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吹奏楽コンクール課題曲2014トランペット解説【4.コンサートマーチ「青葉の街で」/ 小林武夫】その1








吹奏楽コンクール課題曲2014


みなさんこんにちは!
さて、今回から解説する曲は、課題曲4「コンサートマーチ『青葉の街で』」です。
この作品を書かれた方は、プロの作曲家ではないのですね。すごい。


《ザ・課題曲?》
だいぶ昔から、「課題曲というのはこういうものだ!」といった感じのマーチの作風ってありますよね。それらはスーザのマーチのようなものとも違うし、スパークのような作風とも違う。独特な「課題曲マーチ」の空気感と言いますか、なんだか必要以上に爽やかで、想像通りの裏切らない展開。決して嫌いじゃないです。僕は課題曲をコンクールのステージで演奏したことがなかったので(少人数の部活でしか活動したことがなかったから自由曲のみだったんです)、これらのやたら爽やかな「ザ・課題曲コンサートマーチ」に対しては、一種の憧れのような気持ちを持っています。

これらの作品には毒や刺や闇のようなアンダーグラウンド的要素が感じられないので、第一印象がとても良いんですよね(だからこそどれも似たような作品になり、結果的に年度が変わるとすぐ忘れられてしまう傾向にありますが)。「お、いいじゃんこの曲」、こんな印象を持って、その年の課題曲の中から選ぶ人...その多くが学校の先生ではないかと、勝手に想像してみたり。もっと言えば、中学校で音楽の先生がそのまま吹奏楽部の顧問をやっていて(でも管楽器経験はほとんどないピアノや歌出身)、吹奏楽にあまり詳しくないにも関わらず全体の指導も指揮も受け持っているような部活動では、特に率先して選ばれるような気がします(完全に憶測)。いや、決して悪いことだと思いませんし、悪く言うつもりもありませんよ。先生も大変です。

話がそれますが、僕が中学生1年の時、まさしくこの状況で部活をやっていてですね、その先生、ピアノ科出身だったんですけど、ジャズやポップスのジャンルが完全に無知で、ジャズの曲をやっていても、ミュートという存在を知らなかったり、Swingという言葉が何を意味しているのかわからない、という始末で、僕は音源まる暗記でラッパを吹いていたものですから、CDと実際の演奏がまったく違う(Swingしていないタイトな八分の連続)ことに違和感を覚えて先生に言ってみても「私の言う通りにしなさい」と言われて不服。あ、先生って専門分野でも知らないことも沢山あるんだな、と子供心に悟った瞬間でしたが(笑)

まあ、それはどうでも良いのですが、とにかく、アングラな要素って、教育の中に入り込みにくいので(入れたがらない先生が多い)、こういう正統派が好かれる、ということです(憶測)。

曲の決め方に口を挟むつもりはありませんよ。どれを選ぼうが自由。僕もこの曲好きだし。

ただ、アングラ要素がない曲というのは、例えるなら「光が当たらない場所を見せない」ので、非常に視界が狭いんですよね。本来ならば光があるなら影もあるということを知るべきで、そちらにも目を向けるべきなのですが、「太陽ってあったかいよね」「明るさって素敵!」そんなことを連呼し続けているだけって、感情の半分しか出せていない。でもそういう曲だからしかたない。要するに、完成してくるうちにだんだんと見えてくる「世界の狭さ」に行き詰まってしまいがちなんです。
また話がそれますが、子どもの教育に悪いとか言ってテレビやらマンガやらを過剰に見せなかったり規制されたり、そういうのって本当の意味での教育ではないと思うんですよね。正しいものしか見せないというのは、なぜそれが正しいのかを知ることにつながらない=根拠や理屈を教えずに正しさを押し売りしている状態に感じて、それでは意味がないと思うんです。ここで言うことでもないけれど。


《落とし穴》
この作品のように「課題曲コンサートマーチ」が、取り組みやすそう、ウチのバンドでも演奏できそう、などと思っている方(特に選曲を最終決定できる先生など)は、いくつかの注意点(こういった好印象の作品の落とし穴)を知っておいてもらいたいです。


 多くの奏者が自分のパート譜をきちんと吹けるようになった
  ↓
 合奏でテンポを統一して演奏できるようになった
  ↓
 ちょっとメロディのフレージングをつけてみた
  ↓
 バンドのバランスを調整してみた
  ↓
 形になってきた
  ↓
 で、次どうする?
  ↓
 どうしよう...


この過程は音楽を完成させるために通過しなければならない、いわば「当たり前の練習内容」ですし、どんな作品でもこういった展開になる可能性があります。これによってできたことは、「楽譜に書いてあるリズムや音を再現するための過程」でしかなく、いわば枠組みのようなものです(プロの世界では、ここまでは最初の通しで出来ています)。ですから、この先どう作っていくのかが「音楽作り」です。しかし、この手の作品には、自由に作ることのできる要素が少ないので、他の演奏団体と差別化するのが難しいんですよね。しかも、マーチという音楽スタイルのせいで(=マーチの常識的なテンポが自由度を制約させている)、あまり独特なアゴーギグ(音楽表現)を付けることもできず、単調になりがちです。


《音楽のベクトル》
マーチという作品は、そもそもが歩くための音楽であることは周知の事実ではありますが、それが何を示しているのか、というところに着目してみましょう。
歩くための音楽は、「その音楽に合わせて歩く」のではなく「その音楽が人を歩かせる力を持っている」べきだと考えます。歩かずにいられない、という力。それはどういったことかと言えば、このブログでよく出てくる「ベクトル」だと考えます。

ベクトルというのは物理や数学などで出てくる、物が動く力とその方向といったものです。僕はその分野が非常に苦手なのでよくわかっていませんが、僕が音楽で使っているベクトルという言葉は、「前へ進む力」がどのくらいの力を持っているか、という意味なんです。

楽譜をまだ読みきれていない人(楽譜通り演奏できない人)や、目立ちたがらない方、音符をひとつずつ丁寧に演奏しすぎている人、そういった方々は、音楽のベクトルが非常に弱いです。僕はそういった演奏を例えて、「昔の田植えみたい」と言います。昔は苗をひとつずつ田んぼに植えていたんですよね。あの動きにとても似た演奏をしているように聴こえるんです。
田植えでも楽譜は一拍ずつ着実に進むかもしれませんが、音楽的には進んでいることにはなりませんし、実際そんな演奏を聴かされてみれば誰もがフラストレーションを持つはずです。

そうならないよう、マーチは特に、歩かせてしまうほど「前へ進もう」という力を強く意識し、表現しなければいけません。

四分音符ひとつひとつ、八分音符ひとつひとつひとつが「前に行くのだ!」という強い意思を持っていて、その意思を持った音符たちがザザーっと並び、集合体(フレーズ)になった時、非常に強い「前へ進もう」という意思を持った音たちになります。
音楽は、どんな時にも前へしか進みませんから、仮にrit.(リタルダンド)やフェルマータなどの演奏指示が書いてあったとしても、それは後退しているわけでも時間が止まっているわけでもありません。やはり前へ進む力があるんです。

これら「ベクトル」という表現は、「テンポ」とはまったく別物です。ベクトルが弱い演奏イコールテンポが遅いのが原因ではない、ということです。


《リズムを持ったパート》
マーチを演奏する、というと、大概ホルン奏者が苦々しい表情をあらわにしませんか?理由を聞けば「裏打ちばかりだから」。確かに、スーザのマーチのホルンは、ずーっと裏拍の八分音符しか書いていないことが多いんですよね。ついでに言うとトランペットの2nd,3rdもホルンと同じことしてますし、テューバを始めとする低音楽器なんて四分音符しかないし、打楽器もそんな感じです。

ただ、それらのパートがいるからこそ「マーチ」という作品が完成する、とも言えますね。

歩き続くためには、一定のリズムパターンが繰り返されることが必要なわけで、もしこれが突然3拍子のワルツになられたら歩けません。踊れます。

そして、その中でもリズムを担っている最強の権力者がいます。それが打楽器セクションです。
このパートが仮に指揮者を無視して作品のリズム、テンポを演奏し続けたら、指揮者は必要ありません。指揮が何か操作しようとしても打楽器セクションが無視すれば、そのまま演奏が続きます(基本的には)。

ですから、まずは打楽器セクションのベクトルが統一されていることが必須で、そこからリズムパターンを担っているパートが、ベクトルに入り込み、その上でメロディやオブリガード(副旋律)が乗っている、という構図になることが望ましいと考えています。例えるなら、エスカレーターや動く歩道の動力源が打楽器セクションであり、ベルトや踏み板(乗るところ)がテューバなどの低音楽器や裏打ちホルン。そしてその上にメロディという人間が乗っている、という感じでしょうか。人間は乗っている場所の範囲内であれば自由に動くことができます。制約がある中にも自由が残っている状態で演奏する、というのは旋律を担当している時に常に意識して欲しいことです。


《爽やかさを表現する》
この作品自体がとても爽やかな印象を与えますが、演奏者がそれを表現できなければ、作品は爽やかで演奏は暗く重い、というおかしなギャップが生まれてしまいます。それは絶対に避けたいわけで、では、どうしたら良いか考えてみましょう。

表現というのは、もちろん演奏の仕方(吹き方)によっても変わります。しかし、何よりも大切なことは「どんなイメージを持っているか」という点です。
では、爽やかなイメージ、爽やかな雰囲気って、どんな時ですか?イメージできますか?

春や初夏のような、ちょうど今頃の季節は、いかにも「爽やか」です。大自然に囲まれた環境で過ごしていたり、静かな空間でのんびりしたり、風が気持ち良い、日差しが暖かい、そんな快適な環境にいる時、人は「爽やかだ」と感じます。
もしこういった質問をされて回答に困った時、真逆の状態をイメージすると出てきやすいかもしれません。例えば、「不快である」「ストレスが溜まる」「気持ち悪い」そんな時って?といった具合に。思いついたそれらの逆をイメージすると回答が出てきます。

「イメージを持った上で演奏をする」これはどんな音楽でも必ず持っていてもらいたい大切なことです。
イメージすることに正解も不正解もありませんから、ぜひふんだんにイメージをして音楽に反映させて下さい。また、一緒に演奏する人たちでそれらを話し合い、イメージを膨らませて、統一できると、楽曲としてはまとまりやすくなります。


《アーティキュレーション》
ただ、やはりイメージをしたところで、聴いてもらえる人に雰囲気や気持ちを伝えるのには限界があります。そこで、よりイメージを強く伝えるために、沢山の演奏技術や表現技術を持つ必要が出てきます。

アーティキュレーション、というのは基本的には楽譜に書かれている記号、、、アクセント、スタッカート、テヌート、といった「音符ひとつに対して付いている記号」を指します。さらにはソステヌート、マルカートなど、記号に限らず文字で表現することも多々ありますが、結局これらが音符や楽譜に書かれていることで何が変化するのか、と言うと、作品の持つ雰囲気です。

例えば、そこにただの材木があるとします。その材木にスタッカートの指示をした時にどのように材木を加工するでしょうか。例えば、少し硬く角の尖った状態になるかもしれませんね。そういったように、ひとつの塊だったとしても、角を尖らせたり、丸く削ったりと様々な形状に変化させたり、木材から金属のように材質そのものを変化させることもあるでしょう。それらがずらりと並んだ時、ただの材木の連なりだった見た目が大きく変わっていくことは想像できるはずです。
アーティキュレーションを意識的に表現する、ということはその音符を変化させるというだけでなく、結果的に作品全体の(その場面の)印象を大きく変えることにつながるのです。

したがって、アーティキュレーションは「アクセントだからタンギングを強くしよう」と、舌に力を込める、のように単純な作業で解決できるものだと思わないで下さい。「スタッカートが書いてあるから、音を短くすればいいんだ」という安直な考え方からは豊かな音楽性を感じられません。

アーティキュレーションは、強弱記号と同様、その作品、その場面によっても大きく解釈が変わります。ただの音量の大中小ではない、ということはこれまでにも沢山書いてきました。したがって「このアクセントはなぜ付いているのだろう(作曲者はここにアクセントを付けることによって、どのように演奏させようとしたのだろう、結果、どんな音楽になるのだろう)」とまず考え、具体的なイメージを膨らませます。それが正解か不正解かなんてありません。そして自分がイメージしたものを演奏で表現できるようにします。
そうした練習の積み重ねによって、「アーティキュレーションの引き出し」がどんどん増えて、表現力がついてきます。


《アーティキュレーションを統一させる練習》
統一したイメージを持っていることは、ひとつの作品を完成させるためには必要なことです。したがって、様々な場面に合ったアーティキュレーションを統一させたい時は、ロングトーンなどの基礎練習で取り入れると良いでしょう。
例えば、スタッカートという表現も人それぞれで、楽器によっても表現方法が異なります。それらの集合体で表現を統一させるためには、まずイメージを統一させます。「ピンポン球が弾んでいるようなスタッカート」とか、「卵を落として潰してしまった時のようなスタッカート」など。後者はまるで演奏に使えないように感じますが、使える使えないではなく、イメージを音に変えられるかどうかが大切であって、決して無駄な練習ではありません。何でもやってみるべきです。なので、メンバーの誰かに上記のようなお題を何か出してもらって、全員がそのお題をイメージし、演奏に反映させてみる、という練習をすると、頭が柔軟になり、音楽をすること、表現をすることが楽しくなると思います。義務的、作業的な基礎練習はつまらないですからね。


《トランペットパートがマーチの演奏に求められるものとは》
話を戻しますが、やはりマーチを演奏する上で、トランペットの担うところは、「ファンファーレ」「主旋律」「裏打ち」このあたりですね。この作品もまさしくそう書かれていますが、これらに求められるアーティキュレーションは「力強さ」「固さ」ではないでしょうか。要するに、あいまいな音の出し方、処理の仕方をしないことです。そのために必要なことは「アクセント」「スタッカート」をどう表現するかが大切だと思います。
次回の記事で具体的にどのようにアーティキュレーションを表現するか書いていきますが、まずは自由にイメージしたものを自由に表現できるか、今の段階ではそれを沢山練習することが良いのではないか、と思います。


《スピード感》
マーチにはスピード感は必須です。先程も少し書きましたが、スピード感と言っても速度を上げることには直結しません。
先程書いたように「ベクトル」を強く感じ、それを演奏に反映できているか、ということです。ですから、感覚として「重たい」もしくは「軽快」と感じる時には、メトロノームの示すテンポがどうのこうのではなくて、音楽が前に進もうとしているかどうかで変わってくるのです。
曲の練習やら基礎練習やら何やら、やたらとメトロノームを使いまくっている方、バンドは、自発的なテンポ感が薄れてきて、「誰かに合わせる」という自主性のない奏者を作り出し、ベクトルのない演奏が積み重なって「重さ」がどんどん強調され、音楽が全然流れない、という結果になりやすいので、注意して下さい。


《アウフタクトの音楽》
さて、この作品を見てみると、メロディはほとんどすべて「アウフタクト」で始まっています。アウフタクトというのは簡単に言えば「1拍目のアタマから音楽が始まっていない音楽」を指す、と思ってもらえれば良いかと思います。
「青葉の街で」はメロディが3拍目のウラか、4拍目から始まることがほとんどです。これによって何が変わるか、何に注意しなければならないか、と言うと、「メロディ担当以外もアウフタクトを意識する必要がある」ということです。メロディはおのずとアウフタクトのフレージングを意識することになりますが、メロディ以外のパートは、自分の楽譜だけを見ていると、どんなフレーズかわかりません。ですから、自分のパート譜に没頭して合奏をしていると、メロディのフレーズを知ることなく、勝手に音楽を進めてしまう、これが音楽がひとつにまとまらない原因になりがち、ということです。
こちらも詳しくは次回の記事で書いてきます。

ということで、まだこの時期は課題曲を何にするか最終決定をしなくて良いのですから、他の作品も演奏してみて、本当に自分たちのバンドに合っていると思われる作品を見つけられるよう、安易に第一印象だけでこの作品を選ばないようにしてほしいと思います。コンクールが近くなってきてから「やっぱり他の曲のほうがよかった...」では遅いですからね。

それでは、また来週!

当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。

at 07:30, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2014

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吹奏楽コンクール課題曲2014トランペット解説【1.最果ての城のゼビア/ 中西英介】その2








吹奏楽コンクール課題曲2014

みなさんこんにちは!
先週より、吹奏楽コンクール課題曲を作品ごとに解説していまして、只今「課題曲1:最果ての城のゼビア」です。
前回は作品の全体像を見た上での印象などを書きましたので、今回は順を追って解説していきます。


[冒頭(1小節目)、7小節目/全パート]
この作品の冒頭部分は拍感が分かりにくく感じませんか?。なぜかと言うと「2拍目にリズムがないから」。テンポというのは、2つ目の拍がいつ存在しているかで決まるので、、、これは別に難しい話ではなく、例えば手拍子をひとつ「パン」と叩いても、それだけではテンポは存在しませんよね。でも「パン、パン」と2つ叩くと、テンポが生まれます。それだけ2つ目=2拍目がどこに現れるのかで、その作品のテンポが決まるはずなのに、この作品の冒頭には2拍目がないのです。しかも、次に動き出すのが3拍目アタマのクラリネットとオーボエ、サスペンデッドシンバル(S.Cym.)なのですが、ここも非常に曖昧な動き出しで、木管は細かな動きを、S.Cymはpからのクレッシェンドということで、拍(テンポ)を明確にするという力はほとんどありません。

そうなってくると、金管楽器群の4拍目の動きのタイミングを掴むのも難しいんですね。難しいというのはテクニカルな意味と言うよりも明確なテンポがわからないまま吹かなければならないという「不安」要素です。冒頭でいきなりずれる可能性があるので、奏者からしてみればこれはとても怖い。

このような周りの演奏がモヤモヤしてアテにならない時は、指針を示す人の存在が求められます。ではそれは誰でしょうか。指揮者でしょうか。

実はこういったところで指揮者に合わせようとすると余計に乱れるかもしれません。なぜなら指揮棒は、確固たるタイミングを示すことができないので、棒の動きの解釈が奏者によって変わる可能性が高く、そして一緒に音を出している人ではないからです。ではどうすればいいでしょうか。ここで活躍するのが「トップ奏者」です。

トップ奏者が「いくぞ!」と合図を出し、周りの奏者がそれに従えば、少なくとも同じ動きで演奏する人たちがずれることを回避できます。
これは室内楽(アンサンブル)でのやりとりとまったく同じです。室内楽(アンサンブル)では、指揮者がいないので奏者間で演奏し始めるタイミングを合わせていくことをしています。
この時の合図のことを「アインザッツ」と呼び、トップ奏者や、作品ごとの音の出だしの責任を担っている奏者がタイミングを出しています。実はこれ、オーケストラや吹奏楽でも、プロの世界では非常に多くあることなんです。代表的なのがコンサートマスター。オーケストラの一番中心で一番客席寄りで、指揮者のすぐとなりにいるヴァイオリン奏者です。
コンサートで、指揮者が入ってきて握手をする人、と言えばわかるでしょうか。コンサートマスターは、言うならば沢山の奏者の司令塔で、すべてのタイミングを司る奏者です。指揮者がどんなテンポで、どんな表現をしたいのかを的確に感じ取り、それを演奏と体の動きで大きく表現し、奏者全員に伝えている人です。ですから、指揮者の棒の動きに各奏者が合わせている、というわけでもないんですよね。そしてこの「演奏と体の動きで表現する」というのは、コンサートマスターだけでなく、各パートのトップ奏者も行っています。

詳しくは過去の記事「室内楽(アンサンブル)4」に書いてありますので、ぜひ読んでみて下さい。

これを読んで下さっている中で、トップを担当している方はぜひとも的確なアインザッツを身につけて、そしてその指示に的確に合わせられるような呼吸をパート内、できれば金管セクション内で持てるようになって下さい。


[練習番号「A」1小節前/全パート]
この箇所はトランペットとグロッケン以外は音を伸ばしているか、演奏していません。トランペットがきっかけとなり、練習番号「A」に入るという重要な役割を持っています。単にトランペットが新しい箇所への入口を築くのであればそれほど気にかけるようなことではないのですが、ここには「rit.(リタルダンド)」が書かれているんですね。それによって大きく責任というウエイトが変化します。
どういうことかと言うと、「いつ、どのタイミングでAのアタマに入るのか」これを明確にバンド全体に(可能であれば指揮者を操れるくらいの力で)演奏によってテンポを指示していく必要があります。

こんな経験をすることがよくあります。アンサンブル等、指揮者のいない編成で演奏をしている時、特に楽譜にはテンポ変化に関する指示等が書いていない箇所で、メロディを受け継ぐために待機して、いざ次の小節のアタマから演奏するぞ、とすでに呼吸(吸気)を始めていると(インテンポで入ってくると確信している状態)、楽譜に書いてもいないのにそれまでメロディを演奏していた人がフレーズを収めてしまうような、要するにrit.をかけて演奏をまとめてしまう表現をすると、(楽譜にはそういった指示がないものですから)体はインテンポで入るように準備が整っているのに、聴こえてくるのはまだまだ演奏途中のメロディ。こうなってくるともう体(呼吸)と頭(耳)が違う状態になり、その後に続く演奏に対して呼吸のコントロールができずに大変なことになるんですね。結果、音を外したり、制御できなくて前の人のメロディとかぶって吹き始めてしまう、なんてこともあります。
もちろん、リハーサルでこれが発覚することがほとんどですから、その後演奏で修正するか、直接口頭で相談するか、何かしらの対処をしますが、それでもやはりこういった「つながる」箇所を楽譜に書いていないことを自分勝手に演奏してしまうのはいかがなものか、と思ってしまう瞬間です。

話を戻します。この箇所には、その「rit.」が書いてあるんですよね。それでいてトランペット全員が同じ動きで(音は違う)演奏しているのですから、責任は重いのです。どれくらい音を伸ばして、どんな「吹き切り方」をするのか、これが明確になるように演奏を心がけてほしいです。そのためにはまずトップ奏者(1st)が自信を持って表現し、それを理解した他の奏者が同じ感覚を持って演奏することです。決してトップ奏者の後から続くのではなく、(意思や表現が)並列になっているように心がけて下さい。要するにトランペットパートという一塊の存在である必要があるんです。

では、具体的にどのように演奏するかはそれぞれの奏者や指揮者が判断することにはなると思いますが、ひとつだけ「オススメできない」表現は、「減衰する音」にしない、ということです。もちろんこの箇所はcresc.(クレッシェンド)が書かれているのでそう演奏するわけないじゃん!と言うかもしれませんが、減衰したように聴こえる表現は、音量だけでなく他の要素からも感じ取られてしまうんですね。例えば「音と音の間が空いている」と緊張感がゆるみやすく、また次の音に行くタイミングがわかりにくいので、周りの奏者には不安を煽ることになりかねません(これもテヌートが書いてあるので意図的に短く演奏する人はいないと思いますけどね)、こうならないためにも、音量よりも「音圧」で表現するように心がけるとわかりやすいのではないか、と思います。

一番のポイントは、練習番号「A」に入るひとつ前の八分音符をどのように表現するか(他の奏者に、次に行くきっかけをどう伝えるか)、ここに意思を強く持ち、表現して下さい。


[24小節目/全パート]
スコアがあればぜひ見て頂きたいのですが、ホルンがひとつ前の23小節目から吹き始めています。そして24小節目に入ってきたその音が、トランペットの吹き始めと同じ音なんですね。具体的にはHr1,3がユニゾンで、Trp1に音(メロディ)が引き継がれ、Hr2,4がユニゾンでTrp2に音が引き継がれています。実はこの作品、こういった箇所が他にもあって、メロディがひとつのパートで完結していないことが多いんです。しかし、トランペットのパート譜だけで見ていると、あたかも24小節目からメロディが始まっているように感じますが、実はそれよりも前からずっと続いているメロディを引き継いでいる、もしくは途中から参加している、ということを忘れないようにして下さい。ですから、実際のところ、練習番号「A」から始まったメロディが様々な楽器に引き継がれたものが途中でトランペットにもまわってきて、一緒に参加しているにすぎないのですから、「よっしゃ来たで主旋律!」とか、いきがって演奏すると、とたんにデコボコしてしまってバンド全体のバランスが悪くなる可能性があります。そうならないように合奏までにスコアをしっかり読み、可能であれば、メロディを担当している楽器のトップ奏者だけでいいので、変則的形態での練習をしてみて下さい。この箇所だけでなく、すべての同じような箇所について練習して下さいね。


[28小節目/全パート]
ここで一旦トランペットがメロディ担当から外れます。そこで、「A1小節前」に書いたことを思い出して下さい。ここは自分の演奏が終わるからと言って、メロディが終わるわけではない、ということです。ですから「言い切る(まとめない、収めない)」「他の楽器にバトンを渡す」こういった意思で演奏するように心がけましょう。


[30小節目/全パート]
またメロディとして参加します。しかし、ここで意識して欲しいのはバランスだけでなく、リズムです。


※ちなみに、この部分は92小節目の一部です。


この6/8拍子特有のリズムは、非常に多くの作品に登場しますが、意外に難しいものです。A.リードの序曲「春の猟犬」では最初から最後までこのリズムでバンド全体が埋め尽くされていますし、管弦楽では昔から「狩の合図」そこから派生した「ファンファーレ」などで非常によく出てきます。室内楽をよく経験されている方は、フィリップジョーンズブラスアンサンブルの「ロンドンの小景」1曲目「ロンドンは呼んでいる」が思い浮かぶかもしれませんね。

課題曲1を演奏するのでしたら、ぜひバンド全体がこのリズムを完璧に同じ表現にできるまで徹底的に練習することをおすすめします。したがって、基礎練習(音階練習など)でこのリズムを採用してみるのも良いかと思います。

具体的にどのような表現方法で演奏すると良いか、簡単に言うと、最初の付点八分音符を引っ張って演奏しないことがひとつ挙げられます。これをしてしまうと、ひとつ目の音が間延びしてしまい、非常に緩んだリズムになってしまいます。ですので、大げさに言えば、次の16分音符との間にほんの少し隙間を作って上げるようにすることを意識して下さい。ただし、音を止めてしまうのではなく、「ジャンプ」をしているイメージ(滞空時間があるイメージ)を持つことが良いと思います。

過去の記事に付点音符の演奏イメージを掲載したのでこちらにも載せますね。

付点解説
※音楽は、ひとつひとつを順番に鳴らそうとか、バラバラだった音符が単に横に並んでいると考えずに(そう考えると流れが生まれにくい)、音符の上のマリオのようなキャラクタが歩いたりジャンプした時、そこにある音が鳴るようなイメージだと演奏に流れ(=ベクトル)が生まれ、フレーズ感が出てきやすくなります。

詳しくは過去の記事「付点音符の吹き方」を読んでみて下さい。

そして、うしろにもうひとつ八分音符が付いているこの作品に頻繁に出てくるリズムの場合は、うしろ2つの音符をスタッカート(+アクセント)で強めに固く演奏するとサマになります。このリズムは、どうしても最初の付点音符が間延びしやすく、そして目立ってしまい、尻すぼみな演奏になりやすいので、意識的にうしろ2つをはっきり目立つように演奏してください。そうして大げさな音の形を表現することによって、やっと客席には3つの音が均等に並んでいるように(至って普通に)聴こえるものです。

こうした奏者と聴く人とのギャップは様々なところで出てきますので、ぜひ過去の記事「聴衆とのギャップ」を読んでみて下さい。指摘されて「ちゃんと吹いてます!」という反論はまったく意味のない行為なんですよ。常に客観的に、お客さん(客席)にどう聴こえているか、どう感じてもらったのか、それが全てです。


[練習番号Bに入ったら/全パート]
練習番号「B」は音符がありませんが、その後の41小節目のmute(con sord.)で慌てないために、このタイミングで膝裏に挟むか、左手で持っておくようにしましょう。

ミュートの素早いON、OFFについては過去の記事「ミュート1」をご覧下さい。


[39小節目/1st(2nd)]
この箇所のように唐突に高めの音(1st、人によっては2ndも?)を当てる時、どうしても心がひるんでしまったり、気持ちを強く持ちすぎて空回りしてしまい、結果として上手く当てられなかった、という経験はトランペット吹きなら一度はあるはずです。

結局のところ、この経験をよくする方は、ハイノートを「力で解決する」パターン(たとえそれが無意識だったとしても)がほとんどです。しかし、ハイノートに特別な力を必要としません。大切なことは「息のスピードを上げるための的確なセッティング」「ソルフェージュする力」「冷静な精神」です。

更に、ffやppなどの極端なダイナミクスが書かれていると、必要のない力がかかってしまいがちですので、ぜひ過去の記事群「ハイノート」カテゴリを沢山読んで実践してみて下さい。

ハイノートを的確に吹くための最大のポイントは「舌と顎の位置と使い方」です!息のスピードが速くなれば、音は高くなる、とまず冷静に考えて下さい。では、息のスピードを速くするにはどうすればいいか、それを考えて下さい。あとは過去の記事で。


[49小節目/1st,2nd]
この部分は本当にイヤですね。クラリネット1,2番が完全に同じ音、同じ動きですが、他に演奏する人はが誰もいません。
吹奏楽でのクラリネットは人数も多いですし、何よりトランペットパートと距離があります。それでこの素早い4つの音を合わせるというのはリスキーです。
しかし、じゃあ吹かない!と言えるわけもありませんから、何とかしないと。

合奏の時に何とかして合わせようという考えでは、他のパートの人たちを待たせてしまい、非常にもったいない時間の使い方をしてしまうので、それは回避したいところです。
したがって、クラリネットの人たちと合奏前に一緒に練習をしてみて下さい。その時、クラリネットはさらに2小節前から1stがsoloやら何やらやっているので、そこからの流れを共有するようにしましょう。もはやこの箇所は指揮者に合わせるなどという必要はなく(無視はダメですが)、パート練習で得たタイミングを信頼し、完全にアンサンブルをしている、という自覚で演奏するようにしましょう。クラリネットの人にアインザッツを出してもらえるようにお願いしてみると良いと思います。
最初は近い距離で練習し、慣れてきたらすこしずつトランペット奏者がクラリネットから離れていって下さい。そうして、合奏の時と同じくらいまで離れてもタイミングを合わせることができれば、合奏で怖いと思わなくなるでしょう。

また、トランペットはこの2つの音のスラーが続く楽譜を上手に演奏するのが苦手な方が多いです。ぜひこれと同じようなリズム(フレージング)を音階などでも用いて、基礎練習のひとつとして毎日吹いてみて下さい。

そして、この箇所のもうひとつの特徴は、クラリネットはpiu f(ピウ・フォルテ=フォルテよりも大きい)に対し、トランペットはmpという点です。このように同じ動きなのにダイナミクスが違うというのは「作曲者本人がある程度のバランスに対して配慮している書き方」です。要するに、客席に聴こえてくる音量バランスとして、クラがラッパに負けて欲しくない(=同じレベルで音が聴こえてほしい)、という意思の表れです。
作曲家によっては、そう思っていても楽器関係なくまったく同じダイナミクスで統一している方も沢山います。その場合は、楽器ごと(奏者ごと)に持っている勝手なダイナミクスバランスでfとpを吹き分けるのではなく、全体のバランスとしてのfやpであると考えて下さい。したがって、スコアを見た時、ある箇所でバンド全体にfと書いていた場合、「音楽(作品)のテンションがfである(音楽としてのテンションや音量バランス)」と理解します。
そして、この箇所のようにスコアをタテに見た時に楽器ごとにダイナミクスが異なっている時は、「それぞれの楽器に対して音量バランスを個別に要求している」と理解して下さい。


[50小節目〜練習番号「D」1小節目/1st,2nd]
このG.P(ゲネラル・パウゼ)のタイミングで(急いで)ミュートをはずすことになりますが、慌てて外すと「カン!」とベルに接触してしまいかねません。できるだけ慎重にはずしましょう(かと言って慎重にねじった時に「キュ」とか言うのもイヤですけどね)。
また、G.P.というのは基本的に「無音の空間」「時が止まったかのような空間」でなければならないので、特に生演奏の時は意識して欲しいのですが、奏者がフラフラしていてはG.Pにならないんです。まあ、どんな時でも舞台上でフラフラしているのはダメですけどね。G.P.は「間(ま)」という音楽なのですから(音がない、ということも音楽です!したがって休符も音楽です!)、そこで視覚的に動きが見られるのは、G.P.にならないと考えて下さい(舞台にいる全員が理解していなければなりません)。でもミュートははずさなければならない。そのため、できるだけ小さなアクションでミュートをそっと外し、次の練習番号「D」の八分音符を吹き終わるまではミュートをおろさないほうが(手に持ったままのほうが)無難だと思います。


[練習番号「E」〜/全パート]
このあたりから、トランペットがトランペットらしい目立ち方をしはじめます。だらしない演奏にならないためにも、統一感のある演奏をしていきたいものですが、具体的にどうするかと言うと、「八分音符をスタッカートで固く」という方向性が良いと思います。楽譜にはスタッカートが書かれてはいませんが、この場面の音楽が持っている力強さを表現するためにはそれが必要です。そして、八分音符がスタッカートであるぶん、対照的に四分音符はしっかりとベクトルの強いテヌートを意識し、しっかりのばすようにこころがけて下さい。


[109〜112小節目/全パート]
このメロディの実音Ges(記譜上ラのフラット)と実音Des(記譜上ミのフラット)の、Bb管で演奏する時の運指「2,3」はよく使う運指の中でも特に鳴りにくく、この箇所のように素早い動きの中にこれらの音が出てきた時、相当意識的に音を出さなければ、まず間違いなく埋もれてしまいます。そうならないためにはまず、これらの音の「ツボ」を見つけること。そして音の流れの中で「ツボ」からずれないで音を並べることができるようになることが大切です。決して乱雑な演奏にならないよう、客席に楽譜通りのリズム、音が聴こえているのか、ということを常に基準になるよう、演奏して下さい。

また、この箇所は108小節目までのクレッシェンドからff、が一旦fに戻っています。しかし、ffからfになったからといって、演奏が弱くなったり、勢いがひるんではいけません。それまでのffから仕切り直して演奏を再開する、という意識で演奏して下さい。

音のツボに関しては過去の記事「ハイノート(ハイトーン)へのアプローチ6」を読んでみて下さい。


[118小節目/1st,2nd]
この部分も1小節前からメロディが引き継がれています。24小節目同様、トランペットパートだけで適当に吹かないように気をつけましょう。


[136小節目アウフタクト〜/全パート]
先程、ダイナミクスも作曲家や書き方によって解釈が違うと解説しましたが、クレッシェンド、デクレッシェンド(ディミヌエンド)に関しても、そういったことがあります。
この部分のクレッシェンド、デクレッシェンドは、単なる音量の変化ではなく「メロディ(フレーズ)の頂点はどこか」を視覚的に指示していると見て下さい。
そう考えることで、137小節目のアタマが最初に頂点になり、音楽の重さがここに集中しています。そして、その後molto(=非常に)が付いた上でクレッシェンドが書いてありますが、ただ、その後トランペットは演奏をしていません。このような時はすぐスコアです。スコアを見ると、高音の木管楽器群(+シロフォン)が演奏しています。しかも、その吹き始めはsfz(スフォルツァンド)。ですから、この部分に向かってバンド全体がフレーズ(メロディ)のテンションを上げていく(木管楽器にバトンを渡す)意識を持って演奏して下さい。


[158小節目〜最後/全パート]
前回の記事でも書きましたが、普通の感覚でこういった作品を聴いていると、まさかここで終わるとは!という印象を持つことになるはずです。

「…???あれ?終わり?え?」

と、お客さんが「ざわ…ざわ…」とならないように演奏することが必要です。では、どのように演奏すればいいのか。その答えはひとつではありませんし、どう考えるか、どういう印象を与えてこの作品を終えるのか、そういったことでも変わってくるはずです。

ひとつだけ言えることは「この先が気になる!」という気持ちを持ってもらうことで、それが単なるストレスではなく「魅力」「期待」であるように心がけることだと思います。ですから、「早々と切り上げる」のはちょっと違うかな?と個人的には思います。あとはみなさんと指揮者で考えて、表現してみて下さい。

何にせよ、この作品はアンサンブルする力も非常に必要ですし、作品をどう料理(解釈して演奏)するかも、非常に難しいです。
楽譜に書いてあることを単純に表現していても何も面白くないと思いますから、ぜひお客さんを楽しませる「映画の予告編」的演奏をするようにイメージをふんだんに盛り込ませて、ある意味大げさに、そして明確に表現して下さいね。


それでは、課題曲1「最果ての城のゼビア」の解説を終わります。
また来週!


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at 06:30, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2014

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吹奏楽コンクール課題曲2014トランペット解説【1.最果ての城のゼビア/ 中西英介】その1








吹奏楽コンクール課題曲2014

みなさんこんにちは!
今回より、吹奏楽コンクール課題曲を作品ごとに解説していきます!
まず最初は「課題曲1:最果ての城のゼビア」です。


《映画の予告編》
最初にこの曲名を聞いた時、ジブリの最新作か何かかと思ったんですが、スコアの解説を読むと、少し近いものがありました。
作曲者本人が「例えていうならば映画の予告編のようなもの」と表現していましたからね。

さて、作曲者もおっしゃっていることですから、映画の予告編という観点からこの作品を見てみましょう。
最近は映画館で映画を見ることも少なくなりました。すぐにDVDが出ちゃいますからね。それでも、映画館に一度も行ったことがない、という方は少ないかと思います。最低でも、DVDなどの最初にある予告編くらいは見たことあることでしょう。

予告編を知っていて、本編を見ると、「全然違うじゃん!」ってこと、ありませんか?予告編だとものすごい重要そうな人物っぽいのに、本編ではチョイ役だったり。話の筋と予告編の時系列や、扱い方って全然違うこと、多いですよね。あれって監督はどう思うんでしょうね?「俺はこんな作品作ってないぞ!」とか言わないのかな?それとも自分で予告編も監督しているのかな?

まあそれはいいです。予告編はとにかくインパクト、受ける印象の強さ、そういったことを最前面に押し出しています。結果としてその映画を観にきてもらうことが目的ですから、本編がどうこうとか、本来のストーリーはどうだとか、そういうことよりも「インパクト」です。
これを「最果ての城のゼビア」に置き換えてみれば、本編は「バンドそのもの」であると言えるのではないでしょうか。「ゼビア」という作品を演奏したことで「このバンドすげーかっこいい」というインパクトを与えられる展開になれば良いですよね。


《切り貼り的な音楽》
予告編の話の続きですが、予告編は本編の映像を巧みに切り貼りして、興味を持たせるような編集をします。言うならば「おいしいとこ取り」です。
この「ゼビア」も結局そういうことなのかな、と感じます。作品の流れに一貫性がありません。ある瞬間からそれまでとの関連性がまったくないようなメロディやフレーズが、さも当たり前のように出現し、それっきりだったりします。最大の特徴は、いわゆる「中間部」と誰もが思うゆったりした場面で曲が終わってしまうことです。これまでの経験上、ゆったりした箇所の後にもう一度前半と同じ雰囲気を持った場面が出てきて壮大に終わると思わせておいてのこれですよ。期待を裏切られるというか、何というか。そしてこの終わり方で聴衆は何を感じるかというと
「続きが気になる!」
ではないか、と思うんですね。

では、そう感じるための演奏にするにはどうしたら良いのでしょうね、というのがこの作品の課題のひとつではないでしょうか。その最後をのメロディを演奏しているのが、まさにトランペット(+ホルン)なんですよね。これは責任重大。


《インパクト》
このブログでも何度か書いていますが、演奏者と聴衆との間には大きなギャップがあります。例えば、自分自身は結構ハッキリ音を出していたと思っていたのに、客席にはだらしない立ち上がりに聴こえている、とか、メロディを演奏していても音の鳴り方にムラがあったり、とにかく自分が想像している以上に客席にはユルく聴こえてしまうものなのです。
楽譜に書かれていることを(自分の中では)忠実に表現していると自覚していても、なかなかお客さんには伝わってないもので、本当にしっかりと伝えたいのであれば、「こんなにやったら大げさかな?」と思ってしまうくらいでちょうどよかったりするんですね。

そこで、「インパクト」の話なのですが、お客さんに「インパクト」を伝えるとなった場合、かなりの表現力が必要になるのです。音量の変化や音の形、リズム、そういった基礎的なことも、もっとしっかりもっとしっかりと突き詰めていくくらいの勢いで演奏すべきですし、音の鳴らし方、魅力的な音色を追求していくことも、とても大切です。

大げさに表現をする、ということはそれだけリスクが高くなるとも言えます。音をはずしてしまえば相当目立ちますし、その作品、その場面にそぐわない表現であれば、バンド全体がおかしな表現をした、と勘違いされてしまうかもしれません。
しかし、そういったことを恥ずかしがらずにどんどん主張できるようになると、演奏はとても楽しく、意欲的になるんです。特にトランペットが先陣を切って演奏ができると、バンド全体の指針が生まれて、方向性が定まってきます。恥ずかしいのは最初だけですからね。どんな表現がおかしくて、どんな表現が高く評価されるのか、それを体感するには想像以上におおげさな表現をするしかないのです。


《引き継がれるメロディ》
この作品のもうひとつの特徴は、「ひとつのメロディがひとつのパートで完結しないことが多い」という点です。
チャイコフスキーのオーケストレーションの様にホルンが演奏したメロディの後、トランペットがその続きを吹く、といったパターンがとても多いんです。ぜひこれはパート譜だけを見ていてもわからないことなので、ぜひスコアで確認し、どこがどうなっているのか把握して下さい。
こういったメロディを受け継いでいく手法の書き方の場合、パート内だけで練習を完結させないことが重要です。ぜひ関係するパートどうしで一緒に練習し、客観的に聴いて違和感がないレベルまでクオリティを上げて下さい。音量や音型もそうなのですが、一番重要なことは「フレーズ感」です。
詳しくは次回の記事で書きますが、例えばこの作品をピアノで演奏したとするなら、その時はメロディを当たり前のように「つながったメロディとしてフレーズ感を持って演奏」することでしょう。しかし、担当している楽器が違う、ましてや違う人間が演奏しているのですから、同じフレーズ感でつながって聴こえるように演奏できるようにならなければいけません。そういったアンサンブルの難しさ、楽しさもこの作品には沢山ちりばめられています。


《モヤモヤ吹かない》
この作品に限ったことではありませんが、とにかく「モヤモヤした演奏をしない」ことが大切です。近年やたら柔らかく演奏する傾向にあるのが非常に気がかりなのですが、トランペットとは本来、金属的に固くなる音が出る楽器であることを忘れてはいけません。その固くビーンと響く音を基準とし、そこから派生して柔らかい音や更に固い音を出すようにしなければ、どんどんヤワで情けない音しか出せなくなってしまいます。トランペットの本来持つ響きを失わないようにして欲しいものです。
特にこの「ゼビア」のように、巨大室内楽的なオーケストレーションで書かれている作品は、可能なかぎりテキパキとしっかり無駄のない吹き方をするように心がけて下さい。結んだ紐がゆるんで今にもほどけてしまうような演奏にならないよう、注意しましょう。
スタッカート、アクセント、テヌート、ミュートの時の響き、様々な表現でもトランペットのトランペットらしい音を失わない様にして下さいね。

それでは、次回は「ゼビア」の作品を順を追って解説していきます。
曲に関すること以外にもいろいろ書いていきますので、引き続きお付き合い下さい!

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at 10:53, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2014

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吹奏楽コンクール課題曲2014トランペット解説【はじめに/課題曲を聴いてみて】








吹奏楽コンクール課題曲2014

みなさんこんにちは!
そして新入学おめでとうございます!新社会人の方はお仕事のことで精一杯かもしれませんが、みなさん楽しい新生活をお送り下さい。年度が変わっても昨年度と何も変化ないという方は、今年度、さらにトランペットに磨きがかかるよう頑張って下さいね。

さて、以前より告知をしておりました、今年度の吹奏楽コンクール課題曲のトランペットパート解説を行います!
それぞれの曲解説に入る前に、今回はこのブログでの進め方と、今年度の課題曲の特徴(独断と偏見)を書いていきます。


《課題曲を演奏しない方にも!》
トランペットを吹いているからと言って、課題曲を演奏するという方はかなり限定的なはずです。実際、僕自身も中高生の時に吹奏楽コンクールを頑張る学校ではありましたが人数が多くなかったので課題曲を演奏することは一度もありませんでした。なので、課題曲を吹くようになったのは音大の吹奏楽の授業からで、同級生が中高時代に演奏していた課題曲の話をされると全然ついていけなかった思い出があります。コンクールで課題曲、吹いてみたかったなあ。

それで、学生時代の僕と同じように課題曲を演奏しない方にとって、この企画が終わるまでの間、ブログが意味のないものになってしまうのは本意ではありません。それに、課題曲を演奏する方も、5曲中1曲しかコンクールのステージで演奏することはありませんから、そう考えると一つの作品に対する解説を欲している人口ってすごく少ないと思います。ですから、毎回の記事が単なる楽曲の解説にならないよう、もっと方向性を広げて「曲を練習するということ(個人、パート、セクション、合奏)」「譜面を読むということ」「音楽に対する考え方」「本番への心構え」など、様々な場面で使える内容をちりばめて書いていこうと思います。ですので、ぜひ全てのラッパ吹きの方にこれまで通りブログを読んで頂ければとても嬉しく思います。


《進め方/お願い》
これまで通り毎週火曜日に更新を行います(更新時間はその時によります。ごめんなさい)。
1曲につき2回の記事で完結させる予定です。そのうち1回の記事は、その作品をベースにした様々な角度からの内容を、もう1回の記事では楽曲に沿って演奏のアドバイスをする、という流れを基本にしたいと思っています。結果として6月中にはすべて完了する予定です。
掲載する曲順はランダムです。1から順番にやるかどうかもわかりません。はやく2を書けとか、3を先にしろとか、そういうのは受け付けませんのでご了承を。
あと、これまでに書いてきた沢山の記事をリンクさせる予定ですので、ぜひそちらも一緒に読んで頂ければと思います。

また、コンクールに限らず、ひとつの作品を複数で演奏する時は(管楽器はほぼ全ての作品がそうです)、共演者が同じイメージ、同じ方向性を持っていることがとても大切です。ですから、このブログを共演者の中の1人だけが読んでいるよりも、全員が読んでいたほうが演奏がまとまります。「まとまる」というのは、このブログに書いてあることすべてを信じて実践しなさい!と言っているわけではありません。「これは考え方違うな」という話題をするにしても、このブログを元にしてくれたほうが方向性が定まると思うのです。なので、ぜひ同じパートの方にもこのブログの存在を伝えて下さい!そしてみなさんで読んで意見を交わしてみて下さい。きっと良い方向に向かうはずです。
そして、このブログに書かれた記事は同じパート内で共有するためにプリントアウトをして頂いても構いません。ただし、印刷する際、1記事すべてを印刷して下さい。文書の一部だけを掲載したり、文章の一部を変えることはご遠慮頂きます。そして、印刷する際には「ラッパの吹き方」というブログからのプリントであること(URLを掲載すること)を守って頂ければと思います。これらは何かあった時に、自分が書いたことで責任がとれるようにするためです。そしてインターネット上に記事を(文章を)掲載、転載するのは、どのような場合でもご遠慮下さい(ブログの存在や記事URLを紹介してもらうのは構いません)

これらについて、何かありましたらメールフォームよりご連絡をお願い致します。こちらのリンクよりお進み下さい。


《課題曲を聴いてみて》
学校の部活動では、今の時期、ちょうど部員が少なくなっており、これから入部してくる新1年生の入部数や育ち方(最初からめちゃくちゃ上手い部員が入ってくる可能性もありますね)によってバンドレベルやサウンドが大きく変わってくることでしょう。ですので、多くの団体ではコンクールでどの課題曲を演奏するか、まだ確定していないのではないか、と推測します。
そこで、参考になるかわかりませんが、今の時点で僕が感じたそれぞれの作品のおおまかな特徴を独断と偏見で書いてみたいと思います。
まあ、どの課題曲にするかの決定権を持った方がこのブログをどのくらい読んで頂いているのか未知数ですから、意味があまりないのかとも思ったのですが、とりあえず「この曲はこんな特徴があるのか」ということが頭の中に入っていると、どの作品を演奏することになっても演奏者側としても少しは参考になるかな、と思ったので書いてみます。

というのも、今年の課題曲、作風はひとまず置いておいて、オーケストレーションに大きく差があると感じました。オーケストレーションというのは、どこをどの楽器で演奏し、形にするのか、ということです。例えば最初のメロディはクラリネットとアルトサックスに、その時の伴奏はホルンに、その時の低音パートはテューバ以外の低音楽器に、オブリガードをユーフォニアムに、打楽器はどの楽器でどのリズムを、、、そういったことです。これによって、印象が大きく変わり、変な話、どんなに素晴らしいメロディ、和声進行であってもつまらない音楽に聴こえてしまいかねないんです。

バンドによって、木管が充実しているところもあれば金管のレベルが高いところもあると思います。人数のバランスにもよるでしょうし、変な話、どこかの楽器に特別ハイレベルな奏者がいる可能性がありますし、その逆もありますね。単にその曲が良いから、とか、なんとなくこの曲なら演奏できるかな、などと漠然と根拠のない選び方をするよりは、それぞれの作品の特徴を掴み、自身のバンドとの相性を考えて選曲することは大切です。
それでは、簡単に、それぞれの作品の特徴(荻原が勝手に思ったこと)を書いてみます。


課題曲1「最果ての城のゼビア」〜頑張っているのに報われない?〜
とにかく薄いです。ほとんどTutti(総奏)がありません。吹奏楽というよりは大きな室内楽をやっているように思います。そこから言えることは
「各楽器の音色が浮き出てきやすい」という点です。吹奏楽でよくある、様々な楽器同士のブレンドされたサウンドというものはこの作品からはほとんど生まれてこないでしょう。ですから、すべての奏者が「それぞれの楽器の持つ素晴らしい音色」を出すことができるバンドにはとても向いているのではないでしょうか。もしくは、個性的な奏者が沢山揃っているバンドは面白い演奏ができそうですね。中でも、作曲された方がホルン奏者ということもあるのでしょう、要所要所にホルンのSoli(soloの複数形)が出てきます。ホルン全員がホルンらしいサウンドを出せるバンドには最適かと思います。「ホルンらしい音」って本当に難しいですよね。
そして、スコアを見ると、全体的に楽譜が白く見えます。ということは、細かな動きよりも長い音、ロングトーンが多いということです。したがって、奏者全員のピッチが安定していることが重要で、クラリネットなど、複数人で一つのパートを演奏しているところは、音がうねらないように極めてクリアな安定したサウンドを奏でることが必要です。
曲の一貫性がなく(狙ってそう書いていると思われます)、このような切り貼り的な作品を魅力的に作り上げるには、ディレクターである指揮者の手腕が相当必要で、求められるべきことがどれもハイレベルな作品だと思います。


課題曲2「行進曲『勇気のトビラ』」〜楽しさというクオリティを高めよう〜
モチーフが明確で、一見(一聴?)よくあるコンサートマーチかな、と思わせておいて、ところどころに高橋節といいますか、ユーモアがちりばめられている、とても魅力的な作品だと感じました。とにかくわかりやすく、演奏していて楽しいでしょうね。若くて元気な中高生には特に合ってるな、という印象を持ちました。こういった作品は「この場面はこうやって演奏したら面白いんじゃないか」という発想を具体化していく楽しみがあるので、イマジネーションが豊富で、しかもそれを具体的に演奏できるレベルを持った奏者が多ければ多いほどこの作品が活きてくるのではないかと思います。
部活(団体)によっては、指揮者(監督)の力がとても強くて、奏者がみんな真面目でおとなしく黙々と練習をするところもありますが、その練習姿勢だと課題曲2の面白さはなかなか出すことができないかもしれません。ただ、それを逆手にとってこの機会に奏者たちの自主性を伸ばすきっかけにする、というのも良いかもしれません。コンクールはどうしても真面目で確実で、、、と言った方向性になりがちですが、コンクールだろうが音楽であることに変わりありません。「楽しむ」ことを忘れては音楽になりません。


課題曲3「『斎太郎節』の主題による幻想」〜Tuttiの魅力と難しさ〜
チャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」と、バーンズの「パガニーニの主題による幻想変奏曲」を足して二で割って半分に切ったような印象を受けました。
課題曲1とは真逆の、管楽器同士の音がブレンドされた響きが多く聴こえるオーケストレーションです。簡単に言えば、同じ動きをしているパートが多いので、常に「分厚い音」がしている作品で、ある意味、演奏者は安心です。初見演奏でミスや落ちてわからなくなった人が数人いても、何となく最後まで通せてしまう、そんな感じです。
こういったオーケストレーションの作品は、初心者の方など、演奏や合奏にあまり慣れていない人がいても、何とか形にできる作品だと思います。しかし、それは落とし穴でもあります。みんなで演奏する、ということは同じ音の高さ、同じリズムを演奏している人が沢山いる、ということですから、安定したピッチの中にひとりでも悪いピッチがあると、途端に音が濁りはじめ、クリアな響きがしなくなり、音がうねってきて、鳴りが悪くなった結果、バンドのまわり(ステージ上)だけでドンチャン騒いで、客席の人たちを置いてけぼりにするステージになりやすいんです。「みんな頑張ってるのにバンドの音が響かない」この悩みがコンクール間近になっても払拭されない、なんてことになるかもしれません(おどかしすぎ?)。
まあ、結局どんな作品を演奏しても求められることは一緒で、ピッチが悪いのは良い影響を与えることはできないんですが、例えば課題曲1から4を全部初見で演奏してみて「お、3は結構良い音してるじゃないか」と勘違いしないようにして下さいね、ということです先生。


課題曲4「コンサートマーチ『青葉の街で』」〜ザ・コンサートマーチ〜
ザ・課題曲。ザ・コンサートマーチ。
この手の曲は、親しみやすく、演奏しやすい(指揮しやすい)ので、「ウチのバンドにはこれが合ってる」と根拠もなく選択しやすい気がします。特に、中学校の吹奏楽部で指揮者が顧問(音楽の先生/音大ピアノ科出身、管楽器経験ほぼなし)の場合にそうなるような気がしてなりません。何度も言いますが、荻原の勝手な解釈で好き放題言ってるのであまり気にしないで下さいね。
各自の演奏レベル(音を出すこと、サウンドやピッチなど)云々よりも、「音楽の流れ」「フレーズ感」「雰囲気」そういった大きな全体像をまとめる力を持った指導者がいるバンドでは、良い仕上がりが早々にできてしまうのではないか、と思います。
そこから見えてくることは、各パートの奏者たちは、仮に今から楽譜を渡して、コンクール間近になった頃にはもう飽きている気がしする、ということ。それくらいこの作品を完成させるために必要なことはディレクターである指揮者の手腕によると思います。それは曲想を豊かに付けるということだけではなく「マーチがマーチらしく聴こえるにはどういった感じ方で、具体的にどのように演奏すると良いのか」がわかっていないといけません。さもないと、どこまでも重く、ネバついたマーチが完成してしまうことでしょう。


課題曲5「きみは林檎の樹を植える」〜楽譜はちゃんと書いてあるから怖がらないで〜
指揮者、奏者全員の譜読みとそれぞれのパートに割り振られた音をきちんと出すことができ、それを合奏でも落ちることなくきちんと再現できればあっという間に完成します。こういった作品は第一印象が「複雑」「理解できない」「で、でた〜wwww現代音楽www」と言われてしまいがちですが、テンポ指示もあり、きちんと小節線も、その中に入っている音符の数も合っているので、決してわけのわからない要求をしていません。ですから、きちんと音楽の基礎的な理論を持っていて、譜面をきちんと読むことができる人たちの集団であれば、それなりの演奏ができてしまいます。でも、それ以上のことをこの作品でしよう、と思っても「遊べるスペース」がとても狭いのでなかなかできません。結果、「バランスのとれた演奏」「ミスをしない奏者の集団」「アンサンブルができる集団」「指揮者が楽曲を理解しているか(変なことをしでかさない人か)」であることがレベルの高い演奏ができる条件ではないかと思います。
とても高い塀に囲まれて、それぞれの空間の中に監視員がいて、「トランペットはこの枠の中にいて下さい」「打楽器はここから動かないで下さい」「クラリネットは指示に従って下さい」そういったことが沢山求められている状態なので、いかにその限られた範囲の中で真面目に、でも遊び心を持って意欲的に取り組めるか、が大切ではないかと思います。
ロボットみたいな無機質、無感情な演奏にはならないで下さいね。


ええと、ごめんなさいね。本当に言いたい放題書いてしまいました。決して悪気はありません。スコアを見て、CDを聴いて、少しだけラッパで吹いてみての印象をそのまま書いてみました。
それぞれの作品に関してはこれから時間をかけてしっかりを書いていきます。参考になるかわかりませんが、みなさんもぜひスコアを見て、それぞれの作品に対する印象を持ってみてはいかがでしょうか。そして共演者のみなさんでお話してみて下さい。楽器によって見方が違うかもしれませんし、人によって好みや思うことも違うはずです。

それでは、初回はここで終わります。次回から具体的に作品の解説などを書いていきますので、どうぞよろしくお願いします!
また来週!


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at 06:19, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2014

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