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荻原 明
【販売部数1000部達成!】「ラッパの吹き方」ブログ著者、荻原明 初の教則本!ウォームアップと奏法の基礎を身につけられる一冊です!
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2012.06.26 Tuesday
質の変わらない吹奏楽部
みなさんこんにちは!
先月作った「ラッパの吹き方bot」、おかげさまで沢山の方にフォロー、リツイートをして頂いております。ありがとうございます。
このブログもbotもトランペットのために書いた内容がメインではありますが、トランペット以外の楽器や、楽器でなくても音楽をされている方すべてに参考になる内容が沢山ありますので、同じ部活や団体のお友達にもぜひおすすめしてください!そしてよかったらフォローもお願いします!
>>「ラッパの吹き方bot」詳しくはこちら!
さて、今週の内容ですが、今回はどちらかと言うと指導をされている方に対しての内容になるかと思います。もちろん、実際に演奏されている方にも考えてもらいたい内容ですので、ぜひご一読を。
《近所の全国バンド》
僕が高校生の時、近所にとても吹奏楽が盛んな高校がありました。いわゆる全国大会常連校というやつ。
隣近所でしたから、中学生の頃からコンサートがあればちょいちょい聴きにいって、ホントすごいなあ、高校生でこんなにレベルの高い演奏ができるんだなあ、と関心しっぱなしでしたし、憧れでした。
ただ、何度もこの学校のコンサートに行くうちに疑問を持つようになりました。それは、
「何年経っても、いつでも、常に同じ音楽だ」
ということ。
どういうことかと言うと、学校の部活動というのは年度ごとに大幅なメンバー入れ替えがありますよね。基本的にはどこの学校でもトップ奏者は主に最上級生でしょう。トップ奏者はバンドの顔です。この人たちが音楽の中心になっているのですから、トップメンバーがほぼ全員入れ替わるということは、結果作られる音楽は少なからず変化するのが通常です。でもこの学校は昔からずっと変わらない高品質な演奏をしています。もちろん、ずば抜けてレベルの高い奏者がいることも度々あって、その時のそのパートはとても目立ってはいましたが「今年のこのパートは下手だなぁ」と思うことは当時一回もありませんでした。でもこの学校、公立だし、推薦でレベルの高い奏者を引っ張ってきているわけではなかったと思います。
ではなぜレベルが落ちないのか。
《変わらない質の正体》
この高校の質の高さはずば抜けた「表現力」でした。とにかく深く独特な歌い方が特徴的で、後にも先にも他にこの学校のような吹奏楽を聴いたことはありません。
そして何年経っても質が変わらない、質が落ちないと感じていたのは、表現方法、歌い方が変わらないからなんだな、ということに気付いたんです。
奏者全員がどんな時でも常に同じ歌い回しをする。もちろん全員が好き勝手すぎる歌い方をするのは音楽が崩れてしまいますから、統一された表現をすることはとても大切なことです。でもここで感じたのは「個性的であって個性的でない」ということ。どういうことかと言うと、歌い方そのものは非常に個性的でオリジナリティ溢れる表現なのですが、50人いれば50人、寸分違わずほぼまったく同じことをしているので非常に違和感を感じることもあったんです(それがこの吹奏楽部の特徴なのですが)。
多分ですが「表現方法をマニュアル化」する方法を取っていたのではないかと思います。
合奏で指揮者(指導者)が徹底的に歌い方についてのレッスンをして、それを全員が揃うように再現していくのでしょう。
ですから、カンタービレというのがどういうものか、今演奏しているこの場面ではどんなテンポの緩急をするべきなのか、そういった指示がかなり綿密に行われる合奏練習だったのではないかと。完全に憶測ですけどね。
常にこういった合奏をしていれば、奏者はこの練習方法に違和感を覚えるはずもなく、それが曲作りだという認識のもと作品を完成させていくはずです。
この指導方法については批判はしません。むしろ尊敬しています。
そもそも指導している人の音楽性が相当高くないとこういった練習はできませんし、奏者に伝えることもできません。そしてこの方法が結果としてコンクールなどでも高い評価を受けているわけですから、言ってしまえば「中高生の吹奏楽で高い完成度を保つためのひとつの方法」です。
ただ、自分にはこれはできないな、と思っていますし、するつもりもありません。それが例え中高生の吹奏楽だったとしても、音楽的な表現を徹底的に統一して同じ人間が50人揃っているような演奏は自分が目指す音楽ではないからです。
以前このブログの中で室内楽(アンサンブル)について書いた時『「プレイヤー全員が主張しつつ寄り添い合っているというバランス」が良い状態に保たれていれば自然と「そのメンバーだからこそできる作品作り」につながっていくはずです。』ということを言いました。僕の目指す音楽はマニュアル化した統一感ではなく、あくまでもその時のメンバーでしかできない刺激から生まれた音楽なんです。
先程の高校吹奏楽、否定はしませんがちょっと悪い言い方をすれば、目指す音楽を完成させるためには演奏する人は誰だって良くて、各奏者は一つの大きな作品を完成させるためのパーツでしかない、という感じ。したがって、毎年メンバーが変わっても高い質を保っていられるわけです。
この方法は賛否両論でしょう。部活動に対して、子どもたちを教えるということに対して、何を優先しているかで考え方も全然変わりますし。
それに、この方法はプロ集団では絶対にできないことですから、自分が強い違和感を持ってしまうのかもしれません。
美しい音楽を作り上げる、歌うということは(あくまで一例として)こういうことなんだよ、という最初のきっかけとしては非常に良い経験になるのかもしれませんね。巨大な表現力の引き出しを持つことができるので、ここで歌うことに対して自覚ができれば、音楽性豊かな表現ができる奏者になる人は多いはずです。毎日毎日テンポとピッチとフィンガリングミスをしないことばかり指摘して合奏をしている指導者に比べたら雲泥の差でしょう。
《シンクロとドタバタ劇》
これらのことをわかりやすく例えてみましょう。
この吹奏楽部の目指していた「完成形」は、水泳競技のシンクロナイズド・スイミングなんです。全員が寸分の狂いもなく動きを統一させる美しさが魅力です。
しかし、僕はシンクロよりも、台本もそこそこに演じている(ように見える)ドタバタ劇が好きなんです。ドタバタ劇ってわかりますかね?三谷幸喜さんの舞台や映画、と言えば分かるでしょうか。出演者は好き勝手に演じているように見えて、ひとつの線上にあるストーリーからは逸脱することなくエンディングに向かって進行しています。シンクロと大きく違うのはドタバタ劇に登場する人物はみんな個性豊かなんです。全然統一感がない。
筒井康隆さんの小説も昔から大好きでよく読むんですが、結局自分の中にはそういった「質」を好む傾向があります。だから自分が音楽で「表現」する時にも無意識にそれを求めているんだと思います。
計算し尽くされた完成度が露骨に出ている表現て自分は好まないんですよね。
でもどちらを好むかは人それぞれですから、これらに優劣とかはありませんよ。
《指導者が持っているべきこと、奏者が持っているべきこと》
話を戻します。
先程の全国バンド、カリスマ性も指導力も音楽性も高い指揮者がいる学校だからこその結果だと思いますが、これはかなり希(まれ)で良い指導者に恵まれています。どの学校でもできるわけではありません。
ですから、この全国バンド高校を真似してそれぞれの部活動の音楽レベルを上げようとするよりも、指導者はその楽器の持つ美しい音色や、美しいハーモニーとは、歌うということはこういうものだというあくまで一例としての指針を示してあげることに限定し(可能な限り示すことは大切!情報がゼロでは何も発展しません)、個性を潰すような限定的な徹底指導までは深入りせずに自由に演奏させることが良い方法なのではないかと思っています。
どんな音楽を目指すのか「進むべき方角」は必ず示し続けなければ本当にただのドタバタにしかなりませんから、そのバランス感覚が重要でしょう。
そして演奏する側、奏者同士はそれぞれの個性、考え方の違いを否定せずに受け入れ(あいつは俺と考えも演奏の仕方も違う→だから合わない→一緒にやりたくない、にならないようにする!)、そして自分自身もしっかりと「どう演奏、表現したいのか」を相手にわかるように主張する、このバランスを常に保っていられることが面白い曲作りを作り出す良い方法だと思います。この刺激がたまらないんですよね、音楽って。
「統一する」というのは個性を潰して(自分の考えを出さないで)相手がどう出るか探り合っているようでは成立しません。
《メンバー交代する部活動》
今、まさに吹奏楽コンクールに向けて頑張っている方が沢山いらっしゃると思います。
同時にこのコンクールを最後に引退してしまう先輩も沢山いらっしゃることでしょう。コンクールのタイミングで引退しなくとも、いずれ必ず引退時期は来るので心に留めておいて欲しいのですが、後輩の方は先輩が引退してしまうことを悲観的に捉えないで欲しいんです。
もちろん、信頼、尊敬してきた一緒に頑張った先輩方ともう演奏できなくなってしまうことは悲しいことではあります。しかし、
「今の先輩方がいなくなったら演奏レベルが下がっちゃう!」
とか思わないで下さい。
今みなさんが所属している吹奏楽は今のメンバーだからできる音楽を作っています。ですから、先輩方が引退された後に待っているものは「先輩方が引退した後にしか作れないメンバーでの新しい音楽」です。
今までにはなかった新しい刺激、新しい化学反応に期待を高めてほしいんです。
だからこそ、今のメンバーでしか作れない「今の音楽」にも絶対悔いが残らないように自分が表現できることは怖れることなく出し切って下さい。先輩方は悔いのないよう自分自身も部活としても精一杯頑張って下さい。
テンポだピッチだなんてことばかりを考えるのではなく(もちろん重要ですけどね)、今いるメンバー全員がそれぞれの個性を出し切れるだけ出し切った時の強い刺激から生まれる音楽を感じ、それを充分に楽しんで下さい。
今回の内容、難しかったですかね?(文章の表現力が低いから難しいってのは勘弁して下さい(笑))
めちゃくちゃ簡単に言えば今回の記事は
「やりたい放題演奏しちゃいなよ」
ってことです。そこからです。
今回は意見の分かれることを強く書いてしまいました。
でもそれが音楽なんですよね。正解も不正解もないから、いろんな考えがあるから音楽は興味深いんです。
なので、強制する気はないです。こんな考えもあるのか、程度に思ってもらえればそれで充分。
それではまた来週!
先月作った「ラッパの吹き方bot」、おかげさまで沢山の方にフォロー、リツイートをして頂いております。ありがとうございます。
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さて、今週の内容ですが、今回はどちらかと言うと指導をされている方に対しての内容になるかと思います。もちろん、実際に演奏されている方にも考えてもらいたい内容ですので、ぜひご一読を。
《近所の全国バンド》
僕が高校生の時、近所にとても吹奏楽が盛んな高校がありました。いわゆる全国大会常連校というやつ。
隣近所でしたから、中学生の頃からコンサートがあればちょいちょい聴きにいって、ホントすごいなあ、高校生でこんなにレベルの高い演奏ができるんだなあ、と関心しっぱなしでしたし、憧れでした。
ただ、何度もこの学校のコンサートに行くうちに疑問を持つようになりました。それは、
「何年経っても、いつでも、常に同じ音楽だ」
ということ。
どういうことかと言うと、学校の部活動というのは年度ごとに大幅なメンバー入れ替えがありますよね。基本的にはどこの学校でもトップ奏者は主に最上級生でしょう。トップ奏者はバンドの顔です。この人たちが音楽の中心になっているのですから、トップメンバーがほぼ全員入れ替わるということは、結果作られる音楽は少なからず変化するのが通常です。でもこの学校は昔からずっと変わらない高品質な演奏をしています。もちろん、ずば抜けてレベルの高い奏者がいることも度々あって、その時のそのパートはとても目立ってはいましたが「今年のこのパートは下手だなぁ」と思うことは当時一回もありませんでした。でもこの学校、公立だし、推薦でレベルの高い奏者を引っ張ってきているわけではなかったと思います。
ではなぜレベルが落ちないのか。
《変わらない質の正体》
この高校の質の高さはずば抜けた「表現力」でした。とにかく深く独特な歌い方が特徴的で、後にも先にも他にこの学校のような吹奏楽を聴いたことはありません。
そして何年経っても質が変わらない、質が落ちないと感じていたのは、表現方法、歌い方が変わらないからなんだな、ということに気付いたんです。
奏者全員がどんな時でも常に同じ歌い回しをする。もちろん全員が好き勝手すぎる歌い方をするのは音楽が崩れてしまいますから、統一された表現をすることはとても大切なことです。でもここで感じたのは「個性的であって個性的でない」ということ。どういうことかと言うと、歌い方そのものは非常に個性的でオリジナリティ溢れる表現なのですが、50人いれば50人、寸分違わずほぼまったく同じことをしているので非常に違和感を感じることもあったんです(それがこの吹奏楽部の特徴なのですが)。
多分ですが「表現方法をマニュアル化」する方法を取っていたのではないかと思います。
合奏で指揮者(指導者)が徹底的に歌い方についてのレッスンをして、それを全員が揃うように再現していくのでしょう。
ですから、カンタービレというのがどういうものか、今演奏しているこの場面ではどんなテンポの緩急をするべきなのか、そういった指示がかなり綿密に行われる合奏練習だったのではないかと。完全に憶測ですけどね。
常にこういった合奏をしていれば、奏者はこの練習方法に違和感を覚えるはずもなく、それが曲作りだという認識のもと作品を完成させていくはずです。
この指導方法については批判はしません。むしろ尊敬しています。
そもそも指導している人の音楽性が相当高くないとこういった練習はできませんし、奏者に伝えることもできません。そしてこの方法が結果としてコンクールなどでも高い評価を受けているわけですから、言ってしまえば「中高生の吹奏楽で高い完成度を保つためのひとつの方法」です。
ただ、自分にはこれはできないな、と思っていますし、するつもりもありません。それが例え中高生の吹奏楽だったとしても、音楽的な表現を徹底的に統一して同じ人間が50人揃っているような演奏は自分が目指す音楽ではないからです。
以前このブログの中で室内楽(アンサンブル)について書いた時『「プレイヤー全員が主張しつつ寄り添い合っているというバランス」が良い状態に保たれていれば自然と「そのメンバーだからこそできる作品作り」につながっていくはずです。』ということを言いました。僕の目指す音楽はマニュアル化した統一感ではなく、あくまでもその時のメンバーでしかできない刺激から生まれた音楽なんです。
先程の高校吹奏楽、否定はしませんがちょっと悪い言い方をすれば、目指す音楽を完成させるためには演奏する人は誰だって良くて、各奏者は一つの大きな作品を完成させるためのパーツでしかない、という感じ。したがって、毎年メンバーが変わっても高い質を保っていられるわけです。
この方法は賛否両論でしょう。部活動に対して、子どもたちを教えるということに対して、何を優先しているかで考え方も全然変わりますし。
それに、この方法はプロ集団では絶対にできないことですから、自分が強い違和感を持ってしまうのかもしれません。
美しい音楽を作り上げる、歌うということは(あくまで一例として)こういうことなんだよ、という最初のきっかけとしては非常に良い経験になるのかもしれませんね。巨大な表現力の引き出しを持つことができるので、ここで歌うことに対して自覚ができれば、音楽性豊かな表現ができる奏者になる人は多いはずです。毎日毎日テンポとピッチとフィンガリングミスをしないことばかり指摘して合奏をしている指導者に比べたら雲泥の差でしょう。
《シンクロとドタバタ劇》
これらのことをわかりやすく例えてみましょう。
この吹奏楽部の目指していた「完成形」は、水泳競技のシンクロナイズド・スイミングなんです。全員が寸分の狂いもなく動きを統一させる美しさが魅力です。
しかし、僕はシンクロよりも、台本もそこそこに演じている(ように見える)ドタバタ劇が好きなんです。ドタバタ劇ってわかりますかね?三谷幸喜さんの舞台や映画、と言えば分かるでしょうか。出演者は好き勝手に演じているように見えて、ひとつの線上にあるストーリーからは逸脱することなくエンディングに向かって進行しています。シンクロと大きく違うのはドタバタ劇に登場する人物はみんな個性豊かなんです。全然統一感がない。
筒井康隆さんの小説も昔から大好きでよく読むんですが、結局自分の中にはそういった「質」を好む傾向があります。だから自分が音楽で「表現」する時にも無意識にそれを求めているんだと思います。
計算し尽くされた完成度が露骨に出ている表現て自分は好まないんですよね。
でもどちらを好むかは人それぞれですから、これらに優劣とかはありませんよ。
《指導者が持っているべきこと、奏者が持っているべきこと》
話を戻します。
先程の全国バンド、カリスマ性も指導力も音楽性も高い指揮者がいる学校だからこその結果だと思いますが、これはかなり希(まれ)で良い指導者に恵まれています。どの学校でもできるわけではありません。
ですから、この全国バンド高校を真似してそれぞれの部活動の音楽レベルを上げようとするよりも、指導者はその楽器の持つ美しい音色や、美しいハーモニーとは、歌うということはこういうものだというあくまで一例としての指針を示してあげることに限定し(可能な限り示すことは大切!情報がゼロでは何も発展しません)、個性を潰すような限定的な徹底指導までは深入りせずに自由に演奏させることが良い方法なのではないかと思っています。
どんな音楽を目指すのか「進むべき方角」は必ず示し続けなければ本当にただのドタバタにしかなりませんから、そのバランス感覚が重要でしょう。
そして演奏する側、奏者同士はそれぞれの個性、考え方の違いを否定せずに受け入れ(あいつは俺と考えも演奏の仕方も違う→だから合わない→一緒にやりたくない、にならないようにする!)、そして自分自身もしっかりと「どう演奏、表現したいのか」を相手にわかるように主張する、このバランスを常に保っていられることが面白い曲作りを作り出す良い方法だと思います。この刺激がたまらないんですよね、音楽って。
「統一する」というのは個性を潰して(自分の考えを出さないで)相手がどう出るか探り合っているようでは成立しません。
《メンバー交代する部活動》
今、まさに吹奏楽コンクールに向けて頑張っている方が沢山いらっしゃると思います。
同時にこのコンクールを最後に引退してしまう先輩も沢山いらっしゃることでしょう。コンクールのタイミングで引退しなくとも、いずれ必ず引退時期は来るので心に留めておいて欲しいのですが、後輩の方は先輩が引退してしまうことを悲観的に捉えないで欲しいんです。
もちろん、信頼、尊敬してきた一緒に頑張った先輩方ともう演奏できなくなってしまうことは悲しいことではあります。しかし、
「今の先輩方がいなくなったら演奏レベルが下がっちゃう!」
とか思わないで下さい。
今みなさんが所属している吹奏楽は今のメンバーだからできる音楽を作っています。ですから、先輩方が引退された後に待っているものは「先輩方が引退した後にしか作れないメンバーでの新しい音楽」です。
今までにはなかった新しい刺激、新しい化学反応に期待を高めてほしいんです。
だからこそ、今のメンバーでしか作れない「今の音楽」にも絶対悔いが残らないように自分が表現できることは怖れることなく出し切って下さい。先輩方は悔いのないよう自分自身も部活としても精一杯頑張って下さい。
テンポだピッチだなんてことばかりを考えるのではなく(もちろん重要ですけどね)、今いるメンバー全員がそれぞれの個性を出し切れるだけ出し切った時の強い刺激から生まれる音楽を感じ、それを充分に楽しんで下さい。
今回の内容、難しかったですかね?(文章の表現力が低いから難しいってのは勘弁して下さい(笑))
めちゃくちゃ簡単に言えば今回の記事は
「やりたい放題演奏しちゃいなよ」
ってことです。そこからです。
今回は意見の分かれることを強く書いてしまいました。
でもそれが音楽なんですよね。正解も不正解もないから、いろんな考えがあるから音楽は興味深いんです。
なので、強制する気はないです。こんな考えもあるのか、程度に思ってもらえればそれで充分。
それではまた来週!
当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。
at 14:56, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方
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2012.06.19 Tuesday
3つの要素
みなさんこんにちは!
ものすごい根本的なことを質問します。
とても大きなくくりで考えて下さい。
「トランペットを吹く上で大切な要素は何でしょうか?」
これがないとトランペットを演奏できないよ、上手にならないよ、っていう「要素」です。唇と〜肺と〜、とかそういうのではなくて、目に見えないもので、ということで考えて下さい。
僕は大きく分けて3つあるのではないかと思っています。
ひとつは「知識」
もうひとつは「技術(テクニック)」
そして「音楽性(センス)」
この3つ。
なぜこの3つなのか、そしてこれらがなぜ大切なのかを今日は書いていきます。
《知識》
知識というと「=物知り」のような感じを持ってしまうかもしれませんが、もちろんそういった内容も含めた上での、もっと基本的なことからです。
例えば、
「トランペットはどうやって音を出すのか」
「トランペットの構造」
「楽譜が読める」
そんなことです。唇が振動して音が出ることを知らなければ音なんて出せないし、バルブオイルの存在を知らなければ、いつかはピストンが固まってしまいます。楽譜が読めなければ曲を演奏することは困難です。
そしてこの「知識」というものを広げていくと
「ウォームアップは大切だから毎日最初に行わなければいけない」
「基礎練習をしなければ指を上手に動かすことができない」
「音階や楽譜に書いてあることが理解できる」
なんて知識も経験的に持つようになると、どんな練習をするべきなのかがわかってきますね。上達への第一歩です。
そして更に知識を掘り下げてみると
「音楽の歴史を学び、演奏に反映させる」
「効率的な練習とは」
「トランペットの理想的なサウンドとは」
「オーケストラでの(それぞれの作品や場面での)トランペットの位置づけ」
「自分の目指す音楽とは」
などといったものが見えてくるのだと思います。
ですから、知識がないと上達は見込めませんよね。「知識」はトランペットを演奏する上での「核」「原動力」になっている部分とも考えられます。
《技術(テクニック)》
こちらも「知識」同様、単に「ものすごいテクニックを持つ」ということではありません。
「トランペットから音を出す」
「それぞれの音を吹くためのフィンガリングがわかっている」
「スラーとタンギングの吹き分けができる」
といった基本的なことも含まれます。
これをもっと発展させると
「コンディションが安定している」
「音をはずさない」
「ハイノート(高音域)、ロウノート(低音域)が吹ける」
「ある程度速いパッセージが演奏できる」
「楽譜に書かれているアーティキュレーション(スタッカートなど)が表現できる」
こんな感じしょうか。
さらに理想を言えば
「自分のイメージするサウンドや演奏表現が聴く人に伝えられる」
「指揮者から要求されたことを的確に表現できる」
「(演奏テクニックの)引き出しを沢山持っている」
ここまでこれたらプロですけどね。でも、練習すればできます。
テクニックがなくても聴く人に感動を与えることはできるのですが、やはり多くのテクニックを持っているほうが「伝える術(すべ)」を使い分けることができるので理解してもらいやすいんですよね。だから、技術(テクニック)は絶対必要です。
《音楽性(センス)》
同様に書いてみましょう。
基本的なことを言えば
「(音楽に限らず)これは良いね!素敵!と感じられる心を持っている」
「自分もこんなふうになりたい」
「こんな演奏をしてみたい」
「こんなプレイヤーになりたい」
あなたはこんな気持ちになりますか?なったことありますか?今まさに持っていますか?
音楽性というのは先程の「知識」のように頭を使ってストックしたものを導き出すものではありません。ストレートに心に生まれてくるものです。
ただし、他の人には見えない「心」に持っている部分を言葉ではなく音楽で(トランペットで)「表現」するには先程書いた「知識」と「技術」が絶対不可欠です。
私たち人間は「言葉」を使って自分の気持ちや要求を相手へ伝える作業を繰り返しています。子どもの頃はボキャブラリーが少ない(知識が浅い)のは当たり前ですから、どうしても親などに自分の気持ちを理解させるまでに時間がかかります。言葉をまだ知らない赤ちゃんが泣いて自分の要求をアピースするのはそのためですね。悲しいわけじゃないみたいですよ、あれ。
ステージ上で音楽をする時、私たちは言葉を使って表現することができません。何とかして「音の羅列」を「気持ちを伝える」に変えなければいけませんし、それが演奏する側の使命です。
ですから「こんなに練習しました!ドヤァ」ってだけでは聴いてる側は面白くありません。
お客さんが「楽しい!」「なんか切ない...」「踊りたくなった!」「自然と一緒に歌ってた!」なんて気持ちになってもらうために音楽を演奏するのです。そこ忘れないようにしましょう。初心者とかアマチュアとかプロとか、トランペットを持ったらそんなの関係ありません。
で、話を戻すと、この音楽性(センス)を表現できたとして、それがお客さんに伝えることができても、認められる、共感を得られるかどうかは別の話なんですね。
(その作者にとって)渾身の芸術作品!と言われても理解できない絵画や彫刻があるのは事実です。それは自分のセンスと作者のセンスが噛み合ってないからです。
しかし、大多数の人間が共感を持てないものに自分だけがすごく感動する、なんてこともあります。
もっと簡単に言えば、(異論はあると思いますが、一般的なイメージとしての例ですのでご理解下さい)小さな女の子の大多数が「好きな色=ピンク」なんて言う中でひとりの女の子が「私は紫が好き!」と言う、なんてことありますよね。
鶏の唐揚げでみんなが盛り上がっている中、粕漬けをひとり好んで食べるとか。
これ、みんなそれぞれの人間の持つセンスです。
大多数が持つセンスが正しいというわけではないし、少数意見が間違ってるわけでもありません。
その人のセンスは誰にも否定できません。
同じように音楽を演奏する上でその人がどんな演奏をするのかは自由です。
でもそれがお客さんに共感してもらえるかは別な話。
センス、個性を全開にして演奏することは悪いことではありませんが、やはり「一般的な範囲」を知っているかどうかは大事だと思います。あまりに斬新な演奏しかできないクセの強いプレイヤーは他の演奏者にもお客さんにも認められにくいものです。
そのためにやはり自分自身が「良い」「好きじゃない」といった両極端な表現されたものに沢山触れることは自分のセンスを磨くのに必要不可欠なことですね。だからよく「美術館に沢山足を運びなさい」「他の芸術にも沢山触れなさい」を言う人が多いんです。自分もそう思ってますし。
練習だけ一生懸命していれば上質な演奏ができるようになるのであれば、誰もコンサートや美術館に行きましょう、なんて言いませんよね。そんな時間があったら練習しろ!としか言わないと思います。
ということでこれら3つの要素「知識」「技術(テクニック)」「音楽性(センス)」をバランス良く持っていることが上達する上でとても大切なことなんです。そして、どれがが頭でっかちにならないようにそれぞれが影響し合って成長することが理想的です。
知識だけが先行してしまうと、感動を生む演奏から遠くなりがちです。
技術だけが先行してしまうと、曲芸師になってしまいます。
センスだけが先行してしまうと、理想と現実のギャップに酷く悩むことになります。
これらが一概に悪いということではありません。こういった状態が起爆剤になって他の要素の成長を促すこともありますから。
ということで、今回は原点に戻って音楽を演奏する上での大切な3つの要素について書きました。
難しく考えずに自分自身は今どんな感じかな?って考えてみて下さい。
でもこの3つの要素を上回るもっともっと大切なことがあります。それは
「楽しいと感じる気持ち」
です!練習していても本番でもいつもとにかく楽しんで下さい!
それではまた来週!
ものすごい根本的なことを質問します。
とても大きなくくりで考えて下さい。
「トランペットを吹く上で大切な要素は何でしょうか?」
これがないとトランペットを演奏できないよ、上手にならないよ、っていう「要素」です。唇と〜肺と〜、とかそういうのではなくて、目に見えないもので、ということで考えて下さい。
僕は大きく分けて3つあるのではないかと思っています。
ひとつは「知識」
もうひとつは「技術(テクニック)」
そして「音楽性(センス)」
この3つ。
なぜこの3つなのか、そしてこれらがなぜ大切なのかを今日は書いていきます。
《知識》
知識というと「=物知り」のような感じを持ってしまうかもしれませんが、もちろんそういった内容も含めた上での、もっと基本的なことからです。
例えば、
「トランペットはどうやって音を出すのか」
「トランペットの構造」
「楽譜が読める」
そんなことです。唇が振動して音が出ることを知らなければ音なんて出せないし、バルブオイルの存在を知らなければ、いつかはピストンが固まってしまいます。楽譜が読めなければ曲を演奏することは困難です。
そしてこの「知識」というものを広げていくと
「ウォームアップは大切だから毎日最初に行わなければいけない」
「基礎練習をしなければ指を上手に動かすことができない」
「音階や楽譜に書いてあることが理解できる」
なんて知識も経験的に持つようになると、どんな練習をするべきなのかがわかってきますね。上達への第一歩です。
そして更に知識を掘り下げてみると
「音楽の歴史を学び、演奏に反映させる」
「効率的な練習とは」
「トランペットの理想的なサウンドとは」
「オーケストラでの(それぞれの作品や場面での)トランペットの位置づけ」
「自分の目指す音楽とは」
などといったものが見えてくるのだと思います。
ですから、知識がないと上達は見込めませんよね。「知識」はトランペットを演奏する上での「核」「原動力」になっている部分とも考えられます。
《技術(テクニック)》
こちらも「知識」同様、単に「ものすごいテクニックを持つ」ということではありません。
「トランペットから音を出す」
「それぞれの音を吹くためのフィンガリングがわかっている」
「スラーとタンギングの吹き分けができる」
といった基本的なことも含まれます。
これをもっと発展させると
「コンディションが安定している」
「音をはずさない」
「ハイノート(高音域)、ロウノート(低音域)が吹ける」
「ある程度速いパッセージが演奏できる」
「楽譜に書かれているアーティキュレーション(スタッカートなど)が表現できる」
こんな感じしょうか。
さらに理想を言えば
「自分のイメージするサウンドや演奏表現が聴く人に伝えられる」
「指揮者から要求されたことを的確に表現できる」
「(演奏テクニックの)引き出しを沢山持っている」
ここまでこれたらプロですけどね。でも、練習すればできます。
テクニックがなくても聴く人に感動を与えることはできるのですが、やはり多くのテクニックを持っているほうが「伝える術(すべ)」を使い分けることができるので理解してもらいやすいんですよね。だから、技術(テクニック)は絶対必要です。
《音楽性(センス)》
同様に書いてみましょう。
基本的なことを言えば
「(音楽に限らず)これは良いね!素敵!と感じられる心を持っている」
「自分もこんなふうになりたい」
「こんな演奏をしてみたい」
「こんなプレイヤーになりたい」
あなたはこんな気持ちになりますか?なったことありますか?今まさに持っていますか?
音楽性というのは先程の「知識」のように頭を使ってストックしたものを導き出すものではありません。ストレートに心に生まれてくるものです。
ただし、他の人には見えない「心」に持っている部分を言葉ではなく音楽で(トランペットで)「表現」するには先程書いた「知識」と「技術」が絶対不可欠です。
私たち人間は「言葉」を使って自分の気持ちや要求を相手へ伝える作業を繰り返しています。子どもの頃はボキャブラリーが少ない(知識が浅い)のは当たり前ですから、どうしても親などに自分の気持ちを理解させるまでに時間がかかります。言葉をまだ知らない赤ちゃんが泣いて自分の要求をアピースするのはそのためですね。悲しいわけじゃないみたいですよ、あれ。
ステージ上で音楽をする時、私たちは言葉を使って表現することができません。何とかして「音の羅列」を「気持ちを伝える」に変えなければいけませんし、それが演奏する側の使命です。
ですから「こんなに練習しました!ドヤァ」ってだけでは聴いてる側は面白くありません。
お客さんが「楽しい!」「なんか切ない...」「踊りたくなった!」「自然と一緒に歌ってた!」なんて気持ちになってもらうために音楽を演奏するのです。そこ忘れないようにしましょう。初心者とかアマチュアとかプロとか、トランペットを持ったらそんなの関係ありません。
で、話を戻すと、この音楽性(センス)を表現できたとして、それがお客さんに伝えることができても、認められる、共感を得られるかどうかは別の話なんですね。
(その作者にとって)渾身の芸術作品!と言われても理解できない絵画や彫刻があるのは事実です。それは自分のセンスと作者のセンスが噛み合ってないからです。
しかし、大多数の人間が共感を持てないものに自分だけがすごく感動する、なんてこともあります。
もっと簡単に言えば、(異論はあると思いますが、一般的なイメージとしての例ですのでご理解下さい)小さな女の子の大多数が「好きな色=ピンク」なんて言う中でひとりの女の子が「私は紫が好き!」と言う、なんてことありますよね。
鶏の唐揚げでみんなが盛り上がっている中、粕漬けをひとり好んで食べるとか。
これ、みんなそれぞれの人間の持つセンスです。
大多数が持つセンスが正しいというわけではないし、少数意見が間違ってるわけでもありません。
その人のセンスは誰にも否定できません。
同じように音楽を演奏する上でその人がどんな演奏をするのかは自由です。
でもそれがお客さんに共感してもらえるかは別な話。
センス、個性を全開にして演奏することは悪いことではありませんが、やはり「一般的な範囲」を知っているかどうかは大事だと思います。あまりに斬新な演奏しかできないクセの強いプレイヤーは他の演奏者にもお客さんにも認められにくいものです。
そのためにやはり自分自身が「良い」「好きじゃない」といった両極端な表現されたものに沢山触れることは自分のセンスを磨くのに必要不可欠なことですね。だからよく「美術館に沢山足を運びなさい」「他の芸術にも沢山触れなさい」を言う人が多いんです。自分もそう思ってますし。
練習だけ一生懸命していれば上質な演奏ができるようになるのであれば、誰もコンサートや美術館に行きましょう、なんて言いませんよね。そんな時間があったら練習しろ!としか言わないと思います。
ということでこれら3つの要素「知識」「技術(テクニック)」「音楽性(センス)」をバランス良く持っていることが上達する上でとても大切なことなんです。そして、どれがが頭でっかちにならないようにそれぞれが影響し合って成長することが理想的です。
知識だけが先行してしまうと、感動を生む演奏から遠くなりがちです。
技術だけが先行してしまうと、曲芸師になってしまいます。
センスだけが先行してしまうと、理想と現実のギャップに酷く悩むことになります。
これらが一概に悪いということではありません。こういった状態が起爆剤になって他の要素の成長を促すこともありますから。
ということで、今回は原点に戻って音楽を演奏する上での大切な3つの要素について書きました。
難しく考えずに自分自身は今どんな感じかな?って考えてみて下さい。
でもこの3つの要素を上回るもっともっと大切なことがあります。それは
「楽しいと感じる気持ち」
です!練習していても本番でもいつもとにかく楽しんで下さい!
それではまた来週!
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at 10:41, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方
2012.06.05 Tuesday
コルネット/フリューゲルホルン 2
みなさんこんにちは!
前回はコルネットとフリューゲルホルンがどんな楽器なのか、ということを詳しく書いてみました。
コルネットの音色、聴いてみましたか?
今回は実際にコルネットやフリューゲルホルンを演奏する時に心に留めておいて欲しい点などを中心に書きますね。
※前回も書きましたが、この記事ではあくまでもトランペットをいつも吹いている人が吹奏楽などで「持ち替え楽器」として演奏する前提で書いていきます。ご了承下さい。
《奏法を変えない》
コルネットがトランペットとは構造が違うというのは前回の記事の通りです。このことは、トランペットを吹いている人が普通にコルネットを持ち替えればおのずと「コルネットの音」がするということにつながります。
したがって演奏する人がアンブシュアだとか息の入れ方だとか、そういった基本的な奏法を変えて演奏しなければいけない、ということは特にないんです。これまでこのブログでさんざん書いてきた通り「その楽器がちゃんと鳴る場所を捉えて演奏する」ことに終始していれば奏者自身の体の使い方を変える必要はありませんし、そんなことをしてしまうとかえって自分自身の奏法に支障が出てしまいかねません。
例えるならこれは「衣装チェンジをする」ようなもので、自分自身が違う人間に変身するわけではない、ということです。変身なんてできませんよね。
どんな楽器だって普通に吹けばその楽器はその楽器らしく答えてくれるものです。
《注意すべき点》
ただし、これは「コルネットは(正しく演奏した場合)どんな音色が出る楽器なのか」しっかりしたイメージを持っていることが大前提。そしてコルネットという楽器がそれぞれの作品にどういった立場で求められているのかを理解していることも大切です。
例えば吹奏楽の中で言えば「木管楽器(Bbクラリネットなど)と同じ動き」が書いてあることがあります。オーケストラの編曲作品に多く見られ、これは木管楽器の補強の場合が多いのではないかと思います。また、同様な意味でホルンやサックスと同じ動きの場合もあります。
トランペットが演奏していない時にコルネットがソロ(ソリ)的な役割で出てくることもあります。これはトランペットとは違うコルネットの音色を求めているから、という意味合いが強いのではないでしょうか。
このように「コルネットの音色」を知っておくこと、そして「楽曲や場面ごとにコルネットが求められていること」をしっかりと理解していることが非常に大切で、それができなければわざわざコルネットを持ち替える意味もなくなってしまいます。
音大生の時に初めてきちんとコルネットの音色を考えた、なんて前回の記事にも書きましたが、当時、大学が管理しているコルネットを借りてきて吹いていた時、通りがかりの先輩に「コルネットの音してないな」と指摘されたことがありました。そんなこと言ったって今コルネットを吹いているし、マウスピースだってそんなに浅いものを使っていたわけではないし、何が違うんだ?と思ったんですが、考えてみればコルネットがどんな音を出す楽器なのか、間近で聴いたことがなかったんですよね。要するにイメージがないまま吹いていたから、先輩に指摘をされてしまったのでした。
ですから、コルネットを演奏する時にはまず「コルネットのサウンド」をすぐイメージできるくらいにしておきましょう。そのためにはコルネットがどんなサウンドなのかを知らなくてはいけませんから、沢山の一流の演奏を聴いておきましょう(できれば生演奏が良いですがCDでもいいと思います)。これは新しい楽譜が配られて「おまえコルネットね」と言われてから研究が始まるようでは遅いので、日頃からコルネットの音に親しんでおくことが大切です。
個人的におすすめなのは、ウィントン・マルサリスがイーストマンウインド(ハンスバーガー指揮)と共演しているCDで、全てコルネットで演奏しています。もうとにかく超絶技巧の連続なので聴いていて爽快ですし、カンタービレで演奏するところも本当に素敵です。機会があったらぜひぜひ聴いてみて下さい。
《体型的な問題がカバーできる楽器》
こればコルネットだけに当てはまることですが、小学生くらいの年齢で小柄なお子さんがトランペットを演奏する時に、あえてコルネットから入ってみるというのはとても良い手段です。
トランペットは全長が長いので、手が小さく、握力も弱いお子さんが持つには結構大変です。楽器が重く感じられ、ベルが下がってきてしまい、口に当てているマウスピースの支点が下唇になってしまいます。
この状態で音を出す習慣が身に付いてしまうと、一定のレベル以上の上達が難しくなる可能性が高いんですね。
(マウスピースと唇の関係については過去の記事「アンブシュア3」をご覧下さい。)
コルネットは全長が短く持った時のバランスが良いだけでなく、息が入りやすく機能性も高いですから(マウスピースも深めなものを選ぶことで音を出すことが比較的容易になるので)可能であればコルネットから始める方が良いと思います。
ということで2回にわたってコルネットについて書いてみました。フリューゲルについてあまり触れませんでしたが、持ち替え楽器としての心構えについてはまったく同じです。
ともかく、経験と研究あるのみですね。機会があったらどんどん吹いてみて下さい。
それではまた来週!
前回はコルネットとフリューゲルホルンがどんな楽器なのか、ということを詳しく書いてみました。
コルネットの音色、聴いてみましたか?
今回は実際にコルネットやフリューゲルホルンを演奏する時に心に留めておいて欲しい点などを中心に書きますね。
※前回も書きましたが、この記事ではあくまでもトランペットをいつも吹いている人が吹奏楽などで「持ち替え楽器」として演奏する前提で書いていきます。ご了承下さい。
《奏法を変えない》
コルネットがトランペットとは構造が違うというのは前回の記事の通りです。このことは、トランペットを吹いている人が普通にコルネットを持ち替えればおのずと「コルネットの音」がするということにつながります。
したがって演奏する人がアンブシュアだとか息の入れ方だとか、そういった基本的な奏法を変えて演奏しなければいけない、ということは特にないんです。これまでこのブログでさんざん書いてきた通り「その楽器がちゃんと鳴る場所を捉えて演奏する」ことに終始していれば奏者自身の体の使い方を変える必要はありませんし、そんなことをしてしまうとかえって自分自身の奏法に支障が出てしまいかねません。
例えるならこれは「衣装チェンジをする」ようなもので、自分自身が違う人間に変身するわけではない、ということです。変身なんてできませんよね。
どんな楽器だって普通に吹けばその楽器はその楽器らしく答えてくれるものです。
《注意すべき点》
ただし、これは「コルネットは(正しく演奏した場合)どんな音色が出る楽器なのか」しっかりしたイメージを持っていることが大前提。そしてコルネットという楽器がそれぞれの作品にどういった立場で求められているのかを理解していることも大切です。
例えば吹奏楽の中で言えば「木管楽器(Bbクラリネットなど)と同じ動き」が書いてあることがあります。オーケストラの編曲作品に多く見られ、これは木管楽器の補強の場合が多いのではないかと思います。また、同様な意味でホルンやサックスと同じ動きの場合もあります。
トランペットが演奏していない時にコルネットがソロ(ソリ)的な役割で出てくることもあります。これはトランペットとは違うコルネットの音色を求めているから、という意味合いが強いのではないでしょうか。
このように「コルネットの音色」を知っておくこと、そして「楽曲や場面ごとにコルネットが求められていること」をしっかりと理解していることが非常に大切で、それができなければわざわざコルネットを持ち替える意味もなくなってしまいます。
音大生の時に初めてきちんとコルネットの音色を考えた、なんて前回の記事にも書きましたが、当時、大学が管理しているコルネットを借りてきて吹いていた時、通りがかりの先輩に「コルネットの音してないな」と指摘されたことがありました。そんなこと言ったって今コルネットを吹いているし、マウスピースだってそんなに浅いものを使っていたわけではないし、何が違うんだ?と思ったんですが、考えてみればコルネットがどんな音を出す楽器なのか、間近で聴いたことがなかったんですよね。要するにイメージがないまま吹いていたから、先輩に指摘をされてしまったのでした。
ですから、コルネットを演奏する時にはまず「コルネットのサウンド」をすぐイメージできるくらいにしておきましょう。そのためにはコルネットがどんなサウンドなのかを知らなくてはいけませんから、沢山の一流の演奏を聴いておきましょう(できれば生演奏が良いですがCDでもいいと思います)。これは新しい楽譜が配られて「おまえコルネットね」と言われてから研究が始まるようでは遅いので、日頃からコルネットの音に親しんでおくことが大切です。
個人的におすすめなのは、ウィントン・マルサリスがイーストマンウインド(ハンスバーガー指揮)と共演しているCDで、全てコルネットで演奏しています。もうとにかく超絶技巧の連続なので聴いていて爽快ですし、カンタービレで演奏するところも本当に素敵です。機会があったらぜひぜひ聴いてみて下さい。
《体型的な問題がカバーできる楽器》
こればコルネットだけに当てはまることですが、小学生くらいの年齢で小柄なお子さんがトランペットを演奏する時に、あえてコルネットから入ってみるというのはとても良い手段です。
トランペットは全長が長いので、手が小さく、握力も弱いお子さんが持つには結構大変です。楽器が重く感じられ、ベルが下がってきてしまい、口に当てているマウスピースの支点が下唇になってしまいます。
この状態で音を出す習慣が身に付いてしまうと、一定のレベル以上の上達が難しくなる可能性が高いんですね。
(マウスピースと唇の関係については過去の記事「アンブシュア3」をご覧下さい。)
コルネットは全長が短く持った時のバランスが良いだけでなく、息が入りやすく機能性も高いですから(マウスピースも深めなものを選ぶことで音を出すことが比較的容易になるので)可能であればコルネットから始める方が良いと思います。
ということで2回にわたってコルネットについて書いてみました。フリューゲルについてあまり触れませんでしたが、持ち替え楽器としての心構えについてはまったく同じです。
ともかく、経験と研究あるのみですね。機会があったらどんどん吹いてみて下さい。
それではまた来週!
当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。
at 10:42, 荻原明(おぎわらあきら), 楽器・アクセサリー・ツール
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