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教わる、ということ。








みなさんこんにちは!


今回は「教わる」をテーマに書いていきます。


《教える人と教わる人》



レッスンを受けている人も、部活動をしている人も、何かしらの形で講師や先生から「教わる」経験をしている(していた)と思います。

自分は今は「教える」立場になりましたが、こちらの立場になってからバンド全体の指導や金管セクション全体の指導などの大人数にレッスンをしていて最初に強く感じたのが


「聞いているだけの人がとても多い」


ということでした。しかもすんごく真剣に聞いているんですよね。

この状況、何かに似てる…と思って考えたら、学校の一般科目の授業中にそっくり。

この様子、一見すると真面目で集中してとても良いように感じますが、それは最初だけでした。

というのも、こういう感じの部活って指導が2回目、3回目になっても何も変わらない人が多いんです。なぜなら「合奏やセクション練習の時に教えてもらうぞ!さあ何か教えろ!」的な姿勢の人が沢山いるからなんです。

まあ、学校で毎日一般科目の授業を受けていて、それが小学生の時から何年も続いてきているんですから仕方がないと言えば仕方がないのでしょう。

ただ、残念なことに音楽で「受け身」の姿勢になっている人はほとんど成長しません。


《料理人》

学校の授業と音楽を教わる時の違いを、よく料理人に例えて伝えます。



料理人は、作った料理が食べてくれる人に喜んでもらうため、「自分で」メニューを考え、味付けを研究し、提供します。

もちろん包丁を使いこなしたり、鍋やフライパンで調理するための基本的な技術は絶対必要で、日々そうした練習や研究も大切でしょう。

美味しければお客さんはリピーターになってくれますし、そうでなければ離れていきます。


では「音楽を教える立場の人」は料理の世界で例えるならどうでしょうか。

ひとつは市場とか農家とか、調理道具を作るなどの「料理するために必要な食材や道具を提供してくれる人」です。

料理人の技術がいくら高くても、良質の食材や使いやすい道具がなければ美味しいメニューを作ることはなかなかできません。


また、もうひとつの立場は「レシピ」です。

料理人が調理技術を持ち、良質の食材を用意されていても、それらの食材で何が作れるのか、どんな道具でどんな使い方をして、どんな味付けをするのか、基本から応用まで様々な料理の情報であるレシピがなければ作ることはできません。

それを教えてくれる立場でもある、というわけです。


何となくわかりましたか?教わる人と教える人の
関係。


ここで大切なのは、「料理は料理人がする」ということです。

教える人というのは沢山の知識、沢山のテクニックを持っているのでいろんな知識を提供してくれますが、あくまでも提供するだけです。それを吸収して、自分のものにするための研究や練習は料理人自身でしかできないものですし、やらなければ意味のないことです。

しかし実際は、結構「レッスンを受けたことだけで満足してしまっている人」が非常に多いのです。「合奏をしたらたぶん何か上手くなるんだろう」という姿勢の人が大変多くいます。

指摘されたこと、教わったことはイコール「今できていないこと」であったり「求められていること」なのですから、可能ならばその場でできるようにし、最低でも次回の合奏やレッスンの時までには『自分なりに』解決しておくことか何よりも大切なことなんです。

それが「研究」であり「練習」です。

もしも、どんなに調べても練習しても本当にわからない、できない時は先生に聞いてみるのも手段のひとつではありますが、それをする前に自分でできることはたくさんあるはずです。自分で試行錯誤することはとても大切なことです。

自分で研究、練習したことを次回のレッスンや合奏で実践してみて、先生からOKをもらうことができれば、自分が考えてきた方向性や練習方法が正しかった、ということになりますから、自信にもつながりますし、「練習の仕方」そのものを習得したことにもなります。

これが本当の意味でのレッスンや合奏の受け方だと思います。


みなさん自分のこれまでの教わり方や練習方法、練習内容を振り返ってみて、どんな姿勢でいましたか?
この基本的にな考え方や姿勢が正しいと、今自分でがすべきことが明確に見えてきますし、レベルアップのスピードが大きく変わるはずです。

ぜひやってみてください。
それではまた来週!




当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。

at 09:16, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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生活の延長








みなさんこんにちは!
連日暑くて暑くてたまりませんね。暑い外と冷房のかかった部屋や電車内を出たり入ったりしていると体調が悪くなりそうですがみなさん大丈夫ですか?


さて、前回の記事ではメンタル面から見た「いつもと違う自分」を出そうと思わない、といった内容を書きました。
今回は奏法面から書いてみようと思います。その前にちょっと前回の延長的な話を。


《人が変わる?》
吹奏楽部などの指導に行くと、部活が始まる前などは友達どうし楽しそうに盛り上がっている光景をよく目にします。
でも、実際トランペットを構えて楽器を吹き始めると、それまでとは違ってなんだかおとなしーくなるんですよね。
もちろんレッスンや練習をしているわけですからそこで大騒ぎされても困っちゃうんですが、そういうことではなくて「演奏」とか「音楽」に対して真剣というのとまた違った「生真面目さ」のような雰囲気を感じてしまいます。

これは前回の記事で書いたように、トランペットを吹くという行為や音楽をするという行為を日常とは別の扱いをしているのではないかと思うんですね。

いつもは喜怒哀楽を友達どうしの間では出している人たちも、音楽をしている時にはそれを出さない(出せない?)ようにしているような感じです。

トランペットを思うように吹けなくていろいろ考えてしまったり、苦手意識を持ってしまったり、楽譜を読むことに慣れていないからそのことに集中しすぎているのかもしれませんが、音楽というのは全ては人間が作ってきたものであって、楽器を上手に吹けないということも毎日練習を続けていけば少しずつ解決していくことがほとんどなので、上手いとか下手とかそんなことはとりあえず考えず、日常普通に出している喜怒哀楽をおもいっきり音楽にぶつけられるようになることが大切だと思います。

しかし、そうは言ってもトランペットを吹くと、思った通り演奏できなくて困惑することも多いですよね。
トランペットの教本などを見ていても「上手に音を出すにはこうすべき」のような指示的なものがほとんどで、そういったものに触れ続けていると「トランペットを吹くには特殊な技術が必要になる」という意識がどんどん強くなってしまうと思います。

しかし、日常生活している自分の体を使って楽器から音を出すわけですから、決して全てが特殊な行為ではないはずです。


《呼吸》
「呼吸法」という言葉を管楽器を演奏する上でも非常によく使われます。
まずこれが「特殊」な雰囲気をかもしだしているように思うんです。

でも「呼吸」というものは生まれた時から今日に至るまで誰かに教わることもなく自然に行ってきた行為です。

吸って、出す。

これをするだけです。

腹筋がどうだとか、腹式呼吸がどうだとか、いろいろ情報が錯綜(さくそう)していて特別なことに思いがちですが、

『息を出す時に空気中ではなくてトランペットの管の中に入れているだけ』

これだけが日常と違うことで、それ以上何もありません。

で、日常の呼吸で楽器に息を入れるとすぐに空気がなくなってしまうので、それを長くゆっくり出せるように工夫をすることになるのですが、それだって特別なことではないはずです。

例えば、ラーメンを食べる時、フーフーと息をかけてさますじゃないですか。あれをもっと長くすると思えばそれでいいんです、楽器を吹く時だって。

頑張って腹筋に力を入れたところであんな細いトランペットの管に入れられる息の量なんて限られていますから入りません。

腹筋は音色やアクセントの表現の時にいろいろ使うことであって、単にトランペットから音を出す時に意識しすぎることではないのです。

ですからトランペットを吹いている時に呼吸で疲れを感じてしまうのはもはや使い過ぎなんです。日常の呼吸の延長ですから、はっきり言って疲れません。


《アンブシュア》
アンブシュアに非常にこだわりを持っている方、少なくありません。
もちろん自分もいろいろ考えます。が、結局たどり着いた先は「できるだけ自然であること」でした。

この件については過去に「ハイノートへのアプローチ4」で詳しく書いていますので参考にしてもらえれば、と思います。

簡単に言えば、アンブシュアというのは顔の筋肉を優先的に使って作る口周辺の形ではなく、「顎が上下した結果、自然に作られている形」です。

顎が下へ行けば口は開くし、上へ行けば口は閉じます。その上下する顎の動きの途中で口の大きさがベストな状態になった時、唇が振動して音が出る、たったそれだけの話なんです(まあちょっとだけ乱暴な表現ではありますが)。

ほとんどの人はトランペットから音を出す時に口周辺の筋肉をいろいろ作り変えてしまっているのですが、それをしてしまうとすぐに疲れてしまいます。だって、ずっと笑顔でいられるのって不可能じゃないですか?

でも顎の上下というのは生まれてから今日に至まで数えきれないくらい動かしていますよね。ものを食べたり、喋ったり。
ですから絶妙なポイントで動きを固定するのも、顔の筋肉を固定するよりはるかに簡単にできるものなんです。


《音の処理》
音の処理というのは音を出すのを止めることを指しますが、これが苦手な人がとっても多いです。
音を止める時、どんな時でも舌を使って強制的にストップしている方が多く、これをしてしまうと音の響きがなくなって、止めた瞬間に雑音が入ってしまいますので、良くありません。

自分のレッスンでもこれを指摘することが多いのですが、「舌を使わないで音を出すのをやめてみて」と言ってもなかなか上手にできない方がほとんどです。

でも考えてみて下さい。
みなさんは喋るのをやめる(声を出すのをやめる)とき、舌や喉を閉めて頑張って意識しないとできませんか?そんなことありませんよね。

「あーーーーーーー」とのばすこともできますし、「あっ!」と短い声を出すこともできます。しかもそれを特に意識していなくてもできてしまいます。

この時、変化しているのは「息がどのくらいの時間声帯を通過しているか」ということだけです。ですから、息を流すのをやめれば声は止まりますから、楽器を吹く時だってこれは変わりません。

ですから、トランペットで音を出すのをやめる時、全然特別なことをしているわけではなく日常行っていることと何ら変わりないんです。

音の処理に関しては過去の記事「タンギング3(音の処理)」を読んでみて下さい。



《タンギング》
もうここまでくるとだんだんわかってくると思うので簡単に言います(別に手抜きをしようってんじゃないんですよ、決して。。。。)

タンギングも日常喋っていることと同じです。
これも教本などで詳しく「舌の先端が歯の裏に。。。」のような文章を読んでいると、「こうしなきゃいけないんだ」と思ってしまいがちですが、言葉というのは様々な発音があり、それらを組み合わせて言葉を話しています。

トランペットだって別にいつも同じ発音をしているわけではなく、「どんな音を出したいか」「どんな音を求められているか」「どんな雰囲気か」といったようなことで変化するものです。

しかし、タンギングの基本的は位置や基本的な運動というのがもちろんあり、それが音域を広げる大切な要素になったり発音だけでなく音質にも影響を与えるものなので、その点についてはレッスンを受けたりプロがどんな音を出しているのか研究したりする必要は絶対にあります。



ということで、トランペットを吹くということをあまり「特殊なこと」だと思わず、日常自分がしているこういの「延長」であると思うことが上達への近道だと思います。

意識しすぎず、自分らしくトランペットを吹けるように楽しんで下さいね。
それではまた来週!


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at 18:42, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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いつもと違う自分?








みなさんこんにちは!
世の中お盆休みだったんですねー。自分は、というといつもとまったく変わらず毎日の仕事をこなしてて、変化なしでしたが。
でも都会は電車が空いていてちょっと嬉しかったり。

さて、前回まで「緊張」というテーマで書いていました。
その中で「いつも以上の実力を出そう(かっこつけよう)と思うのは良くない」と解説しました。今回はこのことについていろいろ書いてみようと思います。


《自分のはなし》
中高生の時は当然のように吹奏楽部でトランペットを吹いていました。
学園祭とか定期演奏会とか、そういったコンサートでは必ずジャズっぽい曲やはやりのポップスを演奏していましたが、もう絶対と言っていいほどトランペットにはオイシイ「ソロ」が出てきますよね。

自分もちょくちょくソロを務めることがありましたが、本番になると気負いすぎて失敗することも多かったんです。

練習の時には特にミスをすることなく無難にやっていたとは思うんですが、どうも本番になるとよろしくない。

こうなる原因は、もちろん「緊張」していたから、というのもあるんですがそれ以上に自分は「かっこよく吹いてやろう」と思ってしまう傾向があったんですよね。
もちろんかっこよく吹こうと思う意気込みは悪くないのですが、それが「いつも以上にかっこよく吹いてやろう」となってしまうのが失敗する原因だったんです。今思えば。

そもそも「いつも以上に」なんて、練習でできなかったことが本番いきなりできるはずがありません。

だからこの場合「練習でやったように吹こう」という気持ちでいればそこまで失敗することもなかったんじゃないかと思うんです。
もちろんそのために練習の時にもしっかりとかっこよく吹けるようにしておかなければいけませんから、適当じゃダメですよね。常に本気でやっていないと。

で、練習でできていた(その時点でも)最高の演奏を本番でもやるようにする。言い換えれば技術的に足りない部分は無理してやらない、ということになります。

自分は参考音源のCDなどを聴いて、プロのスタジオミュージシャンが吹いているものすごいハイノートで難しいパッセージをまるごと真似しようとしていたのがいけなかったんです。中高生の時点で、プロとまったく同じようなことができるわけがないんです(自分の当時の実力では)。そこをわかった上で吹くべきだったな、と今更言ってもしょうがないんですけどね(笑)

みなさんにも同じような経験はありませんか?

このようにメンタル面だけ取っても意気込みすぎて空回りしてしまうことはよくあると思うんです。


《クラシック音楽》
ちょっと話がそれますが、みなさんは「クラシック音楽」とか「ベートーヴェン」「モーツアルト」とか聴くとどんなイメージを持ちますか?

音楽にあまり関わっていない方に聞くと「敷居が高そう」とか「上品」とか「コンサートは静かにしてないとダメ」とか「つまんない」とかそんなことを聞きます。
(「つまんない」というのは、きっと音楽の授業での印象が強かった人だと思います。それはもう教えた先生が悪い。)


他に、クラシック音楽を演奏している人はどんな印象を持っているか聞くと「自分とは違う世界の人」とか「お金持ち」とかそんなことを聞くことがあります。

でもこれってどうなんでしょう?

別に、日本の音楽家の経済状況を大公開します!とかそういうことじゃなくてですね、何か「別世界の人」みたいに見られているのが自分としては本当にギャップがあって戸惑ったりおもしろかったりするんです。

確かに、モーツアルトが生きていた時代のヨーロッパなどでは宮廷音楽家という職業があって、晩餐会で弦楽アンサンブルやっちゃってたりするような庶民とはまったく違った世界で演奏活動をしていた時代もありますが、それはそれ。今とは全然違います。でもそのイメージが強いんでしょうね、どうしても。


そういう見られ方をしているせいなのかわかりませんが、もっと大きく「(クラシック系の)音楽をしている人」更に言えば「吹奏楽部に入っている人」というだけでも何だか特別な技能を持った人のように扱われることが学生の頃から結構あって、当時無意識だとは思うんですが「自分は他の人にはできない特別なことをしている」と心の片隅で思ってしまっていたかもしれません。

もちろん、トランペットを吹くという行為は、人間だれしも渡されていきなりできるものではありませんが、そんなの何だってそうですよね。日常経験することが少ないものはすぐにはできませんから。


何が言いたいのかと言うと、「音楽」を演奏する側が敷居を高くするような意識を持って演奏に臨むのはあまり賛成できない、ということなんです。
簡単に言えば「クラシックだし!」という意識(先程書いたような一般の方から見たクラシック音楽に対する意識)を演奏者サイドが出してしまうと、お客さん側だけでなく自分自身が「いつもと違う自分」を無意識に演出してしまいかねないんです。

これの何がよろしくないかと言うと、「いつもと違う自分」=「作っている自分」=「個性がなくなる」ということ。


「クラシック音楽だから上品に吹かないと」とか、そういうの全然ダメです。

もちろん、クラシック音楽の中にもミサ曲などの「宗教音楽」は、少しジャンルが違うかもしれませんが、ほとんどのクラシック音楽はもっともっと人間味溢れる作品なんです。
例えば恋をして嬉しい気持ちを曲にしたり、失恋して悲しくて曲にしたり、というかオペラってそんなのばっかりですからね。

そういったものすごい人間味のある題材や心境で曲が作られてるのって、今のポップスやドラマとまったく同じです。

ただ、時代が若干古いのと(モーツアルトとかは)、使ってる楽器(編成)が違うくらいで、「心」から溢れてくるもの(感情)を音楽にしているという点では変わらないんですよ。


ですから、人間が人間らしく作った作品を単に「上品に」とか「いつもと違う自分」とか思って「個性」を出さずにガチガチに演奏するのはちょっと違うんじゃないかな?と感じています。
人間らしく作った作品だったらそれを演奏する人間だって「より人間らしく」いなければならないと思います。

そのためにはやはり演奏する作品がどういった背景で作られたのか、作曲家がどんな心境だったのかなどを知る必要はあります。
でもそれを知ることができると演奏にも大きく影響して、自分自身が同じ心境で演奏するということが聴いている人たちに「説得力のあるトランペット」を聴かせることができる方法のひとつだと思います。

「自分が思うこと」を演奏にぶつけられれば、人間味のある音楽が生まれるわけで、イコール「個性」につながります。ちょっとくらい露骨に人間味を出せたほうがかっこつけて演奏するよりもずっと良い音楽が生まれる、と自分は考えています。


このように自然体で自分らしく思ったことを演奏しようとする意識を持っていることが「聴かせるトランペット奏者」になる近道ではないでしょうか。



何やら今回はぶっとんだ感じの意見ブログみたいになっていますが、これは来週「奏法」の面からみた内容に続きます。
どうぞ来週もおつきあい下さい。

では!


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at 16:19, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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緊張 2








みなさんこんにちは!

さて、前回から「緊張」について書いています。今回もその続き。


《不安要素》

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不安要素が多ければ多いほど緊張しやすくなります。

前回にも少し書きましたが例えば、古い吊り橋を渡る時としっかりした鉄橋を渡る時とでは精神状態はよほど違うはずですよね。
絶対に壊れないとわかっているところを歩いていても不安なことは何もないわけですから。

試験勉強も同じだと思います。
できる限り事前に勉強をしていれば自信を持って試験に挑めるでしょう。

ということは、音楽をする上でも練習をきちんとして、演奏する曲の中にできない箇所がないようにしていればそれだけ不安要素がなくなるということです。
「ここ苦手だから、ミスしたらどうしよう」とか思ってしまうような箇所があっただけで、練習ではできていたところですら不安で上手に演奏できなくなってしまう、ということもありえます。

プロになると毎回の本番が常にしっかりと練習をできた状態で臨めるわけではありません。
本番の前日に1回だけ合奏練習があって、翌日本番、なんてことも少なくありません。
そんな時はやはり不安要素が多くて緊張することもあります。

ですから、やはり能率の良い練習をして、自分が受け持ったパートのどこを取ってもしっかりと演奏できるようにしておくことは、本番の不安要素をなくす=緊張をそれだけしなくて済むということにつながりますね。

また、ハイノートを当てなければならない、という不安要素はトランペット奏者にとって必ずつきまとってくるものです。これは楽譜に書いてあることをいつも演奏できるようにしているだけでは克服できるわけではありませんよね。
こういった基礎的なテクニックを身につけるのも毎日の練習をどうするかに関わってくると思いますから、やはり練習時間ってとっても大切だし、することは山ほどあるんですよね。


>※練習について過去に書いてありますので読んでみて下さい。→個人練習とは


《ネガティブ》
練習を人一倍していても、やはり本番では緊張をしてしまうものですが、中でもネガティブ傾向の人は緊張しやすいかと思います。
ネガティブ精神が強いと、「ミスしたらどうしよう」とか思いやすく、緊張してしまいます。

自分もどちらかと言えばネガティブで、ミスを怖れてしまって守りに入った演奏になりがちなのですが、できるだけそう思わないように心がけてはいます。

演奏をする上でネガティブ精神は邪魔になるだけです。ですからトランペットを吹いている時は(練習の時でも)自信を持って、たとえ本当にミスをしてしまったとしてもそれをひきずらないようにして、演奏に集中すること、音楽を心から楽しむことが非常に大切です。

ネガティブな気持ちで守りに入った演奏なんて、聴いているお客さんからしてみればこれほど面白くないものはありません。
ステージに立っている人は常に自信を持ってお客さんへ音楽を届けなければなりません。

例え自信がなくても、体調が悪くても楽器の調子が悪くてもミスしても、常に堂々としていることが必要です。
なのでネガティブになる暇もないはずです。

これは練習の時から、できるなら日常的に鍛えていくことが必要かもしれませんね。


《興奮状態》
本番の時は緊張と同時に興奮状態にもなりますよね。
悪いことではないのですが、興奮していつも以上のことをしてやろうと思ってしまうのは良くありません。
かっこつけて良いところを見せようと思うのは、結局実力以上のことをしようとするのですから、まず失敗します。

また極度に興奮すると緊張と相まって「あがる」という状態になりがちです。
こうなってしまうともう何がなんだかわからなくなり、目の前が見えなくなってしまいます。

まあこれは中学生の時の自分のコンクールなんですが。


また、コンサートでポップスやジャズの作品を演奏することがあるかと思いますが、こういった曲には必ずと言っていいほどトランペットソロがありますよね。
こんな時にも「よし、いいとこ見せちゃうぞ!」なんて張り切って、実力以上のことをしてみせようと思ってしまうのは良くありません。

事前にしっかりと練習してきたように演奏することが大切ですし、かっこよく演奏したいんだったら練習の時からかっこよく吹けるようにしておけば良いわけですから。


《良い緊張》
さて、これまで緊張=よくないもの、のように書いてきましたが、緊張するということは決して悪いことだけではありません。
ある程度の緊張感を持っていると、集中することができます。

よく「緊張しないようにするにはどうしたら良いか」という質問をしているのを耳にしますが、緊張しない人間なんていません。
ましてやお客さんがいる中でステージで演奏をしよういうのですから、そこで緊張しないなんて普通できません。

それに「緊張を消そう」と思うことは逆に焦ってしまったり興奮してしまう原因にもなりますから逆効果です。

ですから緊張も自分の味方にできるよう、緊張している自分を素直に受け止めて、演奏を楽しむこと、お客さんに自分の音を聴いてもらえることを喜びに換えていくことが良い緊張感を持続していくために必要なのではないかと思うんです。

たまーにですが、もう完全に「素」の状態でステージに上がっていることがあります。
自分でもよくわからないのですが本当に日常と変わらない状態なんですよね。
でもこういう時って緊張してないから良い本番ができたか、というとそうでもないんです。なんか緊張感がないせいか「ゆるい」本番になっているように感じられて、良くないんですよね。
しかも、こういう時って何かちょっとしたきっかけ(音をひとつはずしたとか)で緊張感が急上昇してしまうことがあって、これも非常に良くないんですよ。

ですから、本番のステージにあがる少し前から良い緊張感を持続していけるのがベストだな、と思っています。


《対策》
緊張した時、精神状態が変化するだけではありませんよね。体にも様々な反応が見られます。
例えば、手のひらに大量に汗をかいたり、口の中が乾いたり、肩に力が入ってしまったり。

これらは演奏する上で障害になることが多く、特に口の中が乾いてしまうのはいつも通りの演奏がまったくできなくなりますし(音が出なくなる、タンギングの質が落ちる等)、肩に力が入る(=全身に力が入る)と、呼吸が浅くなって力で吹いてしまいます。また肩に力が入っていると、想像以上にマウスピースを唇にプレスしてしまい、音質が悪くなったり、音をはずしたり、浅い音(ビービーした音)になりがちです。

こんな状況になってしまっては、今までどんなに頑張って練習してきても全て台無しですよね。
緊張するのは仕方の無いことですが本番に向けてのケアをすることで多少は改善することができます。

例えば、口の中が乾いてしまうのは、本番前に水分を摂るだけでも随分違います。
水分と言ってもジュースとかダメですよ。お茶も個人差はありますがおすすめできません(カテキンが口の中をギシギシさせてしまうので)。スポーツドリンクは良いかもしれませんが、直前に飲むのはベタベタするので良くないです。
なので、ここでは常温の水がベストです。

でも本番中にトイレ行きたくなってしまわないように注意して下さいね。

あと、体が固くなってしまわないようにするには、直前にストレッチするのが良いと思います。
これ、結構プロでもしていて、本番直前の舞台袖は体をほぐしている人多いんですよ。
呼吸を整えて、体をほぐすと変な緊張はかなりしなくなります。

オススメです。


ということで、今回は「緊張」について書いてみました。
コンクールまっただ中の方もいるかと思いますし、これから何度も本番を経験することがあると思いますから、参考になればと思います。

また、緊張は消すものではないですし、緊張は決して悪いことだけではありませんから、ぜひ良い緊張感を持って本番ができるようメンタル面もトレーニングしておきましょう。

それではまた来週!




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at 16:21, 荻原明(おぎわらあきら), バテ・不調・緊張・ミス

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緊張 1








みなさんこんにちは!

今回は「緊張」についてです。


《緊張》

緊張1のコピー.jpg


みなさんはコンサートやコンクールで緊張する人ですか?
全然緊張しないよ、という強靭なハートを持った方も中にはいるかもしれませんが、多分ほとんどの人は緊張する、もしくは緊張をした経験があるかと思います。

自分は、と言うと、かなり緊張するタイプです。プラス、基本がネガティブです(笑)←このネガティブという性格も緊張と強く関係があるんですが、それはまた後ほど。
結構ポーカーフェイス(無表情とも言う(笑))なんで、あんまりそう思われないみたいですが、ちょっとした本番であってもかなり緊張します。
今でもそんなんですから、中高生の時に吹奏楽コンクールでステージに上がった時なんて、もうそれはそれはすごい状態でした。


そもそもステージ上での記憶があんまりないです。


そう思うと、これまで幾度となく本番を経験してきましたが、全然緊張をしなかった本番ってなかったんじゃないかと思います。

ただ、ひとつ言えることは、常に本番は緊張をしてはいますが昔と違うのは「記憶がなくなってしまう」ような「あがる」状態(極端に緊張した状態)ではない、ということです。

「緊張」とひとくちに言ってもいろいろな種類、状態があるんですよね。


《緊張の種類》
コンサートやコンクール本番の時以外でも日常で緊張することって結構あると思います。ではどんな時に緊張をするか、ちょっと考えてみましょう。

■不安
例えば、朝起きたらすでに家を出なければならない時間でした。慌てて支度をして駅までダッシュ。
緊張していますよね。どういう緊張かと言うと「やばーい!!」っていう「焦り」とか遅刻したら怒られるとかの「不安」。

不安なことと言えばあとは、今にも切れちゃうんじゃないかという吊り橋を渡る時とか、足を滑らせたら落ちてしまうんじゃないかという崖の道を歩く時とか。。。あんまりそういうシチュエーションないですけどね。ファイトーいっぱーつみたいな。

あと、先生とか先輩から呼び出しをされた時とか、何言われるんだろ。。って不安になりませんか?

■期待
受験の結果発表を見る直前とか、緊張しますよね。まだ経験してない人も同じような状況はこれまでに何かあったと思うんでイメージできるでしょう。
これは「期待」が大きいかもしれませんし「不安」もあるかと思います。

他に「期待」をしている時と言うと、ゲームをクリアする直前とか。ここでミスしちゃったらやり直しだし、ミスしなければクリアーだし。こんな時も緊張しますね。最近DSを買いまして、こんな経験してました。

■恐怖
ホラー映画を観ていたり、お化け屋敷に入ったり。怖い時って緊張しますよね。
怒られている時も恐怖感から緊張したりしますね。まあ、怒られてる内容とか状態にもよりますけど。

■非日常性
デートとかディズニーランドに遊びに行くとか、子どもの頃は遠足とか。特別な日とか、またその前日の夜とか、ワクワクして緊張しませんか?
特別な日って、毎日あると飽きちゃうから楽しくないんですよね。1年に一回とか、まれにあるからこそ楽しいと思えます。

これは別に楽しくはないと思いますが、授業参観って緊張しませんか?いつもと同じ教室でいつもと同じように授業を受けているのに、ただ保護者の人たちが後ろにいるだけでものすごい異質な雰囲気になるというか。


このように、緊張する要素は様々なシチュエーションで起こることがわかりましたね。


《本番の時の緊張状態とは》
では、コンサート、コンクールの時の緊張はどういったものなのでしょうか。

とりあえず「恐怖」は関係ないかと思います。舞台に上がったら背後に見えない何かを感じ取ってしまうようなパワーを持った人は別ですが、まあそれは話が違うんで。

「非日常」は当てはまりますよね。授業参観と似ていて演奏するメンバー以外の人(=お客さん)がその場にいるとか、本番ってそもそもアマチュアの方は1年で数回しかない人がほとんどでしょう。そうなるとやはりひとつの本番にかける意気込みもウエイトもだいぶ重いものになるはずです。そういったひとつひとつの本番はかなりの「非日常」でしょうから、緊張感が高まるのもあたりまえでしょう。

「期待」と「不安」を先程は分けて書きましたが、言ってしまえばこれらは紙一重。
特にトランペットは音を出せば目立ってしまう楽器ですから、成功した時のかっこよさも、ミスしてしまった時の恥ずかしさも人一倍ですよね。まさにハイリスク・ハイリターンなパート。
それにコンサートそのものが成功するか失敗するか(お客さんが沢山来てくれるか、拍手をもらえるような演奏ができるかなど)という「期待」と「不安」もありますね。


こういった要素によって緊張をするんだ、ということがわかります。
原因がわかればあとはそれを解決するだけです。


《場慣れ》
「非日常」の緊張感は、「慣れ」によって解消されると思います。
プロの人はアマチュアの人よりも緊張していないわけではありませんが、ステージで演奏をするということが数多くあるのでその雰囲気や状況に慣れているんです。
じゃあみなさんも沢山ステージに乗って慣れちゃいましょう、と口で言うのは簡単ですがそういうわけにもいきませんよね。

ではどうすれば良いか。

イメージをしてみてはどうでしょうか。
練習をしている場所って狭いですよね、普通。とりあえず演奏者が全員収まればそれで良いわけですから。
その練習場所でいつも合奏をしていると、自然とそのサイズが当たり前になってしまい、いざコンサートホールのような場所に行くと自分の周りに空間が沢山あることがとても異質に感じて緊張してしまうのだと思います。「広っ!!」って思いませんか?

特に違うのは、まず前方に客席があるということ。お客さんが入っていなくても、自分の前方に延々と続く椅子の空間、あれを見ただけで緊張してしまう人もいるはずです。

天井の高さも異質ですよね。いつもの音楽室だったら、ちょっと机にでも乗れば届くような低い天井が、コンサートホールでは3,4階建てのビルがすっぽり入ってしまいそうなところも珍しくありません。

また、音楽室ではキッチキチだった何十人というメンバーも、ホールのステージに上がると意外にこぢんまりしてしまうものです。
それだけ自分の前後左右に余裕な空間ができることが多いです。
人間ってある程度狭くて守られていると感じる空間にいる時のほうが安心するんですよね。特に日本人は。

ですからホールのステージにいると、いつもと同じたくさんのメンバーがいるにもかかわらず、なんだか「孤立」した感じを持ってしまうものです。まあ、他の人たちも緊張しているその雰囲気がそうさせてるとも言えますが(周りに配慮ができない状態になっているから)、自分のまわりの空間が広いというのはやはり不安になる要素のひとつと言えるでしょう。

あとは、トランペットパートは「ひな壇」の上で演奏することが多く、これも「非日常」ではないですか?
いつもよりも高いところにいて、自分の前に遮るものがなくて、音も客席に直接吸い込まれていくような感覚になりがちですよね。
吹いても吹いてもいつもより自分の音が鳴っていない錯覚に陥りがちです(狭い空間だと壁がすぐ近くにあるので音の「返し」があるのに対し、ホールだとそれが「響き」に変わるので慣れていないと自分の音が聴こえないように感じるんです)。で、その違和感からいつも以上に吹きすぎてバテちゃう、、、、っていうのは中高生の時の自分のことなんですけどね(笑)


さあ、これだけ書いてみると、イメージもしやすいかと思います。特に一度でもコンサートホールのステージで演奏した経験を持っている人なら「ああそうだったなあ」ということも沢山あったはずです。

こういったイメージを強く持って、いつもの音楽室で演奏するだけでも少しは違うかと思いますよ。

それと、もしできるんだったら実際にコンサートホールで演奏している時みたいな状態にセットアップしてみても良いかもしれませんね。
ひな壇とかだったら机とかで上手にできるかもしれませんし(中学生の時とか、自分も実際やっていました)。

書いていて思い出しましたが、自分が中学生の時のコンクール直前の夏休みになると、いつも体育館や格技場(剣道とか柔道をするところ)にわざわざ楽器を移動して練習していました。
当時は、ただ音楽室が暑いからとか運動部がたまたまやってないから、程度にしか思ってませんでしたが、あれは本番を想定した練習だったんですよね。


文章が長くなっちゃったんで、この続きはまた来週!
では!


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at 00:17, 荻原明(おぎわらあきら), バテ・不調・緊張・ミス

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