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言語化されたアドバイス








みなさんこんにちは!


みなさんはレッスンなど、これまでにトランペットを誰か(本なども含む)に教わった経験が一度くらいはあると思います。

特に奏法面について話題になったとき、言われた通りやっているのに結果が伴わなかったり、何だかしっくりこない、場合によっては「それは違う」と指摘され、「言われた通りやってるじゃん!」なんて思ったり、そんな経験はありませんか?

なぜこのようなことが起こるか。それは

「奏法を言語化しているから」

要するに「言葉で伝えている」ということです。


《レッスンとは》
レッスン(教わる)とは、

・先生の生演奏を目の前で独り占めできる
・自分が持っていない表現方法や奏法について教えてもらえる
・自分の演奏や奏法について指摘をしてくれる(認められたり修正してくれる)

このような、いわばかゆいところに手が届く時間です。

そしてそのレッスンでは必ず「言葉」が使われます。
しかし、音楽において、とくに奏法について言葉を用いるのはとても難しいことであり、上手く伝達し合えていないことが多々あるのです。


《結果は同じでも》
例えば、以下の言葉を先生が言ったとしましょう。あなたはどのような印象を受けますか?

 1.顎関節(がくかんせつ)を使う
 2.口腔内(口の中)の容積が大きくなる
 3.上下の歯が遠のく
 4.「オ」と発音する

いかがでしょうか。これらすべての表現が、簡単に言えば「口を開ける」と捉えることができます。
言葉による表現はこんなにも変えることができてしまうのです。

アドバイスをするとき、先生は生徒さんに一番意識してほしいからだの部分(話題の中心)をまっさきに口に出してしまうのはよくあることです。よって、結果的に同じうごきであっても、状況によって単語のチョイスを変えてくる可能性は充分にあります。

しかし、これは教わる側にとって困惑する要因です。
どうしても強調された単語を教わる側としてはクローズアップして捉えてしまい、人によっては本来人間の持っている自然なうごきができなくなる場合があるからです。


《言葉には順序がある》
ここで、ゲームセンターなどにあるUFOキャッチャー、あの動作の一部分を言語化してみます。

『ボタンが押されると、電気信号によってアームのワイヤーが反応し、左右に移動する』

専門家ではないので細かなところはご容赦願いたいのですが、このように言葉で解説すると必ず順番に並べる必要が出てきます。


ボタン→押す→電気が流れ→アームのワイヤーが→反応したら→左に→もしくは右に→移動する


実際に我々が目にしているUFOキャッチャーの動きは、このようにひとつずつ順番に行われるというよりも、すべてが同時に反応し、動いています「ポチ,ウィーン」といった感じ。「ポチ」と「ウィーン」すら順番ではないくらい視覚的には同時発生的ですよね。

だからと言って、文字を重ねてしまったら読めないし発音できないし理解できません。うごきを文字に起こしたときのジレンマです。

そもそも、人間の目には「ボタンを押したらアームがうごく」しかわかりません。知識がなければその中の構造もわかりませんし、わかる必要もありません。ですから、その中の構造や専門的知識を伝えるためには、かなり難解な言語を上手に組み合わせて伝える必要があり、それは大変なことです。ですから、先生は結局必要でなはいと思われる部分(それを言わなくても概要は伝わるであろう部分/そこまで説明してしまうとかえって複雑化しすぎて理解してもらえないであろう部分)を意図的にカットしたり、場合によっては主要部分だけを端的に伝えることが往々にしてあり、それは時と場合、先生の性格などでも大きく変わっていきます。

そして、生徒さんの中には、クローズアップされた(先生が強調した、生徒さんが強調して受け止めた)対象(体の部分、器官)だけをうごかそうとしたり変化させようとしてしまうことがあり、結果が伴わず「わからない!」「難しい!」となることが多々あるのですが、実際はそこまで難解なことはしていないのです。


《結論から入る》
では具体的にどうすればよいでしょうか。

一番大切なことは、

「結論から入る」

ということです。

筋肉や関節など体の部分的な状態がどうであれ、結果的な「かたち」を視覚的に覚えて単純にマネしてしてみます。もしくは、そうなった結果をマネします。

レッスンではハイノートの出し方に悩む生徒さんが沢山いらっしゃいます。ハイノートは「舌」や「アゴ」などを使って空気の流れを変化させることが必要な場合が多々あり、それがうまくできないので結果が伴わない場合が非常に多いのです。

そうなると、どうして舌やアゴについて説明することになるのですが、そればかりがクローズアップされてしまうと、「舌をうごかした結果」を忘れてしまいがちです。

大切なのは舌をうごかすことではなく、その結果です。

このように、細かいことをいくつも考えたり意識しすぎると、「結果、何をしようとしているのか」「それをすることで何が起こる(変化する)のか」を見失いがちですから、先生が求めている音色をイメージし、追求するとか、先生の吹いている演奏(表現)をマネしてみるなど、結果や視覚的なものから入ることは大切です。

先生の見た目から情報を盗みだしたり、音(耳)で確認したり、逆にこちらから質問してみること(両者が同じ認識だったのに使っている単語や言い回しだけが違う場合も多々ありますので敢えて言語は言語で確認すること)も方法のひとつでしょう。


《感覚を言語化している》
僕のレッスンで生徒さんへ伝えているアドバイスや奏法はすべて自分で研究し、蓄積してきた結果です。自分が習ってきたことの根拠の定まっていない受け売りや、拾ってきたあやふやな情報の伝言ゲームではありません。

これまでに(これからも)奏法に関しては様々な方法を実験し、それがどのような結果になるのかをたくさん経験しています。その中で「これだ!」という方法をいくつもストックしているような状態です。

そして「これだ!」と思って使っている奏法は、まだその時点では単なる感覚的なことにすぎず、具体性がありません。そのため、ブログに掲載したり、教本に書いたり、レッスンで伝えるために「言語化」する作業が必要になります。奏法の翻訳みたいなものです。

どう伝えれば誤解されずにみなさんに伝わるか、自分なりによく考えているつもりですが、やはり前述のUFOキャッチャー同様、言語には順序があり、そしてすべてのことをこと細かく言語化できない(しかし、細かくすればどんどんややこしくなるのでしないほうが良い)ので、生徒さんと意思疎通がうまくいかない場合がどうしても出てきます。
しかも持っているボキャブラリーや、使用頻度の高い単語、それぞれの物体に対する言葉の選択が、生活環境によって違うのですから、これはしかたのないことです。

そこでみなさんに知ってほしいのは、こういった奏法などを言葉や文字で伝えているのは、「すでに決定してある機能」を使うための家電製品の取扱説明書のようなものではなく、具体性がないからだの様々な部分が機能した結果の「いいねこの奏法!」を後から言葉にしているにすぎない、という点です。

文字や言葉から受け取った情報だけを実践しても同じ結果が得られないのはこのためです。


《1回のアドバイスは完璧な情報ではない》
ではレッスンなどで受けた奏法面でのアドバイス、どのように受け止めればよいのでしょうか。

アドバイスというのは、『良い奏法を身につけるための「方向性」を教えてくれる漠然としたもの』程度に捉えましょう。

例えるなら、道を尋ねて「右に行きなさい」と言われた程度です。目的地にたどり着くには、道や角はいくつあり、どんな建物や信号があって、どの程度の距離があるか、そういった詳細な情報は含まれておらず、「右」という情報を元に自分の足で進まなければならりません。

しかし、同時に「左ではない」という情報をもらえただけでも歩き回る範囲は半減しているわけですから、教わっておいて良かったのです。

自分で歩いて、調べて、ときには行き止まりに直面してを繰り返し、最終的に目的地に到着します。そのとき、「右というのはこういうことだったのか」とわかるのです。

音楽でも、先生によってアドバイス量や細かさが違ったり、歩いている最中でも沢山アドバイスをくれるひと、そうではない人、いろいろいます。
しかし、悪い方向に行かないように言葉をなげかけてくれることには変わりありません。


ということで、今回は先生からもらうアドバイスをどう受け止めるのか、上達するために自身で何を心がけるか、について書きました。

言われた通りのことをやってる(と思い込み)、結果が伴わなくて「あの先生の言ってることわからない!」とか「先生に言われた通りやってるのに上手くならない!」とか「教わったことをまじめにやってる(本当はやってない/できていない)のに全然上達しない」と思っている方、先生からの情報を元に、自分の努力で研究、実験、結果を求めていますか?それがなければいくら先生に習っても残念ですが上達はほとんどしないのです!

ということで、また来週!

当ブログの写真・記事等の(全部、一部問わず)無断利用、ネット上(TwitterやFacebookなどのSNSを含む)などへの無断転載を禁止します。

at 06:44, 荻原明(おぎわらあきら), イメージ

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音色は何で決まるのか。 ーー 音色について考える(後編)








みなさんこんにちは!

今日から9月ですね。新学期が始まり、部活再開の方も多いかと思います。夏休みが明けてしまって残念かもしれませんが、元気に頑張っていきましょう。

さて、前回より「音色について考える」というタイトルで書いています。前回はツボに当たった音について具体的に書いてみました。今回は「そもそも音色は何で(どこで)決まるのか」について考えてみたいと思います。


《音色は何で決まるのか》
同じトランペットという楽器を使っていても、人によってだいぶ音色には違いがあることはほとんどの方が思っていることでしょう。
それを「個性」と呼んでしまってもいいのですが、この音色の違いを大きく2つの状態に分けてみると、


「完成された状態(意図的)」
「その音色しか出せない状態(無意識的)」

になると思います。

完成された状態というのは、プロかそれに近い経験年数と実力を持った方に多く、「意図してその音色を今、出している」ということです。その人が持っている(目指していた)「トランペットの音色はこれだ!」という(その時点での)完成系を持っていて、なおかつ場面やジャンルなどによってもある程度使い分けられる状態です。
「あ、この音は◯◯だ!」と多くの人がわかる奏者はこのような人です。

もうひとつの「その音色しか出せない状態」は、経験年数が少ない方や、まだまだこれから伸びていく人に多く、納得してその音を出しているわけではなかったり、音色のことを考える余裕があまりない、もしくは音色について特に考えていないで演奏している状態を指しています。言ってみれば「音色どころじゃない」という方。

これら音色に関する話は「塗り絵」にとても似ていると思っています。

同じ「楽曲」という線だけのイラストがその場にあって、その絵にどんな色を塗っていくのか。上級者になると、たくさんの色鉛筆とそれを扱う技術の引き出しがあるため、クオリティの高い作品を短時間で作り上げることができます。完成した塗り絵は、自己満足にならず、多くの方に共感され、美しいと感じてもらえます。

一方、経験年数の少ない方は、そもそもの持っている色鉛筆の数が少ない、もしくは1色しかないので、どうしても完成したものが似たり寄ったりになりがちです。塗る技術も影響して、雑に感じられてしまうことが多くなります。

しかし、実際のクオリティの差はあれど、どんな人でも世界的に有名な絵画を想像することができるように、現実的にまだ技量が足りず、音色に偏りがあったとしても、頭の中で「良い音」や「その場面に適した音」を想像することはいくらでもできます。
ですから、「音色どころじゃない!」と思ってしまう方もぜひ、「こんな音色で演奏したい!」と、素晴らしいイメージを常に持って演奏してください。


《音色の決め手となるもの》

音色はイメージすることから始まりますが、現実的にはそれだけでは具体的に美しい音色を作り出すことは難しいです。よって、自分の出したいと思う音色を道具のサポートや奏法で生み出していくことが必要になります。

ここからは、音色に影響を与えたり変化させるための方法をご紹介します。

[楽器]
当たり前といえば当たり前ですが、使う楽器によって音色はかなり違います。作り方や材質、形状、パーツの使い方によっても変わりますし、それぞれのメーカーが持つ個性もあります。

前回のお話でも言いましたがそれらの個性は「ツボに当たった時の響き」を比較しないと見えてきません。そして、同じ型番の楽器であってもツボにはそれぞれ個性がありますので、何本も吹いてみることが本来はベストです。
できることなら、大ホールでたくさんの楽器を用意して、一流の奏者1人に片っ端から吹いて聴かせてもらえたら楽しそうですよね。そんな企画ないですかね。マニアックですかね。


[マウスピース]
これも当たり前ですね。しかし、楽器本体に比べると結構適当に考えてしまっている人が多いのも事実です(逆にこだわりすぎてわけわかんなくなっている人も結構いるように感じます)。
かくいう僕も「フィット感」を最重視していたせいで、今年に入るまで15年近くマウスピースに対して興味を示していませんでした(というよりも安定性を失うことのほうが怖くて他のマウスピースを知ろうとしていませんでした)。
それが昨年の秋に開催された「トランペットフェスティバル」で音大生の時から長年使っていた使っていたマウスピースを手放す決意をするほどの素晴らしいマウスピースに出会ったんです。それがJun’sです。



大学の先輩でもある池邉純氏が手がける作品に、マウスピースを重要視してこなかった僕は大きな衝撃を受けました。同じ楽器とは思えない響きの深さや鳴り。まさかここまでの変化とは思わず、池邉氏立会いのもとで数多くのマウスピースの中から僕にとって最適なものを選んでいただくことができました。
実際に使い始めたのが今年に入ってすぐだったので、まだまだ時間をかけて仲良くしていかなけば、と思っていますが、ともかくマウスピースはあなどれません。
機会があればぜひJun’sのマウスピースを吹いて欲しいです。最近はプロアマ問わずとてもユーザーが増えました。良いものは自然と認められていくのでしょう。


[吹き方]
もちろん、音色を決めるのは人間そのものも関係します。骨や肉といった器(うつわ)による影響もありますが、何よりも「吹き方」=「口の中と舌の位置関係」が最重要部分です。

僕のレッスンでもよく生徒さんに実験してもらうのですが、出しやすい五線の中のF音あたりをロングトーンしてもらいながら、舌を好きなようにいろんな形、位置にゆっくり移動した結果、音色やピッチに非常に大きな変化があることを知ってもらいます。そしてその中のどこかの位置に良い音が出せるベストポジションがあることに気づけるようになります。そのベストポジションこそが、このブログで何度となく言っている「音のツボ」なのです。

音色は唇で決まると思っている方も多いと思うのですが、唇というのは、楽器やマウスピースを付けた状態で、息を流した時に振動をしてもらうだけの部分です。音の発信源としての重要性はありますが、ここで音色が決まる、という考えを持ってしまうといろいろな副作用が出てきてしまいます。ですから、きちんと振動ができている状態であれば、唇はそれ以上の働きをさせる場所にしないほうが良いと僕は考えます。唇は「体内で構築した(音色、ピッチ、音量等の)完成形」を、耳に聴こえるように音に変換してくれただけなのです。

したがって、音色を作り出すのも唇ではなくて、それより前の部分である「口の中で舌がどのような位置・形状をしているか」でほぼ決まるのです。

ひとつ付け加えると、それらの構築の中で本来必要のないものを生み出す体の使い方をしてしまうと、音に「マイナス」の影響を与えることになります。例えば「のどを絞めてしまう行為」や、「呼吸の自由を阻害してしまう筋力の使い方」などです。
ですから、必要なものを必要なだけ使うということも良い音を出すためには必要になります。


このように、音色というのは様々な要因で大きく変化しますし、それらの要素の組み合わせによって「その人の音色=個性」が確立されていくとも言えます。


《時代とともに変化する音色》
昔のレコードをデジタル化したくらい古い演奏(トランペットソロ、オーケストラ等)を聴いたことがありますか?
音質の影響もありますが、音色に対してトランペットの音が「古い」「今とだいぶ違う」と感じた経験はないでしょうか。こういう音で演奏している人って今はあまりいないよねー。という感じ。

音色も、時代によって流行や「良し」とされるものが変化していっているように感じます。それは、その時代での一流とされた人の持つ音色を多くの人が目標やイメージの材料としていたから、というのもあるかもしれませんし、楽器やマウスピースの進化も関係があるかもしれません。レコーディング機器の影響もあると思いますから、実際の生の演奏とのギャップは相当あるとは思いますが。

僕は最近、周囲で聴くトランペットの音色が変わってきたなと感じることが多くなってきました。
例えば今の音大生の音色。これからの時代を担っていく彼らの平均的な音が、僕のイメージしている「好みの音」とはだいぶ変わってきたと感じるのです。

否定はしません。彼らはとても素晴らしい音楽性を持ち、自分たちの頃には想像もできないくらいの高い技術力と安定性を持っています。

でも、個人的に好きな、ぶっとくて芯のある、響きの強い屈強な音を奏でてくれる若い奏者にはなかなか出会えないのも事実です。僕の好みが偏っているのか、もう古いのか、、、それもあるかもしれません。が、確実に音色は変わってきたと感じています。

歳とったんですよ、要するに!(笑)

どんな音がどんな人にどれだけ受け入れられるのか、それは本当に様々な要因が積み重なった結果でしかありませんから、やはり「自分はこんな音が好き!」「自分はこの音で演奏する」といった「音色の自己主張」をどんどんしていくことが大切だと思います。それを受け入れられたり否定されたりして、さらに成長していきたいものですね。

ということで2週に渡って音色のことを書きました。
それではまた来週!

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at 07:00, 荻原明(おぎわらあきら), イメージ

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ツボに当たった音は汚い音? ーー 音色について考える(前編)








みなさんこんにちは!
今回は「音色」についてです。

《トランペットの音色とは?》
みなさんは「トランペットの音色とは?」と聞かれてどんなイメージを持ちますか?パリパリキンキンな音やホンワカした柔らかい音色やキラキラ輝く音色など、文字で表すのは難しかもしれませんが、きっと頭の中ではイメージした音色が鳴っているかと思います。

僕にももちろんあります、トランペットの音色。しかし、奏者によっても、ジャンルによっても、様々な場面でいろいろなトランペットの音色を聴いています。そう、みなさんもイメージする「音」はひとつではないと思うのです。

しかし、僕の場合は、中学校の吹奏楽部でトランペットを始めたばかりの頃は、トランペットの音と言えば横浜スタジアムで鳴り響いていた応援団のトランペットだけでした。当時、すごい憧れていました。
そして部活でいろんな曲を演奏することになって、参考音源としてプロ吹奏楽団のCDを聴き、ニューサウンズでめちゃくちゃカッコイイソロを吹いていた数原晋さんやエリックさんの音を知り、今昔のビッグバンドやジャズの音を知り、スカパラのNARGOさんの音を聴き、ポップスで演奏しているホーンセクションの音を知り、フィリップジョーンズの音を知り、世界中のオーケストラの音を知り、一流の様々なクラシックソリストの音を知り、、、。

そうやってたくさんの音を知ることで、自分の中にある「音色の(イメージの)引き出し」がどんどん増えていきました。なんとなくですが、音楽ジャンルやスタイルによっておおよその吹き方の違いや音色の違いを感じられるようになってきました(なぜこんなに違うのか、どうすればこんなに変わるのか、ということはわかりませんでしたが)。
中には「この音、好きになれないな」と直感的に思う音もありますが、しかしそれも「トランペットの音」には変わりありません。すべてが自分に影響を与えてくれたトランペットの音色です。
そうしているうちにだんだんと「(この場面では)こんな音出したい!」「この人の音、出したい!」と思うようになり、しかし実際はそんな音は到底出せなくて(方法がまったくわからない)...なんて経験をしながら、ひとまず今の自分の音があるのだな、と思います。

たくさんのトランペットの音色に出会うことは、自分の音色の引き出しを増やすための大切な「素材」です。みなさんはどのくらいの「音」を知っていますか?


《ツボに当たった音、素の音は汚い音?》
このブログで度々出てくる「音のツボ」という言葉、これは「その楽器が持つ一番鳴るポイント」のことを指します。
どんな楽器にでも(管楽器専門店で扱っているメーカーのきちんとした楽器であれば)ツボは存在していて、きちんとツボに当てて鳴らせた時、その楽器の持つ本来の「素の音」がわかります。

しかし、なかなかこの「ツボに当たった時の素の音」というのを理解して鳴らせられる人というのは少ないように感じます。レッスンでも時間をかけてしっかりと鳴らす練習を必ずしています。しかし「素の音」を出した時、「え?こんな音でいいの?」と若干疑問を感じる方も少なくありません。

それにはいくつか理由があると思うのですが、まず、ツボに当たった素の音は結構な金属音です。わざと見つけやすいように大きめな音量でしっかり吹いてもらうために余計そう感じるのだろうと思いますが、それが「汚い音」「荒い音」「うるさい音」と感じる方もいます。

最近のトランペット奏者はプロアマ問わず「やわらかく」「優しく」「軽く」音を出している人、そういった音を求める人がとても多く、それが結果として「良い音」の傾向になってきているように感じるので、金属的で響の強い「ツボに当たった音」を出すことに違和感があるのだろうと思います。この話はまた後ほど。

こんなことを言っている僕も音大生の頃まではずっと柔らかい音ばかりをイメージして吹いていました。柔らかい音は太い音であり、これが自分の個性であると思っていました。しかし今思えば単に「ツボに当たらずにこもっていた」だけなのだろうと思います。息の通り抜けが悪いのを腹圧で強引に押し出してごまかしていました。その証拠にツボに当たらないから音をよくはずしていたし、ピッチも悪かったんです。あれは良くなかった。

その発想が大きく変わるきっかけとなったのが、卒業間近に初めてプロオケに乗せてもらったことです。


《プロオケで知った「ツボに当たった音」》
僕は高校生の頃に初めて自分のお金でオーケストラのコンサートに行きました。同じ吹奏楽部だった同級生の友人がオケのことがとても詳しくて、横浜からわざわざ渋谷までN響の定期公演に連れて行ってもらったのがきっかけです。なぜN響だったのかというと、学生席はチケットがとても安く、当日でもほぼ会場で買えたこともそうなのですが、高校一年生で習い初め、今でも非常にお世話になっている師匠がN響の首席奏者だったことが最大の理由です。

NHKホールのステージから一番遠くて高い(値段ではない)席からは自分の師匠が豆粒くらいにしか見えませんでしたが、それでもオーケストラのサウンドは圧倒的で、大興奮。こんなすごいオケでこんなすごい演奏をしている人に自分は習ってるんだ、という嬉しさもあって、暇さえあればN響の定期公演に通うようになりました。

音大に行くようになってからは、N響コンサートへ通う頻度も上がり、師匠が出ている定期公演で、金管が活躍する作品の時はほぼ全て行ったと思います。

僕のトランペットの音のイメージの大半は師匠の音なのですが、レッスンで目の前で吹いてもらった音よりもホールで聴く音のほうが柔らかく、響きのある音だと、演奏する場所によってだいぶ差があることをなんとなく知るようになっていました。

そして月日は経ち、音大の卒業が近づいた頃、師匠からまさかのN響のお仕事を頂いたんです。
高校生の時からずっと憧れていたN響の、あの舞台に自分が立てるという喜びと緊張と不安と興奮と譜読みでいろいろと大変だったことを今でも覚えていますが(いきなりマーラーの6番だったので非常に覚えています)、ありがたいことにそれからの数年間、いくつものN響のステージに上がらせていただきました。毎回毎回世界的に有名な指揮者やN響の凄まじいレベルの高さに圧倒されるばかりでしたが、本当に勉強になることばかりで、感謝しかありません。

そして今回の音色の話ですが、N響の練習場での合わせの時、周りから聴こえてきた金管のサウンドが、NHKホールの客席で聴きなれていた音とだいぶ違ったことに、驚きました。

言い方が正しいかわかりませんが、トロンボーンもホルンも想像以上に金属的でバリバリ鳴っている、という印象です。客席からは、とても澄んだ心地よい、どちらかというとうるさくない柔らかな音色という印象だったのですが、実際はかなり違う。しかしこの音はとても心地良く、身体の中で共鳴し、存在感のある地に足がついた響きで、これが金管の音なのか!と、初めて本物に出会ったような気分でした。

後日この公演がテレビで放送されたのを聴くと(当時は「N響アワー」という番組が毎週ありました)、やはり高校生の頃から知っているN響のサウンドそのものでした。この音色のギャップは、リハの段階から中に入らないとわからないことですから、とても貴重な経験をさせてもらいました。


ですから、僕のレッスンでツボに当たった音はこんな音です!と実際に吹いて聴いてもらったり、その音を生徒さんが実際に出せるようになっても、それが結果として違和感になってしまうのは、ある意味仕方のないことかもしれません。信じてもらうしかないのです。それは言い換えれば、「ツボに当たった音」で吹いている(吹ける)アマチュアの人が少ないからとも言えるでしょう。

楽器選定をする上でも、この「ツボ」を知ることで自分に合うかどうかの選定基準になりますし、音色だけにとどまらずピッチの安定や音をはずさないためにも必要なことです。
ツボに当てるには、奏者(人間)が楽器を従わせるような主従関係になってはいけません。トランペットの本来持っている力や魅力が発揮できる吹き方を、人間がしてあげなければならないのです。

それを僕は「トランペットと対話する」と呼んでいますが、「もっと鳴りやがれコノヤロ!ピッチ悪い楽器だな!」などと楽器に対して愛情のない言葉を浴びてせいる人は、その楽器のことを理解しようとしていないだけです。これでは楽器との良い関係は築けません。本当はその楽器も、正しく吹いてあげればきっと良い音で鳴ってくれるんです。

ということで今回はトランペットの音色について書きました。
次回も同じテーマで、今度は「音色は何で決まるのか」について書く予定です。引き続きご覧ください。

それでは、また来週!



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at 08:06, 荻原明(おぎわらあきら), イメージ

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向き不向き








みなさんこんにちは!
今回はブログにコメントして頂いた質問にお答えしてみたいと思います。

皆さんもご意見やご質問などありましたらぜひこちらの記事にコメントして下さい。他の人に読まれるのが気になる方はこちらのメールフォームからでも構いません(ただし、コメントを掲載した上で記事にさせて頂く可能性があります)。お返事は必ずします。

それでは、今回は のあ さんから頂いたこちらのコメントです。

====================================
高校2年でトランペット吹いています。
小中とフルートを吹いていて、高校生に入ってからの楽器替えでトランペットを始めました。しかし、始めて1年たつのですが第四線のC以上を出すのがきついんです。それに、中音域を吹いていてもすぐにバテてしまいます。
先輩に相談したところ、練習していれば出るようになるよ、と言われたのですが音自体が出ないので練習の仕方がわかりません。
私はトランペットにむいていないのでしょうか。
具体的なアドバイスをいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。(抜粋)
====================================


のあさんありがとうございました。

コメントにあるハイノートに関してはこれまでにも記事としてかなり書きましたので、ぜひカテゴリー「ハイノート(ハイトーン)」を沢山読んで頂くとして、今回は


「先輩に相談したところ、練習していれば出るようになるよ、と言われた」
「音自体が出ないので練習の仕方がわかりません。」
「私はトランペットにむいていないのでしょうか。」


この3つについて書いていこうと思います。


《励ましの言葉がプラスになる人、ならない人》
「練習していれば出るようになるよ」という言葉、あなたはこう言われたらどんな気持ちになりますか?

「そっか!じゃあ音が出るまで練習頑張るぞ!」

となる人でしょうか。それとも

「...そんな無責任なこと言わないで下さい(もっとちゃんと教えて下さい)...」となりますか?


前者はポジティブ傾向で後者はネガティブ傾向だと思います。僕は完全に後者です。こんなブログを書いていること自体ポジティブではないのがわかると思いますし、そんなブログをがっつり読んで頂いているあなたもきっとネガティブ傾向だと思います。
なぜなら前者だと「こまけぇこたぁいいんだよ」って一蹴して終わってしまいますからね。


それぞれの傾向として、ポジティブな方は、何か大きな問題に直面した時に解決方法がわからず混乱してしまう可能性があります。そして、ネガティブな方はあれこれ考えすぎて思考の迷路にはまってしまう可能性が常に付きまといます。

ですからどちらが良いのか、と言うのは一言では表すことができません。その人がトランペットを吹くこと、練習することにどのくらい本気でいるのか、どんな環境で練習や演奏をしているのかによって様々に変わってきます。でも理想を言うならば「深く考え、それ実践する根気や意欲と、ある程度気楽でいられる状態」という「良いとこ取り」のバランスを持っていられるのが一番です。

天才肌の人に質問をしても「練習すれば(吹けば)いいんだよ」と言う傾向にあります。何も考えなくても最初からできてしまったことが多く、例えばハイノートがパラパラ出せてしまう人に、どうやってハイノートを出すのかを聞いても「?わかんない。何か出ちゃったんだよね→吹けば出るよ」てことになりがちなんです。
天才肌の人に勉強を教えてもらうと同じことが起こります。テスト前とかに経験したことがあるのではないでしょうか。「なんでこんなのがわからないの?」と言う人、周りにいませんか?


ちょっと話がそれてしまいましたが、複数で音楽をする時に必ず感じることなので書いてみました。


《向き不向き》
僕は小学生の時に学校の特設サッカークラブに入っていました。もともとかなりの肥満児だった僕を心配してくれた当時の担任の先生が猛烈に勧めてくれたのがきっかけなのですが、はっきり言ってサッカーのルールもよくわからないままやっていたんですよね。

「手を使わずに敵のゴールめがけてボールを蹴るスポーツ」

だいたいこんなレベル。

太ってはいましたが体を動かすことは嫌いではなく、毎週楽しんでクラブに出ていたのですが、何となく練習試合をしている中で覚えたいくつかのルールを守って競技をする以上のことはできず、サッカーが上手な人にはまったく歯が立ちませんでした。

当時の僕は「じゃあサッカーがもっと上手になるために何が必要なのか、どんな練習をするといいのか、試合の時の動きを考えよう」こういった発想にまったく至らなかったんです。そもそもそんなにサッカー熱がなかったと思います。
今思えば、せっかくやっているんだから行けるところまでやってみようと考え、努力をすればもっと面白かったんだろうな、という気になりますが、「下手だなぁ。サッカー向いてないんだな」と思ったところで終わっていたんですね。


こういう経験があるので、初めておじゃまする吹奏楽部の人たちを見ていると、同じようなモチベーションな人がすぐにわかります。「楽器吹くこともみんなと演奏しているのも嫌いじゃないけど、どうも上手くならないなあ。向いてないのかなぁ。(ここで終了)」

「じゃあどんなことをしよう」「もっと上手くなるためには」と言った目標を持つところまでいかないんですよね。ある意味、現状で満足...しているわけではないのでしょうが、そこまで努力しようという気にもならない、そんな状態ですよね。


ここで、のあさんのコメントをもう一度拝借しますと

「音自体が出ないので練習の仕方がわかりません。私はトランペットにむいていないのでしょうか。」

ここにいろんな気持ちが含まれているように感じました。

気分を害してしまったら申し訳ないのですが、ちょっとだけ厳しい事を書かせてもらいますと「練習の仕方がわからない→向いてないのではないか」という発想に至るのはあまりにも早すぎます。というのも「練習の仕方がわからない」の言葉が僕には「自分が納得できる教え方をする人が周りにいない(私が納得できる結果に導いてくれる人がいない)」と読み取れてしまうんですね。

なぜなら、僕自身が中学時代まだトランペットをどう吹いていいのかもわからない時、先輩は何も教えてくれなかったんです。中3の先輩は幽霊部員で全然音が出せませんでした(ほぼ存在していなかった)。上下関係がめちゃくちゃ厳しい時代だったので、中2というのは「後輩に教える」なんてことができる身分ではなかったんです(先輩に「何偉そうにしてんだよ、中2のクセに!」と言われ、部室送りになるのが怖かった)。ばかばかしい話ですが当時の僕がいた環境はそんなだったので仕方ないです。

で、音の出し方を教えてくれたのはトロンボーンの中3の先輩だったんですが、同じ金管とは言え、やはりトランペットとトロンボーンでは吹き方にかなりの違いがありますよね。だから結局教えてもらってもなかなか音が出せなかったんです。

悔しかったのでありとあらゆる手段を使って吹き方や練習方法について調べ、実践するようにしました。
今のようにインターネットがあればもっと知識を得るのは簡単だったのでしょうが、当時はそんなものはありません。ヤマハに行ってバンドジャーナルやバンドピープル(現在のバンドパワーは昔雑誌でした)を読み漁り、トランペットの奏法について書かれている書籍を買って、重要そうなところをマーカーでラインを引いていたり(当時は知識が少なすぎて理解できないところがほとんどでしたが)、中古CD屋さんに言ってなけなしのお小遣いでトランペットやオーケストラのCDを買いまくるなど、とにかく悔しさから生まれてくるパワーでいろいろ頑張りました。

その甲斐あってか、始めて間もない頃はまったく音を出せなかった僕が中1の終わりではHigh Bbまで(強引ではありますが)何とか出せるようになり、楽譜に書かれていることもある程度演奏できるまでになったんです。

僕は天才肌ではないので、いつも悩んで苦労して挫折を繰り返し練習し続けた結果、今の自分がいるんだと思っています。今の中高生の方が当時の僕よりも何倍も上手です。僕の生徒さんにも同じように言うのですがだいたい「お世辞だ」と言われてしまいます。でも本当に僕は下手だったんです。

ですから、「自分はトランペットに向いていない」なんて簡単に言ってしまうのは時期尚早ですし、言うこと自体間違っていると思います。
まだまだ自分の力でやれることは山ほどあるんですから。


コメントの中の「音自体が出ないので練習の仕方がわかりません。」ということについてまだ書いていませんが、今回の内容とカテゴリー分けをしたいので次週にまわしたいと思います。

ネガティブ傾向の人は「まだまだ自分は下手だ」という考えから練習を熱心に続けられる力を持っている人です。ですので自分に負けないようにぜひできる限りの努力を重ねて上達していって下さい。そして、常にネガティブにならず、褒められた時は素直に喜び、感謝し、もっともっと上達してやるんだ、という気持ちで練習に励んでもらえればと思います。
頑張って下さいね。

それでは、また来週!


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at 09:21, 荻原明(おぎわらあきら), イメージ

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美しい音色とは








みなさんこんにちは!

当ブログこちらの記事にてご質問を募集しており、今回はその中からyukipetさんからのコメントに回答していきます。(現在は質問を募集しておりません。ご了承ください。)

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最近自分の周りで、美しいきれいな音と、ただ鳴っていない音の解釈を混同してしまう人がたくさんいるので、誰もが美しい音と思うような音を出すにはこうするべき。という記事を書いてみてはどうでしょうか?
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yukipetさんコメントありがとうございました。
音色に関して、文章で表現するのは非常に難しいのですが、可能な限りわかりやすく書いてみようと思います。


《トランペットの音色》



人それぞれ声が違うように「トランペットの音色」というのも奏者の数だけあります。ですので、今回yukipetさんがおっしゃっているような「ただ鳴っていない音(この後の返信で「詰まっているような柔らかい音」と表現していらっしゃいました)」がその奏者さんの求め、実際に表現している「トランペットの美しい音色」と解釈した上で出しているのであれば、その方の演奏レベルは別として結構トランペット経験の長い方なのかな?と思いました。

なぜならトランペット奏者さんの中には音色についてあまり考えていない人が多くいるイメージがあるからです。
もちろん僕がそういった方に出会ったことが多かっただけなのかもしれませんが、音を出すことに一生懸命になりすぎて、テクニックやただ音を出すこと、ハイノートを当てること、ピッチ、音程のことなどを優先している方が多い気がします。


で、音色に関してですが、仮に「詰まっているような柔らかい音」イコール「トランペットの美しい音色」と解釈した上で出しているのでしたら、それは間違った解釈と言えます。

過去の記事「ハイノート(ハイトーン)へのアプローチ6」で書きましたが、トランペットのデフォルトの(元々持っている)サウンドはかなり金属的で「ビーン」と張った響きであると考えています。
楽器というのはしっかり鳴らしている状態の時の音色を基本と考えるからこそ、柔らかいサウンドも出せるんだと思っています。経験上、柔らかい音を基本にしてしまうと、金属的で張った音色を出すことは困難なんです。

それは「柔らかい音を出そうとして操作した際、意識的、無意識に関係なくツボに当たらないところを狙い、抵抗の強い吹き方をした時に出やすいから」なんです。

そういった時に出る音は、一瞬「柔らかくて少しアンニュイな(憂いを持った)印象」に聴こえなくもありません。いかにも「軽く吹いている」感じなのですが、これは単にトランペットが鳴っていないからなんですね。

ジャズでしっとりした作品を演奏しているトランペット奏者の中に、それに近い音を出していることもあるのですが、その多くは「そう聴こえているだけ」に過ぎず、やはり楽器はしっかり鳴っているように思います。

試しにやってみるとわかりやすいかもしれません。トランペットを吹く際、マウスピースの重心を下唇のほうにして、ベルを極端に下げた状態で(クラリネットを吹くような構えで)中音域を出してみて下さい。なんだか柔らかく、フリューゲルホルンのような音になりませんか?
逆に上唇への重心をより多くすると、トランペットらしい堅いサウンドになりませんか?
どっちもあまり長時間やらないほうがいいですよ(笑)


《きっかけ》
このような「楽器が鳴らないところ」を狙って音を出すようになってしまったのには何かきっかけがあるはずです。
先程も触れたようにジャズのしっとりしたトランペットの音をレコードやCDで聴いたことがきっかけかもしれません。でも実はその音源ではフリューゲルホルンで演奏していた可能性もありますね。
もしくは、先輩や先生(指導者、コーチ)がそういった音を出しているところを見たからかもしれません(しかし、常にそんな音で吹いているわけではないかもしれません)。
ひょっとすると指導者などから「こういった音を出すべき」と教わったのかもしれません。

そういったきっかけ=情報がなければ基本的には音色に関してイメージを持つことは非常に困難です。

ということは「本来のトランペットが持つ響きのある音色」というものを体験しなければ、こもった音のイメージから脱出することは難しいと思うんです。

影響力のある人が目の前で「トランペットはこう鳴らすんです」と演奏してくれることが何より一番簡単に解決する方法でしょう。

そのためにはやはり沢山のプロトランペット奏者の演奏に出会うことが大切ではないでしょうか。


《レッスン》
その中でも一番手近なものが「(個人)レッスン」だと思います。
勘違いしている音色に対するイメージを払拭するには、目の前で鳴ってるトランペットのサウンドを聴くに限ります。

コンサートホールだとステージと客席の聴こえ方のギャップや、トランペットの生音を聞くことができず(ホールが良い響きを作り出すから)、一緒に演奏するということもできませんから比較がしにくいんですね。演奏している楽曲によっても音色は変化していきますし。

でもレッスン室ですと同じ空間で自分の出している音と先生の出している音の比較が間近でできます。

僕自身も学生時代にレッスンを受けている時に師匠が吹いてくれたサウンドの印象が、音色に対するイメージを明確にしてくれました。


《音色の変化》
トランペットの持つデフォルトのサウンドを知ることができたら、まずその音が常に出せるように心がけましょう。

そのサウンドを拠点として、より激しさのある音色、輝かしい音色、柔らかい音色、弱々しい音色など、イメージのできる限り「音色の引き出し」を持てるようになるのが望ましいことだと思います。

音色の変化は、決して「根本的な奏法を変化させて作るものではなく、デフォルトとなる音色からの発展」ということを忘れないようにして下さい。

様々な音色を生み出すには、様々なイメージの元となる何か(音源やプロの演奏、他の楽器や声楽の演奏等)が必要不可欠で、さらには様々な楽曲を演奏する時に自分自身が強いイメージを持って「こういった音色でこの場所を吹く」と決めていることが絶対です。合奏で演奏する時には、指揮者のイメージしている音色や他の奏者が目指している音色の方向性を感じ取り、自分の音色のイメージを作り上げていくことも必要でしょう。

そういったメロディを美しく歌うこと、美しい様々な音色でホールに自分の音を響かせようとする練習を常日頃から行うことが大切になります。

音は色彩のグラデーションのように無限に変化していくものなのです(ただし、基本となる色が必ずあるのです)。


ということで、今回は「美しい音色」について解説しました。

それではまた来週!


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at 10:08, 荻原明(おぎわらあきら), イメージ

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