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指導のタイプ(後編)








みなさんこんにちは!

前回より「指導のタイプ」というテーマで書いています。今回は後編です。


《人に教えるということ》
先日の、とある現場で目の当たりにした年齢の離れた2人の演奏家のやりとりを書いておきます。
ひとりは、現場年数の長い方で、もうひとりは若い方。



年上の方は、若い方の演奏能力に納得がいかず、合わせをした後も時間ギリギリまで目一杯「指導」をしていました。
僕から見ても、確かに言っちゃ悪いですがとても上手とは言えないものの、その現場に支障をきたすほどの悪い完成度ではないと思ったので「なぜそこまで?!」という気持ちのほうが正直大きかったです。

もちろん、我々はプロとして可能な限り最高なものを提供し続けなければなりませんから、その年上の方が必死になってクオリティを上げようとしている考えそのものは決して悪いことではありません。

しかし、それも時と場合、なにより指導方法によっては逆効果の結果を生む可能性があることを理解していなければなりません。その逆効果とは、どんなことかと言うと、


第一に、「時間が限られていた」ということ。
合わせが終わったら、間もなく本番が始まってしまうのです。その日は練習日でもゲネプロでもなく、すぐに本番です。
その本番までの時間を練習に目一杯使ってしまうことは、焦りを強く感じてしまい、精神的に追い込まれます。
トイレに行ったり、他に準備したいこともあるでしょう。何もせずに落ち着きたい時間が少し欲しいでしょう。空き時間というものは無駄な時間ではなく、本番に向けて「整える」時間であると考えます。


第二に、「その人の限界を理解していない」ということ。
はっきり言いますが、なぜこのような事態が発生したのかと言うと、本人の技術レベルが、年上の方の要求するレベルまで達していないからです。実力が足りないのですから、今その人にあれこれ言ったところで

「わかってるよ!でもできないんだよ!」

もしくは

「???何をおっしゃってるのかよくわかりませんが…」

のどちらかにしかならないのです。

音楽の世界(主に技術的なこと)で「あ!そうか!そうすればよかったんだよね!忘れてた、ごめんね!」で解決することってほとんどありません。できることは最初からできているし、できないことは、少なくともその場ではまずできないのです。
何度指摘してもできないのは実力が足りないから。要求に応えられる引き出しを持っていないのだから、できるはずがありません。だからもうしょうがない、と割り切るしか方法がないことに年上の方は早々に気付くべきでした。
このような場合は、とにかく事故を起こさないように(起こされないように)、自分に責任がふりかからないようにしていくことが大切で、あとはその人が頑張って将来的に上手になっていってもらうことを祈るのみです。もしも、親切心があるならば、今後どのようなことを考えて練習を積み重ねていくか、アドバイスをしてあげられると良かったと思います。しかしそれも、本番前ではなく、すべて終わってから伝えることです。

もちろんこれはプロの世界の話です。しかしプロと一口に言ってもレベルは様々。別に資格があるわけでもないですから、「私はプロなのですわよ!」と名乗れば誰でもプロになれる不思議な世界です。芸能界と一緒です。


そして第三に、これが最も重要なこと、「指導方法(指摘の仕方)」です。
この年上の方は、何度も何度も同じ曲を合わせていく中で、「ダメ」「そうじゃない」「違う」「なんでそうなっちゃうかなあ」を繰り返すばかりでした。たまに出てくる他の言葉も、アドバイスと呼ぶには程遠いもので、これらはもはや指導ではなく「いやみ」や「文句」「ののしり」「嫌がらせ」といった攻撃でしかありませんでした。
そもそも、何がダメなのか根本的なことが理解できていない、もしくはわかってるのにできる実力がない状態の人を、これらの酷い言葉で追い込んでしまったらどうなるか、容易に想像できますよね。演奏どころの話ではなくなってしまいます。
そもそも、本番のクオリティを上げるために指摘していたはずなのに、気力を奪うほど追い込んでしまっては、指摘していた本人が、自ら望んでいない結果に持っていってしまっていることになぜ気づかないのだろうと、客観的に見ていて思いました。

年上の方は、最初こそ良くしようという気持ちで指導(?)をしていたとは思うのですが、あまりに自分の理想に近づかないもどかしさ、手応えを感じられないストレスによって、途中から感情が抑えられなくなったのでしょう。

本来の目的を見失っては、何も生まれないどころか悪い方向に向かっていってしまう典型的な例でした。


《経験談:1》
こんなことを偉そうに書いている僕ですが、実は僕も同じ経験があります。両方の立場で。

最初に被害者になったお話しですが、それはプロの人たちがひとつの公演のためだけに集まって演奏する、いわゆる「寄せ集めオケ」での出来事でした。
僕は当時、音大を出てそれほど経っていなかった頃なので、現場で出会う方のほとんどは年上ばかりでした。この時のオケで一緒だった1stトランペットの方は初対面。親切にいろいろと声をかけてくださるので、安心したのですが、それも最初だけでした。

練習が始まると、ひとフレーズ吹き終わるたびに「ここはねもっとこう…」、指揮者が止めるたびに「そうじゃない、もうちょっとこうさ、…」これが毎回繰り返されたんです。休憩時間も休憩をさせてもらえず、パート練習です。ぱーれんぱーれん。

最初こそ、指摘や指導がありがたいと感じ、自分もそれに応えよう吸収しよう、と意気込んでいましたが、あまりに毎回毎回言われるせいで、徐々に精神的重圧に変わっていき、止まることのない指摘の多さに「自分はこんなにダメな人間だったのか」「こんなヘタクソだったのか」から、さらに悪化して「こんなダメ自分の演奏、人様に聴かせてはいけないのかもしれない」になってしまいました。
3日間あった練習の初日でこれですから、翌日から現場に向かう足の重いこと重いこと。
2日目はもう最初から緊張して、恐怖から音をきちんと出すこともままならず、ひどい演奏をしていたのではないかと思います。そうなると、1stの方のいらだちもどんどん大きくなり「だから、何度も言ってるじゃん!違うんだって!」、「だーかーらー!」こんな罵声の繰り返し。
あげく、吹きながらもこちらを向き、睨みつけながら足でテンポを取り始めたりするものだから、強烈なプレッシャーから、本当に精神が崩壊しそうになりました。
驚くことにこの本番中もずっとこれが繰り返されていたんです。本番中ですよ。演奏中、ステージで話しかけてくるんですよ。「違うよ!」って。さすがにこれはあり得ないと思いました。お客さんに対して失礼すぎます。

恐怖心や自信喪失や苛立ち(相手に対しても自分に対しても)で、もう頭が爆発しそうで、音楽どころの話ではなくなり、自分がその場所に座っているだけで精一杯でした。

もう逃げ出したい一心でしたが、今になって冷静に考えてみると、確かに僕の実力はその人から見て足りていなかったとは思います。しかし、あの態度や言葉遣い、単なる自己満足とストレス解消、要するにいじめでしかない気がしてきました。もちろん本意はわかりませんが、若いトランペット奏者を潰そうとしていたのかもしれません。
いいものを作ろう、そしてお客さんに楽しんでもらおう、という気持ち、そのための方法を理解し、実践している人なら絶対にこんなことをしません。それは僕が他のたくさんの現場で体験しているからです。

もちろんそれぞれの現場でも僕の実力が足りていない、まだまだ未熟だな、下手だな、ダメだこりゃと思われていたことはたくさんあるはずです。しかし、上記のようなことはあの時限りでした。もちろんたくさんの方からアドバイスを頂くことはありますが、それは全然違うアプローチによるものです。
というか、よほどの新人でない限り、プロの演奏現場ではレッスンのようなことはほとんどありません。年齢差があれど、同じ土俵の上で「仕事」をしているのですから、立場としては同列なのです(お客さんから見たらそんなのわからないし、関係ない)。そういった面からお互いを尊重しているからこそ、どうしても指摘やアドバイスをする(しなければならない)時はとても気を使っています。

逆にそれは怖い面でもあります。下手ならそれっきりで、この人使えないからさようなら。のパターンがほとんどの世界ですから。
上手な人、魅力的な人だけが次もお仕事が続くのです。


《経験談:2》
そんな被害者ヅラした僕も、若いころは逆の立場になっていたこともあります。
今ではもうありませんが、自分の音楽的なイメージが相手に反映されないとすぐにイライラしていました。相手がアマチュアであっても容赦しない言葉を浴びせてしまっていたんですね(最初のお話のように)。これはとても反省しなければならないと今でも思っています。
ただ、言い訳になってしまうかもしれませんが、例えば部活動や個人レッスンで、当時、いわゆる「怒る」時というのは音楽的なことよりももっと根本的なところで納得がいかない時です。

例えば、時間を守らないとか、合奏の日を予め知っていたはずなのに来ない(スケジュール調整をしていない)とか、練習してきていないとか、はっきり言わないとか。そういうことです。(何度も言いますが「当時」のことで、今ではないです)

先ほどの話でも書きましたが、「今やってもこの人は無理」と理解すれば、その時の最善策を練ることが本来ならばできるのです。
ですから、部活やレッスンで「忙しくて楽器をまったく吹いていません」と言われて、「はぁ?!なんだそりゃあああ!」ボカーン!と昔はなってしまっていたのですが、冷静に考えれば、そこでギャアギャア言っても過去には戻れるわけでもありませんから、今できる一番良い方法をとればいい、と考えられるようになってきました。

そもそも、プロであれば許されないことでも、部活やレッスンで楽器を吹いている人のほとんどはアマチュアであって、演奏や楽器を楽しみたいからやっているのですから、お仕事や勉強、バイトや恋愛など、もっと大切なことが存在している人たちがほとんどなのだ、と僕自身が理解しなければならない、自分と同じ目線で見てはいけない、ということがわかりました。

もちろんこれは手抜きの指導をする、ということではありません。惜しみなくたくさんのことを伝えていきたいと思っていますが、時間的、物理的限界があることを理解した上で、ゆっくりと確実に、そして何よりも楽しく音楽をやっていける、そんなレッスンをしていく、ということです。


《評価、批評と指導は別もの》
最近はネット上で匿名なのを良いことに、相手がどう受け止めたり感じたりするかなどお構いなく言いたいことを言いたいだけ書きなぐる、なんてことも珍しくなくなりました。
音楽についてもそれは同じで、とても偏った評価が蔓延しているように感じます。

これらは単なる「批評」です。
もちろんネット上ですからそれでも良いかのかもしれませんが(人として良いとは思いません)、結構知らないうちにネット以外でも似たようなことをしている場合があるのです。

例えば、部活の先輩や卒業生の方。
後輩に対して「先輩らしくしなきゃ!」という気持ち、それ自体はとても素晴らしいことなのですが、実際に「後輩を育てなければならない」とか「私が責任を持って後輩を上達させなければならない」と思いすぎると、ちょっと危険かな、と思います。

先輩後輩と言っても、それほど歳が離れているわけでもなく、経験年数にしてみてもほんの数年、数ヶ月の差でしかありません。

「人を教える」ということは、


 改善点や問題点を発見し
  ↓
 それを解決する策を知っている者が
  ↓
 的確な伝達方法によって教わる側に理解をしてもらい
  ↓
 実践結果がどうであったか(できたのか、できていないのか)を判断する


この力が必要です。

これをできるようにするには、演奏技術の向上、練習とはまた違った力が必要ですし、多くの場合、技術の向上があってから指導する力が付くと思います(なぜその技術を手に入れられたのか、どうしたらそれを幾度となく再現し、第三者にもその技術を持たせられるのか、それを考え、実践し、検証する時間が必要だから)。だから先輩が後輩に「教えよう」とする気持ちは素晴らしいのですが、無理して先生のように振る舞う必要もないと思います。

頑張ってしまっている先輩方の多くは、

パート練習しよう!→吹いてみて!→うーん、もう一回!→(よくわかんないけど)ちょっと違うかなー?→もう一回吹いて!→(どうしよう、何て言っていいかわからない…)→もう一回!→なんかこう「バーン!」って感じで!(自分でもよくわかってない or 的確に伝えられる言葉が見つからない)→もう一回吹いて→わかんないけど、なんか違うから練習しておいて!(わかんないけど、って言っちゃだめ。)

こんな流れになっているのをよく見かけます。無理して指導をしようなんて思わなくて良いんです。

ではどうするか。

「一緒に練習しよう!」

これがベストです。「私もできていないし、わからないことも沢山あるから、一緒に練習して一緒に上達しよう!」
と正直に伝え、同じ目線に立った状態で練習して、どうしていいのかわからないことをお互いが共有して、相談し、研究して、そして指導者や先生に教えてもらえば良いんです。解決なんてしなくても、お互いが持っている良いところを刺激し合い、一緒に「考える時間」が確実に成長させてくれます。

だから、後輩の方も黙って先輩の言うことを聞いているのはダメなんです。音楽をしている間は先輩も後輩も関係ありません。一緒に演奏する仲間です。だから、後輩の方も気づいたこと、わからないことをどんどん発言していかないといけないし、本当の意味での演奏仲間としての友好な関係は築けません。

ぜひそういったスタンスで部活動やパート練習をしてもらえれば、と願います。


ということで2週にわたって「指導」に関することを書いてみました。
音楽や楽器の演奏は楽しいものです。楽しいと感じるのは「心」です。音楽をすることで、楽器を演奏することで「心」が満たされていくことを常に感じ、それを追求して毎日を過ごしていければいいと思っています。

それではまた来週!


当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 05:48, 荻原明(おぎわらあきら), 練習に対する考え方

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指導のタイプ(前編)









みなさんこんにちは!

7月あたりからの吹奏楽コンクールの予選準備がそれぞれの学校で本格的になるにしたがって、吹奏楽関係者を中心にTwitterなどのインターネット上でもコンクールの話題がとても多く出回るようになりました。

きっと演奏される方どうしで「コンクール頑張るぞ!」といったやりとりも盛んに行われていたと思うのですが、僕がフォローしている方や目に入ってくる話題はどうしても「指導側」の言葉が多くなります。

ネット上だけでなく、実際の現場(部活動など)でももちろん「指導とは」みたいな話題が大人の間で盛り上がっていたと思います。自分もそうでした。

連日Twitterなどで様々な議論を述べていらっしゃる見ず知らずの方のやたらと強い言葉を聞いているうちに、最初は批判的になったり、賛同したりだったのですが(特に口をはさんではいませんが)、なんで同じ「指導」なのにこんなにぶつかるんだろう、という疑問を持つようになりました。だって、上手になるためにみんな一生懸命教えようとしているのだから、みんなで仲良く話題を盛り上げていけばいいじゃないですか。なんで口論してんの。

自分は吹奏楽より個人レッスンをメインに行っていますが、音楽を教える立場であることには変わりなく、じゃあ自分はいったいどうなんだと考えてみたんです。
今回はそういった「指導」についていろいろ書いてみたいと思います。

なお、教える側の話ではあるのですが、それを受けている演奏者(生徒さん、部員のみなさん)にも非常に大きく関わることには変わりませんので、ぜひ読んでみてくださいね。


《練習のプロセス》




今回のお話をするために、まず「練習のプロセス」について書いておきます。練習とひとくくりに言っても、それぞれの目的は大きく変わります。ですから、これから行う練習の目的や具体的なゴールを決めておかなければ意味がありません。
理想的な練習のプロセスは、以下のようになると思います。

1:小さい目標(ゴール)を設定する
 ↓
2:準備(目標達成のために必要な練習方法を考える)
 ↓ ↑
3:練習(内容や方法は様々。楽器を吹くだけではないかも)
 ↓ ↑
4:評価(きちんとできたか、できなかったら何がいけないのか)
※目標が達成できたら、次の目標設定のため1へ戻る。NGなら2 or 3へ戻る。

ここでの「目標」は、例えば「1オクターブのスラーがスムーズにできるようになる」などの、とても小さなものを指しています。これらの小さな目標の積み重ねによって、大きな目標「曲を通せるよになる」などが実現できるようになります。


目的にもよりますが、一般的に効率良い練習方法というのはこういったプロセスによって行われていると考えられます。
そして、今回のお話なのですが、

今回はこれらの流れの中でどこまで「教える人」が入り込み、関わっていくか、ということなんです。


《教え方、指導のタイプを分類してみる》

演奏者と同じように教える人にもスタイルや考え方の違いで大きくタイプが変わります。また、同じ人であっても現場や環境、求められているものによってやり方を変えている場合もあると思いますが、ここでは大きく3つのタイプに分類してみます。


[A:全部教えるタイプ]
自分の求める理想の完成図を実現するために、上記の1から4までのすべてに関わってくる人、またその方法。

[B:方法を教えるタイプ]
生徒に気づかせ、促す人、またその方法。

[C:指導に向いていないタイプ]
勉強不足、経験不足、知識不足な人。指導に向いていない人。
※これに関しては次回書きます。

では、それぞれのメリット、デメリットを詳しく書いていきます。


《A:全部教えるタイブ》
Aのタイプの指導者、指導方法は、最初からゴール地点(大きな目標)までレールを敷いてくれて、その上を進むのにもずっと手を貸してくれています。

僕が知っている範囲の知識なので偏見かもしれませんが、ピアノやヴァイオリンなどを幼少から初めて、最初から音楽家にするためにレッスンをしている先生はこのタイプだと思います。というのも、3歳とかの子供に自分だけの力で奏法や音楽理論を学ばせるなんてことできませんから、当たり前といえば当たり前なんです。最初のうちは。
スタートがそうなので、その先も同じパターンでレッスンが進むことが多いのだと思います。楽典(楽譜の読み方)、体の使い方、練習方法、演奏技術、表現技術、それらが音楽業界で一般的に良しとされるものである完成系を求めて、ブレてもすぐに修正し、背中を強く押して進ませます。

ですから、表面的に厳しい指導者になる可能性が高いのです。ブレが多くなったり、進みが弱くなったりすると、先生が喝を入れて取り戻そうとしなければならず、生徒としては怖いとかレッスンが嫌だといった感情を持つようになることも多々あります。しかし、最初から敷かれていたレールから降りることが大人の事情により許されない、というかもう降りられなくなって、そのまま音高、音大、音楽家になっているパターンの人も少なくないと思います。

さほど楽器が好きではないけど、気が付いたら音楽で食っていた、という感じ。


そして、このタイプの指導者が多いところがもうひとつあります。吹奏楽部です。
中でも、吹奏楽コンクールなどの大きな目標があり、経済的、物理的に余裕がある学校に多くみられるように感じます。

吹奏楽部の部員は、年齢こそ10代ではありますが、楽器経験だけ見れば3歳でヴァイオリンを始めた子供と変わりありません。そしてそういった人が集団で音楽を作ります。

そして部活動は非常に時間がありません。短期間で確実に成長をしてもらわなければ新学期が始まってすぐに吹奏楽コンクールが始まってしまうのです。
ですから、先生が徹底的にカリキュラム化した効率の良い練習方法を叩き込み、逐一確認、評価をし続けます。余計なことは一切させず、必要最低限のことで可能な限りの成果を上げようとします。

そして「学校」という環境も後押しします。学校は「先生」と「生徒」の境界線が非常にはっきりしていて、生徒は「先生から教わる」立場と認識している人がほとんどですから、部活動であっても音楽、芸術であってもそのスタイルのほうがしっくりくるのです。

ですから、一から十まで指導者が関わるこのスタイルは吹奏楽部でもとても有効な指導方法と考えられます。
この方法で、先生と生徒たちとの歯車が噛み合えば、短期間で具体的な成果を上げることができます。その具体的な成果として一番わかりやすいのが「吹奏楽コンクール」。第三者からの「お墨付き」がもらえるので、対外的評価が見込めて便利です。「たった1年で全国バンドにのし上げた◯◯高校の◯◯先生!」みたいな取り上げられ方もされるので、ますます指導者のカガミになり、学校は学校で(私立なら特に)とても良い印象を外に発せられて、多くの生徒と関係する大人たち大満足といった感じでしょうか。

ちょっとイヤミっぽくなってしまったのには訳があります。
それは、この敷かれたレールの上を走っている電車に集団で乗っている、という点です。

表向きは全国大会出場だとか華々しい結果があったとしても、その中には、押されて引っ張られて気づいたら電車の中にいた、という人もいるはずです。みんなの勢いに乗れない、みんなの技術アップスピードについていけない、という人も巻き込んでの「吹奏楽部」であるということです。集団の力が強すぎて潰されて見えていない人がいたり、ヘルプを出しているけど周りの声が大きすぎて聞こえてこない人も中にはいるかもしれないのです。

そしてもうひとつは「目標設定が小さすぎる」という点です。吹奏楽部の大多数の目標が「コンクール」であるということ。そうでない学校も「3年間」という目標しかないのです。
音楽はそんな短い中で完成されるものではありません。一生を共にできる魅力も深さも楽しさもあるのです。吹奏楽部に所属している3年間は、屈強な指導者により、目標設定もそこまでのレールも機動力も与えてくれるので、充実した時間を過ごすことができるのですが、終点の「コンクール」とか「3年間」に到着すると、その先は指導者から特に何も与えてもらえません。

そしてその時生徒たちは気付くのです。「レールを作ることも、敷くことも教わってない。」と。
目標達成するための超特急列車に集団で押し込まれてグングン進んでいる間は、確かに自分で音を出していたけれど、それらのすべてで指導者が関わっていた。良いという評価も悪いという評価も指導者から言われて判断していた。練習方法も指導者や伝統でやっていたし、そういったレールの上にしかいなかったので、目標を達成した今、自分だけではこの先に進めない。

こんなことになりかねないのです。

もしくは、あまりの超特急、満員電車ギュウギュウ詰めの3年間で、精魂使い果たしてしまい、もうお腹いっぱい!となっている人もとても多いと思います。

これらが全国バンドになればなるほど、引退、卒業をして楽器も辞めてしまう人が多い理由だと、僕は考えます。


異論反論あると思いますが、僕の考えなのでご了承ください。


《B:方法を教えるタイプ》
こちらは「正しいレールの作り方」「正しいレールの敷き方」「レールの上の正しい進み方」をレクチャーし、間違いそうだったり、危険な時に手を貸すタイプです。

Aと大きく異なる点は、機動力は生徒側にあるという点です。

指導者は、生徒の自主性を尊重し、正しい知識と方法を伝え、そのつど確認や評価をしていきますので、生徒自身が自主的に考えて練習を積み重ねてくれないと、進まないのです。

したがって、様々な目標の第一歩目の成長に時間がかかる場合があります。
しかし、生徒自身にほとんどすべてを考えて実践してもらうので失敗もたくさん経験するのですが、この積み重ねで得たものを自分の引き出しにすることができるので、技術や考え方などすべての経験が自分に蓄積されていきます。

そうすると、その先で似たような事例があったりすると、自力で解決できたり、方法の組み合わせによって解決まで導くことができるようになっていきます。

苦労は伴いますが、何にせよ自分の力で成長した実感が非常に大きいので、音楽や楽器に対する興味がなくなることが少ないのです。
反面、意欲があまりない人、それほど本気でやろうとしていない人、大きな(将来的)目的や目標がはっきりしていない人にとっては、その気持ちが変わらないままであれば、興味を持たないままで終わってしまう可能性もあります。したがって、結果を残せる人とそうでない人の差が大きくなってしまうかもしれません。


《どちがら優秀というものではない》
AとB、どちらが良いとか悪いとかはありません。指導者によっても考えが違うし、器用な人であれば場面によってAとBを使い分けているかもしれません。

ちなみに僕はBタイプです。音楽教室で個人レッスンをするのがメインだからこそだと思いますが、Aのような指導は自分には合っていないと思っています。育ってきた環境、両親が完全にBタイプだったからだと思います。

音楽教室には様々な生徒さんがいらっしゃって、それぞれに違う目的を持っていらっしゃるので、全員に同じスタンスでレッスンをしているわけではありませんが、やはり基本的には「解説」と「方法」を伝えて「目標」を設定し、次回のレッスンまでに練習をしてきてもらい、その「確認」「評価」「ヒント」を出し、そしてまた新たに「目標」を設定して、、、という流れで行っています。


あなたが教わっているのはどちらのタイプの先生ですか?
もしくは、どちらの先生に習いたいですか?
指導をされている方は、自分はどちらのタイプの先生ですか?

指導者は、自分の知識や経験を生かし、生徒さんに上手になってもらいたいという気持ちで伝えようとしています。ですから、教わる方は、「この先生はこっちのタイプだな」とわかっていると、自分がどのように接し、伸ばしていけばいいのか見えてくるかもしれません。

もちろん、人間同士のつながりですから、性格や受ける印象などもとても大きく関係してきますが、それについては次回、触れたいと思います。

それでは、また来週!




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at 06:31, 荻原明(おぎわらあきら), 練習に対する考え方

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音色は何で決まるのか。 ーー 音色について考える(後編)








みなさんこんにちは!

今日から9月ですね。新学期が始まり、部活再開の方も多いかと思います。夏休みが明けてしまって残念かもしれませんが、元気に頑張っていきましょう。

さて、前回より「音色について考える」というタイトルで書いています。前回はツボに当たった音について具体的に書いてみました。今回は「そもそも音色は何で(どこで)決まるのか」について考えてみたいと思います。


《音色は何で決まるのか》
同じトランペットという楽器を使っていても、人によってだいぶ音色には違いがあることはほとんどの方が思っていることでしょう。
それを「個性」と呼んでしまってもいいのですが、この音色の違いを大きく2つの状態に分けてみると、


「完成された状態(意図的)」
「その音色しか出せない状態(無意識的)」

になると思います。

完成された状態というのは、プロかそれに近い経験年数と実力を持った方に多く、「意図してその音色を今、出している」ということです。その人が持っている(目指していた)「トランペットの音色はこれだ!」という(その時点での)完成系を持っていて、なおかつ場面やジャンルなどによってもある程度使い分けられる状態です。
「あ、この音は◯◯だ!」と多くの人がわかる奏者はこのような人です。

もうひとつの「その音色しか出せない状態」は、経験年数が少ない方や、まだまだこれから伸びていく人に多く、納得してその音を出しているわけではなかったり、音色のことを考える余裕があまりない、もしくは音色について特に考えていないで演奏している状態を指しています。言ってみれば「音色どころじゃない」という方。

これら音色に関する話は「塗り絵」にとても似ていると思っています。

同じ「楽曲」という線だけのイラストがその場にあって、その絵にどんな色を塗っていくのか。上級者になると、たくさんの色鉛筆とそれを扱う技術の引き出しがあるため、クオリティの高い作品を短時間で作り上げることができます。完成した塗り絵は、自己満足にならず、多くの方に共感され、美しいと感じてもらえます。

一方、経験年数の少ない方は、そもそもの持っている色鉛筆の数が少ない、もしくは1色しかないので、どうしても完成したものが似たり寄ったりになりがちです。塗る技術も影響して、雑に感じられてしまうことが多くなります。

しかし、実際のクオリティの差はあれど、どんな人でも世界的に有名な絵画を想像することができるように、現実的にまだ技量が足りず、音色に偏りがあったとしても、頭の中で「良い音」や「その場面に適した音」を想像することはいくらでもできます。
ですから、「音色どころじゃない!」と思ってしまう方もぜひ、「こんな音色で演奏したい!」と、素晴らしいイメージを常に持って演奏してください。


《音色の決め手となるもの》

音色はイメージすることから始まりますが、現実的にはそれだけでは具体的に美しい音色を作り出すことは難しいです。よって、自分の出したいと思う音色を道具のサポートや奏法で生み出していくことが必要になります。

ここからは、音色に影響を与えたり変化させるための方法をご紹介します。

[楽器]
当たり前といえば当たり前ですが、使う楽器によって音色はかなり違います。作り方や材質、形状、パーツの使い方によっても変わりますし、それぞれのメーカーが持つ個性もあります。

前回のお話でも言いましたがそれらの個性は「ツボに当たった時の響き」を比較しないと見えてきません。そして、同じ型番の楽器であってもツボにはそれぞれ個性がありますので、何本も吹いてみることが本来はベストです。
できることなら、大ホールでたくさんの楽器を用意して、一流の奏者1人に片っ端から吹いて聴かせてもらえたら楽しそうですよね。そんな企画ないですかね。マニアックですかね。


[マウスピース]
これも当たり前ですね。しかし、楽器本体に比べると結構適当に考えてしまっている人が多いのも事実です(逆にこだわりすぎてわけわかんなくなっている人も結構いるように感じます)。
かくいう僕も「フィット感」を最重視していたせいで、今年に入るまで15年近くマウスピースに対して興味を示していませんでした(というよりも安定性を失うことのほうが怖くて他のマウスピースを知ろうとしていませんでした)。
それが昨年の秋に開催された「トランペットフェスティバル」で音大生の時から長年使っていた使っていたマウスピースを手放す決意をするほどの素晴らしいマウスピースに出会ったんです。それがJun’sです。



大学の先輩でもある池邉純氏が手がける作品に、マウスピースを重要視してこなかった僕は大きな衝撃を受けました。同じ楽器とは思えない響きの深さや鳴り。まさかここまでの変化とは思わず、池邉氏立会いのもとで数多くのマウスピースの中から僕にとって最適なものを選んでいただくことができました。
実際に使い始めたのが今年に入ってすぐだったので、まだまだ時間をかけて仲良くしていかなけば、と思っていますが、ともかくマウスピースはあなどれません。
機会があればぜひJun’sのマウスピースを吹いて欲しいです。最近はプロアマ問わずとてもユーザーが増えました。良いものは自然と認められていくのでしょう。


[吹き方]
もちろん、音色を決めるのは人間そのものも関係します。骨や肉といった器(うつわ)による影響もありますが、何よりも「吹き方」=「口の中と舌の位置関係」が最重要部分です。

僕のレッスンでもよく生徒さんに実験してもらうのですが、出しやすい五線の中のF音あたりをロングトーンしてもらいながら、舌を好きなようにいろんな形、位置にゆっくり移動した結果、音色やピッチに非常に大きな変化があることを知ってもらいます。そしてその中のどこかの位置に良い音が出せるベストポジションがあることに気づけるようになります。そのベストポジションこそが、このブログで何度となく言っている「音のツボ」なのです。

音色は唇で決まると思っている方も多いと思うのですが、唇というのは、楽器やマウスピースを付けた状態で、息を流した時に振動をしてもらうだけの部分です。音の発信源としての重要性はありますが、ここで音色が決まる、という考えを持ってしまうといろいろな副作用が出てきてしまいます。ですから、きちんと振動ができている状態であれば、唇はそれ以上の働きをさせる場所にしないほうが良いと僕は考えます。唇は「体内で構築した(音色、ピッチ、音量等の)完成形」を、耳に聴こえるように音に変換してくれただけなのです。

したがって、音色を作り出すのも唇ではなくて、それより前の部分である「口の中で舌がどのような位置・形状をしているか」でほぼ決まるのです。

ひとつ付け加えると、それらの構築の中で本来必要のないものを生み出す体の使い方をしてしまうと、音に「マイナス」の影響を与えることになります。例えば「のどを絞めてしまう行為」や、「呼吸の自由を阻害してしまう筋力の使い方」などです。
ですから、必要なものを必要なだけ使うということも良い音を出すためには必要になります。


このように、音色というのは様々な要因で大きく変化しますし、それらの要素の組み合わせによって「その人の音色=個性」が確立されていくとも言えます。


《時代とともに変化する音色》
昔のレコードをデジタル化したくらい古い演奏(トランペットソロ、オーケストラ等)を聴いたことがありますか?
音質の影響もありますが、音色に対してトランペットの音が「古い」「今とだいぶ違う」と感じた経験はないでしょうか。こういう音で演奏している人って今はあまりいないよねー。という感じ。

音色も、時代によって流行や「良し」とされるものが変化していっているように感じます。それは、その時代での一流とされた人の持つ音色を多くの人が目標やイメージの材料としていたから、というのもあるかもしれませんし、楽器やマウスピースの進化も関係があるかもしれません。レコーディング機器の影響もあると思いますから、実際の生の演奏とのギャップは相当あるとは思いますが。

僕は最近、周囲で聴くトランペットの音色が変わってきたなと感じることが多くなってきました。
例えば今の音大生の音色。これからの時代を担っていく彼らの平均的な音が、僕のイメージしている「好みの音」とはだいぶ変わってきたと感じるのです。

否定はしません。彼らはとても素晴らしい音楽性を持ち、自分たちの頃には想像もできないくらいの高い技術力と安定性を持っています。

でも、個人的に好きな、ぶっとくて芯のある、響きの強い屈強な音を奏でてくれる若い奏者にはなかなか出会えないのも事実です。僕の好みが偏っているのか、もう古いのか、、、それもあるかもしれません。が、確実に音色は変わってきたと感じています。

歳とったんですよ、要するに!(笑)

どんな音がどんな人にどれだけ受け入れられるのか、それは本当に様々な要因が積み重なった結果でしかありませんから、やはり「自分はこんな音が好き!」「自分はこの音で演奏する」といった「音色の自己主張」をどんどんしていくことが大切だと思います。それを受け入れられたり否定されたりして、さらに成長していきたいものですね。

ということで2週に渡って音色のことを書きました。
それではまた来週!

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at 07:00, 荻原明(おぎわらあきら), イメージ

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