝えます。
クラシック音楽の世界だと、作曲家がもうすでに世の中に存在していない場合も多く、作曲された背景や具体的なメッセージがあればわかりやすいのですが、多くの作品はそういった情報がありません。ですから、演奏者は少しの情報と、その作品から独自に感じるものを、ある意味「自由」に解釈し、そこにさらに、自分の伝えたいこと、気持ち、思いを音にすることになります。

例えば、エルガーという作曲者が、自分の妻のために「愛の挨拶」という作品を書きました。シャレたことしますよね。
それをまったく知らずに「ふーん、きれいなメロディだね」で演奏するのと、この作曲された経緯や背景を知っているかどうかで、演奏する側としてはかなり違うと思います。
しかしそれで終わりではありません。もしあなたがこの作品を演奏することになった場合、自分自身の恋愛も重ね合わせて欲しいのです。今大好きな人がいるのであればその人のことを想って歌い上げて欲しいのです。音楽にはそれができます。こんな楽しいことはありません。

クラシック音楽が、同じ作品を何度も何度も世界中で演奏し続けているのは、作品と演奏者の組み合わせによってそのつど完成された音楽が千差万別だからです。誰がいつ演奏してもまるで変化のない機械的なものならばライブやコンサートは必要なくなり、CD1枚あれば充分、なんてことになりかねません。

他にも、表現をする、相手に何かを伝える手段は沢山ありますが、そうやって生まれてきたものの中で、何度もそれを観たい、聴きたいと感じられ(感動させられ)、作品として残り続けたり生み出し続けたりする物体や行為を「芸術(作品)」と呼ぶのではないか、と思います。

吹奏楽もこれに含まれます。トランペットを吹く行為ももちろん含まれます。アマチュアとかプロとかの線引きは関係なく全員が「表現者」なのです。


ということで、今回はまず「表現する」とはどういうことかを書いてみました。
しばらくこの話題で続けていきます。どうぞおつきあいください。

それではまた来週!


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at 06:36, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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ブレスをするのは悪いこと? 5








みなさん、明けましておめでとうございます!
今年も「ラッパの吹き方」をどうぞよろしくお願い致します。

さて新年最初の記事は、昨年末から続いている「曲中のブレスについて」の最終回です。

これまでの記事をご覧になっていない方は、可能でしたら最初からお読み頂けると理解がスムーズかと思います。

ブレスをするのは悪いこと? 1
ブレスをするのは悪いこと? 2
ブレスをするのは悪いこと? 3
ブレスをするのは悪いこと? 4


前回の最後に、急いでブレスをすると「ブレスモドキ」になってしまい、実際には全然空気を取り込めていない、と書きました。
では、具体的にきちんと空気を取り込むにはどうすればいいのか、今回はこれをメインに書いていきます。


《呼吸のしくみ》
これまでも「ラッパの吹き方」ブログでは呼吸についてたくさん書いてきました(呼吸カテゴリの記事をまとめて読むにはこちらをクリック)。なので、ここでは簡潔に説明しますが、呼吸というのは

「力を使って吸い込むのではない」

ことをまず理解して下さい。
呼吸は体のいろいろな部分が働くことによって「自然に」起こることなのです。寝ていても、無意識でも呼吸が止まることがないのがその証拠で、具体的には「脳や呼吸中枢からの指令で横隔膜や肋間筋が収縮することで肺が外側に引っ張られて、陰圧が起こり、空気が自然と入ってくる」のです。

全部を理解する必要はないので安心して下さい。単に空気が入るために意識的にどこかに力を込めてはいない、ということを理解してもらえればOKです。

では、どうするか。簡単です「空気を取り込もう」と思えばいいのです。

そんなんで入るか!と思うかもしれませんが、これが正しい呼吸の仕組みなのです。
なぜなら呼吸を司る横隔膜や肋間筋などは、脳や呼吸中枢(首の後ろの延髄に密集している)という場所の指令によって神経を伝って働いているので、例えば握りこぶしを作るときのようなピンポイントに力を込めるのとはだいぶ違うからです。
日常の呼吸は無意識に脳や呼吸中枢からの指令で行われていて、さらに意識的にも呼吸をコントロールすることができる特殊な部分なのです。


《瞬間的なブレスの方法》
では、演奏をしている最中、瞬間的にブレスをするにはどうすればいいのでしょうか。

まずは空気を取り込む時に「力をかけない」ということが前提になります。
しかしこれはあくまでも「効率よく空気を取り込むため」が理由で、仮に体中に力がかかっていても呼吸運動を行うことはできます。
しかし、体に力が入っていると、横隔膜や肋間筋が動きにくくなってしまうので、充分な空気を取り込めない(=損してしまう)のです。

そして、次に「空気がはいりやすい状態」にしてあげます。
具体的には、空気の通り道を広げてあげることです。喉を開けるのですが、これをするためには「舌の奥を軽く下げる」だけで充分です。力をかけすぎると喉が絞まりますので。
そして、先程書いたように全身の力を抜きます。
あとは「空気を入れよう」と思うだけです。空気の塊のようなもの(目には見えない)が喉を通って肺の中にストンと落ちたような感じ(個人的感覚なのでご了承を)を持てればそれで充分です。

人間が生きるために行っている行為のほとんどは「自然な感じ」がするものです。しかし人間はどうしても納得するために「実感を求めてしまいがち」なので、呼吸に関しても「吸ったぞ!」と感じたくて「力」をかけてしまいちがです。しかし、実際の呼吸はそれほど実感を持てるようなものでもなく、「知らないうちに入っている」くらいがちょうどいいのです。

ですから、この時のブレスも「あれ?入った?」と思ってしまうかもしれません。そんな時は鏡を見ながら実践してみて下さい。おなかや胸回りがふくらむ動きをしていれば空気は入っています。もうそれで充分です。

この解説からわかるように「意識的に吸う」という運動はどこにもありません。

演奏中に瞬間的にブレスをするには、そのポイントで「舌の奥を軽く下げ、全身の力を抜き、空気を取り込もうと思う」これでOKです。これだけですから、慣れてくれば瞬間で空気をしっかり取り込むことができます。


《瞬間的なブレスの注意点》
ブレスは、どうしても大量に取り込みたいと思いがちです。不安になるし、せっかくなら沢山入ったほうが良いと思ってしまうからかもしれません。
しかし、その時に必要なブレス量は様々で、大量に取り込まなければならないとき(ブレスをしないことが良いとされる音楽を演奏するとき)というのは、めったにありません。ですから、次のブレスポイントまで健康でいられる量が入れば充分なのです。

そして、燃費よく吹くことが重要です。
どんなに効率よく空気を取り込めたとしても、空気を必要以上に沢山使わないと演奏ができない吹き方をしてしまうのは良くありません。軽く吹いただけでも効率よく音を出し、コントロールするためには一日の初めに行うウォームアップをしっかり行うことが特に重要です。
力で無理に音を出してしまう習慣がある方は、ブレスに悩みを持っている場合が多いように感じます。


《まとめ》
「一息が長い=上手い人」みたいな傾向があるように感じます。
もちろん、一息が長いのは、ブレスコントロールが充分にできている証拠ではあります(きちんと音が出せていれば、の話)。しかし、それが「ブレスをすることは良くない」という考えになってしまうのは話が違います。

憶測ですが、吹奏楽部などでやたらと長い「ロングトーン」をしているところが多いからだと思うのです。なぜロングトーン練習をしているのか、という明確な目的を説明しないまま、単なる日課としてダラダラと音をのばして疲れて時間を無駄に浪費してしてしまうのは避けるべきで、そんなことだから36拍ロングトーン大会みたいなことをし始めてしまうのだと思います。空気は音域や音量、そして楽器によって消費量が大きく異なります。それもわからず「管楽器」とひとくくりにして息の耐久レースをしてしまうものだから、その楽器がいちばん生き生きと鳴るための方法なんてそっちのけでただ(どんな質の悪い音であっても)長くのばせた人が勝ちみたいなことをしてしまうのだと思います。

ブレスを含めて初めて音楽になります。それは管楽器に限ったことではありません。音楽が呼吸をしているのです。

ですので、まとめると

「ブレスは堂々と自信を持って取り込んでOK。しかし、音楽は壊さないようにしましょう」

こんな感じでしょうか。


とうことで5回にわけて書いてきました曲中のブレスについて。参考になるところがあれば幸いです。
次回は久しぶりにブログから送っていただいた質問にお答えします。

それでは、今年も「ラッパの吹き方」をどうぞよろしくお願い致します!
また来週!

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at 06:02, 荻原明(おぎわらあきら), 呼吸

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