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合奏練習時に隙を見つけては音を出してしまう








みなさんこんにちは!

《合奏の隙を見つけて音を出してしまう》

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吹奏楽やオーケストラの合奏練習のとき、指揮者(指導者)がスコアで確認するなどのほんの少しの無言や、隙をみせると途端に奏者(たち)が音を出し始める。

間もなく音を出す人がどんどん増えて、集団個人練習状態になり、指揮者に「うるさい!勝手に音出すな!」と怒られる。

こんな経験ありますか?

僕はあります。
というか、僕も中学生のとき、その音を出しているひとりだった気がします。

だからわかります。不安なんですよね。
指揮者からいろんなこと要求されて、その要求に答えなきゃいけない。次に指揮棒が動いたときにはその要求に答えなければ、

怒られる(かもしれない)

こんな緊張感があるものだから、ちょっとでも隙があれば音を出して確認したい。

わかります。わかるのですが、指揮者から「勝手に音出すな!」って怒られるこの状態は、良いわけがありませんよね。


合奏練習では個人練習をする時間は最初から用意されていないのです。



《吹かないとできない悪循環》

指揮者から怒られるからやってはダメ、と言いたいのではありません。

「音出さないと確認できない」「音出さないとわからない」「音出さないと安心できない」という状態が良くないのです。

だって音出して練習してこそじゃん!と思うかもしれません。が、本番のときを想像してください。
舞台上に上がって練習できませんよね。
演奏中、次の出だしがとても重要だから、事前に音を出しておこう…できませんよね。

いつもの練習時にはいくらでも好きなだけ音を出せていたのに、本番のときはそれができない。
必要な音以外を出すことができない、いつもの調子で演奏できない。違和感。ストレス。不安。緊張。

こんな流れになってしまうのです。


《合奏練習は作品を作り上げる場》
もちろん「反復練習」というスタイルはありますし、場合によっては有効な方法です。しかしそれはできないことを実現するための方法のひとつですから、理想を言えば合奏までに克服するための個人練習時に行うことです。

個人練習には個人練習の方法やスタイルがあります。
ですから、合奏練習には合奏練習の方法やスタイル、そして「約束」があります。

合奏は作品を作り上げる時間です。奏者それぞれが培ってきた自分の演奏すべきパートをしっかりを演奏することが最初の目的です。
それを指揮者を中心に奏者同士が影響を受け合って完成へと進んでいくわけです。

個人練習の不足を補う時間はここには存在しません。

しかし、指揮者は指揮者の中にある完成形を追求するわけですから、奏者の表現に対し、注文をしてくる場面はとても多いわけです。

奏者が「この場面はこう演奏しよう」とイメージを膨らませて練習して合奏に臨んでも、真逆なことを要求される可能性があるのですが、そのときにどう考えるか、感じるのかがその後の展開に大きく影響するのです。


《考え方でその先が大きく変わる》
「せっかく作ってきたのに否定された」と思ってしまうと自分にとってもストレスで、指揮者からしてみると自分のイメージと違った方向で演奏されてしまうし、そうなると作品の完成度も低くなってしまいます。それを聴くお客さんの身になったら…

なんだかみんなが悲しいし、残念ですよね。だから、そこは指揮者のイメージに近づける努力をするべきなのです。

まずは脳内でイメージします。指揮者はどんな演奏を求めているのだろう、どんな完成形を持っているのだろう。

それが見えてきたら(仮定でも構わないので、具体的にイメージすること)、自分がその演奏をしているイメージを膨らませます。

そして、ちょっとでいいので、からだやからだの部分をどう使うことでそれが現実により近づけるのかも考えてみます。いわゆる「奏法」と呼ばれる側面で、これをまったく考えないでも様々にスタイルを変えられるスキルを持っている人であれば考える必要がありませんが(それは相当レベルが高い人!)、大体の場合はそうもいきませんので、これまで受けてきた指導や自分で見つけてきたコツなどを元にちょっとだけ考えます。決して奏法が前面に、そして全面になってはいけません。

そして、指揮者が「じゃあ、もう1回同じところから!」と、指揮棒が動いたとき、イメージを全開に、奏法の引き出しはちょっとだけ開けて、自信を持って「こういう演奏を求めているのでしょ!わかってるよ!」と思い切り主張しましょう。

その結果がどうであるかは二の次です。まずはこのスタンスで合奏に臨む習慣を身につけることが大切なのです。

個人練習で培ってきたスキルを、合奏や本番で発揮するという二段構造になっていることを理解してください。
「練習」とひとくくりにしてしまわず、自分が今どうあるべきかを考えてみましょう。


ということで、合奏のときはたとえ不安であっても勝手に音を出さないよう、気を付けましょう!

それでは来週は「ハイノート本」の更新です。来週は”note”をご覧ください!


こちらでは次の次の週にお会いしましょう!


当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 06:39, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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コンクールで良い賞をもらうために大切なこと 2








みなさんこんにちは!

さて、前回より「コンクールで良い賞をもらうために大切なこと」と題しまして記事を書いています。

チューナー的ピッチやメトロノーム的テンポが正確なだけでは良い賞、高い評価を得ることはできません。それ以上に大切なことは「芸術=メッセージを伝えるために演奏をする」という意識です。

こんなことが前回の内容でした。前回の記事はこちらからご覧いただけます。


それでは、前回の続きです。


《良いお店探し》



僕は地元の美味しい食べ物屋さん探しが好きで、気になるお店を見つけては、覚えておき機会を見つけて入っています。

ただ、たくさん行きましたが、その後リピートをするお店はかなり限定されてしまいます。イタリアンはここ、ラーメンはここ、とか1ジャンルごとに1店舗といった感じ。

味だけで言えばどのお店もとても美味しいのです。しかし、行くお店はどうしても決まってくる。

これはなぜか。


[食べ物屋なのに味以外での評価が多い]
例えばお店の清潔感、雰囲気、店員の対応、センスを感じるメニュー。あと、これは単なるタイミングの悪さなのかもしれませんが、初めて入ったときにものすごくうるさい集団がいたり、妙にタバコ臭かったり、子どもが走り回っていたりといった印象の悪さも含まれます。

だからといって別に食べログに投稿などしませんが、心の中で無意識に様々な角度から評価をしていて、高得点のところにリピートしている自分がいます。

しかも味ではないところでの(無意識的な)評価がとても多いのです。


[心に触れる部分]
高評価なところ、リピーターやファンが多いところは直接的な技術力以外の「心」に触れる部分が素晴らしいです。

おしぼりがあったかかったり、清潔感があるとか、お店の人の声色や挨拶、笑顔。BGMとか照明とか空間の印象。メニューと食器のチョイスや他のお客さんとのやりとりなど。

自分が求めていたものを満たしているか、ということではなく、様々な面でお客さんをおもてなししよう、という気配り(=心)を感じるのです。


人間にとって食事とは、もはや生命維持のためだけに行うものではなく、リラックスして心を満たすことも大切な要素になっています。ですから、同じお金を払うなら、味が良く、胃が満たされるだけでなく、心も満たされたいと思うのは当然でしょう。

「ああ美味しかった」「満腹」
「幸せ」「楽しい時間だった」「落ち着いた」
 ↓
だから「また来よう」。


《聴く人が楽しいと感じるための最も大切なこと》
「おもてなし」なんて言葉が少し前に流行りましたが、本当の意味でゲストに対しておもてなしをするためには、まず自分自身の心がどうであるかが重要です。

ここで音楽に話しを戻しましょう。

ただ正確なピッチやリズムをキープできる技術をひけらかしたり主張するだけではお客さんの心には何も届きません。
「どうだ上手いだろ」と上から目線の演奏をしたら、それがたとえ本当に上手な演奏でも聴く人はストレスにしかなりません(飲食店で店員に「どうだ美味いだろ」と言われてみてください。心底面倒臭いですよね)。

聴いてくれる方へ感謝の気持ちを持って、心から音楽をする。

よって、ゲストに心から楽しんでもらい、さらにリピーターになってもらうために一番大切なことは、音楽をすることが好きで、その好きであることも含めて聴く人に伝えようという気持ちを強く持つこと。したがって、


「自分自身が心から楽しむこと」


です。自分が楽くないのに、どうやって相手を楽しませることができるでしょうか。


[吹奏楽コンクールでも同じ]
これはコンクールという場面でもまったく同じです。音楽はどんな場面でも音楽であることに変わりはありません。

例えば2つの団体が同じ曲を演奏して、両団体ともにミスがひとつもなく、テンポが乱れず、ピッチが正しく、ハーモニーが良い演奏をしたにもかかわらずどちらか1団体しか代表を選べないとしたら、どうしますか?

演奏技術や表現力とは違う「心を感じる演奏」を選ぶはずです。

(もちろん、審査というのは上記のように技術が高いかどうかを真っ先に判断基準にしているわけではありませんから、表現力なども含め、すべての面において総合的に点数をつけているはずです。)

ですから、今まさにコンクールに向かって毎日一生懸命練習をしているみなさん、また、コンクールだけでなく、オーケストラや他の様々な本番に向けて練習をされているみなさんも、楽譜に書いてあるデータ(テンポ、リズム、ピッチ、音程etc.)を正確に再現するための必要な行為だけを「練習」と呼ばないでください。


もっと広い視野で、自分自身が心から楽しんで演奏する姿勢を忘れないでください(ここで言う「楽しい」は愉快な楽しさというよりも「やる気に満ちている状態」と考えてください)。

その「心」が、コンクールの評価にもつながります。

自分がお客さんとして聴きにいったとき、心から楽しみ、満足できる空間を作り出すために演奏技術以外に何が必要か、それを考え、実践してください。


ということで、また来週!


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at 07:10, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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コンクールで良い賞をもらうために大切なこと 1








みなさんこんにちは!トランペットを吹く人、教える人、荻原明(おぎわらあきら)です。


《コンクールで優秀な評価、賞をもらうためには何か必要か》



「めざせ金賞!」「めざせ全国大会!」を掲げて吹奏楽コンクールに向けて練習を開始しているところも多いかと思います。

せっかく参加するわけですから、思い残すことなく良い結果をもらいたいものですね。高みを望むことはとても素晴らしいことですし、様々な面で成長させてくれます。

ではもう一歩、深く考えてみましょう。

コンクールで良い賞を獲得するには、どんな演奏をする必要があるでしょうか。


 ミスをしないこと?
 ピッチがチューナーの指し示す±0を指し続けること?
 テンポがメトロノームのクリック音に噛み合い続けていること?
 和音が純正律の響きであること?


どうでしょう。


《芸術ーーメッセージを伝えることーー》
コンクールの審査員は人間が行なっています。カラオケの採点機能のようにコンピュータが予め持っているデータと比較して、減点対象を見つけていく方法とは違います。

そしてもうひとつ大切なことは、審査員は誰一人として手元にチューナーとメトロノームを持ち、それらの示す情報により点数の増減をしてはいません。チューナーがなくてもピッチがわかる力を持っているとか、そういうことでもありません。


では、審査員は演奏の何を聴き、何を審査基準にしているのでしょうか。


[そもそも音楽とはなんだろう?]
音楽は「芸術」というジャンルのひとつです。

課題曲解説の記事(課題曲3「インテツメッツォ」前編)でも書きましたが、芸術とは、「メッセージを相手(の心)に届けるための手段」です。

とても素敵なものを手に入れたから(生み出したから)みんなに知ってほしい、
自分が正しいと思うことを、多くの人にも共感してもらいたい、
それは間違っている!と思うことを、多くの人にも共感してもらいたい

様々なメッセージを、音に託して伝える行為が音楽です。

芸術は時として言葉のように直接的ではありませんから、そのメッセージが何なのか少わかりにくいときもしばしばあります。
ですので、それがたとえ憶測(それが作者のメッセージとは違った)としても一向に構わず、自分自身の考え、イメージすることが芸術そのものだと思います。


[読解]
そういえば国語の授業でも出てきましたよね、「読解問題」。
表面的にはこんなストーリーでしたが、作者は結局何を伝えたかったのでしょうか?というヤツ。

あなたは文章の読解、得意ですか?苦手ですか?

小説(物語)も芸術のひとつですから、音楽と同じように何らかのメッセージが込められているはずなのです。

若干乱暴な言い方になってしまいますが、作者にとっては結局、伝えたかったテーマが重要なのであって、その手段として設定した舞台や時代背景、出演者というのは、すべて道具にすぎないと考えてもいいかもしれません。


読解なんて難しい言い方しなくても、もっと身近にメッセージってたくさん転がっています。

あなたがもし(年齢的なものではなく)大人であれば、こんなふうに思ったこと、きっとあると思います。


「幼い頃見た絵本やアニメ、今見直してみると印象が違う」


例えばアンパンマンとかガンダムとかドラえもんとか何でもいいのですが、幼い頃というのは、バイキンマンが悪さしててアンパンマンにアンパンチ受けて飛んでいくと「ヤッター!」ってなったり、ザクがガンダムに攻撃されて爆発して「ガンダムつえー!」ってなったり。そんな感じだったと思うんです。
でも大人になると、もっと深く考えられるようになる。バイキンマンってもしかして、本当は悪い子じゃないのかもしれない、とか。ジオンも地球連邦もお互いが正しいを考えて戦っているんだな。戦争って正義とか悪じゃないんだな。とか。

そこからもっと深く考えてみる。それが作者のメッセージと違ってもいいからいろいろ考えてみる。

それが読解力だと思うのです。


[表面的なものばかりを受け取るから、炎上が起こる]
ここからは僕の主観として受けて止めてもらいたいのですが、最近はますます表面的なものを表面的にだけ受け止める人が増えてきたように感じます。

SNSなどのインターネット上でよく話題になる「炎上」がそのひとつ。


個人アカウントのTwitterで以前、こんなことをつぶやきました。







ユニ・チャームのCMでお母さんが子育てに奔走するストーリーです。これが炎上をしました。
なんでも、この映像にお父さん(男性)がほとんど出てこず、お母さんばかりが子育てをして、大変な思いをしている。女性だけが育児をしているいわゆる「ワンオペ育児」を肯定しているのでは、ということで話題になり、炎上したそうで。



「ワンオペ育児」っていうネーミングからもう人間味がなく。嫌悪感を抱きます。

ちょっと待ってほしいんですよ。

もちろん、物語をどう捉えるのかは個人の自由であり、それについて何を言おうが結構なのですが、最初から批判的な姿勢でしか見ておらず、指摘できるものを粗探しした捉え方すぎないか、と思うのです。

見方を、このCMを作った企業に変えて考えてみてください。企業はいわゆる「ワンオペ育児」を日本中に浸透させよう、育児は女性がするものだ!と訴えたくて、たくさんのお金と時間と人間を使って企業の顔であるCMを作ったとは考られません。

そもそも、そんな理念を持った会社がここまで成長しません。

否定的な捉え方を持ち、炎上させた人たちに言いたいのです。

「この物語の中に込められた本当のメッセージ」を読み取り、それを受け取ってください。その努力を惜しまないでください。

このCMに限らず最近では「SNS映え」する食べ物や「おもしろ動画」などの表面的なものばかりが瞬間的に流行する時代だなと感じています(それは楽しいから否定はしません)。ただ、なんでもかんでも表面的な浅い、心に到達する前に反応できてしまうような直感的面白さばかりを追い求めるのではなく、もっと深いところまで考えてみたり、相手の本当のメッセージが何なのかを受け取る自身の能力をもっと育てる努力をしてほしいのです。

クレーマーとか、モンスターペアレントとか、そういった人たちも、結局は相手の真意やメッセージ、なぜそうしたのかをまったく理解しようとせずに(受け取ろうとせずに)自分を優位に立たせ、自分の都合を最優先するために、自分の子どもまでもそのための道具として利用し(ウチの子に何かあったらどう責任とってくれるの?!というセリフはまさにそれ)、粗探しをしているだけにしか見えません。
みっともないし、人間が持つ貴重な能力である豊かな心やイマジネーションを全然発揮していない。とても残念です。


[音楽における「伝える技術」]
あなたが例えば昨日とっても面白いテレビ番組を観たとします。
翌日、その面白さを友人に伝えるとき、自分の持つイメージを可能な限り理解してもらえるように工夫や努力をする必要があります。

そうしないと全然伝わらなかったり、下手をすると違う解釈をされ、誤解を招く恐れもあるからです。

会話の流れ、チョイスした言葉、緩急や間(ま)、簡潔なまとまり、表情、トーンなどが上手であればあるほど相手は理解してもらえるでしょう。こういった技術を仮に持っていなくても努力すれば伝わりますが、苦労は伴いますから「伝えるための技術」は持っていたほうが何かと便利です。

音楽もまったく同じです。音楽で言うところの「伝える技術」とは、ピッチやテンポの正確性、音色やテクニック、表現力などの演奏技術全般を指します。

しかし、これらの技術はあくまでも「伝えるための技術」なのですから、「伝えるもの」「伝えたいもの」がなければ何の役にも立ちません。

伝えたいこと、伝えるべきことを持たずに、ただ表面的なことばかり(ピッチやテンポ)に意識が向いてしまうのは、例えて言うならプレゼントの外装にめちゃくちゃ気合いを入れて、箱の中身がカラッポだった、といったようなものです。

ということで、聴く人に届ける演奏をするならば、もちろん日々の演奏技術の向上(=テクニックの練習)は大切ですが、それは「伝えたいことを的確に届けるために行なっている」のである、ということを見失わないでください。

次回もこの続きを書いていきます。

それではまた来週!



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at 06:41, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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最近の「宝島」の演奏








みなさんこんにちは!

「宝島」、演奏したことありますか?
演奏経験のある方、とても多いと思いますし、吹奏楽経験者なら一度は聴いたことのある作品だと思います。

僕も大好きな曲のひとつですが、最近ホントに流行ってますよね。
元々あの楽譜はニューサウンズ・イン・ブラスのシリーズで1987年の発売されたものです。オリジナルはT-SQUARE(発表当時はTHE SQUARE)の作品。



古いですね!今、現役で吹奏楽部に所属している方は、全然生まれていないくらい古いです。
しかも、もしかすると、オリジナルがあるって知らない方もいらっしゃるかもしれませんね。「ティースクエアってなんだ?」「フュージョンってなんだ?合体でもするのか?」という感じの方もきっといますよね。
それくらい吹奏楽アレンジが秀逸で、多くの人に親しまれているということなのでしょう。


《流行は循環する》
宝島も含めて、ここ5,6年くらいでしょうか。僕としては「うわ!懐かしい!」「中学生のとき吹いた!」「昔流行ってたね!」という曲を今まさに演奏している吹奏楽団体やレッスンで楽譜を持参する方が多いです。

なぜだろう、と考えてみたのですが、ちょうど当時(25年くらい前)に演奏していた中高生吹奏楽部員だった子どもたちが、今はすっかり大人になって、気づけば吹奏楽部の顧問になっていたり、指導者になっていたり、一般バンドの中心的存在になっていたりするのではないか、と思うのです。その人たちが選曲するわけですから、おのずと昔やった曲を再演(もしかするとリベンジ?)したいという流れになるのは当然ですよね。

多分、そんなことも含めて、懐かしい曲を演奏する団体が多いのだと思っています。

ですから、またこの先20年くらいすると再燃してくる曲って多いのかもしれません。
ファッションみたいに吹奏楽曲も流行は循環しているようです。


《宝島の気になること》
さて、大人気の宝島ですが、そもそも「ラッパの吹き方」ブログで課題曲以外にひとつの作品を名指しで書くなんてこと初めてなのです(多分)。

なぜ書いたのかと言いますと、ひとつ言いたいことがあるのです。それは

「最近の『宝島』のテンポ、速すぎやしませんか?」

ということ。


《テンポの境界線》
テンポは、その作品の印象を大きく左右します。

一般的には速いテンポは「元気」「活発」「賑やか」

このようなイメージを与えることが多いです。

しかし、テンポが速すぎると、「慌ただしい」「せわしない」「乱雑」

といったネガティブな印象を与えてしまいます。

ではこの「速い」と「速すぎる」境界線はどこにあるのでしょうか。


《テンポも主観的ではなく客観的》
(速い)テンポの境界線は

「細かな音(リズム)がきちんと聴く人の耳に届いているか」

です。自分が演奏できているか、ではありません。聴く人がどうかが重要なのです。

ですから、テンポを上げすぎた結果、楽譜通りに演奏できなくなってしまうのはアウトです。

音楽に関しては何でもそうですが、奏者の主観で演奏するのは良くありません。必ず聴く人の立場になって客観的に演奏すべきです。


《「宝島」の場合》
吹奏楽編曲版「宝島」は、ラテンパーカッションを多用したサンバのリズムをベースに書かれています。そして、「フレーズ感たっぷりの雄大なメロディ」が、オリジナル作品そのものの持っている性質です。

サンバはシンコペーションや16分音符(休符)を中心としたリズムで構成されていて、意外に細かい音が多いです。横にスルスルと流れてしまうような音楽ではなく、拍感を強く感じられる重いリズムが含まれた音楽です。

そして、もともと16ビートの音楽なのでテンポが速くなくても活発な印象を持ちます。

この細かな16分音符(休符)から生まれるリズム感、ビート感を効果的に演奏し、しかもそれが聴く人の耳にしっかり届かせるためには、奏者が必死に音符を並べて演奏せざるを得ない速すぎるテンポでは、編曲意図も活かされません。

ましてやトランペット、トロンボーン吹きにとっては、よく難関と言われている「練習番号H」のSoli(ソリ:Soloの複数形)があります。アルトサックスにもカッコイイソロが2回も出てきます。これも16分音符の連続でなかなか手強い。バックのバンドの音が厚すぎて、あまり聴こえないパターンも多く、ちょっとかわいそうなときもあります。

トランペット、トロンボーンの方の中には「練習番号H」が大変!吹けない!と言う方がとても多いのですが、テンポがもっと落ち着いて、サンバのビート感が生まれれば、自然と長いフレーズ感を持つことができますから、そのメロディが「それらしく」表現できるのです。速く設定したメトロノームに一生懸命はめようとしているから、できない!難しい!となってしまうのです。「宝島」編曲版の本来曲の持っている「良さ」が活かされないほどに速いテンポで演奏してしまえば、演奏できないのは当たり前です。

全部の音がしっかり聴こえて、全部の休符がしっかり感じられて、長く雄大なフレーズ感を持ったメロディやオブリガードを表現し、打楽器のビート感、シンコペーションがシンコペーションとして効果を発揮するサンバのリズム感を出すために、提案します。

「四分音符=112で演奏してみませんか?」

カッコイイと思うんだけどなぁ。ダメですかね。
(ってか、楽譜的にはそのテンポなんですけどね)


《奏者は冷静にアクティブで》
僕は世代的にも、オリジナルのTHE SQUAREを先に聴いていたから尚更なのかもしれませんが、吹奏楽編曲のほとんどの演奏で、最初のアゴゴを聴いた瞬間に「速い!!」と感じてしまい、この先に待ち構える音符同士が重なり合った超特急「練習番号H」を想像してしまうのです。

もしかすると、「宝島」はコンサートのアンコールなど、クライマックス的な立ち位置で演奏することが多いから、演奏者のメンタル面の緩み、興奮、演奏に対する集中力の欠如(これで終わる!引退!打ち上げ!...ビール!)などの影響で、テンポ制御が効かなくなっているのかもしれませんが、どうしても速すぎる宝島の演奏からは、作品を雑に扱ってしまっている印象を受けてしまうのです。

興奮したり、作品を聴いて活発さを感じるのは奏者ではなく、お客さんのほうです。
主観ではなく、客観です。

もちろん奏者もアクティブでなければなりませんが、冷静にアクティブな演奏をすることが求められます。
どんなときでも興奮して演奏が乱れてしまうような精神状態になるべきではありません。


ぜひ一度、だまされたと思って一度テンポをグッと落としてフレーズ感をたっぷり持ち、冷静なアクティブさで演奏してみてください。
アゴゴ担当の方、パーカッションの方、ぜひお願いします!

遅いテンポのほうがカッコイイと思うんだけどなぁ。。。


ということで、今回はここまでです。
テンポの話をしたので、次回も関連した内容を書いてみようと思います。

それでは、また来週!


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at 07:54, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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指揮者から一発OKをもらう方法








みなさんこんにちは!

夏休みに入り、コンクールだ合宿だ合奏だ練習だと、忙しい毎日を送っている方も多いかと思います。
それにしても吹奏楽部ってのは本当に忙しいですよね。毎日楽器を吹く環境が用意されているのはとても恵まれていることではありますが、休みも入れつつ、中身の濃い練習ができたらそんなに毎日何時間も練習しなくても結果は得られるかもしれないと思っています、個人的に。

それはともかく、今の時期は合奏がとても多くなり、また外部講師が頻繁に顔を出すこことが多いかもしれません。

たくさんの先生が、様々な角度からアドバイスをしてくれる貴重な時期ではありますが、いろんな人がいろんなことを口々に言い、場合によっては真逆のことも言われるので、いったいどれを信じていいのかわからない、なんてことが起こるかもしれません。

また、言われた通りに演奏したのに否定されたり、言われたことの意味がよくわからなかったり、という場面も多いかと思います。
今回の記事はそのような状況にならないための心構え、方法を解説します。


《指揮者さん、あなたがわからない》



例えば指揮者に「その部分はもっと大きな音で!」と指示されたとしましょう。
あなたはその後、どう演奏しますか?


「大きな音で、と言われたので大きな音量を出そうと努力しました」


という方、もしかすると指揮者からその後も何度か同じように「もっと大きな音で!」と言われたり、逆になぜか「うるさい!」と言われて「なんだよ!お前がもっと大きな音量で、って言うから吹いたのに」と不満タラタラでもう一度(音量を抑えて)吹いて「今度は小さい!」と言われ、「はぁ?!お前が今音量を…(以下略)」で、もっとイライラする。なんて経験があるかもしれません。

「指揮者が言ってることがわからない」
「指揮者の言う通りにしたのに違うと言われた(ちゃんとやってるのに!)」

こうなってしまうのには実は理由があるのです。


《咀嚼、消化、吸収》

なぜ指揮者と意思疎通ができないのか。それは「咀嚼(そしゃく)」「消化」「吸収」をしていないからです。

複数で楽曲を作っていくときにイメージを共有したり、レッスンなどで奏法について伝えるときにはどうしても言語を発する必要が出てきます。

しかし、音楽はそもそも、言葉で表現することがとても難しいものです。しかもそれを相手に理解してもらえうように伝えるのはもっと大変で、お互いがたとえ同じイメージを持っていたとしても、使う単語やニュアンスによってまったく違う言葉を口にする可能性もあります。

言い換えるならば、音楽は言語にすることが難しいからこそ魅力的である、とも言えます。


ひとつ例を出してみます。
「トランペットがフォルテで音を出している」。それを聴いた人たちが様子を口にしたとき、

Aさん「響きのあるトランペットらしいサウンドですね」
Bさん「ラッパが吹き鳴らしている」
Cさん「勇ましいラッパの音。そうだ競馬に行こう」
Dさん「そろそろ甲子園の季節。野球観に行こう」
Eさん「大きな音量ですね(無関心)」
Fさん「トランペットにしては音量抑え気味に吹いている」
Gさん「うるさい」

など、人によってその音の捉え方が変わります。

では指揮者からの指摘に話を戻します。これまでの話の流れを加味すると、

「トランペット、もっと大きな音量で」

と言われたとき、単純に「大きな音を出せばいい」と思うのは安直なのだ、とわかりますよね。ここで今「咀嚼」しました。

「大きな音量」という言葉の中に指揮者はどんなイメージを含めているのか、どんな結果(完成形)を求めていて、今の演奏のどこに納得いかないのか。そういったことを奏者はイメージし、指揮者の求めているであろう演奏を心がけます。
言葉を投げかけられた側は「大きな音量」という言葉からいくつか連想することができると思います。


「もしかしたら、本当に音量が足りないのかもしれない(他の楽器との音量バランスが悪いのかもしれない)」
「もしかしたら、響きがないのかもしれない(実は音色について言っている?)」
「もしかしたら、この場面に合わない吹き方なのかもしれない(それはなぜ合わないのか?単純に音量?吹き方?タンギング?ニュアンス?音圧?)」


など。ここで「消化」「吸収」しました。
消化吸収ができれば、もう自分のものになります。自分の意思を持たずに、言われたことだけを試行錯誤して音にしようとするロボットのような状態ではなくなっている、ということです。

そして、いくつか考えられる選択肢の中から例えばここでは「他の楽器と音量バランスが悪いのかもしれない」と、ひとまず結論付けます(再度演奏するまでそれが正解かわかりませんので、あくまでも仮です)。

そうなるとまず、合奏している全体の響に耳を傾けるようになります。その中で自分がどんな音量で存在しているとバランスがいいのかをイメージし、演奏中もそれを心がけます。自分本位ではなく、客観的に自分の音を聴き、自分も含めた全員で音楽を作り上げる意識が高まっていくことでしょう。

そして、その意識が指揮者に伝わり、求めていたものであれば「そう!それそれ!良いよ!」とOKが出るというわけです。

違ってたらやり直し。でも、奏者が指揮者に私的されたことをきっかけとして何らかのアクションをしていればおのずと、演奏に変化がおこり、指揮者も言葉の使い方を変えてくると思います。そうやって少しずつでも指揮者のイメージする完成系に近づけていければ、それはもう成長と言えるでしょう。

このようなやりとりが瞬間的にできる人、そして指揮者が本当に何を求めているのか見抜ける力を持っている人のレベルはかなり高いはずです。
イメージも奏法もそのために何をどうすれば良いかわかっているということですからね。表現の引き出しがたくさんあって、それを瞬時に使い分けられるのは演奏者としての大切な要素です。
しかし、アンサンブル力や演奏表現力のレベルを上げていく方法が、まさにこれなのです。ですから最初は難しくても、いつもこの姿勢で合奏に臨んでいれば、少しずつ感覚も身につき、成長していきます。

怖いと思っていた指揮者や先生も、冷静に見ていれば何を言わんとしているのかがわかり、とてもいい関係になれるかもしれません。


《難しいこと?》

これらの行為は高度な技術かもしれませんが、日常生活の中で相手に対し、「この人は何を思っているのだろう」「どんな心境なのだろう」「何を求めているのだろう」と一旦立ち止まって考え、相手と意思疎通を計ろうとする姿勢は、人間関係において非常に大切なことです。
「自分が自分が!」と言いたいことだけ言って周りの人たちを困らせるのではなく、気持ち良く過ごすためにお互いがバランスよく意思を伝え合う。こういったことは当たり前のことだとも言えますし、そんなに難しいことでもないと思うのです。これができている人、日本人はとても多いですからね(お隣の国の人はその発想すら持てない人が多くて自分勝手なことばかりしているな、と感じますけどね)。

音楽でもまったく同じです。相手のことを考え、そして自分の主張をしていく。これが結果的に音楽をより素晴らしいものにしてくれます。
そして、相手を思う気持ちを持つことは、本番でお客さんに向けて気持ちを投げかけられる力になります。「お前たちお客は俺たちの演奏を黙って聴いていればいいんだよ!」という奏者の演奏は、どんなに技術的に素晴らしくてもお客さんの心は離れる一方です。

自分の意見を全く口にしないのも良くありません。主張も意思もない演奏なんて味も栄養もない食べものと一緒です。それは誰も興味を示しませんから、リピーターにすらならない。音楽はもともと相手に何かを伝えたくて作られ、演じられてきたものです。そういった作曲家がメッセージを込めて産み出した作品を、無味無臭無関心なものとして音に出してはいけないのです。
楽器から出た音がリズムに合わせて上下しただけのものは単なる「音の羅列」であり、それは音楽とは呼べません。

ですから必ず「この作品(この場面)はどんな雰囲気で演奏しよう」とか「自分のこの気持ちを音楽に乗せて演奏しよう」と思いながらその作品と常に接してください。

そして指揮者や先生に言われるまで、自分のその作品に対しての思いを一切持たず空っぽの箱にしておくのも良くありません。これは一見、余計なことをせずにどんなものでも受け入れようとしているかのようですが、単なる受け身の身勝手な姿勢です。まずは自分で完成させ、それを聴いた指揮者がどのように感じ、どのように修正するとより良いものができるか、という流れで音楽を作っていくことが基本です。「さあ何か教えてください」は非常に良くありません。



ということで、今週は指揮者やレッスンでアドバイスをもらったときにどのように対処すべきかを中心に書いてみました。
誰かと一緒に音楽を作ったり、誰かに教わっている方はとても多いと思いますので、ぜひ参考にしてください。

それでは、また来週!


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at 06:36, 荻原明(おぎわらあきら), 本番・合奏練習

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