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楽器を構えるとベルが大きく下がってしまう








みなさんこんにちは!
さて、今回は頂いたご質問からひとつピックアップして、書いていきます。

今回はこちらのご質問です。
===================================================================
小学校6年でトランペットを吹いています。
3年生の時からやっているんですが、吹くときにベルが下がってしまいます。
ベルを上げようとすると、顔がすごく上をむいてしまって、顔の向きを戻そうとすると、音がきたなくなってしまいます。
唇の形などが合ってないのかなとか思うんですが、私はトランペットにむいていないんでしょうか?(抜粋)
===================================================================



ありがとうございました。
とりあえず最初にお伝えしておきます。「向いてなくないですから安心して下さい!」

お会いしたこともないのに、大丈夫と言い切るのは無責任で良くないのかもしれませんが、僕が言いたいのは「すぐに決めつけるのはやめましょう」ということです。もし向いていないのでは、という疑問を持つのでしたら、あと10年は吹き続けてからにしましょう。大丈夫です。
では、楽器を吹く上で、悩みよりも楽しみが増えるように、いくつかの考え方や対策を書いていきます。


《トランペットはもともとバランスが悪い》
この質問を書いて頂いた方だけでなく、自覚があるかないかは別として、吹く時にベルが必要以上に下がってしまう方、結構多いです。特に小中学生に多く見られるのですが、その理由のひとつに「楽器が重い」ことが挙げられます。更に、トランペットは横長な形状をしている割に、持つべき場所が若干手前にあるので、どうしても構えるとベルが重く感じるバランスになってしまうんですね。
結果、筋力(腕や握力)の弱いお子さんが持つと、ことさらベルが下がってきてしまう、ということです。

ある意味これはしかたのないことかもしれません。ベルが下がらないようにするには筋力をアップするか、下がってきてしまう前に一旦構えをリセットさせるなど、自覚するしかないからです。

ただ、解決まではいかないかもしれませんが、対策はあります。それは「持ち方」を研究する、ということです。

先程も述べたようにトランペットはバランスの悪い楽器です。それならば、持ち方を工夫して、バランスの良い状態に近づけていければ良いのでは、と思うのです。

トランペットの構え方については過去に記事を書いてあります。ぜひそちらを参考に、自身に合った持ち方を研究してみて下さい。


トランペットの構え方


《ベルが下がってしまう他の理由》
ベルが下がってしまう理由が、筋力ではない場合に考えられることは「支点が下唇にある」ということです。
いかがでしょうか、吹いている時の状態を観察してみて下さい。

トランペットを吹く時、マウスピースをまず上唇の中央に軽く触れて(置いて)あげて下さい。それが「支点」です。上唇はこの場所をキープしてあげるだけで充分です。では下唇は何をしているかと言うと、この部分は顎(あご)という土台にある下唇や舌、顎そのものの動きなどによって音色や音の高さなど様々な要素をコントロールする部分なのです。
マウスピースを当てると単純に考えてしまうと「口の周り」というあまりにもざっくりしたイメージだけでトランペットから音を出そうとしてしまいますが、それぞれの役割はだいぶ違う、ということを覚えておいて下さい。

詳しくは過去の記事「アンブシュア 3」を読んでみて下さい。

さて、マウスピースの支点が下唇にあるということは、下唇を押さえつけていることにつながります。本来ならば「音楽的なコントロール」をする大切な場所を「支える(支点)」という仕事を下唇に任せてしまうと、それだけでもう顎全体はいっぱいいっぱいになってしまうのです。その状態で演奏をしようとするならば、無理矢理に力を込めて顎をガチガチにしてしまったり、使っていなかった上唇(鼻の下)で様々なコントロールをしようとする上下逆の状態になってしまう恐れがあります。しかし、鼻の下周辺の筋力というのは顎や下唇周辺に比べると弱いので、どうしてもすぐバテてしまいますし、そもそもコントロールが上手くいきません(顎のように鼻の下を大きく自由に変形させたり開けたりできますか?)。

ということで、支点は上になる、ということです。

この話題を出したのは、質問の中に「ベルを上げようとすると、顔がすごく上をむいてしまって」というくだりがあったからです。
もちろん、誰でも吹いている時にベルアップをしようとすれば頭が後ろに行くので、楽な姿勢ではありませんが、きっとこの方は「ベルをまっすぐ向けようとしても顔がすごく上を向く吹き方をしている」と予想できます。したがって、マウスピースの支点が下唇になっているのではないか、と思いました。

「顔の向きを戻そうとすると、音がきたなくなる」というのが、いまいちイメージできないのですが、きっとこれも支点がずれてしまったか、一時的に上唇に支点が戻ったことが原因ではないかと考えられます。(吹いていて突然)大きなノイズが出てしまったり、ドッペル音(2つの高さの異なる音が同時に出てしまう)、音域変化(インターバルや音域の広い音階など)で音色が大きく変わってしまう(高音域がくぐもったような細い音など)などの「大きな変化」に関しては、唇とその周辺の変化、特に意図的に変化させてしまった時に起こる現象と思って良いでしょう。

そして、質問を頂いた方がなぜこのような吹き方になってしまったのか、という点については、実際に吹いているところを見ない限りわかりません。もしかすると歯並びの問題があるのかもしれませんし、先程書いた筋力の問題かもしれません、姿勢かもしれませんし、単なる長年(この時点ですでに楽器歴3年)のクセかもしれません(高音域を無理に吹かされすぎてしまった等)。


《支点を戻す》
支点を変える(戻す)というのは、ある意味アンブシュアを強制的に直すことにもつながってしまいますから、いきなり「今日から支点変えます!」は危険です。コントロールができなくなり、一時的に「潰れ」の状態になってしまいます。
ですから、あまり深く考えずに、まずは楽器を構える時に「上唇にマウスピースを最初に触れる」ということだけ常にイメージしてみて下さい。
あとは、顎や舌を大活躍させて演奏することをウォームアップなどの時間で覚え、感覚的に使えるようになっていくことを意識していれば、少しずつですがきっと、本来の良い吹き方(ここでは上記のような体の部分それぞれが一番活躍できる働きを見せる吹き方)になっていくと思います。気長にいきましょう。


ということで、今回は「楽器の構え方」と「マウスピースの支点」について書きました。少し前に似たような記事を書いていますので、今回の記事が気になるという方はぜひこちらもお読み下さい。

参考記事「楽器を構えると疲れてしまう

それでは、また来週!



当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 09:15, 荻原明(おぎわらあきら), 構え方・操作

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メロディを演奏する、ということ。2








みなさんこんにちは!
前回から「メロディを演奏する、ということ」について書いています(前回の記事はこちら)。



もし情報の少ない単旋律の楽譜を手にした時、ただ左から右へと機械的に読み、音を並べるのではなく、自由な発想でイメージを膨らませ、生き生きと演奏しましょう、という内容を、譜例と音源を使って解説しました。
いつも文字ばっかりのこのブログにあれだけ豪華に楽譜や音源を作って掲載するなんてめったにないので(大変だから)ぜひ読んで下さいね。
それにしても「しょうもないメロディでも発想を膨らませれば演奏が楽しくなる」というテーマだったので、あんな稚拙なメロディがちょうど良かったのかもしれませんが、作曲なんてしたことないのであれが精一杯だったりします(笑)
ということで、続きです。


《お肉に例えると》
いきなりお肉ですいません。
最初に前回のお話を例えるなら、楽譜に書かれている音符の羅列=旋律というのは、「お肉」です。牛でも豚でも鶏でも構いませんが、お肉を美味しくいただくためには、塩やコショウ、タレなどの調味料や、生姜焼きにするとかの調理そのものが必要です。調理をするためにはフライパンや火そのものが必要ですし。そう考えると肉だけ単体だけでは、美味しく食べることは普通、できませんよね(高級な肉は知らないので何とも言えませんが)。
生で単体で食べても(何も調理をせずとも)美味しい肉があるかもしれませんが、それ相当の旋律だけで充分美しいというのは本当に限られていると思います(J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲とかは別格なのでしょうねやはり)。ですから、調味料や調理器具=テンポやアーティキュレーション、フレーズ感など、様々な角度から旋律を音楽的に捉え、完成形をイメージし、演奏することが必要になってくるのです。


《既成曲を演奏する時》
ただ、こういった「旋律以外の情報が少ない楽譜」というのは、教則本とか、小さな曲集とか、かなり限定的ではないかと思います。ほとんどの場合は既成曲(しっかり完成されている出版譜)を演奏していますよね。ですから、最初からテンポも、フレージングも沢山情報が書かれています。だからと言って何も考えないずに単に楽譜を見て演奏すればいいだろう、と思ってしまうのはダメなんですね。

例えばテンポに関しても「Allegro」とか「Moderato」「Andante」とだけ書かれていた場合、演奏する人によってイメージするテンポが若干異なります(若干ではない場合もあります)。メトロノームを見ても、Moderatoは四分音符=◯◯〜◯◯とおおよその範囲しか書かれていません(しかもそれが絶対ではありません)。じゃあ、指揮者がどのテンポでやるか見てからそれに合わせればいいか、と曖昧なテンポ感で合奏までの個人練習を行ってしまうというのは良くありません。
指揮者や他の演奏者がどのようなテンポで演奏するのかがわからなくても「自分のイメージではこのテンポなんだ」と、しっかり意思を持っていることがとても大切です。
そしてテンポに限らず、フレーズ感やダイナミクス(強弱)、アーティキュレーション(スタッカートやアクセント、テヌートなど)の表現すべてに関しても同様です。

要するに「既成曲は、個人練習の段階で自分の中のイメージを演奏に反映できるところまでもっていく」作業を完了させておくことを目標にできることが理想です。


そして、既成曲には基本的に「ベースライン」「ハーモニー」「リズム」という大切な要素があります。前回の記事の譜例のように、メロディからそれらの要素を作り出す作業などしなくても、そもそも作品ごとにすべてが完成されているわけですから、その存在を無視して美しい旋律を演奏することはできません。
特に吹奏楽のトランペットは旋律を担当することが非常に多いので、どうしてもそのことばかりが頭の中いっぱいになりがちです。しかし、そのメロディを活かしてくれているのは他の楽器が担当しているベース、ハーモニー、リズムなんです。ですから、まず作品ごと、場面ごとに旋律以外がどんなことをしているのかきちんと知ること、そして合奏中にはそれらのパートに耳をかたむけつつ、自分の与えられた楽譜を演奏する姿勢でなければ良い演奏、一体感のある演奏はできません。
そしてその作品にあるすべての要素は個人練習をしている時にも同様にイメージできていなければなりません。
個人練習でどこかの部分を演奏するのならば、その時の他のパートがどんなことをしているのかをイメージしつつ、そこに自分の演奏を参加させるように吹く、ということです。


《合奏は「寄り添う」時間》
そうして個々でイメージをしっかり持ち、演奏に反映させられる状態になった複数の奏者が合奏をした時、それぞれのイメージが異なっているわけですから、一番最初は多少なりとも「ぐちゃ」っとしてしまうかもしれません。しかし、それで良いのです。大切なのは、その「ぐちゃ」となった部分を奏者全員が自覚したかどうか、そして指揮者や多くの奏者がどのように演奏しようとしたかったのかを、さらにここで全員がイメージを再構築することが大切です。

例えば、楽譜の途中に「rit.」と書いてあったので、自分の中ではかなり大げさにテンポを落として演奏すると決めて練習をしていたけれど、指揮者のアクションがそれほど大きくなかった。では、自分の持っていたイメージよりも軽い「rit.」で良いのか、と理解するかどうか、具体的に指揮者はどのような「rit.」を求めていたのかをイメージし直す。こんな作業をするのが初回の合奏であると非常に良い傾向にあると思います。

ですから、言い換えれば全員がそれぞれ思うその楽曲のイメージを強く持って演奏しなければ、いつまでたっても曖昧な譲り合い、様子見ばかりの合奏になってしまい、完成しないのです。主張することは大切なことです。ただし、相手の演奏に耳を傾けていることが条件です。
会議と一緒ですよね。人任せで発言をまったくしない人だけでは何も進展しませんからね。


《まとめ》
ということで、2回に渡って書いてきました「メロディを演奏する、ということ。」。まとめると、

「演奏をする時は『楽譜の再現』に一生懸命になるのではなく、『楽譜から感じられる独自のイメージを表現する』ことを楽しんで下さい」

ということでした。

コンクールがまだまだ続いている方もいるかと思いますが、多くの方が文化祭や定期演奏会などのコンサート、アンコンなど、新たなステージでの練習が始まるのではないでしょうか。ぜひこれから受け取る楽譜を練習する際、単なる音の羅列を完成させるのではなく、そこからイメージできるどんなことでも、演奏に出せるように練習をしてみて欲しいと思います。

では、また来週!

当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 06:49, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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メロディを演奏する、ということ。1








みなさんこんにちは!
今回はトランペットに限らず、音楽を演奏をする方皆さんに当てはまることと思いますので、ぜひ多くの方に読んでいただければと思います。



《レッスンでのこと》
レッスンで初心者の生徒さんに使っているひとつの教本には、それぞれの練習項目に合わせたとても短く、シンプルなメロディがいくつも書かれています。しかし、それらの曲にはテンポに関する情報がないことも多々あり、レッスンでそういった曲にたどり着くと大概、

「どのくらいのテンポで演奏すればいいですか?」

という質問を吹く前にされます。
事前に練習してきてないのかな?という思いは、今回は話題がそれるので置いておくとして(笑)、確かに生徒さんがそう言うのも無理はありません。

楽譜に情報がないということは、その点については自分で決めたり、調べる必要があるからです。
皆さんにも経験がありませんか?例えば、受け取った(手に入れた)楽譜を見たら「Moderato」と書かれていたけれど意味がわからないから楽語辞典で調べると「中くらいの速度で」と書いてあり、「中くらいって何だよそれ」って思ったり、「Allegro」と書いてあって、おおよそこれくらいだろうなと思い、テンポを決めて練習し、いざ合奏になったら想像とまったく違う速さだったり。

テンポだけとっても、今書いたようなことが頻発します。
これを「やっかいだ」と捉えるか「面白い」と捉えるかで、この先が随分変わってくると思うのです。

レッスンで先程のような質問をされた時、僕は決まって「どのくらいのテンポで演奏したら、しっくりくると感じますか?まずは自分の思うテンポで演奏してみましょう」としか言いません。


《自由に演奏するにはイメージが必要》
楽譜に何も指示がないということは、言い換えれば「自分で決めて下さい」「自由にどうぞ」という意味になります。先程の場合は教本でしたらから、きっと「自分ができるテンポでやってね」という意味合いが強いと思うのですが、それも含めての自由なテンポで演奏して、ということでしょう。

しかし、良く耳にする言葉ですが「自由は同時に責任も伴う」のです。

責任。こう言うとなんだか重々しくなってしまいますが、ここでは「自分で決める必要がある」ということが責任です。

じゃあ、メトロノームを取り出して、適当なテンポをカチカチ鳴らして、それに合わせて演奏すればいいや、となりがちなのですが、これでは人まかせ(メトロノームまかせ)になってしまい、自分のイメージを注いでいるとは言えません。自分の意思がないものは、聴く人の心にも届きにくく(説得力がなく)、それを「音楽」と呼んで良いとは僕は思いません。

ですから、テンポひとつ決めるとなっても、何かしらのイメージがないとできません。

と言われても、わかんないよ…。と思う方もいらっしゃるでしょうから、ここではイメージを膨らませやすいひとつの方法を提案してみます。


《単純なメロディに命を吹き込む》
それではまず、次のメロディを演奏して下さい。




メロディそのものは単純ですから、書いてある音符を並べるだけの演奏は簡単でしょう。しかし、テンポ記号も含め、演奏に関する情報が音符以外書いてありません。どうしましょう。

このような場合、何かひとつジャンルを思い浮かべてみましょう。例えば「マーチ(行進曲)」。この楽譜は行進曲なんだ、というイメージをして下さい。

マーチと言えば歩くための曲ですから、おおよそ四分音符=120前後です。ゆったりたっぷりのんびりではないですよね、勇ましさ、力強さ、そんなイメージを持つことができます。

メロディだけでは、マーチらしさが表現しにくいと思いますので、まずマーチに欠かせない「打楽器」を加えてみましょうか。どんな打楽器を入れますか?僕だったら定番の「スネアドラム(小太鼓)」「シンバル」「バスドラム(大太鼓)」の3つは真っ先に入れると思います。
音楽はマーチに限らず、ベースラインやハーモニーがあったほうが安定します。では、マーチらしく吹奏楽で使われる楽器、中でもトランペットと同じ金管楽器の力を借りることにします。ベースラインをテューバに、ハーモニーはホルンにそれぞれ演奏してもらうことにしましょう。

すると、例えばこのようなスコアになると思います。



※Tempo di marcia(テンポ ディ マルチア)=マーチのテンポで

ここまでやれば、もう誰もが認めるマーチになりますよね(課題曲風)。
では、もう一度この楽譜を見てみましょう。




相変わらず何も書いてありませんが、最初見た時とは受ける印象、イメージが違いませんか?
きっと、マーチのイメージが頭の中にインプットされたばかりなので、何も演奏指示が書いていないのに、力強く、元気にマーチを演奏しよう(演奏したい)と感じませんか?


ではもうひとつ。今度はイメージをがらりと変えて、優しく暖かい音楽をイメージしてみましょう。
先程は「マーチ」というお題があったので非常にわかりやすかったと思いますが、今度はどうしましょうか。テンポはゆったりしたいですね。そして、どんな楽器があると、それらしく聴こえるでしょうか。

ここでは「ハープ」に伴奏をお願いしてみましょう。そして、せっかくなのでフルートにオブリガード(副旋律)で加わってもらいましょうか。

こんなふうになりました。


※Andante(アンダンテ)=上品に歩く速さ

いかがでしょう。同じ旋律なのにテンポを落として楽器や伴奏形を変えると、先程のマーチとまったく雰囲気が変わりました。
では、これも一旦戻します。こちらを見て下さい。



どんな楽譜に見えますか?ゆったりと上品に歌い上げたくなりましたか?それともマーチの印象が強く残っているから、速いテンポで演奏したいですか?
どちらが良いとか悪いとかではありません。そのようにイメージができるようになっていることが、とても良い傾向なんです。

もしかすると、最初は無機質でイメージなんて到底できないと思っていた方もいたかもしれません。でもこのように演奏ジャンル(スタイル)などを元にして自分なりのイメージを楽譜に注ぎ込むと、生きた音楽に生まれ変わることができるんです。

それは何も、今回のように編曲しなさい、ということではありません。あくまでもあなたの頭の中にあるイメージを膨らませるだけですから、難しい知識は必要ありません。ただ、具体的なイメージをしやすくするには、できるだけ沢山の音楽ジャンル(スタイル)や、そのジャンルによく使われる楽器の音や演奏の仕方などを知っておく必要があります。ですから、可能な限り、好き嫌いなく沢山の音楽に毎日触れていくことが大切です。

では、教本でも、知らない楽譜でも何でもいいので、あなたの手元にある旋律を、自由に、思うように、命を吹き込んでみて下さい。
想像したものを具体的に演奏するということは、音楽をより楽しくさせてくれるはずです♪

それでは、次回もこのテーマに沿って書いていきます。引き続きおつきあい下さい。
また来週!

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at 06:21, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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アンブシュアを直すべきか 4(まとめ)








みなさんこんにちは!

現在、「ラッパの吹き方」では「アンブシュアは直すべきか」というテーマで記事を書いています。今回はまとめ。
頂いた質問はこちらでした。


========================================
アンブシュアをなおしたいと考えているのですが、アンブシュアを変えてきちんと吹けない期間が出来てしまうのが怖いです。そこで質問なのですが、アンブシュアを変えた場合どのくらいの期間で新しいアンブシュアに慣れることが出来るでしょうか。
========================================



《見た目にこだわってしまう》
トランペットを吹いていて、いつでも絶好調なわけではありませんよね。やはり調子の悪い時は必ずあるわけで、そんな時、真っ先にアンブシュアが悪いのでは?と疑ってしまうこともよくあります。何がどう悪いのか、それをどうすれば解決して、調子の良かった時に戻れるのかなんて根拠は何もなく、ただアンブシュアに対して「おまえが悪いんだろう」と疑念を抱いてしまいます。
ただ、そう思ってしまうのもある意味しかたがないもので、実際に、調子が悪い時というのは、マウスピースを口に当てた時、もしくはその前後あたりで、何だかバランスや感触が違うな、と感覚的に捉えてしまうところから始まることが多く、アンブシュアが崩れているように感じるんですね。唇という非常に繊細な部分しか、実際に演奏するために触れている部分がないのですから、アンブシュアや唇がいつもと違うのであろうと思ってしまうのも無理はありません。
僕自身もマウスピースを唇に当てた時、何やら違和感があると思い、一応音が出せても、まるで自分の口ではないような、そんな気分になって、今どんな崩れ方しているんだろうと鏡で見てみたんです。そうしたら、いつもと何が違っているのか、見た目にはさっぱりわからないんですよね。そんなものです、アンブシュアなんて。自分の中で感じているほど見た目は崩れないんです。

そもそもアンブシュアというのはどこを指しているのでしょうか。それすらもかなり曖昧な状態でお話していますし、仮にアンケートを取っても、明確に「ここからここまでの範囲です」と共通した回答が来ることは望めません。しかも今話している内容は「表面」のことだけです。鏡を見てわかるのも、表面の状態だけです。
しかし、トランペットを吹いている時のその表面を作り出しているのは、鏡では見ることのできない筋肉の働きや、顎関節の動き、舌の状態、歯並びなど、内部の状態が作り出した結果である、ということを決して忘れてはいけません。それなのに、鏡を見て、どこか、何かを変えようとしても、思うような結果が表れないのは、当然のことと言えます。

アンブシュアには奥行きがある、ということを忘れてはいけません。


《意識するポイントを分散しよう》
では、アンブシュアに違和感を覚えた時、もしくはアンブシュアに問題があるのでは、と感じた時にどうしたら良いか、ということですが、

「アンブシュア以外に意識を分散」してみましょう。

前回書いたように、アンブシュアは製造工場で言うところの、製品の「出荷口」です。この場所を息が通っている時には、すでに製品は完成しているのです。「アンブシュアに違和感」というのは、結局のところ「(いつもより)思うように吹けない、コントロールが上手くいかない」ということですから、その原因は他のいくつもの場所にあるのだ、と思うことが大切です。



□ これから演奏するために必要なガソリン(=吸気)は、ふさわしい量が入っていますか?
□ これから演奏するために必要な息の流れを生み出す姿勢、腹筋(みぞおち等)のバランスはいかがですか?
□ それによって流れている呼気は、まとまりのある密度の濃い、圧力を持っていますか?
□ リラックスと支えは区別できていますか?
□ これからどのような音、どのような演奏をするか、理想の完成図が頭の中にありますか?
□ 目的と意味を持ったウォームアップを充分に行いましたか?
□ 自分自身が、ではなく、聴いてくれる方が「楽に音を出しているな」と感じてもらえるサウンドですか?(奏法ではなく)



まだまだ沢山あると思いますが、このように意識を分散させてあげることで、アンブシュアにこだわっているヒマもなくなります。そしてこの分散させたどこかに問題があると気付くかもしれませんし、意識を分散させてことで、しらないうちにアンブシュアが安定している(ように感じる気持ちが復活した)かもしれません。


《まとめ》
何らかの理由で「自分の性格を直そう」と思って、スイッチを切り替えるかのように直せるなんてことは不可能ですね。「こんな人になりたい」「自分はこういう人間でありたい」「周りにこんな人だと思われたい(うわべではなく、実際にそうでありたいという考えの下)」、そんなふうに思ったこと、多くの方があると思います。
「優しい人間になりたい」と思っても、先程書いたように明日から急に優しくなれるか、と言えば、それなりの努力で継続することは可能でも、それが本当に自分のものになった上での「優しさ」ではないことは自分自身が充分に感じることでしょう。なぜなら、生まれてきてから今までの生活環境、接してきた家族、親戚、友人、読んできた本、見てきたテレビや映画、遊んできたおもちゃ、場所、好んでいたもの、嫌いなもの、食べたもの、その自分に関わるすべての人、もの、空間すべてが今ある自分の性格につながっていきます。それを一日そこらで変えようなんてことは到底不可能なのはわかりますよね。というか、そういったこれまでの人生を全部(一部だとしても)否定してしまうのは、どんなことだったとしても、良いことだとは思いません(強制させなければならない性格が、とかそういうでっかい話はここでする気はありません)。それが個性であり魅力であり、成長のきっかけであったことは明確だからです。
しかし、悪いことは良いものに変えたいのがあたりまえですから、「もっと優しい人間になりたいんだ」と思うのであれば、「優しさ」とはいったい何なのかを知ること、考えること、触れること、学ぶこと(「優しさ」の方向へ導いてくれる人が欲しいですね)、経験することが必須です。そうやって方向性や結果を模索していくうちに、少しずつ、ほんの少しずつかもしれませんが、優しい人に一歩一歩近づいていくのではないでしょうか。その過程では、やはり変わる前の自分が、しょっちゅう見え隠れしてしまうことでしょう。そうすることでまた反省し、でもなかなか直らなくて悔しんだりの繰り返し。性格を直すってのは生半可な気持ちでは無理です。ホントに大変ですよね。(半ば自分自身に言ってます。すいません)

本題からはずれましたが、アンブシュアも結局同じです。直そうと思って一日で直るわけもなく、体や頭(理想の完成イメージ)など様々なところを良いものにし、良い演奏、良い音楽をしたいと強く思うことによって得られる貴重なご褒美だと考えて、焦らずに音楽をトランペットを楽しんで下さい。

そして一番覚えておいて欲しいことがあります。過去のブログでも書きましたが、アンブシュアというのは、

「良い音、良い演奏ができている時、それが自分にとっても正しいアンブシュアである」

ということです。これを決して忘れないようにして下さい。


それでは、4回に渡って書きました「アンブシュアを直すべきか」」は今回で完了です。
お読み頂き、ありがとうございました。


アンブシュアについての記事はカテゴリー分けされています。ぜひこちらからまとめて読んでみて下さい。


次回からは新しい内容になります。引き続き「ラッパの吹き方」をよろしくお願いします!
それではまた来週!



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at 06:17, 荻原明(おぎわらあきら), アンブシュア

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