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荻原 明
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2015.12.29 Tuesday
ブレスをするのは悪いこと? 4
みなさんこんにちは!
今回も曲中のブレスについての続きです。
これまでの記事をご覧になっていない方は、可能でしたら最初からお読み頂けると理解がスムーズかと思います。
ブレスをするのは悪いこと? 1
ブレスをするのは悪いこと? 2
ブレスをするのは悪いこと? 3
前回、実際の演奏での様々なブレスパターンについて書きましたが長くなったのでその続きから。
[ブレスが取れなさそうな楽譜のとき]
長いメロディを演奏しないといけないときってありますよね。前回の記事で書いた同じパターンのメロディが繰り返されている教本もこれにあたりますが、ブレスする隙がないんですよね。
しかし、本当にブレスできる場所がないのでしょうか。
それはもしかして「楽譜上」での場所がみあたらない=休符もしくはブレスマーク(vや,(カンマ))が書いていないだけではないですか?
音楽(メロディやフレーズ)を感じると、自然と「フレーズの切れ目」が見えてくるものです。一番わかりやすいのは、声に出して歌ってみることです。そうすると、息がなくなったからという理由ではなく、メロディとメロディの境い目のようなものが存在していることがわかります。
ほとんどの音楽にはこの「メロディの境い目」が存在しています。もしくは、規則性のある教本のようなメロディの場合は、例えば4小節ごとに同じポイントでブレスをする、という方法もあります。
どのみち、ブレスができない曲のほうがよほど少ない、というか存在していないはずですので、まずは声に出して歌ってみて下さい。
《ブレスポイントがある場合でも…》
ブレスする場所が沢山ある場合も油断は禁物です。前回の記事[休符が規則性を持って連発するとき]でも書きましたが、ブレスを沢山してしまうとフレーズを分断してしまう可能性があるのです。
フレーズというのは、4小節とか8小節などをひとくくりとした大きな音楽の塊です。
会話で考えるとわかりやすいと思います。
話し手の内容が理解しやすい、聞きやすい時は、フレーズ感を持って喋っていることが多いです。
逆にわかりにくいのは子どもが一生懸命何かを伝えようと喋っている場合で、
「あのね、あのね、きょうね、わたしね、公園のね、砂場でね、お城をね、作ってね、それでね、あのね、」
こんな喋り方している子、よくいますよね。かわいらしいですが、どうしても理解しにくい。
なぜなら、フレーズ感がない(フレーズが短すぎる)からなんです。
「今日私は、公園の砂場でお城を作りました」
子どもらしくなくて、なんだかイヤですが、でもこれだとフレーズ感があって理解しやすい。この差です。これがメロディを演奏する時にも必要なんです。
ですから、ブレスする箇所が沢山あっても、フレーズ感を持ってブレスポイントを見つける(決めておく)ことが大切なのです。
《ブレスモドキ》
さて、これまでの記事では、「余裕を持ってブレスをしましょう」を敢えて誇張して書いてきました。
それは、ブレスをしているような行為、ブレスモドキをしている人がとても多いからで、まずは余裕を持ってきちんとした呼吸をしてほしいという意図があったからです。
急いでブレスをしようとすると、今書いたように「まるで空気が入らない呼吸みたいな運動」で、かえって苦しくなり、体に不必要な力がどんどん入ってきてしまう現象が起こることがひとつ。
そして、ブレス直前の音符を犠牲にしてしまうことが多いのです。
ブレスに必死で自覚がない場合が多いのですが、「はやくブレスしなきゃ!」と思うあまり、ブレスする直前の音符の長さ(=音価)を無視してしまい、音楽が雑になってしまうことがよくあります。
数ある音符のひとつではありますが、この雑な演奏が繰り返されると、聞く側の受ける印象はとても悪くなってしまうので、注意が必要です。
では、具体的にどうブレスをすればいいのか、それについては次回詳しく解説しますので、引き続きおつきあいください。
それでは、今年の更新は今回が最後です。
今年も本当にありがとうございました。来年もますます皆様の参考になるブログにすべく努力いたしますので、引き続きお読み頂ければ幸いです。それではよいお年を!
今回も曲中のブレスについての続きです。
これまでの記事をご覧になっていない方は、可能でしたら最初からお読み頂けると理解がスムーズかと思います。
ブレスをするのは悪いこと? 1
ブレスをするのは悪いこと? 2
ブレスをするのは悪いこと? 3
前回、実際の演奏での様々なブレスパターンについて書きましたが長くなったのでその続きから。
[ブレスが取れなさそうな楽譜のとき]
長いメロディを演奏しないといけないときってありますよね。前回の記事で書いた同じパターンのメロディが繰り返されている教本もこれにあたりますが、ブレスする隙がないんですよね。
しかし、本当にブレスできる場所がないのでしょうか。
それはもしかして「楽譜上」での場所がみあたらない=休符もしくはブレスマーク(vや,(カンマ))が書いていないだけではないですか?
音楽(メロディやフレーズ)を感じると、自然と「フレーズの切れ目」が見えてくるものです。一番わかりやすいのは、声に出して歌ってみることです。そうすると、息がなくなったからという理由ではなく、メロディとメロディの境い目のようなものが存在していることがわかります。
ほとんどの音楽にはこの「メロディの境い目」が存在しています。もしくは、規則性のある教本のようなメロディの場合は、例えば4小節ごとに同じポイントでブレスをする、という方法もあります。
どのみち、ブレスができない曲のほうがよほど少ない、というか存在していないはずですので、まずは声に出して歌ってみて下さい。
《ブレスポイントがある場合でも…》
ブレスする場所が沢山ある場合も油断は禁物です。前回の記事[休符が規則性を持って連発するとき]でも書きましたが、ブレスを沢山してしまうとフレーズを分断してしまう可能性があるのです。
フレーズというのは、4小節とか8小節などをひとくくりとした大きな音楽の塊です。
会話で考えるとわかりやすいと思います。
話し手の内容が理解しやすい、聞きやすい時は、フレーズ感を持って喋っていることが多いです。
逆にわかりにくいのは子どもが一生懸命何かを伝えようと喋っている場合で、
「あのね、あのね、きょうね、わたしね、公園のね、砂場でね、お城をね、作ってね、それでね、あのね、」
こんな喋り方している子、よくいますよね。かわいらしいですが、どうしても理解しにくい。
なぜなら、フレーズ感がない(フレーズが短すぎる)からなんです。
「今日私は、公園の砂場でお城を作りました」
子どもらしくなくて、なんだかイヤですが、でもこれだとフレーズ感があって理解しやすい。この差です。これがメロディを演奏する時にも必要なんです。
ですから、ブレスする箇所が沢山あっても、フレーズ感を持ってブレスポイントを見つける(決めておく)ことが大切なのです。
《ブレスモドキ》
さて、これまでの記事では、「余裕を持ってブレスをしましょう」を敢えて誇張して書いてきました。
それは、ブレスをしているような行為、ブレスモドキをしている人がとても多いからで、まずは余裕を持ってきちんとした呼吸をしてほしいという意図があったからです。
急いでブレスをしようとすると、今書いたように「まるで空気が入らない呼吸みたいな運動」で、かえって苦しくなり、体に不必要な力がどんどん入ってきてしまう現象が起こることがひとつ。
そして、ブレス直前の音符を犠牲にしてしまうことが多いのです。
ブレスに必死で自覚がない場合が多いのですが、「はやくブレスしなきゃ!」と思うあまり、ブレスする直前の音符の長さ(=音価)を無視してしまい、音楽が雑になってしまうことがよくあります。
数ある音符のひとつではありますが、この雑な演奏が繰り返されると、聞く側の受ける印象はとても悪くなってしまうので、注意が必要です。
では、具体的にどうブレスをすればいいのか、それについては次回詳しく解説しますので、引き続きおつきあいください。
それでは、今年の更新は今回が最後です。
今年も本当にありがとうございました。来年もますます皆様の参考になるブログにすべく努力いたしますので、引き続きお読み頂ければ幸いです。それではよいお年を!
当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。
at 01:34, 荻原明(おぎわらあきら), 呼吸
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2015.12.22 Tuesday
ブレスをするのは悪いこと? 3
みなさんこんにちは!
前々回から曲を演奏するときの具体的なブレスについて解説しています。今回もその続きです。
《実際の演奏におけるブレス》
[教本を演奏するときに注意したいこと]
テクニックを磨くための教本、例えばアーバンとかコープラッシュとか、同じようなパターン化されたメロディを演奏し続けていく教本はどうしても吹きっぱなしになってしまいます。このときに「間(ま)を空けちゃいけない!テンポがずれてはいけない!」と思うあまり、ブレスをおそろかにしてしまいがちです。
ブレスがおそろかになると、前回の記事でも書きましたが、様々なことに支障が出てしまいます。教本を吹いていると、普通の曲を吹いているときよりもキツい!と思う方が多いのは、これが原因かもしれません。
そんな方は、これを覚えておいてください。
「楽譜にはすべての情報が書かれているわけではない」
楽譜には、微妙な間(ま)や、テンポの揺れなどを細かく書く方法が非常にすくなく、それらすべてを書き記している楽譜は非常にすくないのです。いうならば、それは演奏者に委ねられているということで、演奏する人自身が「その楽譜を元に」どんな演奏を生み出してくれるのか、それを期待している面もある、ということです。
したがって、ブレスをどこでどうやってとるかも演奏者自身が楽譜を元に考え、そしてその楽譜がブレスも含めてひとつの美しい作品になるようにすべきなのです。
こう考えると、ブレスをできるだけとらないとか、バレないように必死に瞬間的に大急ぎで吸ったか吸ってないかよくわからないのどが「ヒッ!」っと鳴るようなことはしないと思うんです。ブレスも音楽のひとつである、と捉えて演奏してみてください。
ちなみに、単調なメロディを延々と演奏するような教本のメロディの場合、わざと2小節とか4小節おきにブレスをとるように設定し、常に同じ体の使い方を習得する目的で吹く場合もあります。その場合も同じく、必死な瞬間的「ヒッ!」にならないように注意しましょう。ある程度時間をかけても良いのです。
[メトロノームを使っている時]
じゃあ、メトロノームを使って吹いている時はどうすれば?という疑問が浮かんだ方は、きっとメロディを演奏している時や、ある程度長いメロディの範囲を吹く時にメトロノームを使っているいのでしょう。
そもそも、あの機械的なカチカチサウンドに自分が従って演奏していく筋合いなんてないと思いませんか?メトロノーム様じゃないのです。あれはただの「テンポを知るための道具」なだけであって、偉くもなんともありません。
ですから、音楽的な演奏をする時に、メトロノームを用いること自体、すべきではないのです。
メトロノームは、短い範囲でのフィンガリング練習や難しいリズムを克服する時に使ったり、演奏前に数回カチカチ鳴らしてその作品のおおよそのテンポを苦労せず知るために使うものです。ですから、ブレスをしなければならないほど長いフレーズをメトロノームに合わせて吹く、というのは良い練習にはなりません。
(話がそれてしまって申し訳ないのですが、)「一定のテンポをキープして吹きたいから、一定のテンポをキープして鳴ってくれてるメトロノームを使う」のは安直すぎです。
一定のテンポをキープできない理由は「テンポがキープできないから」ではなく、もっと違うところや深いところに原因があるのです。ちなみに、チューナーもまったく同じ。ピッチが悪いからチューナーを使う、これだけでは解決にはなりません。余談でした。
[休符が規則性を持って連発するとき]
伴奏系を演奏しているときに多い「同じパターンのリズム」。マーチやワルツなどに多い規則性のある伴奏リズムに休符が必ず入っている場合、その休符すべてでブレスを(つい)してしまう場合がいます。「休符=息を吸う場所」とか「ブレスに対する不安」を持っているとついやってしまうのですが、これは例えるならマラソンで10mおきにある給水所でいちいち水を飲むようなもので、逆効果になる場合があります。
なぜなら、息を吸い過ぎることもブレスコントロールを難しくしてしまうひとつの原因になってしまうからなんです。まだ残っているのに空気を取り込もうとすると、呼吸の正しいリズムが損なわれてしまいやすいのです。
こうならないためにはフレーズを重視してブレスは4小節に一度するなど、規則性のあるブレスにしたほうが良いと思います。休符があってもいちいち取り込もうとしない、ということです。
フレーズを重視したブレスに関しては次で説明します。
[伴奏形のブレス]
伴奏形は、同じリズムやずっと伸ばしているなど、一目見るとシンプルな楽譜になっている場合が多いです。ブレスに限らず、こういったパートを担当するとき、単に楽譜を左から右へ流し読みならぬ流し吹きをしてしまうと、作られる作品の面白味も半減してしまいます。
そうならないためにはその伴奏をしているときのメロディや完成形を知ることから始まります。どんなメロディが流れているのかを把握すれば、その音楽に合わせてブレスをとることができます。時にはメロディと同じタイミングでブレスをとることが美しく聴こえるかもしれませんし、メロディを自由に演奏させてあげるために規則正しい箇所でのブレスをとることが効果的な場合もあるでしょう。
それらがどうすればいいのかは完成系を知らなければできないと思いますから、合奏の時に自分のことばかり夢中になるのではなく、周りの音もしっかり聴き、演奏する作品のスコアを読みましょう。参考音源を聴くのも良いと思います。
[ハモりパート(2nd以下)を演奏するとき]
これも伴奏系を担当するときと同じで、メロディ(主旋律)がどんななのかを知ることから始まります。多くの場合は、メロディと同じタイミングでブレスをすることになると思いますから、2nd以下を担当している場合でも、1st(主旋律)を吹けるようになることをおすすめします。主旋律をどう演奏するか理解できれば、同じように自分の担当パートも演奏すればいいのです。
また、1stと違う箇所でブレスをすることで効果的な場合もあります(動きが全然違ったり、1stが音をのばしている間に和声が変化するときなど)。やはりこれも完成系を知る必要があるので、スコアや他のパート譜を見ておきましょう。
ということでいくつか出してみましたが、長くなりそうなので続きは来週にします。
引き続きご覧いただければ幸いです。
それではまた来週!
前々回から曲を演奏するときの具体的なブレスについて解説しています。今回もその続きです。
《実際の演奏におけるブレス》
[教本を演奏するときに注意したいこと]
テクニックを磨くための教本、例えばアーバンとかコープラッシュとか、同じようなパターン化されたメロディを演奏し続けていく教本はどうしても吹きっぱなしになってしまいます。このときに「間(ま)を空けちゃいけない!テンポがずれてはいけない!」と思うあまり、ブレスをおそろかにしてしまいがちです。
ブレスがおそろかになると、前回の記事でも書きましたが、様々なことに支障が出てしまいます。教本を吹いていると、普通の曲を吹いているときよりもキツい!と思う方が多いのは、これが原因かもしれません。
そんな方は、これを覚えておいてください。
「楽譜にはすべての情報が書かれているわけではない」
楽譜には、微妙な間(ま)や、テンポの揺れなどを細かく書く方法が非常にすくなく、それらすべてを書き記している楽譜は非常にすくないのです。いうならば、それは演奏者に委ねられているということで、演奏する人自身が「その楽譜を元に」どんな演奏を生み出してくれるのか、それを期待している面もある、ということです。
したがって、ブレスをどこでどうやってとるかも演奏者自身が楽譜を元に考え、そしてその楽譜がブレスも含めてひとつの美しい作品になるようにすべきなのです。
こう考えると、ブレスをできるだけとらないとか、バレないように必死に瞬間的に大急ぎで吸ったか吸ってないかよくわからないのどが「ヒッ!」っと鳴るようなことはしないと思うんです。ブレスも音楽のひとつである、と捉えて演奏してみてください。
ちなみに、単調なメロディを延々と演奏するような教本のメロディの場合、わざと2小節とか4小節おきにブレスをとるように設定し、常に同じ体の使い方を習得する目的で吹く場合もあります。その場合も同じく、必死な瞬間的「ヒッ!」にならないように注意しましょう。ある程度時間をかけても良いのです。
[メトロノームを使っている時]
じゃあ、メトロノームを使って吹いている時はどうすれば?という疑問が浮かんだ方は、きっとメロディを演奏している時や、ある程度長いメロディの範囲を吹く時にメトロノームを使っているいのでしょう。
そもそも、あの機械的なカチカチサウンドに自分が従って演奏していく筋合いなんてないと思いませんか?メトロノーム様じゃないのです。あれはただの「テンポを知るための道具」なだけであって、偉くもなんともありません。
ですから、音楽的な演奏をする時に、メトロノームを用いること自体、すべきではないのです。
メトロノームは、短い範囲でのフィンガリング練習や難しいリズムを克服する時に使ったり、演奏前に数回カチカチ鳴らしてその作品のおおよそのテンポを苦労せず知るために使うものです。ですから、ブレスをしなければならないほど長いフレーズをメトロノームに合わせて吹く、というのは良い練習にはなりません。
(話がそれてしまって申し訳ないのですが、)「一定のテンポをキープして吹きたいから、一定のテンポをキープして鳴ってくれてるメトロノームを使う」のは安直すぎです。
一定のテンポをキープできない理由は「テンポがキープできないから」ではなく、もっと違うところや深いところに原因があるのです。ちなみに、チューナーもまったく同じ。ピッチが悪いからチューナーを使う、これだけでは解決にはなりません。余談でした。
[休符が規則性を持って連発するとき]
伴奏系を演奏しているときに多い「同じパターンのリズム」。マーチやワルツなどに多い規則性のある伴奏リズムに休符が必ず入っている場合、その休符すべてでブレスを(つい)してしまう場合がいます。「休符=息を吸う場所」とか「ブレスに対する不安」を持っているとついやってしまうのですが、これは例えるならマラソンで10mおきにある給水所でいちいち水を飲むようなもので、逆効果になる場合があります。
なぜなら、息を吸い過ぎることもブレスコントロールを難しくしてしまうひとつの原因になってしまうからなんです。まだ残っているのに空気を取り込もうとすると、呼吸の正しいリズムが損なわれてしまいやすいのです。
こうならないためにはフレーズを重視してブレスは4小節に一度するなど、規則性のあるブレスにしたほうが良いと思います。休符があってもいちいち取り込もうとしない、ということです。
フレーズを重視したブレスに関しては次で説明します。
[伴奏形のブレス]
伴奏形は、同じリズムやずっと伸ばしているなど、一目見るとシンプルな楽譜になっている場合が多いです。ブレスに限らず、こういったパートを担当するとき、単に楽譜を左から右へ流し読みならぬ流し吹きをしてしまうと、作られる作品の面白味も半減してしまいます。
そうならないためにはその伴奏をしているときのメロディや完成形を知ることから始まります。どんなメロディが流れているのかを把握すれば、その音楽に合わせてブレスをとることができます。時にはメロディと同じタイミングでブレスをとることが美しく聴こえるかもしれませんし、メロディを自由に演奏させてあげるために規則正しい箇所でのブレスをとることが効果的な場合もあるでしょう。
それらがどうすればいいのかは完成系を知らなければできないと思いますから、合奏の時に自分のことばかり夢中になるのではなく、周りの音もしっかり聴き、演奏する作品のスコアを読みましょう。参考音源を聴くのも良いと思います。
[ハモりパート(2nd以下)を演奏するとき]
これも伴奏系を担当するときと同じで、メロディ(主旋律)がどんななのかを知ることから始まります。多くの場合は、メロディと同じタイミングでブレスをすることになると思いますから、2nd以下を担当している場合でも、1st(主旋律)を吹けるようになることをおすすめします。主旋律をどう演奏するか理解できれば、同じように自分の担当パートも演奏すればいいのです。
また、1stと違う箇所でブレスをすることで効果的な場合もあります(動きが全然違ったり、1stが音をのばしている間に和声が変化するときなど)。やはりこれも完成系を知る必要があるので、スコアや他のパート譜を見ておきましょう。
ということでいくつか出してみましたが、長くなりそうなので続きは来週にします。
引き続きご覧いただければ幸いです。
それではまた来週!
当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。
at 06:35, 荻原明(おぎわらあきら), 呼吸
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2015.12.15 Tuesday
ブレスをするのは悪いこと? 2
みなさんこんにちは!
先週より「ブレスをすること」について書いています。
前回の記事では、ブレスを取ることで音楽がより人間らしく生きた演奏になる、ということを書きました。
管楽器を演奏している人の中には、「いかにブレスをしないで演奏するか」「いかにブレスをバレないようにするか」という意識を(無意識に)持ってしまっているのも事実で、特に管楽器の集合体である吹奏楽や金管バンドなどでは、ブレスをしているところがわからないように演奏する、なんてことを目指す場合もあります。僕がまさにそうでした。
一部のことなのかもしれませんが、いったいなぜそのような風潮が生まれたのでしょうか。
《音符が音楽だと思ってしまう》
「音楽は音を出しているから音楽だ」と考えてしまうのが一番の原因だと考えます。
先週の記事では「間(ま)」を例に出して音の出ていない時間の大切さについて書きましたが、他にも人間には「安らぎ」「休息」「憩い」「睡眠」「停止」が必要で、それらが感じられないものを「機械的」とか「人間味がない」と言います。
機械的なものは「心」を感じられず、表現をして何かを伝える芸術には不向きな場合がとても多いのです。
もちろん、音楽は音を発し、それを並べることでひとつの作品を作り上げます。
しかし、単なる塗りつぶしや、隙間がまったくないもの、永遠に止まらない(かもしれない)音というのは息苦しく、不安やストレスを感じます。世の中に存在している芸術作品で、そういったものは(特殊なものを除いて)皆無です。
よって、音楽は音を出すことだけでは成立せず、音のない時間があるからこそ、音楽は素晴らしいものになるのです。影があるから光の存在がありがたいと感じるのと同じです(ミスチルの曲にそんな歌詞がありましたね。降りそそぐ日差しがあって〜だからこそ日陰もあって〜…)。
《伝える側の問題かも》
結局、休符や間(ま)といったものが音楽にどれだけ大切で必要なのかを伝えている人が少ないのではないか、と思うのです。
美しい音色、ミスをしない、ピッチピッチ音程音程ハーモニー。そんな話ばかりなら、ブレスや休符に目を向ける奏者が少なくなるのは当たり前です。結局、伝える側の問題なのかもしれません。
《ブレスを堂々ととる》
ブレスがおかしいと感じられてしまう一番の原因は、
「できることならしたくないのに!と心で思い、ブレスをするから」
だと思います。
本来音楽に必要なブレスの存在を否定的に受け止め、慌てたりコソコソとろうとするものだから、見ていて(聴いていて)演奏が変に感じてしまうのです。
呼吸をしている人をおかしい!と思う人はいません。むしろブレスをとっていない人のほうが違和感のかたまりだということは先ほど書いた通りです。
《ブレスはなくなる前にとる》
使える息が全部なくなったら補給する、というパターンがクセになっている人もとても多いです。
息が完全になくなってからではブレスは遅いのです。そうならないためには、あらかじめブレスをするところを理解しておく必要があります。ブレス箇所が決まっていれば、そこまで余裕で到達できる分の息をあらかじめ取り込むことができます。
言い換えれば、同じメロディを演奏してブレスする場所がいつも違う方は、そのフレーズを理解していないか(心の中に持っていないか/自分のものにできていないか)、息を単なる「演奏するための燃料」でしか思っていないからではないか、と思います。
《ブレスが安定すると解決できることが増える》
ブレスをできるだけとらないようにしようとか、慌てて(バレないように?)とろうとすることで、体は一気に硬直します。硬直すると本来の呼吸の運動が妨げられ、ほとんど入らなくなります。
ブレスを(形式的にだけ)とった結果、すぐに息が足りなくなり、どんどんブレス回数が増え、間隔が狭くなっていきます。
息が足りないということは、ブレスコントロールがきかなくなるのですから、演奏に様々な支障が出ますね。息が足りないのに何とか演奏を続けようとした結果、本来は必要のない筋肉に手を出してしまいます。
その結果、音色が悪化して、音をはずしやすくなり、ピッチはあがり、そしてバテが急速に訪れます。
長いフレーズを吹いていてバテやすい方の多くは、ブレスが原因である可能性が十分にあります。
逆に言えば、安定したブレスを続けられるようになれば、上記のことが改善する可能性も十分にある、ということです。ブレス、あなどれません。
ということで、今回はブレスが音楽にとって必要なことなのだから、それも音楽に組み込んで堂々ととったほうがいい、ということを書きました。
音楽がより自然なものになるように意識して、音の出ていないところも音楽の大切な要素であると感じ、ブレスを組み込んだ演奏を目指してください。
次週は実際の演奏でどのようにブレスをとらえるか、について書いてみたいと思います。
それでは、また来週!
先週より「ブレスをすること」について書いています。
前回の記事では、ブレスを取ることで音楽がより人間らしく生きた演奏になる、ということを書きました。
管楽器を演奏している人の中には、「いかにブレスをしないで演奏するか」「いかにブレスをバレないようにするか」という意識を(無意識に)持ってしまっているのも事実で、特に管楽器の集合体である吹奏楽や金管バンドなどでは、ブレスをしているところがわからないように演奏する、なんてことを目指す場合もあります。僕がまさにそうでした。
一部のことなのかもしれませんが、いったいなぜそのような風潮が生まれたのでしょうか。
《音符が音楽だと思ってしまう》
「音楽は音を出しているから音楽だ」と考えてしまうのが一番の原因だと考えます。
先週の記事では「間(ま)」を例に出して音の出ていない時間の大切さについて書きましたが、他にも人間には「安らぎ」「休息」「憩い」「睡眠」「停止」が必要で、それらが感じられないものを「機械的」とか「人間味がない」と言います。
機械的なものは「心」を感じられず、表現をして何かを伝える芸術には不向きな場合がとても多いのです。
もちろん、音楽は音を発し、それを並べることでひとつの作品を作り上げます。
しかし、単なる塗りつぶしや、隙間がまったくないもの、永遠に止まらない(かもしれない)音というのは息苦しく、不安やストレスを感じます。世の中に存在している芸術作品で、そういったものは(特殊なものを除いて)皆無です。
よって、音楽は音を出すことだけでは成立せず、音のない時間があるからこそ、音楽は素晴らしいものになるのです。影があるから光の存在がありがたいと感じるのと同じです(ミスチルの曲にそんな歌詞がありましたね。降りそそぐ日差しがあって〜だからこそ日陰もあって〜…)。
《伝える側の問題かも》
結局、休符や間(ま)といったものが音楽にどれだけ大切で必要なのかを伝えている人が少ないのではないか、と思うのです。
美しい音色、ミスをしない、ピッチピッチ音程音程ハーモニー。そんな話ばかりなら、ブレスや休符に目を向ける奏者が少なくなるのは当たり前です。結局、伝える側の問題なのかもしれません。
《ブレスを堂々ととる》
ブレスがおかしいと感じられてしまう一番の原因は、
「できることならしたくないのに!と心で思い、ブレスをするから」
だと思います。
本来音楽に必要なブレスの存在を否定的に受け止め、慌てたりコソコソとろうとするものだから、見ていて(聴いていて)演奏が変に感じてしまうのです。
呼吸をしている人をおかしい!と思う人はいません。むしろブレスをとっていない人のほうが違和感のかたまりだということは先ほど書いた通りです。
《ブレスはなくなる前にとる》
使える息が全部なくなったら補給する、というパターンがクセになっている人もとても多いです。
息が完全になくなってからではブレスは遅いのです。そうならないためには、あらかじめブレスをするところを理解しておく必要があります。ブレス箇所が決まっていれば、そこまで余裕で到達できる分の息をあらかじめ取り込むことができます。
言い換えれば、同じメロディを演奏してブレスする場所がいつも違う方は、そのフレーズを理解していないか(心の中に持っていないか/自分のものにできていないか)、息を単なる「演奏するための燃料」でしか思っていないからではないか、と思います。
《ブレスが安定すると解決できることが増える》
ブレスをできるだけとらないようにしようとか、慌てて(バレないように?)とろうとすることで、体は一気に硬直します。硬直すると本来の呼吸の運動が妨げられ、ほとんど入らなくなります。
ブレスを(形式的にだけ)とった結果、すぐに息が足りなくなり、どんどんブレス回数が増え、間隔が狭くなっていきます。
息が足りないということは、ブレスコントロールがきかなくなるのですから、演奏に様々な支障が出ますね。息が足りないのに何とか演奏を続けようとした結果、本来は必要のない筋肉に手を出してしまいます。
その結果、音色が悪化して、音をはずしやすくなり、ピッチはあがり、そしてバテが急速に訪れます。
長いフレーズを吹いていてバテやすい方の多くは、ブレスが原因である可能性が十分にあります。
逆に言えば、安定したブレスを続けられるようになれば、上記のことが改善する可能性も十分にある、ということです。ブレス、あなどれません。
ということで、今回はブレスが音楽にとって必要なことなのだから、それも音楽に組み込んで堂々ととったほうがいい、ということを書きました。
音楽がより自然なものになるように意識して、音の出ていないところも音楽の大切な要素であると感じ、ブレスを組み込んだ演奏を目指してください。
次週は実際の演奏でどのようにブレスをとらえるか、について書いてみたいと思います。
それでは、また来週!
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at 09:09, 荻原明(おぎわらあきら), 呼吸
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2015.12.08 Tuesday
ブレスをするのは悪いこと? 1
みなさんこんにちは!
管楽器を演奏する上で絶対不可欠なものが「息」です。
その息は「呼吸」をすることで繰り返しますが、その時の「吸気(息を吸うこと)」にはどうしても時間がかかります。
「演奏をすること」をイコール「音を出すこと」とだけ考えてしまうと、あたかも息を吸う時間はできるだけ短くすべきだとか、もっと極端だと吸う時間なんてないほうがいいと考えてしまいがちです。
実際に僕が中高生の頃には、息を吸っていることがバレないように(音が持続しているために)カンニングブレス(ブレスのタイミングが一緒にならないようにあらかじめタイミングを決めておくこと)をするための綿密な打ち合わせをしたこともありました。
このように「ブレスをすること=悪」のような存在になってしまうことも多いのですが、なぜそのような風潮が(ごく一部かもしれませんが)起こってしまったのか、果たして本当にブレスをすることが演奏に悪影響をおよぼすのか、考えてみたいと思います。
《生きるために必要な行為》
呼吸は「吸気」と「呼気」の繰り返しによって行われます。
吸気によって生きるために必要なものを吸収し、呼気によって生きるために使ったものを排出します。
この行為をしないと人間は生きていくことができません。これはもちろん皆さんご存知ですよね。では、もう少し言葉を足してみたらいかがでしょうか。
「生きるために必要な行為は人間にとって自然である」
例えば食事をしている人を見て「あの人、メシ食ってる!変な人!」と思いませんね。まばたきをを意識することもほとんどないはずです。このように生きるための行為に常に違和感を覚える人はいないと思います。
同じように呼吸をしている人に違和感を覚えることもないはずです。
呼吸は自然な行為なのです。
《音楽は生きている》
中学生の時に吹奏楽指導をしてくれていた方が「音楽は生き物だ」「音楽はハートだ」とよく言っていました。当時の僕はいまいち理解できませんでしたし、それがわかるようになったのは恥ずかしながら結構後になってからです。
この言葉は時と場合よって解釈の仕方がいろいろできますが、今回の話題ならば、
「人間が作り上げるものには生命力がある」
とでも言いましょうか。人間が演奏するものには人間らしさがあるのです。
対照的な言葉、「機械的」をイメージするとわかりやすいかもしれません。
《音楽も呼吸をする》
例えばみなさんが会話をする時、一瞬の隙間もなく喋り続ける人はいないと思います。文章で言う「、」や「。」のようなものが含まれ、必ず間(ま)があるはずです。
話しのプロ、アナウンサーや司会者、落語家さんや俳優さんなどはその「間」が絶妙なんですよね。だから理解しやすかったり、聞き入ってしまったり、感情移入してしまう。
音楽もまったく同じです。
音楽での「間」は、楽譜に書いてあることもあります。例えばカンマ(,)とかブレスマーク(v)。そして、長ーいスラーが着地している場所など。
もちろんそれらも参考になるのですが、そんな難しいことではなくて、何かのメロディを声に出して歌ったとき、自然と間を取りたくなったり、息を吸っている場所があると思うのです。そういった部分が「フレーズの切れ目」であったり、自然なブレスポイントになっていると考えられます。
音楽は「呼吸」や「間」という表現が含まれて初めてメロディが完成するのです。
ですから、楽譜にブレスする場所が書いてないとか、ブレスマークからブレスマークまで息が足りなかったとしても、頑張って最後まで続けなきゃいけない!と思いすぎるのも良くないですし、逆に休符が連発しているからと言って、すべての部分でいちいち息を吸ってしまうのも、聴いていて息苦しくなってしまいます。
ブレスは悪ではありません。音楽にとって大切な要素のひとつなのです。
ということで次回の記事では具体的にブレスをどう考え、演奏すれば良いのか書いてみたいと思います。
それではまた来週!
管楽器を演奏する上で絶対不可欠なものが「息」です。
その息は「呼吸」をすることで繰り返しますが、その時の「吸気(息を吸うこと)」にはどうしても時間がかかります。
「演奏をすること」をイコール「音を出すこと」とだけ考えてしまうと、あたかも息を吸う時間はできるだけ短くすべきだとか、もっと極端だと吸う時間なんてないほうがいいと考えてしまいがちです。
実際に僕が中高生の頃には、息を吸っていることがバレないように(音が持続しているために)カンニングブレス(ブレスのタイミングが一緒にならないようにあらかじめタイミングを決めておくこと)をするための綿密な打ち合わせをしたこともありました。
このように「ブレスをすること=悪」のような存在になってしまうことも多いのですが、なぜそのような風潮が(ごく一部かもしれませんが)起こってしまったのか、果たして本当にブレスをすることが演奏に悪影響をおよぼすのか、考えてみたいと思います。
《生きるために必要な行為》
呼吸は「吸気」と「呼気」の繰り返しによって行われます。
吸気によって生きるために必要なものを吸収し、呼気によって生きるために使ったものを排出します。
この行為をしないと人間は生きていくことができません。これはもちろん皆さんご存知ですよね。では、もう少し言葉を足してみたらいかがでしょうか。
「生きるために必要な行為は人間にとって自然である」
例えば食事をしている人を見て「あの人、メシ食ってる!変な人!」と思いませんね。まばたきをを意識することもほとんどないはずです。このように生きるための行為に常に違和感を覚える人はいないと思います。
同じように呼吸をしている人に違和感を覚えることもないはずです。
呼吸は自然な行為なのです。
《音楽は生きている》
中学生の時に吹奏楽指導をしてくれていた方が「音楽は生き物だ」「音楽はハートだ」とよく言っていました。当時の僕はいまいち理解できませんでしたし、それがわかるようになったのは恥ずかしながら結構後になってからです。
この言葉は時と場合よって解釈の仕方がいろいろできますが、今回の話題ならば、
「人間が作り上げるものには生命力がある」
とでも言いましょうか。人間が演奏するものには人間らしさがあるのです。
対照的な言葉、「機械的」をイメージするとわかりやすいかもしれません。
《音楽も呼吸をする》
例えばみなさんが会話をする時、一瞬の隙間もなく喋り続ける人はいないと思います。文章で言う「、」や「。」のようなものが含まれ、必ず間(ま)があるはずです。
話しのプロ、アナウンサーや司会者、落語家さんや俳優さんなどはその「間」が絶妙なんですよね。だから理解しやすかったり、聞き入ってしまったり、感情移入してしまう。
音楽もまったく同じです。
音楽での「間」は、楽譜に書いてあることもあります。例えばカンマ(,)とかブレスマーク(v)。そして、長ーいスラーが着地している場所など。
もちろんそれらも参考になるのですが、そんな難しいことではなくて、何かのメロディを声に出して歌ったとき、自然と間を取りたくなったり、息を吸っている場所があると思うのです。そういった部分が「フレーズの切れ目」であったり、自然なブレスポイントになっていると考えられます。
音楽は「呼吸」や「間」という表現が含まれて初めてメロディが完成するのです。
ですから、楽譜にブレスする場所が書いてないとか、ブレスマークからブレスマークまで息が足りなかったとしても、頑張って最後まで続けなきゃいけない!と思いすぎるのも良くないですし、逆に休符が連発しているからと言って、すべての部分でいちいち息を吸ってしまうのも、聴いていて息苦しくなってしまいます。
ブレスは悪ではありません。音楽にとって大切な要素のひとつなのです。
ということで次回の記事では具体的にブレスをどう考え、演奏すれば良いのか書いてみたいと思います。
それではまた来週!
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at 09:27, 荻原明(おぎわらあきら), 呼吸
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2015.12.01 Tuesday
「もっと楽器に息を入れて!」を鵜呑みにしない
みなさんこんにちは!
トランペットを吹いていて、指導者さんなどから「もっと楽器に息を入れて!」とか「遠くまで音を飛ばして!」なんて言われた経験ありますか?
吹奏楽やオーケストラをやっていれば一度は言われたことがあるのでは、と思うくらいこの言葉、出現頻度が高いです。
指導者などからの指摘というのは大きくわけて、
「指導者自身が求めている(表現など)」
「(一般的なことが)できていないので指摘した」
「間接的な言葉やイメージから出てくる言葉」
のどれかです。
「指導者自身が求めている」というのは、例えば楽譜に書いていないクレッシェンドをここにつけましょう、など。
「できていないので指摘した」というのが一番多いと思いますが、要するにダメ出しってやつです。冷静に的確に指摘する人もいれば「なんでできないんだ!」と怒る人もいます。
「間接的な言葉やイメージから出てくる言葉」というのは、例えば「もっと丸い音で」とか「優しく歌いましょう」とか、「イメージ」や「たとえ話」「資料」を取り入れて結果を促すような指摘です。物語性の強い作品や作曲者自身が語った何かが残っていたりすると、それも交えたりすることもありますが、そういうのがまったく関係なく指揮者のイメージの中で出てくる言葉も非常に多いです。
もちろん、きっちり3つに分類することはできません。言葉による表現というのは非常に複雑ですからね。
だからこそレッスンを受ける側は、それがたとえ話なのか具体的な奏法についての指摘なのか、結果的に何を求めているのかなど、考えたり判断したりする必要があります。そうしないと、たとえ話なのに実行しようとして混乱する、なんてことも起きかねないのです。
「言われた通りにやってるのに怒られた!」とか「指導者の言っていることがさっぱりわからない」といった、指導者と自分がかみ合わない時はまさにそれです。
では、その典型的なものを挙げてみましょう。
《たとえ話なのか実際のことなのか 〜言葉の仕分け作業〜》
とてもよく耳にするのが、「お腹に息を入れなさい」。これはもう定型文的表現で、一部ではネタとして使われるほどになったのでやっと時代は変わったな、そして良かったな、と若干安堵しています。
ブレスする時、お腹に息を入れようなんて真に受けてはダメですよ。万が一お腹に空気が入ったらすぐに救急車ですからね。
ということでこれはもちろん、たとえ話です。
指導者から、「この場面は怒り狂って吹きなさい!」と言われたら、たとえ話だとわかるでしょう。演奏中にこの場面が来たらおたけびをあげてイスを投げつけたりする人、きっといませんものね。
では、今日の最初に書いた言葉はいかがでしょうか。
《「もっとトランペットに息を入れて」と指摘されたら》
まず、どんな指摘を受けた時にも「なんでそんなこと言われたのだろう」と考えてみてください。自分の演奏がどのように聴こえていたのかを客観的に振り返りましょう。
この言葉を言われた時は、きっと「音が聴こえない」もしくは「トランペットらしい音が出ていない」「存在感が薄い」ということでしょう。トランペットにもっと息が入ることによって「音圧」が高くなるので、それを期待しているのだと考えられます。
ということは、これはたとえ話ではなく、事実を言っているとわかります。トランペットに息は入りますし、息を入れているのは自分です。しかし、もうちょっと細かく言うと、
『トランペットに息が入るのは、自分の体の作用によるもの』
ですよね。お腹に力がかかると息が体の中から噴出するのですから、「息を入れて」とは奏法についての直接的な指示ではなく、あくまでも結果の話であり、イメージでのことなのです。詳しく説明していない、とも言えますね。
「楽器に息を入れる」この言葉を聞いた時についやってしまう体の使い方に一番近いのが、小さな子どもがケーキに付いたロウソクの火を思いきり吹き消そうとしているあの動きです。前かがみになる「内側へ向かう力」を使ってしまうのですが、あの動きは楽器を吹くには適していません。楽器を吹くための体は「外側へ向かう力」がかかっているべきで、両腕を広げて胸を張るような動きが望ましいのです。
ということで、「トランペットにもっと息をいれて!」と指摘された時、「そうか、もっと息を入れよう!」と安直な行動をとるのではなく、もうワンクッションとって「なんでそんな指摘をされたのかな?」と「トランペットにもっと息が入るにはどういう体の使い方をすればいいかな?」という2つを考えて、自分の持っている知識とテクニックの「引き出し」から適切なものを見つけ出し、実行してほしいと思います。
結局のところ、何に関しても指摘をされた時にはまず「なぜその言葉を投げかけられたのだろう」と考え、「どんな演奏や表現を望んでいるのだろう」という結論を見つけ出し、直接的に奏法について言われているのか、イメージの話なのかを見抜いて、指導者が望む結果を生み出すために自分は何をどうすれば良いのか、を考えるようにしてほしいと思います。
レッスンや合奏などでは、最初から一瞬で考えて正しい方法を見つけて実践するというのはなかなかできることではないと思います。でもそれで良いのです。いつもこのルートで物事を考えて実践する習慣を身につけようとしていれば、少しずつ慣れてくるはずです。
吹奏楽やオーケストラ、もしくはレッスンを受けている方はぜひ今回の記事を思い出して実践してみてください。
少し時間がかかっても焦らず冷静に考えるよう心がけましょう。
上手くいけば指導者から「そう!そういうこと!」と褒められると思いますよ。
それでは、また来週!
トランペットを吹いていて、指導者さんなどから「もっと楽器に息を入れて!」とか「遠くまで音を飛ばして!」なんて言われた経験ありますか?
吹奏楽やオーケストラをやっていれば一度は言われたことがあるのでは、と思うくらいこの言葉、出現頻度が高いです。
指導者などからの指摘というのは大きくわけて、
「指導者自身が求めている(表現など)」
「(一般的なことが)できていないので指摘した」
「間接的な言葉やイメージから出てくる言葉」
のどれかです。
「指導者自身が求めている」というのは、例えば楽譜に書いていないクレッシェンドをここにつけましょう、など。
「できていないので指摘した」というのが一番多いと思いますが、要するにダメ出しってやつです。冷静に的確に指摘する人もいれば「なんでできないんだ!」と怒る人もいます。
「間接的な言葉やイメージから出てくる言葉」というのは、例えば「もっと丸い音で」とか「優しく歌いましょう」とか、「イメージ」や「たとえ話」「資料」を取り入れて結果を促すような指摘です。物語性の強い作品や作曲者自身が語った何かが残っていたりすると、それも交えたりすることもありますが、そういうのがまったく関係なく指揮者のイメージの中で出てくる言葉も非常に多いです。
もちろん、きっちり3つに分類することはできません。言葉による表現というのは非常に複雑ですからね。
だからこそレッスンを受ける側は、それがたとえ話なのか具体的な奏法についての指摘なのか、結果的に何を求めているのかなど、考えたり判断したりする必要があります。そうしないと、たとえ話なのに実行しようとして混乱する、なんてことも起きかねないのです。
「言われた通りにやってるのに怒られた!」とか「指導者の言っていることがさっぱりわからない」といった、指導者と自分がかみ合わない時はまさにそれです。
では、その典型的なものを挙げてみましょう。
《たとえ話なのか実際のことなのか 〜言葉の仕分け作業〜》
とてもよく耳にするのが、「お腹に息を入れなさい」。これはもう定型文的表現で、一部ではネタとして使われるほどになったのでやっと時代は変わったな、そして良かったな、と若干安堵しています。
ブレスする時、お腹に息を入れようなんて真に受けてはダメですよ。万が一お腹に空気が入ったらすぐに救急車ですからね。
ということでこれはもちろん、たとえ話です。
指導者から、「この場面は怒り狂って吹きなさい!」と言われたら、たとえ話だとわかるでしょう。演奏中にこの場面が来たらおたけびをあげてイスを投げつけたりする人、きっといませんものね。
では、今日の最初に書いた言葉はいかがでしょうか。
《「もっとトランペットに息を入れて」と指摘されたら》
まず、どんな指摘を受けた時にも「なんでそんなこと言われたのだろう」と考えてみてください。自分の演奏がどのように聴こえていたのかを客観的に振り返りましょう。
この言葉を言われた時は、きっと「音が聴こえない」もしくは「トランペットらしい音が出ていない」「存在感が薄い」ということでしょう。トランペットにもっと息が入ることによって「音圧」が高くなるので、それを期待しているのだと考えられます。
ということは、これはたとえ話ではなく、事実を言っているとわかります。トランペットに息は入りますし、息を入れているのは自分です。しかし、もうちょっと細かく言うと、
『トランペットに息が入るのは、自分の体の作用によるもの』
ですよね。お腹に力がかかると息が体の中から噴出するのですから、「息を入れて」とは奏法についての直接的な指示ではなく、あくまでも結果の話であり、イメージでのことなのです。詳しく説明していない、とも言えますね。
「楽器に息を入れる」この言葉を聞いた時についやってしまう体の使い方に一番近いのが、小さな子どもがケーキに付いたロウソクの火を思いきり吹き消そうとしているあの動きです。前かがみになる「内側へ向かう力」を使ってしまうのですが、あの動きは楽器を吹くには適していません。楽器を吹くための体は「外側へ向かう力」がかかっているべきで、両腕を広げて胸を張るような動きが望ましいのです。
ということで、「トランペットにもっと息をいれて!」と指摘された時、「そうか、もっと息を入れよう!」と安直な行動をとるのではなく、もうワンクッションとって「なんでそんな指摘をされたのかな?」と「トランペットにもっと息が入るにはどういう体の使い方をすればいいかな?」という2つを考えて、自分の持っている知識とテクニックの「引き出し」から適切なものを見つけ出し、実行してほしいと思います。
結局のところ、何に関しても指摘をされた時にはまず「なぜその言葉を投げかけられたのだろう」と考え、「どんな演奏や表現を望んでいるのだろう」という結論を見つけ出し、直接的に奏法について言われているのか、イメージの話なのかを見抜いて、指導者が望む結果を生み出すために自分は何をどうすれば良いのか、を考えるようにしてほしいと思います。
レッスンや合奏などでは、最初から一瞬で考えて正しい方法を見つけて実践するというのはなかなかできることではないと思います。でもそれで良いのです。いつもこのルートで物事を考えて実践する習慣を身につけようとしていれば、少しずつ慣れてくるはずです。
吹奏楽やオーケストラ、もしくはレッスンを受けている方はぜひ今回の記事を思い出して実践してみてください。
少し時間がかかっても焦らず冷静に考えるよう心がけましょう。
上手くいけば指導者から「そう!そういうこと!」と褒められると思いますよ。
それでは、また来週!
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at 07:36, 荻原明(おぎわらあきら), 体の使い方
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