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「無理!」と言う前に。








みなさんこんにちは!


《「無理」と言わないで 》

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みなさんは口癖ってありますか?無意識に言っていて、誰かに指摘されて初めて自覚した、なんてこともあるかもしれませんね。
口癖はその人の性格をあらわす、なんて言っているサイトがどこかにあったように覚えていますが、確かに口癖でその人の受ける印象が決まってしまうこと、結構ありますよね。

僕はだれかの口癖が気になることもあまりないのですが、ひとつだけどうも好きになれない口癖があります。それが今回のタイトルにもなっている「無理」です。

何かにチャレンジしなければならなくなったり、促されたりした時、とっさに「え!無理!」と言ってしまう人いますよね。

本気で言っている場合もあるでしょうが、口癖ですから「いやだ!」程度のニュアンスで言っていることのほうが多いかもしれません。
内容はどうあれ、やはり僕は良い印象を持てないんですよね。それには理由があります。


《自分で扉を閉めているかもしれない》
たかが口癖ではありますが、性格や心境から、つい出てきてしまっていることも多い口癖は、言うたびに自分に催眠術をかけているかもしれません。

要するに「無理」と言い続けていると本当に自信がなくなり、無理だと思い込んでチャレンジする気すらおきなくなってしまうかもしれないのです。可能性を自ら潰してしまっているのだとしたら、そんなにもったいないことはありません。

音楽でも、困難な状況に遭遇して、身動きできなくなること、ありますよね。とっても難しいパッセージが出てきて、何度練習してもできそうになかったり、自分はまだ出せたことのないハイノートを要求されてしまったり。
そういう時に「無理!」と、仮に口に出さなくても、心の中で思ってしまうだけでも、立ち向かう気力がなくなってしまいます。

でも実際のところ、本当に無理なことってとっても少ないんです(特に若いうちは)。
ですから、「無理」と言う(思う)前に、いま目の前にあることが本当のところどういったものなのか、思いつく限り分類してみたので、以下のどれに当てはまるのか、考えてみて下さい。


■最初からできていること(すでに習得しているから何度でもできること)


■見方(みかた)や立ち位置を変えたらできてしまうこと
・・・実は最初からできる力はあったのだけれど、今向いている方向や角度では視界に「解決」が入っていないだけ(気付いていなかった、目をそらしていた、目をつむっていただけ)。ほんの少し、見方を変えたり、勇気を出してしっかり見てみたら、意外にもすんなりできてしまうこと、とても多いです。


■違う場所にあるので多少の手間や時間がかかること
・・・今、その場にいるだけでは解決できないけれど、しっかり準備して目的地に着けばできること。分かりやすく例えるならば、パスポートを手に入れて飛行機に乗り、どこかの国へ到着して、その地の文化や人と交流を持つなど。他には、バイトをして初めて社会のこと、経営のことがわかった、とか。
こういった物理的、環境的なものでなくとも、今の精神状態から勇気を出して一歩踏み出してみたら気づくこととかも含まれます。時間や手間はかかりますが決して無理ではありません。しかし、意思の強さや行動力がないと、いつまでたっても得られないかもしれません。


■別世界にあること
・・・実際に体験することは難しいけれど、調べたり、聞いたり、勉強した知識から得られたり、イマジネーションを発揮して「こういうことじゃないかな?」と、ある程度自分の持っている力で、自分なりに確信を持つこと。例えば、科学では解明されていないこと。古すぎて確証が得られていないこと、超常現象など現実では起こり得ない(と言われている)こと、物理的に果てしなく大きい(小さい)こと、遠い宇宙や遠い未来、伝説、架空世界、マンガやアニメでのできごとなど。
これが非常に得意な人(自分で勝手に妄想を繰り広げられる力が強い人)もいますが、ものすごく苦手で非常に苦労する人もいるので差があります。


■可能だが、現実ではやってはいけないこと
・・・実行するのは不可能ではないれど、倫理的、法的に認められないこと。現実でも起こっているが、自らが行動に移す必要はありません。でもイマジネーションを広げて空想してみると、世界観は広がるし、想像するという点に限定するなら、ある意味必要なことと言えます。でも現実との区別をしっかり持っている必要があるので、年齢などによって範疇は変化します。例えば、音楽でも略奪愛とか、人をだましたり、戦争や、人を殺すことなどのシーン、テーマになっているものが沢山あるので、それがどんなものなのかイメージとしては持っておきたいところですね(その背景や歴史、経緯や動機、感情、関係性を学び、理解できるかどうか、自分だったらどうか考える力、という点が大切)。


■本当に無理なこと、自ら行う必要のないこと
・・・例えば自分を死に追いやる行為など。その先がどうなるか誰も知らないけれど、この現実世界から消えてしまう可能性があります。本末転倒ですね。しかしこれも、「可能だが、現実ではやってはいけないこと」に通じるところがあり、たとえば、自分が死んだらどうなるのか(自分自身が、周りの環境が)死後の世界はどうなっているのか、真相はわからないけれど妄想を広げてみることは悪くないと思います。


さて、こう書いてみると無理なことってかなり限定されるな、と思いませんか?結局は自分の意欲や意思で解決できることがほとんどですし、世の中や生活が便利になってきたので、無理なことなんて本当に少ないんです。ですから、困難な場面に直面しても、それが難しいと思っても、無理と思わずに挑戦して欲しいです。万が一挑戦した結果、本当に無理だったとしても、その結論を得られたことや、経験は行動を起こさなければ得られなかったことです。無駄になんてなっていません。

僕も無意識に逃げてしまっていること、多いので、今回の記事は自分自身にも言い聞かせるために書いてみました。

それでは、また来週!
来週から課題曲解説です。


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at 06:45, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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天才は、いるのか。








みなさんこんにちは!

さて今日の記事は、かなり異論反論がある内容になってしまう恐れがありますが、僕のひとりごとだと思って読んで頂けたらと思います。


《天才》
よく、苦労しないで何かの行為をヒョイヒョイできてしまう人や、たいして教えてもいないのにできてしまう人に対して「あの人は○○の天才だ」と言うことがあります。音楽や美術などの芸能、スポーツなどでは特にそう呼ばれる人が多いですね。

天才だ!と言ってしまえばそれまでですが、果たして本当に天才っているのでしょうか。

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《無意識にできてしまうこと》
みなさんも、朝起きて、ごはんを食べたり着替えたり、顔を洗ったり、時間通りに出かけたり、そういった毎日を過ごしているかと思います。ごはんを食べる時には、基本的にお箸を使い、パスタではフォークを、スープにはスプーンを使いわけ、巧みに口へと食べ物を運んでいますよね。

何を言ってるんだ、と思わないで下さい。バカにしているわけでもありません。

今でこそ、欧米でもお箸を使う文化が少しずつ浸透し、上手にお箸でごはんを食べられる人が欧米の人の中にも増えてきたように思えますが、やはりお箸でごはんを食べるのは少々難しいようですね。
そう思うかどうかわかりませんが、中にはこんなこと言う人がいるかもしれません。

「日本人はお箸でご飯を上手に食べられる。天才だ!(我々にはできない!)」

もしも、外国の人に(おせじとかではなく本気で)こう言われたら、きっと

「いや、昔から使ってるから、ってだけだし。」

と思うことでしょう。

そうなんです。今無意識にやっていることの多くは、以前に教わったり経験したことが身に付いているだけなのです。
逆に、我々ができなくて、外国の人があたりまえにやっていることに関心したことも沢山ありますよね。

無意識にできてしまっていることが、他の人から見ればびっくりしたり、尊敬したり、自分にはできない!と思われることだったりする可能性って沢山あるということです。


《音楽の天才は、いるのか》
では、音楽の話。
音楽でも自分にできないことをスラスラ演奏してしまう人を「天才」と呼ぶことは非常に多いですね。マスコミ、出版関係がそう煽ることがきっかけなのだろうとは思うのですが。

トランペットでやたらハイノートが出る人とか、すごい難しいパッセージを吹いてしまったり、そういったテクニックだけでなく、聞く人を魅了する歌を持っていたり、音色が良かったり。

他の人にくらべて抜きん出ている人を「天才だ」と呼び、それだけで終わらせてしまうのは、いかがなものかと思うのです。

例えば、僕の著書「まるごとトランペットの本」にも書いたのですが、以前とても幼い女の子がトランペット吹いてみたいというのでマウスピースを口元に持っていってあげたら、High Bbを出したんです。トランペットを構えることだって難しいくらい小さな子でしたから、それまでトランペットを吹いた経験などまずないはずなのに、ハイノートを結構軽々出していたんですね。

「この子、トランペットの才能があるのでは?」と思う方もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。
単なる偶然が重なった結果なのだと思っています。

とても小さい子なので、トランペットのマウスピースに口をつけると口角まですべて収まってしまいます(かわいい!)我々大人がチューバを吹いている感覚だと思います。ですから、口の周りを固定するような筋力は必要なく、単に息を吹き込めばマウスピースの抵抗感と本来もっている唇の柔らかさのバランスにより、とても良い反応(唇の振動)があったのでしょう。
他にも様々な要因が音を出すきっかけになっていたのでしょうが、これらは「偶然」であった、と言えると思っています。

まあ、その偶然を導きだせることができたそれを「天才」と呼んでしまうのならば今回の記事は意味がなくなってしまうのですが(笑)


吹奏楽部で新入生が入った時にパート決めをします。
部活によって様々な方法をとっていると思いますが、僕が聞いた中に、太鼓のスティックで初見でリズムを叩かせる、という方法がありました。何でも、リズム感の良い人を見つけて、打楽器に入れるのだそうですが、これこそ本当に意味のない選び方だと思ってしかたありません。

最初から音が出せてしまうとか、最初からリムズ感が良いと言っているその「最初」というのは、その時に一緒にいる他の人間から見て「最初」なだけです。それまで持っていた経験や引き出しの数が、偶然音楽というジャンル、特定の楽器を演奏するための技術を、応用として使うことができただけなのです。逆に、それらの経験や引き出しを楽器を始めてすぐの時に持っていなかったから、その人は才能がない、と決めつけることもできないのです。


《天才ではなく、経験値》
したがって、僕は天才はいない、と思っています。
天才なのではなく、生きてきた間に経験して、身につけたことの多さや、それらを応用する環境に自分がいるか、いないかだけなのだと思うのです。

例えば、幼い頃から家の中で様々なジャンルの音楽を流していた家庭と、テレビもなにもなく音楽などまったく流れたことのない環境で育ってきた子どもでは、持っている「音楽の」経験値が絶対的に違います。別にピアノのレッスンを受けたとかそんなことではなく、育ってきた環境の中に当たり前に「音楽」が存在しているかどうかだけで充分だと思うんです。
それはお箸を持って食事をしてきたかどうか、それだけであり、別にマナー教室に通ったからとか関係ないのと一緒です。


《トランペットはバランス》
トランペットに関して言えば、先程の女の子の例でもわかるように「バランス」が重要だと思っています。
トランペットから音を出す行為は唇の振動であり、その振動を発生させるためには息の流れが必要だということはご存知でしょう。
しかし、何か特定の音を出すためには、舌が口の中でどんな状態になっているか、その状態と息の圧力、息の流れるスピードが合っているのか、その息のスピードに反応できる口周辺の固定具合、マウスピースと唇のプレス具合、それらのバランスがすべて整った時、音が出るのです。

たいして教わってないのに最初から良い音が出せた人は、そのバランスが(偶然)良かったのです。天才ではありません。そして音が出せなかった人はそのバランスが(偶然)悪かっただけなのです。だから、音が出せなかった人が少しバランスを直したら、最初から吹けた人とまったく同じように出せる可能性は充分すぎるほどある、ということです。

ちなみに、最初から音が出せない人の多くは、とても強い力を全身に込めて音を出そうとしている場合がほとんどで、その結果バランスを崩して音が出せません。音が出ないのは力が足りないから、と勘違いして、もっと力を込めて音を出そうとするので結局音が出ず、「トランペットは難しい」「大変だ」「とても肺活量がいる」「鍛えなきゃ」などと、おかしな方向へ話が進んでいってしまうのです。


ですからそれまでの経験の多さや偶然性によって、特定のジャンルで最初からいきなり良い結果をだせた人なだけであって、天才などいないと思います。逆に、誰でも(多くの人やメディアに)天才と呼ばれる人間になれる可能性もある、ということです。

ですから、それが何の役にたつのかわからないことや、一見マイナスになりそうなこと、直接的に影響を与えることでなくても、子どもの頃には山ほど沢山の経験をさせてあげることが大切だと思うのです。
「怪我したら危ない」だから「外では遊ばせない」そんな考えはまったくもっておかしい、ということ。死んでしまったり、これから生きていく上で重大な怪我をしてしまう以外は、少しくらい痛い思いをしたほうが良いんです。痛みを経験することはとても大切なことです。「じゃあ責任取れるの!?」なんて怒る親もいますが、責任をとるのは親であって他人ではありません。そういった経験をさせてこなかっただけで、経験値があれば回避能力や判断力だってつくわけで、子どもだって自分の命を守ろうとする本能は絶対持っているはず。だから、それを幼い時から教えてあげたという自身が親にあれば、もっと寛容に子どもの成長を見守ることができるはずなのです。


話がそれてしまいましたが、言いたいこと沢山書いたのでこれでよしとします。身勝手ですいません!

それでは、また次回!


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at 08:12, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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音を出していない時も音楽を。








みなさんこんにちは!

先日、僕の師匠である津堅直弘先生のお弟子さんの発表会で審査員をさせて頂きました。
発表会なのに審査員?と疑問に思うかもしれません。



この発表会には、東京音大、洗足学園、国立音大の学生が参加しています。音大はちょうど今の時期「卒業演奏」という、一般大学にあたる「卒論」のようなものがあります。音大は卒業できるかどうかが一発勝負のソロ演奏で決まります(演奏さえすれば卒業できますが)。また、1〜3年生は年度末になると「実技試験」があり、これもひとつの単位になるので、絶対に演奏しなければなりません。
結局、どの学年でもこの演奏で優秀な成績をおさめることができると(先生方に実力を示せる重要な機会なので)、その先にいろいろ良いことが待っているので気が抜けません。

そこで、このタイミングで発表会を開催するのですが、複数の審査員による採点で順位を決めるいわば「コンクール形式」なんです。

そして特徴的なのが打上げの時に1位から再下位まで口頭で発表されるという点です。音大生なのでそのくらいシビアであるほうが刺激的で良いとは思いますが、当の本人たちからすると気が気じゃないでしょうね。僕も学生の時は本当に緊張する時間でした。

まさか自分がこの発表会の審査員をさせて頂けるとは思っていませんでしたが、学生の演奏から得ることや受ける刺激がとても多く、僕自身が勉強になりました。
最近は東京音大のトランペット科や吹奏楽の授業のための編曲をさせて頂いているので学生さんたちとも関わる機会が何度かでてきましたが、ひとりひとりのソロをこんなにじっくり聴くことは今までありませんでした。

とにかく印象に残ったのは、全体のレベルの高さです。師匠のお弟子さんのレベルは全国的に見てもハイクラスだとは思いますが、それにしてもみんな上手。何より音をはずさない。僕が学生の頃にくらべると格段に難しい曲に挑戦している人が多いにも関わらず、しっかり吹けているのが関心します。

今回は60人超の演奏を聴かせて頂きましたが、その中で感じたことをひとつ、ここに記事にしてみたいと思います。


《音を出すことだけが演奏なのか》
音大生の演奏レベルが高いと書きましたが、本当に難しいパッセージも、素早いフィンガリングもしっかり演奏できているし、ハイノートもはずさないんです。
そういった点で言えば本当にレベルが高いと思ったのですが、多くの音大生に共通して、ちょっと残念だな、と感じた点がひとつあります。それは

「音を出していない時間」

について。

例えばピアノ伴奏だけになる時間(前奏や間奏、後奏的な部分)や、ミュートを付けはずししている時間など。

堂々と良い音でばっちり演奏していたのに、ピアノ伴奏だけになったとたん、落ち着きがなくなったり、姿勢が崩れてしまったり。
また、曲によってはミュートの付けはずしを素早くしなければならなくて、大急ぎでガチャガチャと慌ててセットをしている姿を見ると、聴いてる側は現実世界に戻されてしまい、テンションが落ちるんですね。

「人のふり見て我がふり直せ」とはよく言ったもので、実はこれ、今まで自分自身が奏者の立場になっている時に気にしたことがなかったので、これまでの演奏を振り返って「大丈夫だったのかな?」と不安になりました。


《存在そのものが舞台を構成するひとり》
演劇やドラマで、あるシーンではセリフがないからと言って素の自分に戻ってしまう人はいませんよね。セリフがなくても舞台にいる一人であることに変わりないからです。要するに、どんな立場であってもその中にいるのであれば存在そのものが舞台を構成するひとりであり、その物語の世界の一員なのです。

一方音楽は(単純に演奏するだけのステージでは)、演劇のように衣装も背景も小道具も普通ありませんが、奏者は演奏する作品の世界の一員であり、聴く人をその世界に誘うことが使命です。したがって、演奏をしていない時間であっても、曲が終わるまでの間は、その作品世界から離れてしまってはいけません。

ですから、ミュートの付けはずし指示があって、それがどんなに急いでいても素に戻って慌てている姿を見せない工夫をするべきです。ピアノ伴奏だけのところも姿勢や目線、表情といった点でもその音楽の世界にずっと存在しているべきなのです。管から水分を出す時も同様です。

これらはソロを演奏する時だけでなく、どんな編成であっても同じです。吹奏楽やオーケストラで出番がないからとふんぞり返って良いわけがありませんよね。
仮にステージが大きくて、とても大人数で演奏している時であっても、もっと沢山いるお客さんの中には今の瞬間自分を見ていたかもしれません。演奏している人だけに視線が集中しているわけではないのは、お客さんとしてコンサートを聴いたことがある人なら皆さんわかるはずです。


音楽はどうしても音を出していることに意識を集中しがちですが、音を出していない時どうあるべきか、ということも非常に重要ではないかと思います。

ぜひご自身や、所属している団体のそういった点を確認してみて下さい。

それではまた来週!

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at 07:10, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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