smtwtfs
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
profile
ogiwarasite.jpg















eventsmini.jpg

RappaVer2Bana_waku.jpg

academySMALL.jpg
recommend
トランペット ウォームアップ本 (MyISBN - デザインエッグ社)
トランペット ウォームアップ本 (MyISBN - デザインエッグ社) (JUGEMレビュー »)
荻原 明
【販売部数1000部達成!】「ラッパの吹き方」ブログ著者、荻原明 初の教則本!ウォームアップと奏法の基礎を身につけられる一冊です!
recommend
まるごとトランペットの本
まるごとトランペットの本 (JUGEMレビュー »)
荻原 明
「ラッパの吹き方」から生まれた「まるごとトランペットの本」発売中です!
プレスト音楽教室
プレスト音楽教室 当ブログ著者、荻原明が講師をしている音楽教室です。生徒さん随時受付中です!
ラッパの吹き方bot/Twitter
ラッパの吹き方bot 「ラッパの吹き方」ブログから抜粋した1400以上のことばと記事の紹介をしています。練習のお供に、ぜひご活用下さい!
ラッパの吹き方 Facebook
ラッパの吹き方フェイスブック ラッパの吹き方Facebookでは新着記事の紹介のほか、"note"でのハイノート本原稿公開の更新情報、これまでの記事を発掘して紹介をしております。
links
mobile
qrcode
 スマホ版表示に変更

※スマートフォンで閲覧している時のみ作動します
        
サイト内検索はこちら↓
new entries
categories




archives
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< 吹奏楽コンクール課題曲2014トランペット解説【3.「斎太郎節」の主題による幻想/合田佳代子】その2 | main | 音質を揃える 1 >>


吹奏楽コンクール課題曲2014トランペット解説【まとめ】


















吹奏楽コンクール課題曲2014

みなさんこんにちは!さて、先週までで今年度課題曲の解説がすべて完了しました!
それぞれの記事は2週に分けて前半は楽曲に関して全般的に、後半は曲に沿った解説をしてきたのですが、課題曲を演奏されない方にも何かしら参考になることをできるだけちりばめて書いてきました。ですので、みなさんがコンクールで演奏する課題曲以外の楽曲についても、ぜひ一度目を通して頂ければ、と思います。

以下、これまでの記事リンクを掲載しておきます。


はじめに/課題曲を聴いてみて

課題曲1 最果ての城のゼビア/中西英介
 その1 その2

課題曲2 行進曲「勇気のトビラ」/高橋宏樹
 その1 その2

課題曲3 「斎太郎節」の主題による幻想/合田佳代子
 その1 その2

課題曲4 コンサートマーチ「青葉の街で」/小林武夫
 その1 その2

課題曲5 きみは林檎の樹を植える/谷地村博人
 その1 その2


《コンクールという場での課題曲》
ご存知の通り、課題曲というのはコンクールに参加する全ての団体が演奏する作品です(演奏しない組もありますが)。5曲(4曲)から選択ができるとは言え、それぞれがまったく同じ楽譜を使うのですから、完成した先にあるものも、ある程度似たり寄ったりなのも当たり前。コンクールは他の団体よりも高い評価を受けたものが上に行けるものなのですから、できることなら自分が所属している団体が上位にいけるように結果を求めていくことになるわけです。では、その似たり寄ったりな課題曲の演奏のどこに差を求めていけば良いのでしょうか。

楽譜からは想像もつかないような表現で、他の団体と差をつけようとする行為は、課題曲として間違っています。楽譜に書いてもいないのにfpクレッシェンドをしたり、rit.をかけてみたり、トランペット1stのみのところを音量が欲しいからと全員で演奏したり。演奏会のプログラムに組み込んで演奏するのならばどんなに自由に演奏しても構わないと思いますが(編曲レベルの改変は良くありませんが)、コンクールは審査をされる立場上、課題曲はむやみやたらと味付け、色付け、加工をしてはなりません。

ですから、課題曲は「楽譜に書いてある通りの音楽を表現する」ことに終始すべきなのです。


《楽譜から見えるもの》
しかし、楽譜に書かれていることを忠実に再現すれば、それで充分なのかと言えば、それだけでは物足りません。なぜなら楽譜に書かれていることのほとんど全ては単なる「情報」でしかないのです。情報と言うのは、例えば、テンポ(時間)、それぞれの音の長さ(リズム)、音の高さ(ピッチ、音程)、おおまかに言えば楽譜にはこれらの情報が記録してある紙媒体。では、それら記録された情報をそれぞれの奏者たちが完璧に表現できた結果生まれてくるものとは、どういったものでしょう。イメージできるでしょうか。

きっと、非常に機械的なものになるはずです。

もしこういう結果を求めて演奏をしているのだったら、負担のかからないコンピューターに入力して再生したほうが良いですよね。しかし、機械的な完璧さから生まれてくる演奏だけでは評価が低くなるであろうということは誰もが感じることでしょう。

では、あと何が必要なのでしょうか。

それは、各奏者から生まれてくる音色であったり、ちょっとしたニュアンスや、音楽全体の構成、その構成から生まれてくるテーマに沿った細かな表現、音の圧力。集中力、息づかい、仲間意識、主張、楽しいと感じる心。それらをイメージすることができる人間。その人間が集まって作られたバンド全体のバランス。

これらは、楽譜を見てもほとんど書かれていない「単なる情報ではないもの」です。楽譜というものは、その作品を再現するための必要最低限の情報が記録された紙で、その楽譜を見ている我々は、作曲者のイメージした通りに再現することがまず第一に行うべきことですから、音の高さ、音の長さ、テンポ、リズムなどの情報を正確に演奏しなければなりません。しかし、楽譜という紙に直接書かれていない様々な「何か」を感じ取り、「お客さんの耳に届く音(音量という意味だけでなく)」として表現しなければ本当の意味での「音楽」にはならないのです。

これは課題曲であろうがコンクールであろうが、音楽室で黙々と合奏練習をしていようが同じです。機械のように単なる「正確な情報の再現」だけを追い求めていても意味がないのです。


《音楽を作る順序》
しかし、多くの吹奏楽部では、その「情報の再現」に多くの時間をかけているところを沢山見かけます。
きっとそれは指導している先生たちが「正確なリズム、テンポ、ピッチ、音程が表現できなければその先に進められない」と思っているからではないでしょうか。まさに今の時期、そういった合奏が多いのではなかと予測しますがいかがでしょうか。
けれど、どうでしょう。楽譜に書かれている無機質な機械的運動情報の再現や、空気の振動数を正確に一致させることばかりを最初に徹底的に叩き込んで、ある程度形になってから「音楽的表現」追加していく順序には若干疑問を感じます。これでは、塗り絵の枠線を作り続けるだけの作業になってしまい、一向に着色されないようなものです。

例えば、「空」というものを知らない人に教える時に
「大概、自分の上にある」
「広い」

こんな感じで「情報」として伝えていても、きっとピンとこないはずです。これだけだと塗り絵で言うならば、かろうじて「外枠」しか描くことができず、感情を生むための情報がありません。

ですから、例えば昼の晴れた空に限定して伝えるならば、
「青く澄みわたっている」
「太陽が明るく、まぶしく、暖かい」
「風が吹いてきて心地よい」
「心が穏やかになる、楽しい気持ちになる、ワクワクする」

夕方なら、夜なら、雨なら、雪なら、台風なら…それぞれで空は表情が変わりますが、これらの情報から色彩や心情と共に伝えてあげたほうがイメージがしやすいはずなんです。むしろ、そういったイメージで心が動かされ、明確さや正しさを生み出すきっかけを与える可能性も高いのです。

吹奏楽の練習に話を戻すと、指導者はよく「ピッチ(が悪い)!」「テンポ(が悪い)!」「リズム(が違う)!」と、そんなことばかりガミガミ言って、怒鳴る人もいます。そういう指導者は、どんな対応策を取るかと言うと、ピッチが悪い奏者にはチューナーを与え、テンポやリズムが悪い奏者にはメトロノームを与えるんですね。
「絵の外枠が上手に書けないから、それができるまではとにかく線を引き続けなさい(線を引くのが下手だから線を引く練習をせよ)」ということをさせています。

しかし、例えば音程(ピッチ)が悪い奏者は、「なぜ音程(ピッチ)が悪いのか」「どうすれば音程(ピッチ)を正しくすることができるのか」を指導者が理解して、練習方法のアドバイスと、実践方法を伝えなければなりません(これについてはのちほど詳しく)。
もうおわかりでしょうが、そこにイメージできる素材や要素がないから、頭の中で機械的に考えてしまった結果、どうしても上手く演奏できないんです。そうした奏者は、次第に演奏することが面白くなくなり、音楽そのものが嫌いになる可能性もあります。
そんな残念なことは絶対に避けたいですよね。

ですから、コンクールだから、審査される場だから、という考えをメインに持ってこないで、まずは「音楽をする」という姿勢でいられるようにして欲しいと思います。奏者全員が色彩感などの「人間味のあるイメージ」をできる限り統一して持っているほうが、方向性を掴みやすく、合奏での作品の完成度も高くなるはずです。そして、ある程度形になってきたら、楽譜に書かれた情報の正確性を高めていく、という順序でも良いと思うのです。

先程かきました「ピッチが悪いからチューナー」というのは、根本的に間違っており、それでは絶対に解決しません。それらについてはこれまでも何度となくブログに書きましたが、とにかく「音のツボ」を当てられる吹き方をマスターしていく必要があります(音のツボに当てることができない奏者は、表面上、ある一定時間ピッチを正すことができたとしても、根本的なところでピッチを正しく演奏することは不可です)。ですから、これらは課題曲を演奏するとかしないとか、そんな狭い話ではなくて「楽器を正しく吹くには、どうすべきか」を的確に指導できる力を指導者が持っていなければこれから成長する可能性を持った奏者は解決することが難しいのです。


《潰れないために》
コンクールが近くなってくると、合奏練習が長時間に渡るところも少ないないでしょう。吹奏楽でのトランペットというのは本当に大変で、バテとの戦いです。こんなことを言うと批判をくらってしまうかもしれませんが、ピアノや弦楽器、木管楽器奏者にはほとんどない「バテ」という存在がトランペット奏者の目の前に常にある状態で演奏しなければならない精神的、体力的負担は、大きなハンデだと思います。他の楽器では「バテて吹けない(音を出すことができない)」という気持ちを理解してもらえることも少なくて(わかってもらえるのはホルンくらいでしょうか)、そのハンデがあるにも関わらず「バテて音が出せなくなる(音をはずす)とすぐバレる」というハイリスクなのも関わらず、音楽的表現に関しては他の楽器と同じように求められるわけですから、こんなに大変な楽器はないのでは、と思うわけです。もちろん、どんな楽器でもバテはあります。しかし、まったく音が出せなくなるとか、休憩をいれても完全復活することができない楽器など、他に聞いたことがありません(ホルンくらいでしょうか)。

しかし、これらはトランペット奏者同士でしか理解し合えない「言い訳」です。盾にしてはいけないのです。

しかもコンクールやコンサートでは、他の楽器どころか、楽器を演奏したことのない方だって客席にいらっしゃるわけですから、その方々に「トランペットは他の楽器に比べると下手だなあ、音出なくなっちゃったの?ダメだねえ」と言われたり思われたくありませんよね。その人たちひとりひとりに言い訳をしてまわるわけにもいきませんし(みっともない)、舞台の上に「トランペットはバテやすいのでそっとしておいて下さい」とプラカードをたてかけておくのもみっともない。結局全部言い訳。

ではどうすべきか。それは「バテにくい演奏をできるようにする」ということ。これは日頃の練習から身につけておかなければなりません。以下を参考にして下さい。

「充分なウォームアップを毎日必ず行う」
「唇から離す時間、回数を(たとえ数秒でも)できるだけ多く取る」
「長時間吹き続けない」
「(バテる前に)休憩をこまめに取る」
「バテるのが当たり前だと自覚する(だからバテないための対策を取るのだと考える)」
「プレスに頼った吹き方をしない(過剰なプレスをしない)」

こういったことを常に考えて、実践して下さい。
僕は昭和の真っただ中に中高生の時代を過ごしていたので、常に「根性」「血のにじむような努力」「逃げたら負け」といった世界観の中で部活動をしていました。体育教師がヤンキーをボコボコにしていることが何も問題にならないような時代でしたからね(笑)

だから(だからじゃないが)、「バテてからが練習だ」とか「バテても吹けるようにしろ」とか、そういうことが本気で言われていた時代だったんです(少なくとも僕のいた環境ではそうでした)。今となっては笑い話ですけどね。

でも、こういった考え方のせいでコンクール前に「潰れ」てしまうトランペット奏者が続出しました。
「潰れ」というのは、音域に関係なく、トランペットそのものが吹けなくなってしまう(音が出せなくなってしまう)状態のことで、頭では理解できていても体(筋肉)が言うことをきかなくなってしまったり、感覚がわからなくなってしまって、これまでのような演奏がまったくできなくなるコントロール不能状態です。精神的な面と体力的な面の疲労が同時に溜まり、溢れてしまうと発症しますが、コンクール前はとにかく合奏合奏で、基礎練習とか、ウォームアップとかの時間すら惜しく、合奏しようとする指導者がいるところや、バテというものを理解していなかったり、休憩を取らせなかったり、練習の合奏なのに、常に本気で吹かないと手を抜くなと叱りつけたり(これ一番ダメ。こういう昭和脳指導者が多い)、吹けない奏者に対してその場で立たせてできるまでひとりで吹かせたり、逆にバンドから退場させて個人練習させたり。ただでさえ暑い夏休みなのに精神的にも体力的にもズタボロにされてしまっては潰れてしまうのも無理はないんですよね。

また、潰れてしまいやすい人のもうひとつ大きな原因は、日頃の練習不足や、練習メニューについての深い知識がないダラダラした時間とのギャップの大きさにもあります。試験勉強の一夜漬けではないのですから、急に練習量を増やしたところで何も得られません。
似たようなところで、コンクール直前に一回だけプロの講師を呼び、何とかしようと考えている部活動の顧問の先生もいらっしゃいますが、一回いきなり行ったところで「練習するきっかけ」や「練習方法」についてのレクチャーはできますが、成長を実感できるようなことは何もありません。
元々素質があった奏者が、何かのきっかけに歯に詰まっていた食べカスがとれたような、そんな成長はありますが、基本的には正しい練習を継続する結果、少しずつ成長をしていくものですから、コンクール直前に呼ぶのではなく、コンクールの本格的な練習が始まる前に一度呼ぶか、継続的に呼ぶことをお勧めします。
この時期になると動き出す特殊な力を持ったバンドトレーナーは、確かに一回だけの合奏で見違えるような成長を遂げたかのように見せる力を持っています。ただ、これはある意味マジシャンか催眠術師、もしくはメッキ職人、一番マトモな言い方をするならば、レコーディングとかで活躍されているミキサーさんなんです。バンド全体が表面的に上手になったように聴こえる加工技術であって、各自の実力が伸びた結果ではないんですよね。だからしばらくすると元に戻ります。この方々にいくら払ってますか?それでいいのか学校教育って、って思うんですよ。
実はこれが、「ラッパの吹き方」ブログを始めた理由のひとつでもあります。

結局は指導者の知識と理解ということです。


今回の記事は指導者に向けたことばかりでしたが、コンクール前になると、「音楽」をすることを忘れて「結果」ばかり追い求めてしまう大人が増えてしまうので、敢て書かせてもらいました。なんだか、学校名や指導者本人を話題にさせるための「駒」とか「客寄せパンダ」に奏者(生徒)がさせられているようで、イヤなんですよね。
音楽は心で表現し、心が成長し、心に共鳴するものです。その音楽は、「完成度」という面だけで言えば優劣を付けることができますが、楽譜に書かれていることが上手に演奏できていなくとも、心のこもった演奏をしている団体を、「下手」と言う言葉で片付けてしまうのは、違うと思うんです。例え銅賞で終わってしまった団体でも、それは人間的に「下手」だったかどうかはわかりません。

だって、幼稚園児のおゆうぎ会で器楽合奏をしているそのステージを見て、涙を流す親御さんがいらっしゃるんですから、音楽というのは情報の正確な再現だけで優劣を付けられるようなものではない、ということは誰でも知っているはずです。

ですから、コンクールだからと言って、何か特別なことをしようと企まず、日頃からの個性ある団体の演奏をそのまま評価してもらうことが本当の意味でのコンクールではないか、と思うんです。その上で、銅賞になりたくない、上の大会に行きたいと思うのであれば、日頃からの練習にすべてはあるのではないか、と思うのです。

僕自身、中高生の時のコンクールを思い返すと、どうしてコンクールだけあんなに躍起になっているんだろう大人たちは、という気持ちがあり、文化祭や定期演奏会との温度差を感じていたから余計にそう思ってしまうんですよね。

ですから、ぜひコンクールも「楽しく」演奏して下さい。
その「楽しさ」から良い音楽が生まれ、それが聴く人(審査員含む)の心に響き、高評価につながると信じています。手段を選ばず結果を追い求めるだけの手段に「音楽」が成り下がらないことを切に願います。

ということで、今回で課題曲解説を完了します。数ヶ月の間、ありがとうございました。
次週からは、また通常の「ラッパの吹き方」に戻りますので、引き続きよろしくお願いします!

それでは、また来週!


当ブログの写真・記事等すべての営利目的による無断利用、ネット上などへの無断転載を禁止します。

at 06:33, 荻原明(おぎわらあきら), 吹奏楽コンクール課題曲2014

-, -, pookmark