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音楽は楽しむもの(最終回)








みなさんこんにちは!

これまでもお伝えしている通り、2018年4月よりブログ「ラッパの吹き方」は場所を移動して新しくなります!
ですので、今回の記事がこのJUGEMブログ上でのトランペットや音楽に関してお話する最後の記事になります。




《楽しんで!》

本番直前の舞台袖とか、明日本番を控えた方にどんな声をかけますか?

「頑張って!」
「ベストを尽くして!」

それも良いでしょう。しかし、僕は敢えてそうは言いません。僕は必ず、


「楽しんで!」


と言います。




《心と音楽》

音楽はしばしば「なくても生きていけるもの」「生活に直接関係がないもの」と言われます。

確かに、お金や食べ物、住まいに比べれば優先順位は低い。肉体的な生命活動を維持する点では音楽など必要ありません。

しかし、こういった話題になるときに絶対忘れている大切なものがひとつあります。それは



「心(精神)」


です。


どんなにお金があっても、どんなに豪華な家に住んでいても、心が貧しかったり、心が何も感じない生き方では、本当の意味で人間としての豊かさを得ることはできません。



ただ食べて生きるための栄養を摂取するのではなく、美味しいものを好きな人と笑いながら一緒に食べることで得られる心の満足感。

ただ睡眠をとるのではなく、暖かい布団の中で安心して休息をとる時間。

雨音を聞きながら暖かく香りのよいコーヒーを飲む時間。

5月の清々しい風が吹く森で川のせせらぎに耳を傾ける時間。

映画に涙し、絵画に心をうたれ、恋をして、笑顔になる。


これ、全部「心」が反応しているときです。


そして「音楽」も同様です。

音楽は心に語りかけ、笑顔になり、涙する強い力を持っています。



《自分に向けてしまわないように》

音楽に関わっていると、どうしても

「上手に演奏しなければならない」
「楽譜に書いてあることを正確に演奏しなければならない」
「コンクールで結果を残さなければならない」
「先生に怒られないように練習しなければならない」

なぜか怒られるとか演奏できるようになるとか、全部自分に向けたことばかりを考えてしまいがちです。


たしかに音が出なければ演奏できませんし、楽譜が読めなければ楽譜に書いてあることを間違えるかもしれません。
ですから、演奏する側はそういった力を養う「練習、研究」の時間は絶対に必要です。


しかし、そんな中でも音楽は

「誰かに自分の気持ちや作品の素晴らしさを伝える」

ことが本質
であることを忘れてはなりません。


辛い思いをして怒られないようにする、楽譜に書いてあることを正確に演奏することを最終目的にしてはなりません。



しかし、残念なことにほとんどの人が忘れてしまっています。音楽の本質、音楽の目的、音楽の本来あるべき姿を。


どこで変わってしまったのか。
僕はこう思うのです。



算数のテストのように正解がひとつしかないように思ってしまう
本来自由であるはずの文章読解に正解と不正解を作ってしまう
英語は文法によって形成されたものが会話化すると思ってしまう
美術の課題を提出すると、点数をつけられる



勤勉な日本人は、学校生活という長い時間の中で培った教育方法をすべてにおいての基盤にしがちで、音楽もやはり「勉強」するもの、と解釈しています。

そして学校教育は、ルールを守ること、勉学には正解と不正解があること、いつもそれを基準にして学んできた気がします。

これらは確かに大切なことです。


しかし、僕個人のことを言えば、学校教育の中では心は育まれませんでした。
息苦しく、居心地の悪い時間と空間でした。

その中で唯一心が解放されたのが吹奏楽部です。

トランペットを吹いているときには自由になれる。音楽をしているときには点数はつかない。こんなに楽しいことはありませんでした。
そして、中学校の吹奏楽で指導してくださっていた卒業生の外部講師の方が常に言い続けていた「音楽は心」という言葉に救われました。

上手になること、間違えないで演奏することも大切ですが、一番大切なことは心を伝えることである。


音楽の本質
です。



《心を豊かにするレッスン》

僕は音楽をすること、トランペットを奏でることで、演奏する人の心が豊かになり、自由になり、そしてそれを聴く人の心に何かを伝えられる力を持ってほしくてレッスンをしています


もちろんそのために演奏技術は必要ですから、技術的なレッスンもしていますが、それが目的のすべてではないのです。



たとえ学校や仕事で心が硬くなってしまっても、トランペットを手にしている時間、好きな音楽に関わっている時間だけでも、その心が少しでも癒され、ほぐれて欲しいと願ってレッスンをしています。


そういった意味で、僕は音楽を演奏する人にはいつも「楽しんで!」と声をかけるのです。



「楽しい」という言葉や持つ感情、イメージは、その人のそのときのモチベーションで変わりますが、「楽しい」に込められているものはとりあえず何でもいいと思います。
音楽に関わっていることで心が豊かであれば充分です。


楽しい!と思っているうちに、もっと演奏できるようにしたい、上手になりたいという気持ちが芽生えてくるわけで、我慢して心を閉ざしてまで技術を高めても何の意味もないと僕は思います。楽しいことがすべての基盤になるべきです。





ぜひ音楽をされている方、トランペットを演奏している方みなさんの心がいつまでも豊かであり続けますように。



これからも音楽を楽しんでください!





これで音楽に関係する記事の掲載は最後になります。4月からは新しいブログ「ラッパの吹き方:Re(リ)」にて更新いたしますが、今後このブログをどのように使っていくかなどの諸連絡記事は追ってこちらに掲載いたしますので「ラッパの吹き方」「ラッパの吹き方:Re」ともに引き続きよろしくお願いします!




ちなみに来週は「ハイノート本」の更新です。ぜひ”note”をご覧ください!


9年間本当にありがとうございました!
また(いろいろなところで)お会いしましょう!





【「ラッパの吹き方」は2018年4月より場所を変えての更新となります】
今年4月で10年目を迎えるブログ「ラッパの吹き方」は、場所を移動して新しく生まれ変わります!
その名も「ラッパの吹き方:Re」
どんな内容でいつ更新するかなどは、すでに新しいブログ上に掲載しておりますので、ぜひご覧ください。





当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 06:46, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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音のない音楽








みなさんこんにちは!



先日、師匠である津堅直弘先生の門下生による発表会が開催され、僕は審査員として参加させていただきました。

発表会なのに審査員?と思われるでしょう。そのあたりは最近始めた何でも書いているブログの記事をご覧いただければと思います。その記事には、発表会を聴いて思ったことを、僕が書いた講評と共にいくつか書きまして、きっとトランペットや音楽をされている方には参考になる内容だと思います。

そのブログ記事が長くなったので途中で切り上げたので、その続きをここで書いてみようと思います。


《無伴奏の作品を聴いて》

発表会の中で唯一、無伴奏の作品を演奏した方がいました。その講評がこちら。




この日、審査員としてずっとピアノとトランペットの音を聴き続けてきた者としては、ステージの上でトランペットの音だけが鳴り続けていることがとても新鮮に感じました。

なぜピアノの音がしないだけでここまで印象が変わるのか。

その答えはとてもシンプルでした。トランペットの音がない時間が「無音」だったからです。


音楽というと我々は「音を聴く」ことに意識を向けているとつい思ってしまうのですが、実は「音がない時間」に影響を受けているのだな、と再認識しました。


そこで今回は「音がない時間」について考えてみます。





《間(ま)と呼吸》

「あのね、あのね、おかあさん、今日さっちゃんとあのね、一緒にね、公園でね、ボールでね、あのね、遊んだのね。そしたらね、えりちゃんがね、一緒にね、えっとね、あそぼってね、きてね、あのね、三人でね、ボールで遊んだらぼーるが遠くにねえっとね行ってね、…」


小さい子がよく、お父さんお母さんに一生懸命喋り続けているシーン、よく見かけます。

子どもは少ないボキャブラリーからなんとか構築した文章で、伝えたいことを言語化します。しかし、相手に自分のイメージや意思を的確に伝えるための技術は持ち合わせていないので、とにかく必死に、伝えたいことをどんどん言語化します。しかしこれ、子どもに限ったことでもありませんよね。大人でも延々と喋り続けて、他の人が口を挟む余地を与えない人、いますよね。


それはともかく、このような話し方をされると、聞く側も一生懸命努力しないと内容が頭に入りません。


一方、伝えるテクニックを持っている人の場合、聞いているだけで自然と頭の中で話が構築され、一度で内容がスッと理解できます。


この伝わりやすさの違いはどこにあるのでしょうか。



抑揚や緩急など、きっといろいろな要素が関連しているとは思うのですが、一番のポイントは、


「間(ま)」と「呼吸」


というどちらも無音になる瞬間です。


僕も少なからずレッスンなどで伝える側に立つ人間である以上、わかりやすく話せる人でありたいです。ついつい一生懸命たくさん喋ってしまうので、一度の情報量が多いとよく指摘を受けてしまいます。すいませんです。



《音楽における無音》

音楽に話を戻します。

演奏者は音を出すことに意識を向けがちですが、音楽にもやはり音のない瞬間がたくさん存在しています。
聴く人を惹きつける演者になるためには、この「無音の時間」を上手に使えるようになる必要があるのです。

それでは、音楽においての無音にはどのようなものがあるのか、ピックアップしてみましょう。



1.演奏開始までの時間

演奏者が舞台に登場し、客席から拍手をもらってそれが一段落すると無音の時間が始まります。
これは「演奏を待つ」というワクワク時間です。

お客さんとしては、これから始まる音楽に期待を込めているのですから、その期待を裏切ってしまう行為はできだけ避けたいと思います。
要するに、演奏開始まで余計なことはしない、ということ。

必要ではない物音、例えばミュートをカンカン置いたり、足音やため息。他にも管から水分を勢いよく抜いたり、音ではないけれどキョロキョロしたり不安定な表情をするのもその空間を乱す要素だと思います。お客さんのワクワクが減退します。


それに加えて僕は金管楽器がソロを演奏する際の舞台上のチューニングは必要なのだろうか?と疑問を持っています。

弦楽器の場合は楽器を調整することでピッチを安定させるので絶対に必要ですが、金管楽器のチューニングとは「共演する人同士の基準ピッチの確認」でしかありませんから、舞台上で音を出さなくても、例えば舞台袖でチューナーを使うなりして安定したピッチが出せる状態を確認すればそれで良いと思っています。
よって、僕個人(あと発表会などで演奏させる僕の生徒さん)には、舞台上のチューニングはしていません。

そうすることで、最低限の準備時間でお客さんのワクワク時間を損なわないようにすることが必要ではないかと思っています。



2.楽譜に用意されている無音

クラシック音楽の楽譜に登場する「G.P.」という表記、見たことありますか?これは「ゲネラル・パウゼ」と読み、だれも演奏しない箇所=無音になるところに書かれています。
音が鳴り続けているところに突如として現れる無音の時間というのは、聴く人をハッとさせ、新鮮な緊張感を生み出します。
「G.P.」に限らず、小節線の上に置かれたフェルマータや、ダブルスラッシュ( // )記号などでも同じような意味を持っている場合もあります。



そしての手法はポップスでもよく使われていて、例えば、ゆずの「栄光の架橋」でも出てきます。





3.休符

無伴奏でない限り、自分のパートに休符があっても、他の楽器が音を出している可能性は当然ありますが、1つのメロディやフレーズという枠組みで考えると、休符の存在も無音を生み出す存在と言えると思います。

休符は「休む」と書いてしまうので、「休日」「休息」みたいなものと同義で捉えてしまいがちですが、気持ち、精神まで休んでしまうわけではありません。休符があるからこそメロディが生まれ、フレーズが生まれ、力や躍動が生まれるのです。ですから、音符と休符は常に一体となっていることに気づき、演奏に活かさなければなりません。

吹奏楽やオーケストラなどでは、自分に与えられたパートが数小節演奏しない「長休符」の場面もたびたび出てきますが、その場面だって演奏に参加しないのだからと寝ていたりキョロキョロして良いわけありません。そんなことをしていたら、その醜態がお客さんの目にとまり、視覚的な面から作品を壊してしまいます。

音があろうがなかろうが、舞台にいる限り一緒に音楽を作り上げている人のひとりなのです。



4.曲が終わった瞬間の静寂

これは昔から様々な場面で話題になってきたことです。

特に、吹奏楽コンクールの全国大会で度々起こる演奏の終了音をかぶさるように叫ぶ「ブラボー」。もう本当に頭が悪いとしか言いようがない醜い風習です。一説によればブラボーと叫ぶ声が大きければ大きいほど審査員の印象を良くするとか。そんなことあるわけがありません。こういう人がいる限り、日本の吹奏楽は音楽という世界から何歩も遅れ、離れ、永久に下に見られ続けるのでしょう。

そんなにでかい声出したきゃホールじゃなくてスポーツ観戦でも行ってこい。


そしてオーケストラでも同じようなことが度々起こります。それは「私、曲がいつ終わるか知ってるんですよアピール」に始まる、最後の音が出た瞬間に拍手をする人。

なぜこの行為が叩かれるのか。それは「音価」と「響き」にあります。


音価(おんか)とは、4分音符とか2分音符といった音符に対する名前であり、その音が本来持っている「演奏を持続する長さ」を指します。

例えば作品の最後の音が4分音符だとして、その音が鳴った瞬間はまだ音を演奏し始した瞬間です。4分音符を演奏し終わるまでにはそれなりの時間が必要です。しかしそれを、タイムトライアルでもしているかのように「この音が終わりの音!パチパチパチパチ!」と拍手されてしまっては、演奏が台無しです。

また、音には響きがあります。音は空気振動なので、発信源から遠ければ遠いほど耳に届くまでに時間がかかりますし、様々なところに反射し「残響」になります。
ホールでは、この残響を可能な限り心地よく耳に感じてもらえるように設計されたところが数多くあり、その「音の後味」を楽しむ余裕がない人間に対して憤りを感じるのは至極当然のことだと思います。

音楽は残響を味わってから、ホッと心の力を抜いて、それから、素晴らしいパフォーマンスに対して心から暖かい拍手を送りたいものです。



演奏者サイドから見たとき、楽譜に書かれたことを音にすることばかりに意識が集中して、これらの無音の時間があって初めて「音楽」というストーリーが成立しているのだ、ということを忘れないでいるだけで、演奏がグッと変わるのではないでしょうか。



《光と陰》
最後に僕の好きなアーティストの一人であるMr.Childrenの名曲「GIFT」から、今回の話にぴったりな歌詞を掲載しておきます。




”降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって

その全てが意味を持って 互いを讃えているのなら

もうどんな場所にいても 光を感じれるよ”




音楽はこうありたいものですね。



それでは、今回はここまでです。
来週は「ハイノート本」の更新です。ぜひ”note”をご覧ください!
こちらでは”次の次の週”にお会いしましょう!

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at 07:22, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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レッスン効率を上げるためのアドバイスの捉え方








みなさんこんにちは!




現在、ありがたいことにたくさんの生徒さんのレッスンを担当させていただいています。
生徒さんが増えればそれだけ個性、性格、考え方などが違った方に出会うわけで、まったく同じ内容、同じ進め方でレッスンはできません。僕自身それがとても勉強になっているのですが、さすがにこれはどうなんだろう?と思うことがひとつだけあるので今回はその話題から書いてみたいと思います。


《あるレッスンでのこと》
このときは楽器のセッティングについてレッスンをしていました。

荻「では楽器を構えて、マウスピースを唇に当てます」
荻「最初に上唇にマウスピースを貼り付けて、、、」

生徒さん「ブーーー!!」

(いや、あの、まだ話としては上唇を貼り付けて、までしか言ってなくて。)

荻「上唇が貼りついたのを確認したら、下唇でアパチュアを作るうごきをするんですが、そのときに、、、」

生徒さん「プーーーーー!」

(いや、あの…)


(話の途中なんですけども!!!!)




こんなレッスンの展開になる生徒さんが結構な人数いらっしゃいます。
気持ちはよくわかります。とてもわかります。吹きたいですよね。話長いですよね。忘れないうちに、手に入れた情報をもとに確認したいですよね。話長いですよね。

わかります。わかるんですが…。


《レッスンは落ち着いて進めましょう》

先日掲載した記事「言葉によるアドバイス(伝える側)」にも書きましたが、何かの行為を言葉で表すと、必ず順序が発生してしまいます。

楽器から音を出すまでの一連の流れは、実際のうごきであればほんの数秒です。
しかし、その一連の流れをひとつひとつ誤解を招くことなく、順序だてて説明するとなると、とっても時間がかかります。

トランペットを演奏するという行為は、自転車を運転するように様々な部分が的確にはたらき、それらのバランスが成立してこそで、面倒であってもひとつずつ正確に積み重ねなければなりません。
そんなに慎重にならなくても、力一杯口を締め付けて思い切り体内の空気圧を高めれば確かに音は出せるのですが、それって、自転車を運転する際に地面を蹴って進んだり、下り坂だけ前に進んでいる状態を「運転できた!」と言っているようなものです。正しくないので、近い将来必ず行き詰まります。


レッスンを効率良く、きちんと積み重ねていくためには、

聞いて

考え(理想や結論、目指すものを脳内完成する)

自分なりに理解し

実践し

評価を受け

再度検証し

次の課題もしくは再度チャレンジ



この流れを丁寧に進めていくことが大切です。

この中で特に大切なのが、「受け取ったアドバイスを自分なりに(きっとこういうことを伝えようとしているのだろうと)結論を出す」→「実践」する、という点です。

言葉には誤解がつきものです。先生も生徒も超能力者ではありませんから、相手の思考を完全コピーして渡したり受け取ったりできません。よって、相手の言葉をそのまま受け取るだけでは理解はほとんどできず、的確に実践することは不可能なのです。


ですから、最初のレッスン風景のお話しが僕の単なるグチではないことをご理解いただけたかと思います。
まずは先生の話を最後まで聞いて、goサインが出たら吹く、という落ち着いたレッスンを進められるよう心がけてもらえるだけでレベルアップにつながりやすくなります。


《ジグソーパズル》
レッスンはジグソーパズルを作っているようなものです。
そのときの目標によってピースの数も絵柄の難易度も様々ではありますが、組み立てて完成を目指すことはいつも同じです。

そして、今組み立てているパズル(課題)は、これまでに作り上げてきたピース(スキル)と必ずどこかで繋がります。

トランペットを練習し、上達するということは、パズルをどこまで大きなものに作り上げていくか、という果てしなく続くチャレンジだと思ってください。

パズルはすんなり組み合わせられるときもありますし、時にはとても難しいときもあります。場合によっては違ったピースを強引に押し込んでしまって先に進めず混乱することもあるでしょう。

そんなとき、協力してくれる人がいるととても助かります。
それが、先生です。


《パズルを完成に導く様々な指導方法》

先生は生徒さんのパズルを完成させることを目標としていることに変わりはありませんが、場面によって、また講師によってその進め方や方法は変わってきます。
では、同じ「レッスン」という時間には、どんな場面があるのか、いくつか例を挙げてみましょう。


[ジグソーパズルというゲームの攻略方法を伝えているとき]
ジグソーパズルはどのように考え、実践すれば完成するのか、方法やコツなどを教えてくれているときがあります。
パズルの絵柄やピース数などは関係なく、もっと大きくて根本的な情報や知識です。今後様々な場面で思い出しては必要となる大切なものです。
「基礎」や「(音楽や作品に対する)考え方」と言っていいのかもしれません。


[パズルのピースを手渡してくれるとき]
ひとりでは見つけられなかったかもしれないピースを先生が「ここにもピースがあるよ」と手渡してくれることがあります。経験年数が少なかったり、レッスン初期はこれが多いかもしれません。初心者の場合、どうしても知識量の関係で視野が狭くなってしまうので、「ああ、こんなところにもピースがあったのか!」といったシーンが多くなるのです。


[どのピースとピースがくっつくのかアドバイスをしているとき]
このシーンがレッスンでは一番多いかもしれません。どれが正しく組み合わさるのか、生徒さんが困っているときに伝えるアドバイスです。

「これはここ!」とだけ言うのと「これはこういった形で、ここはこの形だから一致するんだよ」と、理由を含めた説明をするのでは、理解度も変わってきますよね。

僕は説明がくどいと思われても必ずしっかりと理由を伝えます。そうでないと、同じ状況で困ったときに自分だけで打破できないからです。

それに、理由を説明せず方法だけで覚えてしまうと、教わった人の中の誰かが必ず後付けの根拠ない理由を添えてしてしまうので、結果として都市伝説が生まれてしまうのです。

「楽器を吹くときは腹式呼吸で、お腹に空気を入れるんだよ。そのために腹筋を鍛えておかないといけないんだよ。胸式呼吸はダメだからね。さあ肺活量を増やすためにマラソンをしよう!」

とか、こういうのはきちんと理由を説明し続けなかった先生、都市伝説を否定できない勉強不足の先生、◯◯式とか◯◯メソッドと名付けてわざと神秘的特許商品を作り上げてしまう先生にすべて問題があります。
上記の腹式呼吸の話は全部ウソですから覚えないでくださいね。


[一緒になってパズルを組み立てているとき]
習っている人を後ろからコントロールして、どんどんパズルを組み立てていくような感じです。

パズルのピースを掴むのも、組み立てているのも自分の体なので、この先生がいると自分が突然レベルアップしたかのような魔法にかかります。しかし、そのほとんどは後ろで操作している先生の力なのです。

こういった指導は、経験則ですが吹奏楽指導を中心に活動をしている人に多い気がします。外部講師として突然出現して魔法をかけるのです。この日まで何日も何日も顧問の先生と一緒に勉強して失敗して練習を積み重ねてきたのに上手くいかなかったことが、この先生が現れたら途端にバンドの演奏が変わった!なんだこれは!この先生すごい!金賞いけるんじゃね?

しかし、この先生が去った翌日、音を出してみるとまた以前のバンドの音に戻ってしまいました。昨日のあれは何だったんだろうか…。

このように、本人たちは気づかずに指導者の力にコントロールされて演奏がとても良い状態になる、ということは実際にあります。

しかし、この指導者はなぜそうなったのか理由を教えないので(時間がないから、というのもあるでしょうが、基本は企業秘密的扱いをしているから)、奏者たちは昨日と同じことができないのです。アウトプットの方法を教わっていないのですから当然です。だからまたあの人を呼ぼう、となる。特にコンクール直前に。儲かりまっか?

この方法、僕は主義ではないのでやりません。時間をかけてひとつずつを積み重ね、奏者がアウトプットできるようにレッスンしなければ意味がないからです。

ただ、この方法に似たようなことはレッスンでしています。
教本でも楽曲でも、僕が先に1,2小節吹いたら、同じ箇所の音色や表現を可能な限りマネて吹いてもらう。それを先まで続けていく、という時間です。
演奏する直前に音色や吹き方などのお手数を示すことで、余計なことを考えず、緊張する暇も与えず、音色やスタイルを再現することに夢中になっていくと、自然と頼れることが限られてきて、ソルフェージュ力も高まっていきます。

ただし、この練習の後には必ず理論的な説明を添えます。今、何をしたのか、どんなことが起こったのか、次にどうすればよいのか。

魔法なんてないのです。


[組み立てているのを黙ってみているとき(分析や見守り)]
ずっとこればかりでは困りますが、過保護になっていちいち何に対してもすぐああだこうだ言うのも良くないと思っています。必要なときに必要なだけ的確なアドバイスをするためにも講師は黙って分析し、生徒さん自身が自力で解決できそうなときは、あまり口を挟まずに吹いてもらうとか、最後のまとめとして本番のように最初から最後まで通してもらうなど、そういった時間がこれにあたります。


いかがでしょうか。
あなたがレッスンを受けたり、合奏に参加したら「今はこういう時間なんだな」と冷静に分析してみましょう。そうすれば自分がどうすれば良いのか見えてくると思います。
また、先生のレッスンに対する考え方や進め方をジグソーパズルに置き換えてみるといろいろ見えてきます。突き放すタイプや過保護なタイプ、核心を貫くタイプなど。先生との相性って、先生の性格というよりも、レッスンに対しての取り組み方によって生まれるのだと思います。

やりとりがスムーズになると、今よりもっと先生と仲良くなれるかもしれませんし、理解力も高まりまり、得られるものも大きくなりますよ!


それでは来週は「ハイノート本」の更新です。来週は”note”をご覧ください!
こちらでは”次の次の週”にこちらでお会いしましょう!


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at 00:29, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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言葉によるアドバイス 2(受け取る側)









みなさんこんにちは!

前回は音楽のアドバイスを言葉で伝えるのは難しいですね、という話題の「伝える側」目線からのお話でした。ご覧になっていない方はこちらからお読みください

今回は「アドバイスを言葉で受け取る側」目線から書いていきます。


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《言葉にすべては含まれていない》
指揮者やコーチ、先輩などからアドバイスを受けたとき、その言葉には、その人が伝えたかったすべてが含まれているわけではないことを常に意識してください。
伝える側が一番伝えたい、と思ったことが言葉の中心や主語になることがほとんどである、と考えられます。

そして一番気になったことは=1番目につく(1番耳につく)ことなだけで、どうしても表面的な指摘になることが多くなります。

例えば、「トランペットうるさい!」とか「タンギングがはっきりしていない」とか「テンポが乱れる!」とか。

優れた指導者の場合は、言葉の表現を工夫したり、そうなった理由や改善方法もセットで伝えることもありますが、残念ながらそういった人ばかりではありませんので、やはり受け取る側の心構えや受け取り方の一工夫が必要です。


では、具体的にアドバイスを受けたときの捉え方、考え方、実践の仕方について解説します。
ここでは吹奏楽の合奏をしていて指揮者から「トランペットうるさい!」と言われたと仮定して進めていきましょう。


[1.現状を理解する(過去を把握する)]
指摘をされると、自分のことしか考えられなくなってしまい「自分が原因」「自分が悪い」「小さく吹かなきゃ小さく吹かなきゃ…」と萎縮してしまう人が多いのですが、そうではなくてまず、自分も含めて周りがどうなっていたか、視野を広くしてできる範囲で構いませんから冷静に思い出してください。

すると、いろいろなことを発見します。

周りの音量が自分の想像よりも小さかったかもしれません。
自分の演奏したところは途中でメロディではなくなったのに、そのままの勢いで吹いてしまったのかもしれません。
とっても柔らかなサウンドでみんなが演奏していたかもしれません。
自分の演奏していた箇所は、フルートと一緒にハーモニーを作り上げている場面だったのかもしれません。

「うるさい」と言われると、つい自分が出した「音量」がデシベル的(数値的)に大きかったか!と意識してしまうのですが、もしかするとそうではなく「そのシーンには異質」な存在だったとか「空気が読めていない演奏」だったのかもしれません。

このように視点を自分にだけ向けてしまうと、なぜ指揮者がそう言ったのか、本当の理由が見えてこないことがよくあります。なので、まず全体を客観的に、そして冷静に聴く力を持ってください。そのためには常に周りの音を捉えつつ演奏に参加することがもっとも大切です。


[2.相手がイメージしていることを理解する(未来を予測する)]
先ほどのことが省みることであれば、もうひとつ大切なのは未来を予測することです。
要するに、指揮者が「うるさい!」と言ったその言葉には、「どうなって欲しい」というメッセージも含まれているのですから、それがいったいどんな演奏なのかをイメージする力です。
もしかすると他に何か言っていなかったか、他の人にアドバイスをした言葉は何かなかったか、どんな指揮をしていたか、どんな表情だったのか、など。
言葉の奥に込められた本音や本当のメッセージを仮定でもいいので「きっとこうなってほしいのだろう」と捉えてください。


[3.自分がすべきことをまとめる(自分なりの演奏を決定する)]
これまでに得た情報を元に、自分が次にどう演奏するか明確に決めましょう。
「指揮者はきっとこんな結果を望んでいるのだろう」と仮定でもいいのでイメージを固めます。
イメージがなければ演奏は具体的になりません。まずはイメージをすること。


[4.実践する]
望んでいるであろう演奏をします。そのためには仮定であっても望んでいるであろう完成形のイメージを強く持ちます。
自分で納得していることも大切ですが、それをまずは指揮者に「こういうことを望んでいたんでしょ?」とアピールして届けます。
将来的には指揮者だけでなく、客席までそれを強く届けることが必要です。


いかがでしょうか。
言葉にするととても大変そうで時間のかかる気がしますが、慣れてくればそんなに大変ではありません。
ただし、そのために必要なのは「表現力の引き出し」をいくつも持っていることです。この表現でなければ、この表現で行く!そんな引き出しをいくつも持つためには、個人練習のときから、もっと言えば楽器を持っていないときから様々なことに反応し、音楽をはじめとした表現している人や芸術作品に触れる機会をたくさんもつことが引き出しを多く持つためには必要です。


《怒られた、と萎縮しないように心がけましょう》
一番良くないのが、指摘されたときに「怒られた!」と捉えてしまい、萎縮して再度吹いてしまう状態です。

そうならないように、

「きっとこんなことが言いたかったんだろうな」
「きっとこんな演奏を望んでいるんだろうな」

を仮定で構わないので考えて、

「じゃあこんなふうに演奏してみよう」

と実践してみる。これが大切です。

指摘は怒られたわけではなく、もっと良いものを作っていくためのアドバイスと捉えてください。


《奏法だけで解決しようとしない》
指摘に含まれた言葉が体の使い方や技術的な内容だと、どうしても奏法を意識してしまいがちです。

奏法を考えること自体は悪くありませんが、「奏法だけで解決」しようとすると、うまくいきません。
人間は機械ではありませんので、様々なことが関連し、機能しています。特定の箇所だけをどうにかしようとしても結果はついてこないのです

ではどうするか。まずは結果のイメージを強く持つことです。
そして、体全体でそのイメージを実践することが大切です。

例えばタンギングひとつとっても、舌のことだけ考えて、使おうとしてもまず機能しません。
なぜなら、舌はアゴと非常に深いつながりがあるからで、さらにアゴは頭蓋骨や首と関連していて、首は上半身全体と関連しあっているからです。

仮に体全体を意識することができても、それらを結果的にどんなふうに使いたいのかがわからなければ、ぎこちないうごきになります。そこで大切なのが「結果のイメージ」を強く持つことです。例えばハッキリした発音を求められたときであれば、舌がどうだとかピンポイントで考えず、もっと大きなイメージ「人前で滑舌よく喋っている」で吹いてみる。それだけで改善されることも多いのです。


いかがでしょうか。
指摘された言葉はすべてのメッセージが含まれていないので、自分の頭の中でそれを補い、どんな結果を望んでいるのかを仮定でもいいのでイメージしてみる。
これができるようになれるように「捉え方」を意識してみてください。


それではまた来週!


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at 06:19, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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言葉によるアドバイス 1(伝える側)









みなさんこんにちは!

《言葉によるアドバイス》
音楽という形のないものを作り上げていくために我々はどうしても言葉を用いる必要があり、合奏やレッスン、同じパートの人から提案や指摘を受けることはとても多いと思います。

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それらの言葉は、大きく2つの種類に分られます。ひとつは「印象、抽象的表現」もうひとつは「からだの使い方などの具体的な指示」です。

1.印象、抽象的表現
イメージを共有するために用いることが多く、例えば

「もっと暖かな音で」
「鋭く突き刺すように」
「喜びに満ちて」

など、実際に起こっているわけではないイメージの世界を言葉にしたものです。
作品(楽譜)に指示があることも、伝える側の主観的イメージを伝えることもあります。


2.具体的な指示
からだなどの使い方を具体的に示した言葉です。例えば

「タンギングのときはアゴも動かせる状態にする」
「あくびの状態は喉が開いている」
「アパチュアを作るには口輪筋を働かせる」

など。実際にからだに備わっている器官についてや、目に見える具体的なうごきについての言葉です。


ただし、実際のところ、1と2が混ざり合っていたり、具体的なからだのうごきであっても言葉の使い方によっては非常に神秘的な表現になって、より混乱させてしまうことも多々あります。

「おなかに息入れる」

などはそれの最たるものでしょう。こういった表現を補足なしで用いることは、本当にもう終わりにしましょう。

わけのわからない都市伝説や誰もその行為の目的や結果を説明できない部の伝統を作り上げているのも無能な指導者ですし、神秘的な言語や行動を用いてそれを「◯◯式」とか「◯◯メソッド」と名付けて客引きをする指導者にも嫌悪感を覚えます



《自転車の運転を言葉だけで説明できますか?》
では「伝える」をわかりやすく例えてみましょう。

あなたは自転車に乗れますか?乗れない場合は「歩く」といううごきでも構いません。
誰かに自転車の乗り方(歩き方)について説明をしてみてください。

サドルにまたがる
ハンドルを握る
ペダルに足をかけて回すと進む

間違っていません。正しい説明です。
しかし、果たしてこれで相手に伝わるでしょうか。
もし相手が自転車のことをまったく知らなかったら、様々な疑問が浮かんでくると思います。

またがるってどうやって?サドル?
ハンドルってどれ?握るってどうやって?
ペダルってどれ?回す?どうやって?それで何がおこる?
これなに?ここなに?そもそも自転車って何?


もちろん、自転車をまったく見たことがない人は少ないと思いますから、「見かけたことがある」という経験や記憶からおおよその方法も理解できるとは思うのですが、運転するとなると、どれだけ説明を受けても実際にからだをどう使えばいいのか、という疑問はどんどん浮かんでくると思います。なぜなら、


「言葉はすべてを網羅していない」


からです。
言葉だけですべてのことを伝えるなど不可能に近く、もしそれを実現しても分厚い本ができてしまいます。理解するにはあまりに効率が悪い。


《言葉には順序がうまれる》
もうひとつやっかいなことがあります。

自転車に乗るために伝えたことばをもう一度確認してみましょう。

サドルにまたがる

ハンドルを握る

ペダルに足をかけて回す

進む

例えば、サドルにまたがるとき、ハンドルを握っていますよね。サドルに座るまでハンドルを握ってはいけないわけではなく、むしろハンドルを握っていないとバランスが悪くて大変です。要するにすべてのうごきは関係し合い、影響し合い、そして同時進行して成り立っているのです。

しかし、言葉にするには、ひとつずつ伝える必要があるので、どうしても順序が生まれます。

これが混乱を招くもうひとつの要因です。


《言葉の理解は人によって違う》
さらにもうひとつ、やっかいなことがあります。

それは、人によって言葉の理解や受け取り方が違う、という点です。

印象、抽象的表現はもちろんですが、具体的な言葉であっても捉え方にかなりの違いがあります。

例えば「舌を大きく使う」と言われたとして、舌をどううごかすのか、どの部分を意識するのかは人によってまちまちです。

ですから、僕はレッスンのときにできるだけ認識を共通させたいので口腔模型(巨大な入れ歯)を使って位置関係やうごきを伝えています。

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しかし、それでもなお生徒さんとまったく同じ認識を持つことは難しいのです。
なぜなら人間は意識したところだけをピンポイントで働かせることは不可能だからです。舌を意識していても、歯や上アゴ、喉(首)や鎖骨など様々なところと関連し合ってはじめて具体的なうごきができるようになります。
むしろ、そういった他の部分が働くからこそ、舌が影響して伝えたかったうごきが実現しているのかもしれません。

なので、レッスンではひとつの結果を求めるために表現や着目するポイントを変えるなど、何通りもパターンを出すことが多いのですが、表現方法が多すぎるとそれはそれで混乱してしまい逆効果になることもあります。難しい!

感覚や触覚をテレパシーで伝えたり認識できる力が欲しいと思う瞬間です。


《伝える側がまず理解する》
ということで、言葉だけで伝えることは本当に難しく、自分の認識を的確に伝えるだけでも大変で、それを相手が完全に理解し、まったく同じうごきができないことを前提として接することが何よりも必要です。しかしこれは決して悲観的な捉え方や諦めではありません。

音楽に限らず、スポーツでも勉強でも仕事でも、伝える側が興奮して「なぜわからない!」「何度言わせるんだ!」と怒鳴ることがありますが、理解してもらえないのは教える側に原因や問題があることをまず理解してください。
自分の気持ちや思いは、そう簡単に共有などできるはずがないのです。ほとんどの場合は受け取る側が理解や共感をしようと努力してくれていたり、譲歩していたり、わかったふりをしているとか(恐いからとりあえずYesと言っておく/とりあえず知識としてストックしておく)、そんなものです

伝える側は様々なアプローチで時間をかけて根気強く伝え、相手がどれくらい理解しているのかを理解する姿勢や洞察力が大切です。そして、相手がわからないことを「わからない」と恐れることなく言える環境を整えることが大切ですし、それが伝える側自身にとってもストレスのない良い環境になります。


ということで今週は「言葉によるアドバイス」の伝える側について書きました。
次回は受け取る側について解説します。

それではまた来週!


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at 07:36, 荻原明(おぎわらあきら), 音楽に対する考え方

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