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音のない音楽


















みなさんこんにちは!



先日、師匠である津堅直弘先生の門下生による発表会が開催され、僕は審査員として参加させていただきました。

発表会なのに審査員?と思われるでしょう。そのあたりは最近始めた何でも書いているブログの記事をご覧いただければと思います。その記事には、発表会を聴いて思ったことを、僕が書いた講評と共にいくつか書きまして、きっとトランペットや音楽をされている方には参考になる内容だと思います。

そのブログ記事が長くなったので途中で切り上げたので、その続きをここで書いてみようと思います。


《無伴奏の作品を聴いて》

発表会の中で唯一、無伴奏の作品を演奏した方がいました。その講評がこちら。




この日、審査員としてずっとピアノとトランペットの音を聴き続けてきた者としては、ステージの上でトランペットの音だけが鳴り続けていることがとても新鮮に感じました。

なぜピアノの音がしないだけでここまで印象が変わるのか。

その答えはとてもシンプルでした。トランペットの音がない時間が「無音」だったからです。


音楽というと我々は「音を聴く」ことに意識を向けているとつい思ってしまうのですが、実は「音がない時間」に影響を受けているのだな、と再認識しました。


そこで今回は「音がない時間」について考えてみます。





《間(ま)と呼吸》

「あのね、あのね、おかあさん、今日さっちゃんとあのね、一緒にね、公園でね、ボールでね、あのね、遊んだのね。そしたらね、えりちゃんがね、一緒にね、えっとね、あそぼってね、きてね、あのね、三人でね、ボールで遊んだらぼーるが遠くにねえっとね行ってね、…」


小さい子がよく、お父さんお母さんに一生懸命喋り続けているシーン、よく見かけます。

子どもは少ないボキャブラリーからなんとか構築した文章で、伝えたいことを言語化します。しかし、相手に自分のイメージや意思を的確に伝えるための技術は持ち合わせていないので、とにかく必死に、伝えたいことをどんどん言語化します。しかしこれ、子どもに限ったことでもありませんよね。大人でも延々と喋り続けて、他の人が口を挟む余地を与えない人、いますよね。


それはともかく、このような話し方をされると、聞く側も一生懸命努力しないと内容が頭に入りません。


一方、伝えるテクニックを持っている人の場合、聞いているだけで自然と頭の中で話が構築され、一度で内容がスッと理解できます。


この伝わりやすさの違いはどこにあるのでしょうか。



抑揚や緩急など、きっといろいろな要素が関連しているとは思うのですが、一番のポイントは、


「間(ま)」と「呼吸」


というどちらも無音になる瞬間です。


僕も少なからずレッスンなどで伝える側に立つ人間である以上、わかりやすく話せる人でありたいです。ついつい一生懸命たくさん喋ってしまうので、一度の情報量が多いとよく指摘を受けてしまいます。すいませんです。



《音楽における無音》

音楽に話を戻します。

演奏者は音を出すことに意識を向けがちですが、音楽にもやはり音のない瞬間がたくさん存在しています。
聴く人を惹きつける演者になるためには、この「無音の時間」を上手に使えるようになる必要があるのです。

それでは、音楽においての無音にはどのようなものがあるのか、ピックアップしてみましょう。



1.演奏開始までの時間

演奏者が舞台に登場し、客席から拍手をもらってそれが一段落すると無音の時間が始まります。
これは「演奏を待つ」というワクワク時間です。

お客さんとしては、これから始まる音楽に期待を込めているのですから、その期待を裏切ってしまう行為はできだけ避けたいと思います。
要するに、演奏開始まで余計なことはしない、ということ。

必要ではない物音、例えばミュートをカンカン置いたり、足音やため息。他にも管から水分を勢いよく抜いたり、音ではないけれどキョロキョロしたり不安定な表情をするのもその空間を乱す要素だと思います。お客さんのワクワクが減退します。


それに加えて僕は金管楽器がソロを演奏する際の舞台上のチューニングは必要なのだろうか?と疑問を持っています。

弦楽器の場合は楽器を調整することでピッチを安定させるので絶対に必要ですが、金管楽器のチューニングとは「共演する人同士の基準ピッチの確認」でしかありませんから、舞台上で音を出さなくても、例えば舞台袖でチューナーを使うなりして安定したピッチが出せる状態を確認すればそれで良いと思っています。
よって、僕個人(あと発表会などで演奏させる僕の生徒さん)には、舞台上のチューニングはしていません。

そうすることで、最低限の準備時間でお客さんのワクワク時間を損なわないようにすることが必要ではないかと思っています。



2.楽譜に用意されている無音

クラシック音楽の楽譜に登場する「G.P.」という表記、見たことありますか?これは「ゲネラル・パウゼ」と読み、だれも演奏しない箇所=無音になるところに書かれています。
音が鳴り続けているところに突如として現れる無音の時間というのは、聴く人をハッとさせ、新鮮な緊張感を生み出します。
「G.P.」に限らず、小節線の上に置かれたフェルマータや、ダブルスラッシュ( // )記号などでも同じような意味を持っている場合もあります。



そしての手法はポップスでもよく使われていて、例えば、ゆずの「栄光の架橋」でも出てきます。





3.休符

無伴奏でない限り、自分のパートに休符があっても、他の楽器が音を出している可能性は当然ありますが、1つのメロディやフレーズという枠組みで考えると、休符の存在も無音を生み出す存在と言えると思います。

休符は「休む」と書いてしまうので、「休日」「休息」みたいなものと同義で捉えてしまいがちですが、気持ち、精神まで休んでしまうわけではありません。休符があるからこそメロディが生まれ、フレーズが生まれ、力や躍動が生まれるのです。ですから、音符と休符は常に一体となっていることに気づき、演奏に活かさなければなりません。

吹奏楽やオーケストラなどでは、自分に与えられたパートが数小節演奏しない「長休符」の場面もたびたび出てきますが、その場面だって演奏に参加しないのだからと寝ていたりキョロキョロして良いわけありません。そんなことをしていたら、その醜態がお客さんの目にとまり、視覚的な面から作品を壊してしまいます。

音があろうがなかろうが、舞台にいる限り一緒に音楽を作り上げている人のひとりなのです。



4.曲が終わった瞬間の静寂

これは昔から様々な場面で話題になってきたことです。

特に、吹奏楽コンクールの全国大会で度々起こる演奏の終了音をかぶさるように叫ぶ「ブラボー」。もう本当に頭が悪いとしか言いようがない醜い風習です。一説によればブラボーと叫ぶ声が大きければ大きいほど審査員の印象を良くするとか。そんなことあるわけがありません。こういう人がいる限り、日本の吹奏楽は音楽という世界から何歩も遅れ、離れ、永久に下に見られ続けるのでしょう。

そんなにでかい声出したきゃホールじゃなくてスポーツ観戦でも行ってこい。


そしてオーケストラでも同じようなことが度々起こります。それは「私、曲がいつ終わるか知ってるんですよアピール」に始まる、最後の音が出た瞬間に拍手をする人。

なぜこの行為が叩かれるのか。それは「音価」と「響き」にあります。


音価(おんか)とは、4分音符とか2分音符といった音符に対する名前であり、その音が本来持っている「演奏を持続する長さ」を指します。

例えば作品の最後の音が4分音符だとして、その音が鳴った瞬間はまだ音を演奏し始した瞬間です。4分音符を演奏し終わるまでにはそれなりの時間が必要です。しかしそれを、タイムトライアルでもしているかのように「この音が終わりの音!パチパチパチパチ!」と拍手されてしまっては、演奏が台無しです。

また、音には響きがあります。音は空気振動なので、発信源から遠ければ遠いほど耳に届くまでに時間がかかりますし、様々なところに反射し「残響」になります。
ホールでは、この残響を可能な限り心地よく耳に感じてもらえるように設計されたところが数多くあり、その「音の後味」を楽しむ余裕がない人間に対して憤りを感じるのは至極当然のことだと思います。

音楽は残響を味わってから、ホッと心の力を抜いて、それから、素晴らしいパフォーマンスに対して心から暖かい拍手を送りたいものです。



演奏者サイドから見たとき、楽譜に書かれたことを音にすることばかりに意識が集中して、これらの無音の時間があって初めて「音楽」というストーリーが成立しているのだ、ということを忘れないでいるだけで、演奏がグッと変わるのではないでしょうか。



《光と陰》
最後に僕の好きなアーティストの一人であるMr.Childrenの名曲「GIFT」から、今回の話にぴったりな歌詞を掲載しておきます。




”降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって

その全てが意味を持って 互いを讃えているのなら

もうどんな場所にいても 光を感じれるよ”




音楽はこうありたいものですね。



それでは、今回はここまでです。
来週は「ハイノート本」の更新です。ぜひ”note”をご覧ください!
こちらでは”次の次の週”にお会いしましょう!

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at 07:22, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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