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頬が膨らむ 1








みなさんこんにちは!

今回もこちらの記事に頂いたご質問よりお答えしたいと思います(なお現在は質問を受け付けておりません)。

それでは、今回のご質問。まこ♪さんから頂きました。ありがとうございます。


======================================
私は昔からのくせで左頬が少し膨らんでしまいます。治そうとおもって口を膨らまさないようにすると音がきたなくなってしまい困っています。
(中略)
この間、ある先生に「頬が膨らむのなおしたほうがいんじゃない?」と言われました。なおそうとすると音がきたなくなってしまうし、でも将来は音大に進みたいと考えているのでこのまま頬を膨らませて演奏しているといけないんじゃないか、と思っています。どうしたらいいんでしょうか!
======================================



頂いたご質問がもうひとつありましたが、それはまた後日書かせて頂きます。

さて、楽器を吹いていて片方の頬だけが膨らんでしまうということでした。頂いたコメントに関して3つのテーマにわけてみます。

ひとつは「片方の頬が膨らむ、ということ」
もうひとつは「直そうとすると音色が悪くなる」
そして「先生に直した方がいいのでは、と指摘を受けた」

という3つです。


《頬を膨らます方法》

頬が膨らむ1のコピー.jpg

まず、トランペットを吹くことに限定せずに「頬を膨らます」行為はどうやって行われているのか、思い出すために実際にやってみましょう。この時、わかりやすくするために「息を強めに吹き続ける」という状態にして下さい。それでは次に、息を強く吹き続けながら「頬を膨らまさない」ようにしてみましょう。
いかがでしょうか。この2つの行為で、変化したところはどこでしょうか。いくつか可能性が考えられますが、ひとつは「舌の位置」ではないかと思います。頬を膨らまさないようにしようと思った時、自然と舌が上がってきませんでしたか?
舌は何も変化していない、という方は、きっとトランペットを吹く時と同じように、唇の周りや顔の筋肉全体に力を入れた(アンブシュアを作った)のではないでしょうか。

これらに共通している点は「歯と頬の間に空気の入る隙間を作らないようにしている」という点です。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが。
舌が落ちている状態だと、上下の歯の間全体に隙間ができるので、おのずと膨らんでしまいます。また、顔の筋肉が緩んでいれば、(横並びの)歯の隙間や前歯と唇の裏側との間が空気の圧力で広げられてしまいますから、結果として頬が膨らんでしまいます。

頬を膨らますためにはこのようなことが行われていたんですね。


《片方の頬が膨らむ原因》
それでは、頂いた質問のように片方の頬だけが膨らんでしまうのはなぜでしょうか。コメントしていただいた方の吹き方を実際に見ていないので、原因はこれだ!と言い切る事ができません。よって、いくつかの可能性を挙げてみようと思います。

ひとつは「舌の位置」です。
舌は基本的に左右が同じ状態になっていることがふさわしいのですが、発音のクセや歯並び等が原因で左右非対称になっていることも充分考えられます。そのため、片方だけが落ちている状態になって、頬が膨らんでしまうのではないか、という可能性。

もうひとつは「歯並び」です。
あくまでも憶測ですが、これが一番可能性があると思っています。左右の歯並びがもし違っていた場合、片方だけに(若干であっても)隙間があるかもしれません。ここが空気の通り穴になって、トランペットを演奏している時に膨らんでしまうのではないか、という可能性。

もうひとつは「アンブシュア」もしくは「マウスピースを当てる位置」です。
もしもマウスピースを当てる位置が極端に左右どちらかに傾いている場合、支えるバランスも大きく非対称になります。これが原因なのでは、という可能性。そして、マウスピースがほぼ中央であっても、アンブシュアが大きく左右非対称になっている可能性も考えられます。

僕が考えられるのはこれくらいなのですが、大事なことは頬が膨らんでしまう状態ではない、と思っています。


《結果としてどうなのか》
頬が膨らんでしまうことが原因で、演奏に支障が出ているかどうか、これが一番重要です。というのも、これまでに出会ってきた沢山のトランペット吹きの中には、マウスピースを当てる位置が中央から大きく外れている方や、頬が膨らんだ状態で演奏している方がいらっしゃいます。しかし、どちらの方も問題なく(問題があるようにまったく感じずに)素晴らしい演奏をしているんですね。もちろん中にはそういった吹き方が原因になって思うようなパフォーマンスができていないという方もいるのですが。
このブログでも何度か書きましたが、アンブシュアなどの奏法というのは決して見た目で良いとか悪いとすぐに決めてしまってはいけないんです。ですから、ご質問頂いたまこ♪さんも、結局のところ、今の吹き方で問題があるのか、という点についてまず見て欲しいのです。


長くなりましたので、続きは次回にまわさせて頂きます。
それでは、また来週!


当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。

at 14:25, 荻原明(おぎわらあきら), アンブシュア

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ブランクからの復帰 2(練習編)








みなさんこんにちは!


前回より頂いたコメントから記事を書かせていただいております。

それでは、前回の記事の続きです。内容はこちら。

===========================================
大学までラッパを吹いていて、10年ほど吹いていない期間があり、昨年また練習を始めました。今はこの一年で昔くらい吹けるようになってます。ただ、この一年いろいろ試行錯誤したので、私のように、かなり長い期間のブランクがある、大人の(元)ラッパ吹きのための、効率的な復帰法などをブログに書いていただけると、とっても勉強になります。よろしくお願いします。
===========================================




前回はメンタル面を中心に書いてみましたので、今回は実際にどのような形で練習をしていくのかを中心に書いていきます。


《人として成長していることは強み》
その前に、ひとつ書いておきたいことがあります。
前回書いたように、トランペットの吹き方をまったく知らない初心者に比べれば、吹くためのノウハウを持っている、ということだけでもスタート地点からだいぶ先まで来ています。
そして何年ブランクがあるにせよ、以前トランペットを吹いていた時に比べれば人間的に成長をしている、ということを自覚して欲しいのです。「全然成長なんてしてない!」と思う方も多いかもしれませんが、トランペットを吹かなくなってから、1日24時間×日数は絶対に生活してきているわけで、その時間のすべては自分にとっての何かしらの糧(かて)になっていると考えてみましょう。そんなこと言われても、今日は特に何も良いことがなかった、面白くなかった、何もなかった、と思っていても、誰かと会話をして「なるほど」と思ったり、電車の吊り広告を読んで(無駄だと思う内容でも)知識がひとつ増えたり、ランチでおいしい料理に出会ったり。もっと言えば「つまらない」という感情を持ったことだけでも、何もないわけではなかった、と言えますよね。成功しても失敗してもそれらはすべて経験というプラスになっているとすれば、人間は毎日無意識にも成長していると言えます。
ですから、昔トランペットを吹いていた頃よりも成長した自分は、以前よりも良い演奏ができる材料や要素を沢山持っているのです。
そう思うと、ブランクから復帰することもなんだか、楽しくなってきませんか?


《計画を立てる》
では、トランペットを実際に吹いてみたいと思いますが、その前にしっかり計画を練っておきましょう。
そもそもトランペットを再開したのは何か理由があったのでしょうか。吹奏楽をもう一度やってみたいとか、あの曲をトランペットで吹きたくなったとか。もちろん理由なく「なんとなく」でも構いません。興味を持ったということに変わりはないですからね。
もし何か目標があるなら、具体的な期日を決めて練習をしていきましょう。例えば一年後、吹奏楽団に入るんだ!と決めてみるとか。もちろん仕事や勉強の合間を縫っての練習になりますから、あまりタイトなスケジュールを組まないほうが無難だと思います。のんびり長い目で見て計画を立ててみましょう。


《ウォームアップと基礎練習》
何と言ってもまず感覚を取り戻すことに専念して欲しいとは思うのですが、可能ならば以前使っていた教本やウォームアップのための楽譜は最初の段階では使わないほうが良いかもしれません。過去のパラパラ吹けていた自分と比較してしまいますからね。

初めのうちは、ウォームアップで使っていたようなできるだけシンプルで簡単な楽譜を使って、負担なく音を出すように心がけてください。その際、どうしてもアンブシュアだとかのセッティングを先に考えてしまいがちだと思うのですが、そこはあまり考えずに(記憶に残っている感覚だけで充分)、負担のない呼吸、息の流れる道のりをまずイメージし、どんな音(音色、音形のイメージ)を出そうとイメージしているか、に集中して下さい。
最初のうちはイメージ通りに出せなくても良いのです。絶対に「あれ?こんなはずじゃ、、、」という考えに至らないように注意しつつ、少しずつ理想に近づけていけるように練習を続けていって下さい。


様々な事情で楽器を吹かなくなってしまった方も多いと思いますが、やはり演奏するのはとても楽しいことです。学生の頃、部活でやっていたようなハードなイメージ(1日吹かないと3日遅れる!みたいな発想)があるかもしれませんが、のんびりマイペースで良いので、吹きたい時に吹きたいだけ吹く、そんな気持ちで気長にやってみるのもいいかもしれませんね。
ともかく、もし手元にトランペットがあるのでしたら、ぜひケースから出して触れてみて下さい。しまったままではかわいそうですからね!

それでは、また来週!


当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。

at 10:31, 荻原明(おぎわらあきら), 練習に対する考え方

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ブランクからの復帰 1(メンタル編)








みなさんこんにちは!
今回はこちらの記事より最近いただいたコメントから書かせていただきます。

それでは、今回はつばさ様からいただいた内容です。


===========================================
大学までラッパを吹いていて、10年ほど吹いていない期間があり、昨年また練習を始めました。今はこの一年で昔くらい吹けるようになってます。

ただ、この一年いろいろ試行錯誤したので、私のように、かなり長い期間のブランクがある、大人の(元)ラッパ吹きのための、効率的な復帰法などをブログに書いていただけると、とっても勉強になります。

よろしくお願いします。
===========================================




コメントありがとうございました!
僕自身が中学生から現在に至るまで、ラッパを吹かないというブランクを経験したことがなかったので、こういった記事を書く発想がありませんでした。でも考えてみれば、学生の時に吹いていて、社会人になったので吹く機会がなくなったけど、最近また吹奏楽始めた、とかそういった方はとても多いですよね。実際、僕が講師をしている音楽教室にもそういった方が何人もいらっしゃいます。あと数ヶ月すると年度が変わり、生活環境が新しくなる方も多いと思います。この機会にまたトランペットやってみようかな、と思っている方も多いかもしれませんので、ぜひ参考にして下さい。

ということで、今回は、長いブランクから復活した時にどうすれば良いか、どう考えればいいかを書いていきます。


《忘れていた、は知らないとは違う》
コメントを頂いたつばささんの場合、およそ10年トランペットを吹いていなかったということで、復帰当初はかなり忘れていたことが多かったはずです。しかし、それらは「忘れていた」にすぎず、決して「知らなかった」わけではありません。このふたつは相当に大きな違いです。ちなみにここで言う「忘れていた」というのは楽器の持ち方やバルブオイルの注し方などに限らず、吹き方や体の使い方、感覚(イメージ)も含みます。
例えば、復帰してすぐに楽器を吹いてみたところ音が出なかった、ということがあったとして、でもそれは決して「吹き方を知らない」から音が出なかったのではありませんね。10年前とは言え、経験してきたことですからイメージは頭の中には残っているはず。それができかなった。「なぜだ?昔はできていたのに。」という展開になります。

これがどういう意味を持っているかは、この後お話します。


《初めて知るということ》
話は変わりますが、自転車に乗れるという方、結構多いはずです。僕も確か小学校低学年の時に自転車に補助輪なしで乗れるようになったことを覚えていますが、よくよく考えてみると倒れないで自転車に乗り続けるって結構不思議じゃないですか?あんなに薄くて自立しないものを転びもせずにスイスイ乗ってしまっているって、当時から不思議でしかたありませんでした。でも乗りこなしてしまうとそんなこと考えませんよね。なぜ自分が自転車に乗れているのか、なんてことは。あたりまえのようになっている、ということですね。
トランペットを吹く、ということに関しても、吹いたことがない人にとってはとても不思議で未知なる世界のはずです。今トランペットを演奏しているみなさんも最初はそうだったことでしょう。調子が良いとか悪いとか、上手に吹けるとか吹けないとか、そういうことに関係なく、楽器から音を出す術を知っていて、とりあえず音階とか吹けちゃってる行為そのものに「なぜ自分はトランペットを吹くことができるのだ!」と疑問に感じることって、あまりないですよね。


《久しぶりにすること》
小学生の頃は毎日自転車に乗ってあちこち移動していました。でも大人になってからはほとんど乗る機会もなくなって、今ではすっかり乗らなくなってしまいました(引っ越して移動環境が変わったので、あったかい春になったら購入しようか検討中)。
しかし先日、自転車に乗る機会が久しぶりにありまして、乗れるのかな?と一瞬不安になったのですが、いざ乗ってみるとすんなり運転できました。感覚が残っていたのでしょう。違和感なく乗れてしまっている自分に関心しました。

今、自転車を例に出しましたが、何に関しても人間は一度経験したことが100%記憶から消えてしまう、ということはまずないと思います。少しやっているうちに「ああそうだった」と感覚的に思い出すことができるはずです。ですから、トランペットを吹くということもたとえ10年ブランクがあったとしても感覚は残っているのでイメージはしやすいはずです。


《悩む原因》
初めて経験することは「知らないことを覚えよう」とする行為で、これはまるで真っ白な紙に絵を描いていくような感じです。対して、久しぶりにすることは、イメージの中で完成された絵がすでに用意されているので、それを「模写するような感覚」に近いと思います。
イメージを実際に模写する、って構図とかは似せることができるでしょうが、まったく同じ色を出すとか、その当時使っていたペンや筆の状態が作り出すラインを再現するっていうことはなかなか難しいことです。しかもその完成された絵はイメージの中に残っていることですから、美化されていたり、変化していたりと、抽象的になっていてますます厄介です。(全然関係ないですが、ドラクエのモシャスって呪文は「模写する」から来てると今知った!どうでもいい。)

なので、結果的にそういったイメージを再現しようとしているのにもかかわらず、実際に出てきた音色も吹いた感覚もだいぶ違います(ほとんどの場合、ひどい結果と感じる)。これが最初に書いた「なぜだ?昔はできていたのに」ということにつながるんです。


《過去の自分と比較をしない》
その人の性格にもよると思いますが、トランペットを演奏する、ということに限って言えば大抵の場合「ベストだった時のイメージ」が色濃く残っていると思います。昔演奏していた楽譜を何年ぶりかに見つけて「こんな難しい楽譜、当時は吹いていたんだよなぁ。すごいな自分」って思ったことありませんか?
でも、それは練習を積み重ねて、必死に頑張ってきた(と思われる)当時の結果ですから、ブランクがある今、その時と比較するのは意味がありませんよね。
ですから、復帰したての時はまず「過去の自分と比較をしない」という前提でトランペットを手にすることが大切です。
1からやり直すとまでは思わなくても良いのですが、「昔はできていたのに!なんでだ!」と強引に解決しないよう、注意しましょう。(ちなみに「昨日できていたのに!なんでだ!」ということもあるのですが、これは原因追及を冷静にすれば見えてくることがほとんどですので、落ち着いて考えましょう。)

というころで、今回は長いブランクから復帰する時(した時)にどんな考え方でいられるとベストか、について書いてみました。
次回は復帰後、実際にどんな練習をすると良いか書いていこうと思います。

それでは、また来週!


当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。

at 10:49, 荻原明(おぎわらあきら), バテ・不調・緊張・ミス

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寛容さ








皆様、あけましておめでとうございます!
昨年も「ラッパの吹き方」をお読み頂き、ありがとうございました。当ブログは今年で何と6年目に突入します!すごい!

今年もどうぞよろしくお願い致します。


《上下関係》
音楽をやっている人というのは、そうでない人に比べると、より多くの人と接する機会があるように思います。一緒に演奏をする、そのメンバーでひとつの作品を完成させる、一緒にステージに立ってお客さんを楽しませる。例えひとつの本番だけで終わってしまう関係だったとしても、一緒に音楽をしている時間というのはかなり濃密なものになります。
付かず離れずみたいなアバウトな接し方では作られる音楽も浅く、それなりのものしか完成しません(仲がよければ良いってわけでもないですけどね)。

そんな音楽をする仲間であっても、お互いの関係は様々です。みなさん生活環境にもありますよね。部活動や会社などでは先輩後輩、部下上司、、、みんなとフランクに接することができるわけではないはず。厳しい先輩もいれば友達のように接せられる上司もいるかもしれません。

で、自分はどうだったかな、と大学生の頃を思い出してみたんです。


《体育会系音楽大学》
僕が大学生だった頃、今からもう20年近く前になるでしょうか。当時の音大、というよりも金管楽器の専攻生だけですが、本当に上下関係が厳しかったんですね。まあ、中高生の部活動も吹奏楽部は運動部に匹敵するほどの厳しさがどの学校にもあったので、みんな慣れっこだったのですが。
その時代に生きていた者としては、今の音大生は本当にみんな仲良くて楽しそうだな、と感じますが(どこでもみんながそうとは限りませんが)、一方で物足りなさや、こんなユルくて大丈夫なのか?と心配になってしまうのも正直なところです。耐震化されてないまま社会に出て、ボロボロに崩れたりしないのかな?とか余計なお世話なんですけどね。

で、僕の時代は厳しく厳しく、先輩に言われたことは絶対!といった関係の中で構築された信頼関係の下で毎日一緒に生活をしていたので、いざ自分が先輩になった時、後輩に対しては「しっかりした先輩」としての存在価値でいたいと力んでる自分がいました。
結果どうなったかと言うと、クドくて説教臭かったんです。厳しさの履き違いってヤツでしょうか。価値観の押しつけと言いますか、自分の中で「正しい」と思ったことしか認めないといった接し方をしていたと思います。だから、後輩がとる行動に対してひとつひとつ「その場合はこうするべきだ」という感じでアドバイスなのかただのおせっかいなのか、ともかく、後輩からしてみれば「余計なお世話」「お前に関係ないだろ」という感情があったと思います。いや、絶対あったはず。

めんどくさい先輩でしたね。ごめんなさいね、後輩さん方。今更言うなって?


《噛み合ない会話》
じゃあ今の荻原はどんな感じかと言いますと、こんな記事を書くことができるまでの客観的視点を持てていることからもわかる通り(未だ完治はしていないと思いますが)かなり寛容になったんじゃないかと思います。歳取ってユルくなったんでしょうかね。人は人、自分は自分、って感じで接するようになりました。

こんな状態になってしまったので、今度は大学生当時の自分みたいな人に出会うと、とても窮屈に感じてしまうようになりました。
具体的には、その人の話題に乗っかって「そうだよね、◯◯って感じだよね」と言った時に、「違うよ。◯◯じゃなくて△△だよ」と否定から入ってくる時なんです。
自分の完全なる勘違いや、内容をまったく理解できていなくてトンチンカンな受け答えをしていたのなら、もちろん僕が悪いです。
でも、この会話に出てくる◯◯と△△は、ほぼ同じ内容、辞書で調べたら類語として出てくるくらい近いものだったりすることがとても多いのです。
もちろん、いろんな可能性がありますから、その人の考えや経験などからも否定から入ってくる可能性があるのはわかります。でもこういったタイプの会話をする人は結構いつもこの調子だったり、特定の話題(その人の専門とすることや、一番大切にしていること)の時に、よく出てくるパターンだな、と感じます。

要するに、その人がイメージしている完成された会話のパターンをジグソーパズルのようにはめ込もうとしているせいで、特定の単語以外はすべて認めないという姿勢になっている人、ということなんですが、そういった方、身近にいますか?大学生の頃の自分がそうだった気がしてならないのですが。。。めんどくさい人間だったなぁ、申し訳なかったなぁ、と反省します。


《方向性を一致させる》
(だんだん音楽の話になっていくのでもう少しおつきあい下さい)
こういったパターンの人が音楽をやっていると、合わせにくい時が多いように感じます。
なぜなら、この人は「絶対に譲れないほどの力で理想や完成図を持っているから」なんです。だから、その人のイメージする演奏や音色を持っている人を絶賛し、そうでない人は否定から入ってくる、そんなパターンになりがちなんですね。だから難しい。

しかし、そんなこと言ってられませんよね管楽器奏者は。そんなに理想に適合する演奏ができる人なんていませんからね。
だからどうするか。「お互いがすり寄っていく」これが大切だと思うのです。

妥協とか、譲歩ではありません。自分の理想や完成図を放棄してお茶を濁すようにするわけでもありません。お互いが高い理想を持っていることはそれでいいのです。大切なことは「方向性を一致させる」という点です。同じ方向を向けば良いのです。

個性は失ってはいけません。それはとても大切なことだし、個性があるから音楽も楽しいのです。そういった個性のある人間たちが、同じ方向に向いて、同じ目的を持って歩いている。これが音楽であり、アンサンブルなのだと僕は思っています。

相手が主張してきたことを否定するのではなく「なるほど、そういうやり方もあるんだね」と受け入れる寛容さ、自分が持っていなかったことを「興味深い」「楽しい」と感じられる好奇心。これが音楽を面白くするスパイスなのだと思っています。

自分の考え方と完全にピッタリはまった時の快感はもちろんあります。でもそんなことを求めていたら、かえって窮屈で頑固なものしか作れないと思いますし、メンバーによって、作品によって完成度にムラができてしまいます。個性も発揮されたりされなかったりと、不安定になりがちですから、寛容に、そして楽しむ心と主張する力、これらを上手に出していけたら、ストレスなく演奏できるのではないかと考えています。


最近あまりトランペットの話という感じではなくなっていて申し訳なかったのですが、どうしても書いておきたかったので記事にさせてもらいました。

それでは、次回はこれまでに頂いたコメント、質問の中から記事にさせて頂こうと思います。
今年も皆さんからのコメント、お待ちしております!

それではまた来週!

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at 04:50, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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